□「平成28(2016)年ブログ」NO.2  平成28年4月1日〜6月30日   ♪BGM 
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  • ■「丸岡城を訪ねて」
    平成28年6月21日
    「丸岡城を訪ねて」
     我が郷土に丸岡城という城がある。案内書には、現存する天守閣では日本最古の建築様式を持つ平山城と記されている。 「霞ヶ城」としてもつとに有名で、...続きを読む
  • ■「高校の同窓会」
    平成28年6月19日
    「高校の同窓会」
     60歳を過ぎたころから毎年、故郷で高校のクラス会が開催されている。幹事のT君の尽力によるものだが、故郷を離れた者にとっては毎年参加することはなかなか難しく、...続きを読む
  • ■「里親に育てられる燕の子」
    平成28年6月18日
    「里親に育てられる燕の子」
     行きつけのガソリンスタンドに行ったところ、ステーションの入口にへんな小鳥の雛がピーチく泣いていた。従業員の方に聞いたところ、数日前、車を洗浄する脇のゴミ箱の中で...続きを読む
  • ■「ふるさと村の田植え」
    平成28年6月18日
    「ふるさと村の田植え」
     暖冬異変が続く中、4月14日に出番が狂った春のふるさと村の風景を撮り、今年の田植えはいつになるかを記事にした。あれから2か月余り、ふるさと村の田んぼは、...続きを読む
  • ■「東京都庁を訪問」
    平成28年6月16日
    「再興100回 院展」
     毎月、お仲間と美術館や、普段なかなか思いも付かない名所や施設を巡ることにしており、今月は東京都庁を訪問することにしていた。勿論何か月も前に決めていたことで、まさか、...続きを読む
  • ■「(続)(続)異国の人との交流」
    平成28年6月2日
    「(続)(続)異国の人との交流」
     1月25日の記事(「(続)異国の人との交流」)で紹介した彼女から、本日、掲載の便りが届いた。差出は3月29日付でタンザニアから出したものである。2か月強掛けて届いたことが分かり、...続きを読む
  • ■「健康親睦ハイキング」
    平成28年5月28日
    「健康親睦ハイキング」
     この日、高校の関東地区同窓会主催の「健康親睦(鎌倉の寺々を巡る)ハイキング」が実施された。参加者は18名。参加者の年齢幅は12-3歳と程々の広がりであったが、...続きを読む
  • ■「四つ葉のクローバ見ーつけ」
    平成28年5月21日
    「四つ葉のクローバ」
     5月5日の記事で、四葉のクローバを見つけられると幸せになる。と小さいころ聞かされていたことを思い出しながら、いつもの散歩道の鶴見川の土手に探し求めていることを書いたが、...続きを読む
  • ■「カラヴァッジョ展」
    平成28年5月19日
    「カラヴァッジョ展」
     いつものお仲間と定例となった美術鑑賞と懇談を上野で実施した。いま、東京都美術館で開催されている「生誕300年記念 若冲展」を鑑賞する積りだったが、3時間待ちには耐えられず、...続きを読む
  • ■「国連WFPウォークザワールド2016」
    平成28年5月15日
    「石川竜一展」
     この日横浜みなとみらい地区臨港パークを会場にして、今年11回目を迎えた国連WFP協会主催の「WFPウォーク・ザ・ワールド」が開催された。途上国の子供たちの飢餓をなくし、...続きを読む
  • ■ 「抜け落ち症状」
    平成28年5月11日
    「最近思ったこと」
     最近、身体のあちらこちらで「抜け落ち症状」が目立ってきた。親からの遺伝で頭の髪だけは自身を持っていたのだが、2年ほど前、床屋のおニイサンから「大将、てっぺんが薄くなってきたからやめた方が良い!」...続きを読む
  • ■「まぼろしの紙幣横濱正金銀行券」
    平成28年5月7日
    「まぼろしの紙幣横濱正金銀行券」
     今、神奈川県立博物館で開催されている特別展「まぼろしの紙幣 横浜正金銀行券 −横浜正金銀行貨幣紙幣コレクションの全貌−」を観に行った。本展は、 ...続きを読む
  • ■「立夏に弾けていた草花」
    平成28年5月6日
    「立夏に弾けていた草花」
     今年は5月5日が立夏となったが、五月晴れとなったこの日は気温もうなぎ上り、季節は既に夏の装いとなっていた。昨今、暖冬騒ぎや低気圧の強風に晒されるなどで季節感が微妙に狂いだしたところであったが、...続きを読む
  • ■「国連WFPのメーデー出展活動」
    平成28年4月29日
    「国連WFPのメーデー出展活動」
     4月29日、代々木公園で開催された第87回のメーデー中央大会の会場で、世界で飢餓に苦しむ人々へ食糧支援行う国連WFPのボランティア活動に参加した。20代の頃メーデーに駆り出され、...続きを読む
  • ■「(続)熊本の大地震に想う」
    平成28年1月25日
    「(続)熊本の大地震に想う」
     被災された元上司と先程ようやく携帯電話で連絡が取れ、ご無事だったことを確認できて本当にほっとした。安否確認に10日もかかってしまった。こちらにおられたときには、住所も電話も知っていたが、...続きを読む
  • ■「聖徳記念絵画会館」
    平成28年4月20日
    「聖徳記念絵画会館」
     いつものお仲間と明治神宮外苑にある「聖徳記念絵画館」に出かけた。以前より本絵画館を観ることにしていたが、優先する美術展覧会があったので本日まで延びてしまったのだ。...続きを読む
  • ■「低気圧の直撃を受けた帰省」
    平成28年4月18日
    「低気圧の直撃を受けた帰省」
     姉の病気見舞いで4月17日(日)に帰省した。今年に入って5度目となるが、1月18日の帰省の折に大雪に遭遇してえらい目にあったことに続き、今回も低気圧の強風の直撃を受けとんでもない目に合った。...続きを読む
  • ■「熊本の大地震に想う」
    平成28年4月17日
    「熊本の大地震に想う」
     3月14日午後9:26、TVが熊本が震度7の地震に直撃されたとの特別番組を流し始めた。またかとの思いに駆られTVを食い入るように見たが、夜のことでもあり流れ出てくる画像からは深刻な被害も伝わらず、...続きを読む
  • ■「出番が狂った春のふるさと村のわき役」
    平成28年4月14日
    「出番が狂った春のふるさと村のわき
     この村での「春の使者」の一角を土筆が担っている。例年は、2月の中旬ごろに顔を出しいち早く春の訪れを告げる。3月中旬にはあちらこちらで見られるようになり春本番を告げる。...続きを読む
  • ■「(続)ふるさと村の春」
    平成28年4月8日
    「(続)ふるさと村の春」
      ふるさと村の畑を一部お借りして農業ごっこをしているところだが、我が畑では、暖冬の余波を受けスナップエンドウがやられてしまい、読めなくなってきた季節感に悩まされている昨今である。...続きを読む
  • ■「 横浜「寺家ふるさと村の春」」
    平成28年4月3日
    「つぼみの健気な抗い」
     今年も、我が住み家に隣接する「寺家ふるさと村」に桜の季節が巡ってきた。...続きを読む

