□「平成28(2016)年ブログ」NO.3  平成28年7月1日〜9月30日  「BGMエンブレム」
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  • ■「小学校同窓生有志の遠足」
    平成28年9月22日
    「武周ケ池へ」
     郷里で小学校同窓会の幹事をしているK君から、有志で行く遠足に誘われた。郷里で実施する行事にはなかなか参加できないのでいつも羨ましく思っていたのだが、今般は、帰省することが重なったので、...続きを読む
  • ■ 「値切り交渉の話」
    平成28年9月21日
    「最近思ったこと」
     姉の病気見舞いに行くのに、どうしても手提げのバッグが必要となったので、田舎についてから繁華街をうろ付きお店を探した。繁華街も自分の記憶に残っている風景とは様変わり、...続きを読む
  • ■「敬老の日」
    平成28年9月20日
    「敬老の日」
     今日敬老の日に、居住の自治会から敬老のお祝いを頂いた。70歳以上になると積み立てられた自治会費の中からお祝い金が支給されることになっており、年間に収める自治会費より多めの額であった。 ...続きを読む
  • ■「晩夏」
    平成28年9月3日
    「晩夏」
     今年も過去の尺度では量れない、灼熱の夏となったが、8月20日を過ぎたころから、連日、大気不安定な天候による大風や大雨に見舞われ、季節は一気に晩夏に移ろいだ。今年は酷暑がもっと続くと思っていたから、...続きを読む
  • ■「百日紅(ヒャクジツコウ)」
    平成28年8月29日
    「百日紅(ヒャクジツコウ)」
     我が家の庭に「さるすべりの花」が咲いた。咲き始めに気付いたのは8月上旬ごろだった。その後、一時期しぼんだりしてしまったので花の見ごろは終わってしまったと思っていたのだが、...続きを読む
  • ■「ルノワール展」
    平成28年8月15日
    「ルノワール展」
     昨年10月に「モネ展」を鑑賞して以来、印象派の絵画に嵌ってしまい、国立新美術館で開催されている印象派の巨匠と言われている「ルノワール展」を観に行った。...続きを読む
  • ■「あざみ野こどもぎゃらりぃ2016にて」
    平成28年8月7日
    「あざみ野こどもぎゃらりぃ2016にて」
     今年の「あざみ野こどもぎゃらりぃ2016」は、後藤楯比古氏の「おもしろ動物たち」の展示と、齋藤久雄氏監修の「自分の思いと写真」の展示、さらに川村亘平斎氏の影絵の展示「Bayang Bayang」で構成され、...続きを読む
  • ■「蝉しぐれ」
    平成28年8月4日
    「低気圧の直撃を受けた帰省」
     7月20日に初蝉を聴いたばかりで、今年は少し遅れていると思ったのに、ここにきて猛烈に鳴き始めた。ボスらしい油ゼミが庭の梅の木にしがみ付き、力強く鳴き始めると、...続きを読む
  • ■「NEC玉川吹奏楽団定期演奏会」
    平成28年7月31日
    「NEC玉川吹奏楽団定期演奏会」
     1か月ほど前、横浜みなとみらいホールに立ち寄った際、NEC玉川吹奏楽団による定期演奏会のチラシが目についた。こんな公式な会場で定期演奏会を実行していることを知らなかったので、大変驚いた。...続きを読む
  • ■「福井市自然博物館:セーレン・プラネット」
    平成28年7月21日
    「福井市自然博物館:セーレン・プラネット」
     この施設は、建設前から気になっていた。周りから聞いた話では、ここにプラネタリームができるらしい、ということだったが、まさか駅の真ん前にこのような施設ができようとは思いもしなかった。...続きを読む
  • ■「バス停で初蝉を聴く」
    平成28年7月12日
    「バス停で初蝉を聴く」
    今日バス停で初蝉を聴いた。いつもの年より遅い気がしたが、油蝉が鳴き始めるのは梅雨明けの頃らしいので、早い方なのかもしれない。さらに、今年の梅雨明けが延びていることを考えれば、...続きを読む
  • ■「あざみ野こどもぎゃらりぃ2016」
    平成28年7月3日
    「あざみ野こどもぎゃらりぃ2016」
     今年も横浜市民ギャラリーあざみ野で、7月29日から8月7日まで「あざみ野ぎゃらりぃ2016」が開催される。これに先立ち本行事をサポートするボランティアへの説明会が開催された。...続きを読む
  • ■「異変?」
    平成28年7月1日
    「異変?」
     昨年は、我が家の梅の木から5s以上の実を収穫し、やむに已まれず3リトルのボトルに3本も梅酒を仕込んだことを記事にした。今年は、暖冬のせいか昨年より1-2週間早く梅の木が満開になったので、...続きを読む