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  • ■ 「丸岡城を訪ねて」
    平成28年6月21日
  • 「丸岡城を訪ねて」
    「丸岡城を訪ねて」 丸岡城 平成28年6月21日撮影
     我が郷土に丸岡城という城がある。案内書には、現存する天守閣では日本最古の建築様式を持つ平山城と記されている。 「霞ヶ城」としてもつとに有名で、春霞の中にそびえる丸岡城の幻想的な美しさは類を見ないともいわれている。

     子供の頃から霞ヶ城の名称でしか聞かされたことはなく、霞に包まれた城とはどのようなものかと想像をたくましくしていたが、今日に至るまで、郷土に生まれながら、未だ一度も観に行ったことがなかった。誠に汗顔の至りだが、市の郊外にあるこの城には何時でも行けるという思いが、訪問を鈍らせていたのだと思う。今回も、「近からず遠からず」という距離が、一番遠いということを改めて思い知らされた。

     高校のクラス会の後少し時間ができたので、今回はその一番遠いところに行くことにし、長年の思いを遂げた次第である。霞の時期を失していたので、幻想的な佇まいを観ることはできなかったが、この城の築城時の時代背景や建築様式や城主、そしてこの城のその後辿った運命に心が惹かれ、連綿と続いてきたこの城の、四百四十年に及ぶ歴史に感慨もひとしおとなった。遅らせばせながら、郷土の歴史の新たな一コマを識り、元郷土の一員としての義務を果たせたことを嬉しく思った。

  • 「一筆啓上の碑」
    「日本一短い手紙コンクール」 一筆啓上の碑 平成28年6月21日撮影
     そういえば、まだこの城がどんなお城なのかお話していない。下記の案内から、我が郷土の丸岡城をご覧下さい。近年になって、本多作左衛門重次が妻に送った手紙文「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」にちなみ、1993年から始めた日本一短い手紙コンクール「一筆啓上賞」への取り組みも、この城の魅力を掻き立てています。この城が、我が郷土越前に興味を持っていただく切っ掛けになればと願っております。そしてまた、「近からず遠からず」ということに思いを馳せて頂く切っ掛けにもなれば望外の喜びです。

     越前丸岡町の「霞ヶ城」(丸岡城)はこちらからご覧いただけます。


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  • ■ 「高校のクラス会」
    平成28年6月19日
  • 「高校のクラス会」
    「高校のクラス会」 北潟湖畔荘 平成28年6月19日撮影
     60歳を過ぎたころから毎年、故郷で高校のクラス会が開催されている。幹事のT君の尽力によるものだが、故郷を離れた者にとっては毎年参加することはなかなか難しく、小生は今回3回目の参加を果たした。今年は、地元芦原のレイクサイト「北潟湖畔荘」で開催され、男子6名、女子13名が集った。

     1クラス50名時代であったから、19名の参加は40%近い参加率である。故郷を離れた者も多く、しかも70歳を超えた同級生のことを思えばなかなかの参加率と思う。卒業後初めて会った仲間のあまりの変わりように、絶句するしかなかったが、当時のクラスの思い出が、独特のお国訛りに載せられると、木漏れ日が差し込む木造校舎の教室で話し合ったことが現出し、ちーっとも変わっていなかった友の声がとても懐かしかった。

     イケメンやマドンナと言われた輩でさえ、ジジイ、ババアの世界に足を踏み入れた容姿の変わりようは形容しがたく、半世紀を超えたときの流れを今更の如く思い知らされた。それでも、友との懐かしさを回顧する中で、親から引き継がれてきた家族や友人や社会に対する思い遣り(心の心棒、生き方の価値観)が、色褪せることなく少しも変わっていないことが何よりうれしいことだった。

     この半世紀、学校も街並みも何もかもが大きく変わってしまった。もろもろの価値観も大きく変わってきているに違いないが、変えてはいけない価値観もあると思う。我々が果たさなければならない役割りがそこにあるのだろう。我々の価値観を色褪せさせない為にも、毎年このクラス会に出て、思い出を語り続けていかなければならない。と、思った。

  • 「北潟湖畔のおもてなし」
    「北潟湖畔のおもてなし」 北潟湖畔花菖蒲園 平成28年6月19日撮影
     北潟湖は、我々の逢瀬を静かに迎い入れてくれた。そして、菖蒲園も元イケメン、マドンナ達を迎え入れるに相応しい精一杯の準備を整えて待っていてくれた。
  • 「菖蒲の花のお気遣い」
    「菖蒲の花のお気遣い」 北潟湖畔花菖蒲の花々 平成28年6月19日撮影
     「お花さん、わてらも、半世紀前は「清楚」で「可憐」だったんよ!」。との問い掛けに、「そうでしょう、そうでしょう、うちらは良くわかります」と。そして、「うちらより、ずーっと可憐だったと、優越感を持っていただけたら幸いなんだけど!」との精一杯のお気遣いを表してくれたが、この気遣いが少しばかり、きつかったのかもしれなかった。元マドンナたちは、これらのお花さんと一緒に写真に写ることを望まなかった???