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  • ■ 「小学校同窓生有志の遠足」
    平成28年9月22日
  • 「武周ケ池へ」 写真提供:K君
    「武周ケ池へ」
     郷里で小学校同窓会の幹事をしているK君から、有志で行く遠足に誘われた。郷里で実施する行事にはなかなか参加できないのでいつも羨ましく思っていたのだが、今般は、帰省することが重なったので、喜んで参加することにした。参加者は男子5名女子7名の12名。行先は、福井市二ツ屋町にある越前加賀海岸国定公園第2種特別地域に指定されている「武周ケ池」。当日は、Mちゃんが経営する工房「無可有」に集合してから目的地に行くこととなった。
  • 「工房:無可有」
    「工房:無可有」
     ミニギャラリーが設(しつら)えられた「無可有」の喫茶ルームで、Mちゃんが極上のコーヒを淹れて歓迎してくれた。集まった元乙女らは、足腰が弱くなったとぼやいていたが、その分毒舌に磨きをかけ、姦しい会話に生きがいをかけているように見えた。男どもはその毒気に当てられそうな気がして今日の遠足を思いやったが、極上のコーヒとギャラリーに漂う品性に洗脳されたのか、彼女らの毒舌の牙は削がれたようで、元の乙女に戻ってくれるのではないかと逆に期待を高めてしまった。
    ところが・・・
  • 「武周ケ池山荘」 写真提供:K君
    「武周ケ池山荘」
     品性を刷り込まれた一行は、姦しい会話を引き摺り、途中、殿下「かじかの里」でお弁当を仕入れながら、落石注意の山道を潜り抜けて、11時半ごろ武周ケ池の山荘に到着。この辺は、電気、水道、ガスなどがない山の上なので、K君は環境整備に大わらわのようだったが、実にまめまめしくホストに徹してくれた。生憎、天候に恵まれず到着の時には雨になり、外への散策ができなかったのは大変残念だったが、それも、これから起こる抱腹絶倒の会話を仕立てる女神の周到な仕掛けだったのかもしれない。
  • 「ベランダから見える絶景の池」 写真提供:K君
    「ベランダから見える絶景の池」
     山荘のベランダから見える池周辺が醸す自然の佇まいと、ログハウスの風格に圧倒され、こんなに美しい環境に囲まれ浮世の煩悩を吐露できればどんなに心休まるかと思った。外に出られないもどかしさを一層募らせようとする、女神の仕掛けは精緻を極めていた。
  • 「山荘のランプに灯が・・・」
    「山荘のランプに灯が・・・」
     皆が席に着いた頃を見計らい、ホストのK君がランプに灯をともした。雨模様で薄暗くなっていた部屋が、ほんのりと明るくなり、いよいよ、抱腹絶倒劇の幕が切って下された。足腰も弁舌も弱まってきた上、おの子の象徴にすっかり自信を失いかけてきた輩を慮ってか、プロローグは幼友達の近況を問うありきたりの出だしとなった。

     ところが、出だしに安心したのを見届けた瞬間、おみなごたちは、自信を失いかけてきた象徴を責める話題へ急転直下。しどろもどろにうろたえる輩をしり目に、品性の仮面と恥じらいをかなぐり捨てた毒舌は冴えわたり、クライマックスで交わされるすセリフの一つひとつは、最早Yを超えZ談の領域に昇華していた。
  • 「抱腹絶倒の会話が・・・」
    「抱腹絶倒の会話が・・・」
     近年こんなに笑い転げたことがあっただろうか。詳細をつまびらかにできないのはなんとも遺憾だが、抱腹絶倒の一大笑劇で幕を閉じた今年の遠足は忘れられないものになった。軽妙・洒脱な毒舌のZ談は、仲間の絆を一層強めた。をみなごたちの毒舌が健全なうちは、こんな愉快な遠足が続くのであろう。女神のそんな計らいに感謝しなければならない。当初おみなごたちへ期待してことが、やっぱりというべきか裏切られてしまったが、そんな彼女らに次回も、次々回も、ずっとずっと引っ張ていってくれることを願いながらこの山荘を後にした。



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  • ■ 「値切り交渉の話」
    平成28年9月21日
  • 「値切り交渉の話」
    「値切り交渉の話」
     姉の病気見舞いに行くのに、どうしても手提げのバッグが必要となったので、田舎についてから繁華街をうろ付きお店を探した。繁華街も自分の記憶に残っている風景とは様変わり、寂れ感が漂い激変する地方都市の実態が垣間見えた。そんな中、手ごろなバッグが吊るされた小さなお店を見つけ中に入った。小生とほぼ同じ年恰好の主人が一人で店番をしていた。

     気に入ったバッグを手に取り、値札を見たところ1,800円となっていた。少々高い気がしたので、めったにやったことのない値切り交渉を試みた。「もう少し、何とかならないか?」と数回話しかけ交渉に及んだのだが、聞こえていないのか無反応。主人は一生懸命スポーツ新聞を読みふけっていた。

     時間がなかったので「しょうがないなぁ」と呟き、財布を取りだそうとしたところ、「それ1,800円やって、ありがとのぅ(福井弁で1,800円だよ、ありがとうね)」といいながら、レジスターから200円のおつりを用意し、バッグをすぐさま畳み引き渡す準備を始めた。小生の指が、財布の中をまさぐった瞬間の早業だった。

     お店を出てから、あんなに短い距離で小生のお願いした話が聞こえなかったわけがなかろう、小声で発した呟きを聞き分けたのだから、と、切歯扼腕の思いがした。先方は、小生が日頃からやり慣れていないことを先刻承知だったのであろう。「まだまだ習わなければならないことがあるなぁ」と改めて思い知ったが、「聞こえないふり作戦」も敢行しなければならない激変下の商売の厳しさに、思いが至らなかったことが何とも恥ずかしかった。



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  • ■ 「敬老の日」
    平成28年9月20日
  • 「敬老の日」
    「敬老の日」
     今日敬老の日に、居住の自治会から敬老のお祝いを頂いた。70歳以上になると積み立てられた自治会費の中からお祝い金が支給されることになっており、年間に収める自治会費より多めの額であった。70歳を超える住民が増えてきているので、この制度も来年以降は見直されることになっているようだ。この制度の最後の受給者というわけだが、何とも言えない面映ゆい気がした。

    「おじいちゃん、おばあちゃん、ながいきしてください」。この日に合わせ、子どもたちに書かせたメッセージを添えた、自治会の手の込んだ祝金授与に観念するしかなかったが、正直、老人に指定され敬われること自体他人事だとしか思っていなかったので、心理に動揺を覚えた。

     敬老の対象者に上げられたことに、未だに気持ちの整理がついていないが、この日初めて、敬老に値する老人のことについて考えてみた。素直に敬老を受け入れるべきなのかもしれないが、第三者からのお仕着せ感を引き摺っているうちは、この領域に達していないというのがこの日の結論である。だから、小生の敬老の日はまだ当分先なのだと言い聞かせたら動揺は静まった。


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  • ■ 「晩夏」
    平成28年9月3日

 今年も過去の尺度では量れない、灼熱の夏となったが、8月20日を過ぎたころから、連日、大気不安定な天候による大風や大雨に見舞われ、季節は一気に晩夏に移ろいだ。今年は酷暑がもっと続くと思っていたから、一気な移ろいで季節の帳尻が合わされたことが意外だった。気象の状況は今のところ、異常時だからこそ自ら次の異常を呼び込み(灼熱の天候が大気不安定な天候をもたらす)、帳尻合せを行って季節のバランスを取っているのかもしれない。

  • 「ウコン(鬱金)」
    「ウコン(鬱金)」 8月31日撮影
     先日(8月31日)、我が畑でウコンが大きな葉っぱを広げ可憐な花を付けているのを発見。恐らくこの花も異常気象を感知し灼熱の夏がもっと長く続き、晩夏の到来(開花の時期)を9月半ばと想定していたのだと思う。いつもなら8月末辺りに晩夏を迎え開花するが、今年は直前まで開花の気配がなかったからである。ところが、この日見事に暦の季節に帳尻を合せ、晩夏の季節感を漂わせていた。

     偏に、この花の環境変化への適応力の高さなのだろう。何とも健気なことだが、我々が引き起こしている温暖化に苦慮させられていると知ったら、この可憐な花は何て言うだろうかと気になった。

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     ちなみに、花の解説書によれば、ウコンは晩夏から、秋にかけて写真のような、鱗のように重なった淡い緑の苞の中に黄色い花を咲かせる。花の名は、漢名の鮮やかな黄色を意味する欝金(ウッコン)の字音が変化したとのことで、根から黄色の染料がとれることから名づけられたそうです。
     花言葉は、「乙女の香り」「あなたの姿に酔いしれる」。つぼみを包んでいた苞の中にひっそりと咲く幻想的な花の美しさにつけられているとのこと。
     昔、この花言葉を知っていたなら、もっと上品な求愛ができたのにと悔やまれる。
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  • 「早稲の刈り入れ」
    「早稲の刈り入れ」 9月3日撮影
     後日(9月3日)、寺家ふるさと村入口のたんぼで、既に刈り入れを終えた稲が稲架(はさ)にかけられているのが目に留まった。早稲にしてもいつもの年より少々早いと思ったが、灼熱の夏が続いたことを考えれば、もっと早めに刈り入れがなされていても不思議ではないのに・・・。ここにも帳尻を合わされた晩夏の風景があった。