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  • ■ 「里親に育てられる燕の子」
    平成28年6月18日
  • 「里親に育てられる燕の子」
    「里親に育てられる燕の子」 平成28年6月18日撮影
     行きつけのガソリンスタンドに行ったところ、ステーションの入口にへんな小鳥の雛がピーチく泣いていた。従業員の方に聞いたところ、数日前、車を洗浄する脇のゴミ箱の中で泣いていたのを救い上げて面倒を見るようになったとのこと。ちなみにこの小鳥はツバメの雛である。この世界では、親が子供をほっぽりだしてしまうのは極めてまれのようだが、ガソリンスタンドで油まみれの男の方だけで、かわるがわるツバメの親を務めている風景も稀なのではないだろうか。

     小さい皿の中に、紙を細く切り上げたものを敷き詰め、武骨な出来栄えだが、この世で最も暖かさが伝わってくる巣にしているところに、このお店の思いやりが伝わってくる。巣の上に通した割箸の上で餌をねだるこの雛は、丸々と太り愛情豊かに育っていることが分かる。

     この巣の下に、練り餌やすり餌などこの子のために用意された餌が一杯積んであった。小生も断りを得て一口餌を口に運んだ。食べっぷりがとてもよく、とても親から見放されたとは思えないほど懐いてくれた。あまりの可愛さにジーンと来てしまい、しばしガソリンスタンドにいることを忘れてしまった。

     この子が、逆行にもめげず、大きく羽ばたいていってもらえたらと願わずにはいられなかった。それにしても、この子の里親たちの何と優しいことか。久々に心が洗われ、満タンになった車をこのスタンドから、なかなか出せなかった。


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  • ■ 「ふるさと村の田植え」
    平成28年6月18日
  • 「ふるさと村の田植え」
    「ふるさと村の田植え」 平成28年6月18日撮影
     暖冬異変が続く中、4月14日に出番が狂った春のふるさと村の風景を撮り、今年の田植えはいつになるかを記事にした。あれから2か月余り、ふるさと村の田んぼは、植えられた苗で埋め尽くされていた。知り合いの農家の方に聞いたところ、近年の天候にはほとほと手を焼かされているが、田植えだけはいつもの年とほぼ同じだとのことだった。

     どうやら、田植えに最も重要な水のことが関係しているらしい。こういった自然の中で展開されている最も基本的なことは、そう簡単には変わっていないのかもしれない。8月半ばごろには、黄金色に染まった稲穂で埋め尽くされているであろう。

     今年も豊作を祈るばかりであるが、近年は、休耕にする田んぼが目立ってきた。今年も1-2枚増えた気がする。農業に従事する方々の年齢が高くなってきている上に、引き継ぐ方が減少していることや、米食離れがこれらに一層の拍車をかけているのであろう。実りの秋に、セイタカアワダチソウの黄色い小花が目立つ田んぼは、何とも似合わない。我々の生き方が問われている気がしてならない。


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  • ■ 「東京都庁を訪問」
    平成28年6月16日
  • 「東京都議会議場」
    「東京都議会議場」
     毎月、お仲間と美術館や、普段なかなか思いも付かない名所や施設を巡ることにしており、今月は東京都庁を訪問することにしていた。勿論何か月も前に決めていたことで、まさか、都知事が糾弾され大騒ぎになろうとは思ってもいなかった。

     1週間ほど前からえらい騒ぎになっているので、入場できるのかと心配していたが、当日は訪問者がほとんどなく、静まり返った施設のなかに案内されたときに拍子抜けしてしまった。とりわけ、2-3日前の騒然とした状況を考えればとても信じ難いことだったからだ。

     案内所にいた方の話によれば、前日の15日はマスコミ関係者や警備の関係者や議会関係者が入り混じり、さらにそれらに輪をかけたように一般の傍聴者が大勢駆けつけ混乱を極めたようだ。だから、1日前に訪問していたなら、我々の入場は覚束かなかったに違いない。たった1日の違いなのに、今日の異常な静けさは本当に信じ難いことだった。

     お蔭で、議場の中はもとより、その他の諸所を誰に憚ることもなく落ち着いてみることができた。我々にとっては誠に幸運な1日の違いであったが、こんなことを素直には喜んではいられない思いがした。今回の騒動によって、世界から注目されているこの都市の、失ったものの大きさは計り知れないと思うからだ。

     それにしても、世の中の状況は、だんだん冷静さを欠くようになってきている気がしてならない。正義の味方とばかリ焚きつけ、これらに拍車をかけている風潮に憂うばかりである。期せずして都庁を訪問したが、突きつけられた課題は重い。

  • 「静まり返った議場にて」
    「静まり返った議場にて」
     正義の味方とばかリ焚きつけ、これらに拍車をかけている風潮に憂うばかりである。期せずして都庁を訪問したが、突きつけられた課題は重い。
  • 「エンブレムは見ていた」
    「エンブレムは見ていた」
     15日はマスコミ関係者や警備の関係者や議会関係者が入り混じり、さらにそれらに輪をかけたように一般の傍聴者が大勢駆けつけ混乱を極めた。その一部始終をこのエンブレムは見ていた。4年後大丈夫か???
  • 「屋上の風景が象徴しているもの」
    「屋上の風景が象徴しているもの」
     今回の騒動によって、世界から注目されているこの都市の、失ったものの大きさは計り知れない。それにしても、世の中の状況は、だんだん冷静さを欠くようになってきている気がしてならない。雲に覆われた、屋上から見える風景がそれを象徴している。


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  • ■「 (続)(続)異国の人との交流」
    平成28年6月2日
  • 「タンザニアからの便り」
    「タンザニアからの便り」
     1月25日の記事(「(続)異国の人との交流」)で紹介した彼女から、本日、掲載の便りが届いた。差出は3月29日付でタンザニアから出したものである。2か月強掛けて届いたことが分かり、感激もひとしおである。実は彼女からタンザニアにボランティアに行くことを聞いており、もし連絡することがあれば現地の方に便りをくださいと言われていたので、現地に入って落ち着いた頃を見計らい、2月10日に激励の手紙を出していたのだ。

     出してから、3.5か月以上音沙汰がなかったので、恐らく、手紙が届いていないのかもしれない(いつも、必ず返事をくれるから)と思い巡らす内に忘れ去っていたところだったので、ご隠居仲間にとってはまさにサプライズとなった。

     便りから現地のファミリーに溶け込み、一生懸命にボランティアに打ち込んでいる様子が読み取れ、改めて彼らの旺盛な行動力に頭が下がった。便りにはさらに1か月滞在する予定だと記されているが、便りを受け取った時点では既に帰国していたことを彼女のFBで知っていたので、このタイムラグにもサプライズの反応は亢進した。

     そして、その反応が頂点を極めたのは、彼女が便りの最期に記した「the postal service here isn’t good −if you receive this letter I will be surprised!」に触れたときである。お互いに送受信できたことが、想定を超えたサプライズだったに違いないことを読み取れたからある。

     こんなサプライズには滅多に直面しないであろう。だからこのサプライズがこれからも、この異国の人との不思議な出会いにより保持してきた縁を、永く繋いで行かせるためのサインであるならば、ご隠居の心意気にかけて、拙い英語でのやり取りも厭ってはいられない。日本語を操ることすら覚束なくなってきたなか、異国の人との交流に掛ける思いだけが熱くなっている。



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  • ■ 「健康親睦ハイキング」
    平成28年5月28日
  • 「健康親睦ハイキング」
    「健康親睦ハイキング」
     この日、高校の関東地区同窓会主催の「健康親睦(鎌倉の寺々を巡る)ハイキング」が実施された。参加者は18名。参加者の年齢幅は12-3歳と程々の広がりであったが、我が年代が下の方から2番目であることを考えると、この集団の平均年齢の高さが分かろう。参加者全員が70歳以上で、その内82歳の大先輩を始め、後期高齢の先輩を7名も抱え込んだこの集団に、我が国の縮図が及んできていることを思い知る。

     当日の計画は、北鎌倉〜葛原岡〜大仏〜江ノ電〜稲村ケ崎温泉→北鎌倉(解散)となっており、その間円覚寺、東慶寺、浄智寺、海蔵寺、銭洗弁天、高徳院大仏、極楽寺等々の寺々を巡るコースを予定していたが、鎌倉の寺々は何回か巡ったことがあったので、日頃ジムで鍛えている小生にとっては、楽勝以外の何物でもなかろうと高を括っていた。

     やや曇りがちだったが、ハイキングにはもってこいのお日和で、銭洗弁天を経て源氏山公園にたどり着き、そこで昼食をとった時あまりの気分の良さに、本日が最高の1日となる予感がした。ザックに忍ばせたポケット瓶のウイスキーや、久方ぶりに外で食べたおにぎりが、お仲間の「故郷が匂う談笑」の隠し味に引き立たされ、格別な味わいを添えてくれたことに、拍車をかけられたせいかもしれない。

     ところが至福が一転、地獄の責苦を味わうこととなった。源氏山公園を出発した直後から、前日の雨でズルズルになった下りの坂道に足を踏み外しそうになるので、踏ん張る足に余計な負担を掛けなければならなくなったのだ。最近、遠近両用眼鏡の焦点を合わせ辛くなってきているので、この付加は半端ではなく、ついに左足ふくらはぎが攣ってしまった。

     余りの痛さに脂汗が流れたが、道端の標(全工程2qほど)を見るとまだ半分以上距離を残していた。みんなに迷惑をかけられないと必死で頑張ってみるが、足が突っ張らかりどうにもならず、途方に暮れかかった時に、大先輩から自分のストックを使いなさいと声がかかった。普通は逆であろう、一番若い方の世代なのだから。まして、日頃ジムで鍛えていると言った手前もあって、恥しさが極に達した。

     お仲間はといえば、大先輩をはじめ全員ゆうゆうと、事も無げに山を下りている。「こんなことってあるか!、日頃ジムで鍛えていることは何だったのか」、目もくらむ痛みの中で口をついたが、痛さには勝てず、ご好意に素直に甘え、やっとの思いで下山し、高徳院大仏にたどり着いた。無論この後は、小生だけは予定の寺々への参詣をせず、ひたすら、攣ったふくらはぎをさすることに専念しなければならなかった。

     全く罰当たりなこととしか言いようがなく、日頃の行いの悪さを露呈し、本日が最高の1日となる予感を外したことを恥じ入るしかなかった。そんな中、ハイキングの締めくくりに稲村ケ崎温泉に入れたことは、どれほどあり難かったことか。ふくらはぎの痛みが少々和らぎ、湯上りに隣のレストランで飲んだビールの味は、堪(こた)えられないほど美味かった。かいた恥も、のど元過ぎれば過ぎれば・・・・・・・
    罰当たり奴の行動が正されるのは、まだ時間が掛かりそうだ。

     諸先輩方の心身の強さに、改めて敬意を表しなければならない。グーたらな罰当たり奴の行動を正していく為にも、これからも本同窓会に参加していこうと、帰りの電車の中で誓った。誓って安堵したせいか、電車を乗り越してしまった。うぅ−ん?。

  • 「稲村ケ崎温泉」
    「稲村ケ崎温泉」
     ハイキングの締めくくりに稲村ケ崎温泉に入れたことは、どれほどあり難かったことか。湯上りに隣のレストランで飲んだビールの味は、堪えられないほど美味かった。帰途につく余裕綽々の諸先輩方の心身の強さに、改めて敬意を表しなければならない。


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  • ■ 「四つ葉のクローバ見ーつけ」
    平成28年5月21日
  • 「四つ葉のクローバ見ーつけ」
    「四つ葉のクローバ」 5月21日撮影
     5月5日の記事で、四葉のクローバを見つけられると幸せになる。と小さいころ聞かされていたことを思い出しながら、いつもの散歩道の鶴見川の土手に探し求めていることを書いたが、この日の16:38、ついにこの花を見つけた。初夏の日差しがまだ強く残る中、可憐に咲いている一輪の花から、幸せの匂いが飛び散っている気がした。

     この花に、見つけることを諦めていなかったことを告げ、もしも幸福の恩恵に与れるのなら、皆さんにもお裾分けできればと思い写真に収め、紹介させて頂いた次第です。幸せの匂いを感じ取っていただけたら幸いです。

  • 「鶴見川土手の散歩道」
    「鶴見川土手の散歩道」
     ジムにいかない日はいつも、1万歩を目指して鶴見川の土手を歩き回っている。土手が緑の草々に覆われた4月下旬に、足元に大きな葉を広げたクローバを見つけた。群生している三つ葉クローバの中で、四つ葉のクローバを見つけられると幸せになると小さいころ聞かされていたので、足を止め探したが容易に見つからない。明日、見つけられればいいと数日繰り返したが、なかなか見つけられずにいた。
     そして、今日ついに・・・・・。


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  • ■ 「カラヴァッジョ展」
    平成28年5月19日
  • 「カラヴァッジョ展」
    「カラヴァッジョ展」
     いつものお仲間と定例となった美術鑑賞と懇談を上野で実施した。いま、東京都美術館で開催されている「生誕300年記念 若冲展」を鑑賞する積りだったが、3時間待ちには耐えられず、急遽予定を変更し国立西洋美術館で開催されている「カラヴァッジョ展」を鑑賞することにした。