     今年の台風が直接東北地方や北海道に上陸するなど、従来の気象パターンにはない異常な現象を引き起こした。季節の帳尻合せにも繋がったようだが、そのために蒙った被害は甚大だった。この現象がこれから毎年続きそうな予想もなされている。帳尻合わせの晩夏は望むところではない。我らの生き様が問われている。



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  • ■ 「百日紅(ヒャクジツコウ)」
    平成28年8月29日
  • 「百日紅(ヒャクジツコウ)」
    「さるすべり(百日紅)」 平成28年8月29日撮影
     我が家の庭に「さるすべりの花」が咲いた。咲き始めに気付いたのは8月上旬ごろだった。その後、一時期しぼんだりしてしまったので花の見ごろは終わってしまったと思っていたのだが、今日満開のひと房が目についた。今までこの花については無頓着だったので、この花の開花期間の長さに興味を持った。

     調べてみると、この花は、夏の盛りに百日近く咲き続けることに由来し、別名百日紅(ヒャクジツコウ)と呼ばれていることも分かった。ちなみに、さるすべりとは、サルでも滑りそうなほどツルツルとした幹にちなんでつけられた、と。だから、それにちなみ花言葉は、「愛嬌」「不用意」となっているが、枝先に群がり咲くその華やかな咲きっぷりに由来し、「雄弁」も花言葉になっている。

    「さるすべり」という名に、いい印象を持っていなかったが、無知すぎた思い込みを恥じ入るばかりである。また「百日紅」という漢字の別名には、朝鮮半島の悲しい恋物語に由来していることも知り、この花に愛着を感じるようになった。10月ぐらいまではこの花を愛でることができるらしい。このことも初めて知った。今年は腰を据えて愛でてみようと思う。

  • 「百日紅」
    「百日紅(ヒャクジクコウ)」 平成28年8月13日撮影

    **-----別名百日紅(ヒャクジツコウ)の由来:≪朝鮮半島の悲しい恋物語≫-----**

     昔、旅をしていた王子が竜神を退治し、生贄にされていた娘を助けました。二人は恋人となり、100日後に再会するという約束を交わしますが、娘は約束の日を目前に他界してしまいます。その後娘のお墓から紅色の花が咲く木が1本生えてきたことから、村人たちはこの木を「百日紅」と名づけたそうです。

    **----horti(ホルティ)サルスベリ(百日紅)の剪定や育て方!花言葉から引用----**


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  • ■ 「ルノワール展」
    平成28年8月18日
  • 「ルノワール展」
    「ルノワール展」 
     昨年10月に「モネ展」を鑑賞して以来、印象派の絵画に嵌ってしまい、国立新美術館で開催されている印象派の巨匠と言われている「ルノワール展」を観に行った。案内書等によれば、1841年に生まれ、陶器の絵付師を経験しながら20歳ごろに本格的に絵画を学び、モネなど印象派の画家たちと交流を深め、印象派の画家となった。その後、光の効果を重んじるあまり、形状の正確性を軽視する印象主義に疑問を抱き、古典主義に傾倒し作風を変えていった。となっている。

     また、その間に長いスランプ期を経験したり、後年リュウマチ性関節炎などの病におかされたこともあって、劇的なほど作風や様式を変化させたとも言われている。本展では、これらの経緯が表出する風景画や家族・親族・自画像・友人・画家・画商・裸婦などの作品が展示されており、一つひとつの作品に滲み出る巨匠ルノワールの絵画に込める心の動きが垣間見える気がして、とても興味深く鑑賞することができた。

     とりわけ、印象主義時代の傑作のひとつと言われ、青色系の暗色を基調としながら、木々の間から射し込んでくる木漏れ日の表現が明るさを引き立てる「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場」と、最晩年に悪化したリュウマチに苦しみながら印象派を超えた色調と、豊穣で穏やかな表情で描かれた裸婦「浴女たち」の作品が、何とも人間臭く、その暖かさに惹きつけられてしまった。この日、東京に大雨が降ったが、ルノワールの魅力に憑りつかれた訪問者の列は途切れることはなかった。