     東京では「ルノワール展」も開催されており、どちらにするか迷った末に「若冲展」に決めた経過もあって残念な気がしたが、「カラヴァッジョ展」も日経新聞で紹介されていたのを読む限り、大変評判のいい展覧会だったので、お仲間に迷いはなかった。加えて、ICOMOS(国際記念物遺跡会議)から、国立西洋美術館を構成資産とする「ル・コルビュジエの建築作品ー近代建築運動への顕著な貢献ー」について、世界遺産一覧表への「記載」が適当との勧告がなされたこともあって、是非本美術館も見ておきたいという気持ちも重なったからである。

     カラヴァッジョはイタリアの作家で、1571年に生まれ1601年に38歳で亡くなっている。紹介記事によれば、喧嘩や口論に明け暮れ、揚句には乱闘で若者を殺して懸賞金までかけられたとのことで、存命中はその素行から悪名高かったが、作品の評価は高かった。それでも、死後は、名前と作品は忘れ去られてしまい、20世紀になるまで彼が西洋絵画に果たした大きな役割が評価されることはなかった。と記されている。

     真作であると言われている現存している作品は60点強らしいが、本展では、そのうちの11点が展示されている。移動不可能な作品が多数あるので、今回の出品数は日本で過去最多、世界でも有数の規模と案内書に記されている。日本初公開の作品が何点かあるようだが、とりわけ「法悦のマグダラのマリア」は世界初公開となっていた。

     こんな展覧会に、そして喧嘩や口論に明け暮れ、殺人まで犯すような悪名高い人物の西洋絵画に大きな役割を果たしたといわれる作品に、興味が惹かれないわけがない。若冲展を諦め、ここの入場口で切符を求めている多くの観賞者たちも、同じ気持ちになったのではなかろうか。

     「エマオの晩餐」や「洗礼者ヨハネ」、「女占い師」、「トカゲに噛まれる少年」「果物籠を持つ少年」、「バッカス」等々の作品は、映像画面を彷彿させる写実の技に息を飲んでしまう。到底、喧嘩に明け暮れ、殺人を犯した人物が描いたとは思われない。作品から心の荒々しさは微塵も伝わらないからである。さらに、光と影の明暗がこれほど鮮やかに描かれようとは・・・、感動を表現する言葉が見つからない。

     後のバロック絵画に大きな影響を与えたと言われており、「カラヴァッジョの作品から近現代絵画は始まった」と評価されていることを、案内書では「ルネサンスを超えた男」と記している。今回は不思議な巡り合わせだったが、「ルネサンスを超えた男」に出会えた喜びは何よりだった。

     本展覧会は、6月12日まで開催されています。「ルネサンスを超えた男」にお会いすることをお勧めします。なお本展の詳細はこちらからご覧ください。

  • ■「世界遺産となる国立西洋美術館」
    「国立西洋美術館正面入口」
    「国立西洋美術館正面入口」
     ICOMOS(国際記念物遺跡会議)から、国立西洋美術館を構成資産とする「ル・コルビュジエの建築作品ー近代建築運動への顕著な貢献ー」について、世界遺産一覧表への「記載」が適当との勧告がなされた国立西洋美術館正面入り口。
  • 「国立西洋美術館本館前景」
    「国立西洋美術館前景」
     世界遺産となる国立西洋美術館本館の全景。
  • 前庭「ロダンの作品」
     前庭「ロダンの作品」
     世界遺産となる国立西洋美術館本館前庭に設置されているロダンの作品「カレーの市民」像/遠景。
  • 前庭「ロダンの作品」
     前庭「ロダンの作品」
     世界遺産となる国立西洋美術館本館前庭に設置されているロダンの作品「カレーの市民」と「考える人」の像 組合せ。
  • 前庭「ブールデルの作品」
     前庭「ブールデルの作品」
     世界遺産となる国立西洋美術館本館前庭に設置されている、ブールデルの作品「弓をひくヘラクレス」の像。


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  • ■ 「国連WFPウォークザワールド2016」
    平成28年5月15日
  • 「国連WFPウォークザワールド2016」
    「国連WFPウォークザワールド2016」
     この日横浜みなとみらい地区臨港パークを会場にして、今年11回目を迎えた国連WFP協会主催の「WFPウォーク・ザ・ワールド」が開催された。途上国の子供たちの飢餓をなくし、世界の飢餓の現状に関心をもってもらうことを目的に開催されているチャリティーウォークである。チャリティー(参加料が募金)に賛同を頂く参加者は毎年増加してきており、企業・団体の申込みもさることながら一般の申込みも多く、今年は4,600人を超え過去最高を更新した模様で、飢餓に対する関心が年々高まっているのが窺える。

     今年も、本会場で実施する募金と啓蒙活動のボランティアに参加したが、この活動に関わってからもう5年。日頃、自分や身内のことを考えるだけで精一杯と思われるなか、世界各地で起こっている争いや、自然災害によって悲惨な状況に追い込まれている難民に、暖かい手を差し伸べ、寄り添ってあげようとする関心の高まりを実感し、感慨もひとしおだった。

     こういった活動に理解を得て参加して頂くことが、世界の安寧に寄与する行動に繋がっている。と、確信するお仲間の活動は今年も大いに盛り上がり、参加者から多くの浄財の手が差し伸べられた。世界安寧の為には小さな一歩かもしれないが、飢餓を克服しない限り安寧は成しえない。この小さな一歩こそ世界の安寧を実現する鍵なのだと、改めて認識させられた。

     小さな一歩だからこそ、来年も再来年もずっと続けていかなければならないのだ。
     なお、当日の模様はこちらから入れます。



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  • ■ 「抜け落ち症状」
    平成28年5月11日
  • 「抜け落ち症状」
    「抜け落ち症状」
     最近、身体のあちらこちらで「抜け落ち症状」が目立ってきた。親からの遺伝で頭の髪だけは自身を持っていたのだが、2年ほど前、床屋のおニイサンから「大将、てっぺんが薄くなってきたからやめた方が良い!」と言われショックを受けたことがあった。髪が太いせいかひと月もすると頭がボウボウとなるので、いつも「頭を梳いてくれ」と注文し、「あいよ!」と言う会話が常態だったから、初めて受けたこんな忠告が思いのほか効いた。

     それでも外見は目立つほどはなかったので、深刻には悩まなかったが、つい最近孫と遊びほうけているときに娘から頭の天辺を覗き込まれ、「お父さん、頭どうしたの?、こんなに薄くなって!」と、驚く声にうろたえた。爾来、洗髪のとき頭頂が気になり、風呂場の鏡を見ながら目視と触診を始めたが、それが、日増しに薄くなっていることを追認することでしかないことを思い知った。数年前、義歯を入れ始めた時や、3年前に白内障の手術を受けた際に「抜け落ち症状」を意識をしなかった訳ではないが、老化への距離はまだまだだと思っていた。ところが、娘が発した一言に、もう距離などないことを諭され、うろたえることで辛うじて心の平衡を保った。

     「抜け落ち」は何も見えるところだけに起こっているわけではなかろう。体の隅々に起こっているのに外見に表れてくるまで、気づかないのか、そのふりをしているのかもしれない。きっと鏡には映らない頭の中の方が激しく「抜け落ちて」いるに違いなく、最近とみにそのことを予感させるような兆候に苛まされている。「ものを思い出せない症候」がその最たるものである。代名詞などを使ってその場をしのいできたが、それも限界で会話が時々ブツ切れになってしまう。何とも歯がゆい限りであり、「抜け落ち症状」の着実な進行を認めないわけにはいかなくなってきた。

     それでも「まだまだ距離はある」と、頭のどこかで抗う意識を抑えきれていない。未だうろたえることが麻痺していないと思っているからである。うろたえが続く限り程々の距離を保持しているのではないか、真の老化に陥った際は、うろたえることさえできなくなっているに違いない。まさに、独り善がりの無駄な抗いである。周囲の目に憐憫の情が高まってきているのは、そのせいかも知れない。



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  • ■ 「まぼろしの紙幣 横濱正金銀行券」
    平成28年5月7日
  • 「まぼろしの紙幣横濱正金銀行券」
    「まぼろしの紙幣 横濱正金銀行券」
     今、神奈川県立歴史博物館で開催されている特別展「まぼろしの紙幣 横浜正金銀行券 −横浜正金銀行貨幣紙幣コレクションの全貌−」を観に行った。本展は明治35年から30年あまりの間に、中国大陸の9店舗で発行された横浜正金銀行券180有余枚の紙幣が展示されている。案内書によれば、この紙幣は中国大陸でしか流通せずほとんどが廃棄されたため、日本では見る機会のない「まぼろしの紙幣」であったようだ。

     これらの紙幣の発行された経緯や券面に隠された印刷の特徴などから、近代日本幕開けの歴史が透けてくる。学校時代、近代日本史をほとんど習わずにきたので、この展覧会で近代日本史の一部に触れことができ、大変興味深く拝観することができた。

     このほかにも、江戸時代の大判や小判、国内外の金貨や銀貨が展示されている。金の含有率に好奇心がそそられ各国の金貨を注意深く拝観した。何処の国の金貨にも国の威信が表出していて興味を掻き立ててくれる。5月29日まで開催されているので、近代史や貨幣に興味のある方はぜひ足を運ばれたく。

     「まぼろしの紙幣 横濱正金銀行券」展の詳細はこちらから入れます。



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  • ■ 「立夏に弾けていた草花」
    平成28年5月6日

 今年は5月5日が立夏となったが、五月晴れとなったこの日は気温もうなぎ上り、季節は既に夏の装いとなっていた。昨今、暖冬騒ぎや低気圧の強風に晒されるなどで季節感が微妙に狂いだしたところであったが、この日だけは立夏に相応しい季節感を示していた。お日和に誘われ庭や散歩道に出ると、健気に季節感を演出する草花に出会った。

 今までなら見逃してしまっていた風景だが、この花々の懸命に季節を告げようとする自然の営みに惹かれ、スナップに収め始めるようになった。気象変動に翻弄され、出番に狂いが生じてきても、自分の持つ赤や黄色や紫などで精一杯表現する季節を、我々は素直に受け入れなければならないのだろう。彼らが気象変動を起こしているわけではないのだから。

  • 「つつじ(躑躅)」
    「つつじ(躑躅)」 5月4日撮影
     毎年この時期、我が家周辺の道路はツツジで満開となり、立夏を添えてくれている。今年も見事な花を咲かせ懸命に初夏の季節を告げている。花名の由来には諸説あるようだ。花が「筒(つつ)」状になっていることや、花が次々に連なり咲く様子の「続き(つづき)」が語源になっている。ほかに、漢字では「躑躅(テキチャク)」と表し、行って止まる(躊躇)の意味である。見る人の足を止める美しさを表現しているとも言われている。この漢字は難しいが、小生が通り過ぎたあと戻って見入ったことを思い返し、含蓄のある漢字名に感心した。ちなみに赤いツツジは「恋の喜び」と花言葉に記されている。この花の前で昔のことを思い出そうとしたが・・・。

  • 「かきつばた(杜若)」
    「かきつばた(杜若)」 5月5日撮影
     「ふるさと村」のむじな池の近くに湿地があり、かきつばたが植えられている。2週間ほど前は、ただ青い草が群生しているだけの何の変哲もない田んぼにしか見えなかったのに、今日は一面が紫色に染まる花畑に代わっていた。毎年見慣れてはいるものの、今年も、その鮮やかな紫の花弁の気高さと、心に沁みる「幸運が必ず来る」「幸せはあなたのもの」の花言葉に気圧され、その場を離れがたくなってしまった。

  • 「クローバ(詰草)」
    「クローバ(詰草)」 5月5日撮影
     ジムにいかない日はいつも、1万歩を目指して鶴見川の土手を歩き回っている。土手が緑の草々に覆われた4月下旬に、足元に大きな葉を広げたクローバを見つけた。群生している三つ葉クローバの中で、四つ葉のクローバを見つけられると幸せになると小さいころ聞かされていたので、足を止め探したが容易に見つからない。明日、見つけられればいいと数日繰り返したが、歩くコースを変えたりして忘れてしまった。

     それから2週間後、このコースに戻ったら、いつもより早く行く春を憂うような表情をしたクローバの花に足をとられた。律儀に、「四つ葉を見つけることを諦めたのですか」、とでも問うてきているように思え、思わずシャッターを切った。この花が咲いているうちに四つ葉を見つけなければ・・・。「堅実」「幸福」「約束」この花を象徴する花言葉が、頭をよぎった。