  • 「ルノワール展」
    【読書する少女】34-35歳の作品 :第U章「私は人物画家だ」肖像画の制作から
    【陽光のなかの裸婦】35歳の作品 :第T章「印象派へ向かって」から
    【草原の坂道】34歳の作品    :第V章「風景画家の手技(メチエ)」から

  • 「ルノワール展」
    【ピアノを弾く少女たち】51歳:第[章「ピアノを弾く少女たち」の周辺から
    【浴女たち】  77歳 :第]章「裸婦、芸術に不可欠な形式のひとつ」から

  • 「ルノワール展」
    【ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場】35歳:第W章「現代生活」を描くから
    【ぶらんこ】              35歳: 〃

  • 「ルノワール展」
    【ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル】56-57歳の作品:
                    第[章「ピアノを弾く少女たちの周辺」から
    【ジュリー・マネ あるいは 猫を抱く子ども」46歳:第Y章「子どもたち」から
    【道化師(ココの肖像)】68歳の作品      : 〃 



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  • ■ 「あざみ野こどもぎゃらりぃ2016にて」
    平成28年8月7日
  • 「あざみ野こどもぎゃらりぃ2016」
    「あざみ野こどもぎゃらりぃ2016」
     今年の「あざみ野こどもぎゃらりぃ2016」は、後藤楯比古氏の「おもしろ動物たち」の展示と、齋藤久雄氏監修の「自分の思いと写真」の展示、さらに川村亘平斎氏の影絵の展示「Bayang Bayang」で構成され、それぞれに子供の参加(作品の 出展やワークショップで作品を作る等)を伴う展覧会となっていた。

     今年は、後藤先生の「身近なものを使って動物を作ろう」のワークショップと、最終日の川村亘平斎氏と田中馨氏の影絵と音楽の実演パフォーマンスにサポータとして3日間お手伝いした。毎年思うことだが、芸術家たちの新たな発想にほとほと感心してしまうが、彼らさえ舌を巻いてしまう、非凡な才能を持った天才子供芸術家の出現には、本当に驚かされる。

     今年も、2-3人 目に付いたが、彼らに共通する独自性(大人たちの余計なお節介には耳を傾けず、一人で考える)や、粘着性(創り上げるまで周囲に惑わされることなく、決して諦めない)や、ユニークな発想・創造力などに、尋常でない非凡な才能が垣間見えた。誠に末頼もしい子供たちである。今年もこんな子供らから芸術のイロハを教えてもらった気がした。
  • ■「後藤楯比古のおもしろ動物たち」
    「後藤楯比古のおもしろ動物たち」
     後藤先生の作品展示場で、先生とお仲間と一緒にワークショップを・・・。
     先生は、廃棄物に新たな命を与え芸術作品に再生(Reborn)している。

  • 「天才少年」
    「天才少年」
     非凡な才能を持った天才子供芸術家の出現には、本当に驚かされる。失敗を繰り返しながら、2時間以上も粘りゴジラを作り上げた。末頼もしい天才少年の力作に、誰もが舌を巻いた。
  • 「後藤先生作品」
    「後藤作品:ペンギン」
     廃棄処分された消火器が、ペンギンに生まれ変わり、展示場入口で訪問者を迎え入れていた。再生(Reborn)のあまりの見事さに誰もが足を止め見入っていた。命の尊さが滲み出ているからだろう。
  • 「後藤先生作品」
    「後藤作品:ダルメシアン」
     廃棄自転車がダルメシアンに。子供にも大人にも人気を博していた。
  • 「後藤先生作品」
    「後藤作品:バッタ」
     木製の洗濯バサミがバッタに。おばさん方からユニークな発想に感嘆の声。
  • 「後藤先生作品」
    「後藤作品:蝉」
     和バサミから作られている蝉。蝉とは分かるものの、和バサミを知らない世代が散見。時代の流れを感じた。
  • 「後藤先生作品」
    「後藤作品:鳥」
     まさかバイクのマフラーとは思うまい。古くなって黒ずんだ色合いがこの鳥の特徴を表している。もしかして、川鵜か?
  • 「後藤先生の作品」
    「後藤作品:とり」
     まだ傷みがそれほど進んでいないバイクのマフラーで作られたとり。気高く見えるこの鳥は、鶴かも。
  • 「影絵の劇場」
    「影絵の劇場」
     ユニークといえば、最終日(8/7)に演じられた川村亘平斎氏と田中馨氏の影絵と音楽の実演である。大きな手作りのスクリーンに絵型を切り紙細工で仕上げたものを、身に付けたり、手に持ったり、光源からの距離を微妙に調整しながら、相棒がガムランや、笛や、ベースなどで演奏する独自の妙な音楽に合せ、一大影絵劇場に仕立て上げる様は、独創的としか言いようがない。

     この影絵劇は、山形の民話を下地にしているようで、1時間以上も操り続け、喋り続ける劇仕立てになっていたが、200人近い聴衆(ほとんどは、未就学児とその父兄たち。今年は例年になく多くの聴衆者が集まった)、特に子供たちが、興味を惹かれたらしく、騒ぎ立てることもなく、最後まで影絵劇を鑑賞していたのには正直驚いた。子供に迎合するような言葉遣いをしているわけでもなく、ストーリーも特別優しく砕いているわけでもないのに、なぜ子供らを惹きつけたのか。芸術の本質が隠れている気がしてならなかった。

     芸術は本当に奥深い。来年は何を知るのか、当分はこの企画から離れられなくなりそうにもない。


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  • ■ 「蝉しぐれ」
    平成28年8月4日
  • 「蝉しぐれ」
    「蝉しぐれをリードするボス蝉」
     7月20日に初蝉を聴いたばかりで、今年は少し遅れていると思ったのに、ここにきて猛烈に鳴き始めた。ボスらしい油ゼミが庭の梅の木にしがみ付き、力強く鳴き始めると、その木の目の前にある欅に群がっているその他大勢の蝉たちが、一斉に ハモルものだから煩いことこの上ない。これが1日中、そして、もうかれこれ1週間以上も続いている。

  • 「蝉しぐれ」
    「蝉しぐれ」
     大辞林によれば、このようにたくさんの蝉が鳴いているさまを、晩秋から初冬にかけて、さあっと降ってはやみ、やんではまたさあっと降ることを繰り返す、時雨の降る音にたとえて「蝉しぐれ」と言うらしい。断続的に鳴き競う様は煩いことこの上ないが、短い命を燃やしながら、命を次に繋げようとする聖なる営みの象徴に見えたとき、哀愁に満ちた美しい響きに聞こえた。

     暦の上では、この夏の風物詩もうすぐ盛りを終えるが、今年は、ボス蝉の力強い鳴き声にまだまだ続きそうな予感がする。



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  • ■ 「NEC玉川吹奏楽団定期演奏会」
    平成28年7月31日
  • 「NEC玉川吹奏楽団」
    「NEC玉川吹奏楽団第34回定期演奏会」
     1か月ほど前、横浜みなとみらいホールに立ち寄った際、NEC玉川吹奏楽団による定期演奏会のチラシが目についた。こんな公式な会場で定期演奏会を実行していることを知らなかったので、大変驚いた。小生が最初に勤務し、10年間も通った事業場だったことや、この吹奏楽団の生みの親だった方が、小生の最初の上司だったこともあって、懐かしさを超えた何とも言えない感慨がよぎった。

     思えば、この事業場を卒業してから42年も過ぎていたが、在職中に食堂で聴いた定期演奏で癒されたことを忘れるわけがなかった。当時から実業団の吹奏楽団として全日本吹奏楽コンクールに出場し、活躍していることは知っていたが、まさかみなとみらいホールを借り切って定期演奏会を実施しているなどとは・・・。何を差し置いてでも行かなければと思い、この日の定期演奏会に行った。

     当日券は2階席の一部しか空いていなく、チケットはほぼ完売の様子。お客の90%以上は、会社の現役とOBに違いないが、小生の隣に来た数人のお客は、会社とは関係のないこの吹奏楽団を目当てにしたファンらしく、人気の高さが窺えた。誠に頼もしい限りで、聴く前から気分の高揚を抑えられなかった。

     当日演奏された曲目は
     一部 ・行進曲「自由の鐘」(E.F.ゴールドマン)
        ・リフレクションズ 〜ある古い日本俗謡による〜 (P.スパーク)
        ・シャコンヌ〜無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第二番ニ短調
                BWV.1004より〜(J.S.バッハ/伊藤康英 編曲)
        ・スペイン奇想曲 (N.リムスキー=コルサコフ/藤田玄播 編曲)

     二部 ・オリンピアーダ (S.ヘイゾ)
        ・交響組曲「スターウォーズ フォースの覚醒」
                      (J.ウィリアムズ/J.ブコック編曲)
        ・千と千尋の神隠し(久石譲・木村弓/鈴木英史 編曲)
        ・リバーダンス・ハイライト(B.ウィーラン/J.デ=メイ 編曲)

     吹奏楽で聴くクラシックは初めてだったが、エクセレントだった。選曲もいいのだろうが、奏者の技術水準がとても高いのに感動した。とりわけ、パーカション担当の多能演奏は、聴衆者(小生)の胸を打ち、演奏に惹きつけられた。まさかこんな高レベルな吹奏楽団になっていようとは・・・。身びいきの限りだが、これからは、追っかけをしなければと思った。