  • 「ペチニュア」
    「ペチニュア」 5月5日撮影
     既にお伝えした通り、庭の手入れが小生の領分ではないので、庭にどんな花が植えてあるのかなど気にもしていなかったが、強風一過のこの日、唯一小生の管理下にある盆栽(4-5年前に手ほどきを受けたモミジの盆栽)が、被害にあってないか様子を見に庭に出た。その時、妙に人懐っこく小生に流し目を送っている花に気付いた。庭の管理者に伺ったらペチュニアとかえってきた。この花に「あなたと一緒なら心がやわらぐ」、「心のやすらぎ」という言葉が象徴されているとは思いもしなかった。きっと流し目は、小生の今の心境を慮ってくれたのであろう。この花が愛おしくなり、盆栽の手入れをまた先送ってしまった。

  • 「もみじ(盆栽)」
    「もみじ(盆栽)」  5月5日撮影
     手ほどきを受けてから、何の手入れもせずほったらかしにしてきているが、健気にもよく頑張っている。今回ペチュニアに主人(あるじ)の心を奪われ、またしても、手入れを先送られてしまったが、例年通りひょうひょうと小さな枝々に一杯の葉っぱを付けてきた。初夏を告げようとする義務の表われであろう。気に掛けられ(手入れされ)なくても、ボウボウのなりで孤高に生きる様は、主人の半面教師。と、庭の管理人が宣(のたま)わっていた。立夏に弾ける草花に返す言葉もない。



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  • ■ 「国連WFPのメーデー出展活動」
    平成28年4月29日
  • 「国連WFPのメーデー出展活動」
    「国連WFPのメーデー出展活動」
     4月29日、代々木公園で開催された第87回のメーデー中央大会の会場で、世界で飢餓に苦しむ人々へ食糧支援行う国連WFPのボランティア活動に参加した。20代の頃メーデーに駆り出され、自利のためデモ行進したことがあったが、まさかその場所で、利他の募金活動をするなどとは思いもよらず隔世の感がした。

     今回の活動の主な焦点は、4月16日にマグニチュード7.8の大地震で被災したエクアドルへの緊急食糧支援と、飢餓で学校に通えない子供達への学校給食支援の為の募金活動と啓蒙活動であった。当日参加したのはお仲間7人(男子5人、女子2人)と協会の職員1人(女子)の総員8名だったが、老3人:壮3人:青2人が組合う理想のタスク・フォースとなっていた。

     絶妙な組合せは、世代相互の触発を誘発しその相乗効果が、夫々の得意技(老の経験智、壮の実務力、青の挑戦・情熱)の連携を強め、活動の成果を高めていた気がする。お蔭で予想を超えた浄財を募ることができ、ボランティア冥利に尽きる思いがした。偏にチーム力によるものであるが、とりわけ若手のパッションに老、壮がいたく刺激を受け、大いに触発されたことを報告しておきたい。

     10:00から15:00までの間昼食時を除き、一時も休まず声を張り上げ続け、頭を下げ続けて募金活動する姿に刺激を受けないわけがない。頼もしい若者の加入に感動し触発された次第である。飢餓撲滅の道はまだまだ遠いが、愚直に一歩づつ積み上げていくしかない。これからも、こんな若者たちと一緒に、彼らのパッションの輪を広げていけるように、老の力を発揮していかなければならないと思った。

     ※国連WFPの活動についてはこちらからご覧頂けます。ご理解頂ければ幸いです。
     ※なお、レッドカップキャンペーンを実施しています。詳細はこちらからです。
      暖かいご支援をお願いします。

  • 「満足の笑みがこぼれる打上」
    「満足の笑みがこぼれる打上」
     利他の活動を終え、打ち上げで傾けたジョッキのビールは、格別な味がし満面に笑みがこぼれた。本日はこの方々達に触発されボランティア冥利に尽きたからである。飢餓撲滅の道はまだまだ遠いが、愚直に一歩づつ積み上げていくしかない。これからも、彼らと一緒に、彼らのパッションの輪を広げていけるように、老の力を発揮していかなければならないと思った。


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  • ■ 「(続)熊本の地震に想う」
    平成28年4月27日
  • 「(続)熊本の地震に想う」
    「(続)熊本の地震に想う」 
     被災された元上司と先程ようやく携帯電話で連絡が取れ、ご無事だったことを確認できて本当にほっとした。安否確認に10日もかかってしまった。こちらにおられたときには、住所も電話も知っていたが、20数年前に熊本にお戻りになってからは年賀状だけのやり取りとなってしまい、電話番号を控えなくなってしまったので、連絡の取りように苦戦していたからである。

     昔の仲間達と連絡をとり、何とか固定の電話番号を聞きだし連絡を入れたが、何回掛けても出てこられない。NTTの安否確認サービスサイトで確認しても情報の登録がなされておらず、心配は安まらなかった。恐らく、近くの避難場所に避難されているのあろうと思い、避難場所をネットで探し出し、特定したものの連絡の入れようがなく、じりじりとした日が続いた。

     昨日、仲間の一人が聞きだしてきた携帯番号に連絡を入れ、漸くご無事を確認できたという次第。ご本人の家は無事だったようだが、中はめちゃめちゃにやられたそうだ。家に居ることはできず、車の中で過ごし、夜は避難所の小学校で寝る日を送り、5日目以降長崎の実家に再避難しているとのことだった。

     元気な声を聴きひとまず安心したが、被災地は風や雨や、いつ止むのかわからない地震の波状攻撃に追い打ちをかけられ、大変厳しい状況が続いていることを聞き、心配が如何ばかりかと察しないわけにはいかなかった。さらに、これからの復旧・復興を考えると心配の種は尽きないに違いない。同じ列島に住む同胞として、どのように寄り添っていってあげられるか問われている。



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  • ■ 「聖徳記念絵画館」
    平成28年4月20日
  • 「聖徳記念絵画館」
    「聖徳記念絵画館」
     いつものお仲間と明治神宮外苑にある「聖徳記念絵画館」に出かけた。以前より本絵画館を観ることにしていたが、優先する美術展覧会があったので本日まで延びてしまったのだ。神宮外苑はつとに銀杏並木が有名で秋の黄葉時は大勢の人を惹きつけてやまないが、春には絵画館周辺を覆う満開の桜の森が、秋の黄葉にも劣らず訪れる人々を陶酔させていると聞いていた。

     美術館巡りも、その周辺の名所をも併せて経巡るようになってきたところなのだが、今回はソメイヨシノの時期は過ぎており、絵画を楽しむ前哨としては、今が見ごろの八重桜に期待をかけた。銀杏並木通りには八重桜は見当たらなかったが、絵画館近くに来てほんの数本だが我々を絵画館に誘(いざな)うように見事に咲き誇っていた。よく見ると、花びらはピンクの深い色合いと一枚一枚が重厚に重なりあい、一本の木をより大きく見せ、孤高の優雅さを滲ませていた。