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  • ■ 「福井市自然博物館:セーレン・プラネット」
    平成28年7月21日
  • 「福井市自然博物館:セーレン・プラネット」
    「福井市自然博物館:セーレン・プラネット」
     この施設は、建設前から気になっていた。周りから聞いた話では、ここにプラネタリームができるらしい、ということだったが、まさか駅の真ん前にこのような施設ができようとは思いもしなかった。長らく、なぜこんな場所に、こんな施設をと素朴に思っていたが、本日訪問してその意図【施設の概要】の「ごあいさつ」を知った。

     遠大で高邁な理想でふるさとの再生を図っていこうとする姿勢に敬意を表したい。70歳を超えた故郷を離れた者の、故郷を想う気持ちは年々高まるばかり。決して一過性にせず、なんとか形にするまで、愚直に取り組んでいってもらいたいと願わずにはいられない。駅前の恐竜(モニュメント)が、頭を下げながら咆哮しているのは、そんな願いを叶えようとしているからに違いない・・・。強まる望郷の念が、ますます妄想を逞しくした。

     このドームシアターで、地球が宇宙に浮かぶ奇跡の惑星であることを知らされる。地球で環境問題が苛烈になっていく中、ここでの学びがどれほど大事かを思い知らされた。こういった施設は、ほかにも数多(あまた)あるであろうが、県都の玄関口に設置されているのは珍しいのではないか。リクライニングシートを160席も設置したこの贅沢な空間に、故郷の思い入れが垣間見えた。

  • 「ドームシアター」
    「ドームシアター」
     リクライニングシートが160席、この贅沢な空間に故郷の思い入れが垣間見えた。

  • 「ドームシアター」
    「ドームシアター内」−この写真はセーレンプラネットのホームページから拝借−
     福井の夜の天空に広がる星座は圧巻。地球が宇宙に浮かぶ奇跡の惑星であることを知らされる。

  • 「ドームシアター入場券」
    「ドームシアター入場券」
     未だ経験したことのない異次元の空間に誘われ、未だ経験したことのない贅沢な時間を堪能。この45分間の価値大人600円(入場料金)。見に行かない手はない。是非お運びされたく。

  • 「贅沢な空間で願ったこと」
    「贅沢な空間で願ったこと」
     70歳を超えた故郷を離れた者の、故郷を想う気持ちは年々高まるばかり。決して一過性にせず、なんとか形にするまで、愚直に取り組んでいってもらいたいと願わずにはいられない。



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  • ■ 「バス停で初蝉を聴く」
    平成28年7月12日
  • 「バス停で初蝉を聴く」
    「バス停で初蝉を聴く」 7月12日撮影
     今日バス停で初蝉を聴いた。いつもの年より遅い気がしたが、油蝉が鳴き始めるのは梅雨明けの頃らしいので、早い方なのかもしれない。さらに、今年の梅雨明けが延びていることを考えれば、早すぎる初蝉ともいえそうだ。久々に夏らしい天気になったこの日に、蝉もあわてて地中から這い出してきたに違いない。昨今の異常な天候に順応させようとする生き物たちの本能が垣間見える気がする。

     今年は、あちらこちらで熊の被害が異常に多く発生している。個体数が増えてきている上に、山中に生きていけるだけの食べ物がない事などが影響しているらしいが、これらも異常な気象変動に狂わされた生き物の、懸命に生き延びるために選択した本能の表われに違いない。そういえば、我が家の周辺にムクドリの大家族が目につき始めた。例年にないことで騒がしいことこの上ないが、彼らもその選択を迫られた生き物の一つなのであろう。

  • 「暮れなずむふるさとむら」
    「暮れなずむふるさとむらの夕日から・・・」 7月12日撮影
     ところで、技術を進化させることと引き替えに本能を退化させてきてしまい、このような環境を作り出してきた我々は、どのような順応の仕方を選択しようとしているのか。バス停の蝉と、暮れなずむふるさと村の夕日から詰問されている気がした。



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  • ■ 「あざみ野こどもぎゃらりぃ2016」
    平成28年7月3日
  • 「あざみ野こどもぎゃらりぃ2016」
    「あざみ野こどもぎゃらりぃ2016」
     今年も横浜市民ギャラリーあざみ野で、7月29日から8月7日まで「あざみ野ぎゃらりぃ2016」が開催される。これに先立ち本企画をサポートするボランティアへの説明会が開催された。今年は、身近なモノ(紙コップ、割箸、ボトルの蓋やストローなどなど)を使って、動物を作る工作コーナー(「おもしろ動物たち」の運営)を支援することになるので、その予行演習として工作の実習が組まれていた。

     今年で本企画は11回目を迎え、例年20名を超えるボランティアが参加し、この企画を支えてきている。お仲間は腕に自信のある方ばかり。工作はもとよりドローイングも得意としているので、実習に嬉々として取り組まれるが、小生は今年6回目を迎えたものの一向に腕が上がらず、今年も冷汗三斗を味わった。

     それでも、この企画に参加しようと思うのは、縁遠かった美術の世界に心を惹かせてくれるようになったからである。子供らとともに夢中になって時間を過ごすなかでその世界に接近できる楽しさは、冷汗三斗を補って余りある。そして、子供らのユニークな創造力に遭遇する度に美術の原点に気付かされ、その気付きの嬉しさを味わうために6回も重ねてきたような次第である。

     今年の講師、後藤楯彦氏のワークショップで、どんなユニークな創造力に出会えるか、そして、どんな発見ができるかとても楽しみである。お子さんやお孫さんをお持ちの方、是非ご来館を。一緒に新たな発見をしませんか?

  • 「冷汗三斗の我が試作品」
    「冷汗三斗の我が試作品」
     今年は、身近なモノ(紙コップ、割箸、ボトルの蓋やストローなどなど)を使って、動物を作る工作コーナー(「おもしろ動物たち」の運営)を支援することになるので、その予行演習として試作品を作ったが、あまりの出来栄えに今年も冷汗三斗を味わった。



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  • ■ 「異変?」
    平成28年7月1日
  • 「実を付けるのを忘れ16:19 2016/07/12た我が家の梅の木」
    「実を付けるのを忘れた我が家の梅の木」 7月1日撮影
     昨年は、我が家の梅の木から5s以上の実を収穫し、やむに已まれず3リトルのボトルに3本も梅酒を仕込んだことを記事にした。今年は、暖冬のせいか昨年より1-2週間早く梅の木が満開になったので、昨年より早く実の収穫ができるのではないかと思い、昨年仕込んだ梅酒を早く飲みほさなければと、3月ぐらいから追い込みをかけていたところだった。

     ところが、5月の収穫期を過ぎても結実の気配がなく、6月初旬に5つ採れただけ。今日に至るまでひとつも結実せず、やたらと葉っぱの勢いだけが目立つだけで、今年の梅酒づくりは断念せざるを得なくなった。健康を損ねかねない過飲で追い込んだ努力は何だったのか、と、生い茂る葉っぱに愚痴った。

     近所で長年梅を栽培している方の話によれば、こんなことはよく起こるらしい。採れすぎるほど採れる年と、全く採れない年があるので、それを見込んでお付き合いされますように、と、アドバイスをくれた。素人がたやすく農業ができるほど甘くはないことを、今年も思い知らされた。3リットルのボトルの使途を、さる方から責められながら、年の中央を迎える羽目になった。

     責められついでに、ほかの収穫物についても記しておく。小生にとっては、異変が起きているとしか思えないのだが・・・

  • 「小粒にしか育たなかった玉ねぎ」
    「小粒にしか育たなかった玉ねぎ」 7月1日撮影
     今年は、マルチで栽培するなどいつもの年より工夫して玉ねぎづくりに挑んだ。一冬越して、春先は順調に見えていたが、6月に収穫したときは、どれも小さく標準もの1に対し6-7個の割で、近年にない不作となった。我らの出来はまだいい方で、周りの畑は見るも無残な状況を呈していた。物知りのおじさんの話によれば、早春に温暖多湿が続いたため「ベと病」にやられてしまい収穫はほとんど無しとなったようだ。

     小粒の玉ねぎばかりとなってしまったが、周りのことを思えば恵まれた収穫と言える。我らの苦労が少しは効いたのかもしれないと、自賛もしたくなるところだが、さる方がどれだけわかってくれているか、どんな調理をしてくれるのかで判断するしかない。だから、これからしばらく、何を食べさせてもらえるのか気になるのである。

  • 「巨大ジャガイモ」
    「巨大ジャガイモ」 7月1日撮影
     一方ジャガイモは、大きさがまちまちで、中には近年見たこともないような巨大なジャガイモが採れた。でこぼこで、標準の2倍以上はあろうというしろもの。梅の実と言い、玉ねぎと言い、そしてジャガイモと言い、素人目にも異変が起こっているとしか思えないと呟いたところ、手抜きだらけだから当たり前のことなのにと、聞こえよがしのつぶやきが聞こえてきた。異変は偏に己の手抜きかげんによるものらしい。であれば、今年の後半も異変が続くのは間違いない。


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