     本記念絵画館は、明治天皇・昭憲皇太后のお二方ご一代の輝くご業績を後世に伝えるため造営されたと案内書には記されている。当代一流の画家によって描かれた王政復古や江戸開城談判、枢密院憲法会議、日清役黄海海戦、日英同盟、寒菊会等々、80枚の壁画から近代日本の曙の勇姿と歴史的光景が忠実に伝わってくる。そして、そのひとつ一つの作品の重厚な主張を包み込み、この広い神宮外苑の中でどっしり構えているこの絵画館に、老木八重桜の孤高の優雅さが重なった。

  • 「孤高の優雅さが滲む八重桜」
    「孤高の優雅さが滲む八重桜」 4月20日撮影
     絵画館近くに来てほんの数本だが我々を絵画館に誘(いざな)うように見事に咲き誇っていた。よく見ると、花びらはピンクの深い色合いと一枚一枚が重厚に重なりあい、一本の木をより大きく見せ、孤高の優雅さを滲ませていた。
  • 「聖徳記念絵画館から伝わってくるもの」
    「聖徳記念絵画館から伝わってくるもの」 4月20日撮影
     本記念絵画館は、明治天皇・昭憲皇太后のお二方ご一代の輝くご業績を後世に伝えるため造営されたと案内書には記されている。当代一流の画家によって描かれた王政復古や江戸開城談判、枢密院憲法会議、日清役黄海海戦、日英同盟、寒菊会等々、80枚の壁画から近代日本の曙の勇姿と歴史的光景が忠実に伝わってくる。
  • 「元陸軍の青山練兵場に立って思ったこと」
    「元陸軍の青山練兵場に立って思ったこと」 4月20日撮影
     神宮外苑記によれば、この外苑の敷地は、元陸軍の青山練兵場で、明治天皇の親臨のもとにしばしば観兵式が行われ、なかでも明治23年(1890)2月11日の憲法発布観兵式や、明治39年(1906)4月30日の日露戦役凱旋観兵式などは特に盛大であった、と記されている。今日、その地に立って百数十年前に思いを馳せたが、様変わりした今の神宮外苑からおどろおどろしい風景は想像すらできなかった。悲惨な戦を決して繰り返してはならないことを伝承していくためにも、歴史の原点を訪ねるのは意味があることであろう。帰途の青い葉をつけ始めた銀杏並木通りからも、そのように語りかけられている気がした。



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  • ■ 「低気圧の直撃を受けた帰省」
    平成28年4月18日
  • 「低気圧の直撃を受けた帰省」
    「低気圧の直撃を受けた帰省」
     姉の病気見舞いで4月17日(日)に帰省した。今年に入って5度目となるが、1月18日の帰省の折に大雪に遭遇してえらい目にあったことに続き、今回も低気圧の強風の直撃を受けとんでもない目に合った。昨今の異常気象の影響を受けていることを実感していたところだが、4か月の間に2度もこれらの影響を受けようなどとは・・・。

     前日の予報で、低気圧により強風の直撃を受けることは分かっていたものの、11:52発の新幹線を待つ新横浜のプラットフォームで、立っているのも困難な状況に合いさすがに先が思いやられた。ところが、強烈な向かい風のなか新幹線は予定通り走り抜き、定刻に乗り換えの米原駅に着いた。こんな強風下でも新幹線が正確に運行されていることに感心した。が・・・。

     乗り換えの北陸線のホームに向かい小生の乗る車両を探した。既に特急電車は入線していたが、小生の乗る8号車が見当たらない。駅員に確かめたところ入線中の電車はすでに3時間も立ち往生しているとのことことだった。さらに追い打ちをかけるように、小生の13:56分発の電車は運休になったと告げられ途方に暮れた。

     この上は、入線中の電車に乗り空席を見つけこの電車の出発を待つしかなかった。乗客のほとんどは既に3時間も待っているのに整然としており、時折、社内に流される放送をじっと聞き入っていた。車内放送は強風がいつ沈静するのかが分からず、出発のめどが立っていないことを繰り返すばかりで、先を思いやった危惧が見事に的中したことを恨んだ。

     それから2時間後、この電車は5時間遅れで動き始めた。小生は2時間遅れで済んだが5時間も缶詰めになった方々の気持ちが思いやられた。今までは、こういった事故には滅多に会わなかったが、今回短い間に2度も経験したことで、異常気象の影響が身近に起こっていることを思い知らされた。

     今年は暖冬に続き、梅雨入りも早まっていると聞こえてきている。想定外の異常気象の猛威はこれからが本番を迎える。熊本で起こった地震も想定外のことだと言われているが、もう想定外ということを想定した対応を常態としなければならない時期に来ている。そんなことを、温かく迎えてくれた郷里の恐竜が、自分たちの生きてきた古生代を振り返り、咆哮しながら暗示しているように見えた。



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  • ■ 「熊本の大地震に想う」
    平成28年4月17日
  • 「熊本の大地震に想う」
    「熊本の大地震に想う」
     3月14日午後9:26、TVが熊本が震度7の地震に直撃されたとの特別番組を流し始めた。またかとの思いに駆られTVを食い入るように見たが、夜のことでもあり流れ出てくる画像からは深刻な被害も伝わらず、もどかしい思いに駆られた。ちょうど5年前の3月11日に東日本を襲った大地震の際には、大津波がもたらす過酷すぎる生々しい被害の状況に、言葉を失い茫然自失になったことが頭をよぎったからである。

     ところが、翌日になって被害の状況が明らかになり始めてきて、この度も言葉を失いかけた。そして16日に本震を超えそうな余震(後にこれが本震だったことが判明)に再度襲われたことや、被災地で居住する昔お世話になった上司の安否が確かめられないことなどに拍車をかけられ再び茫然自失になった。

     また、地震の起こる数日前にNHKの番組で加藤清正が水の豊富な地勢を活かした町割りや、戦いの防御に最適な工夫をこらして築城した熊本城を見て感心していたので、ひとしおの思い入れが作用していたことも拍車となった。まさかこんなことになろうとは数日前のTVからは想像もできなかったが、一瞬にして400年間で築いてきた町割りや、文化の産物を崩壊させてしまう自然の脅威に改めて畏怖の念を抱いた。

     昨今の状況は、災害は忘れないうちにやってくるということであろう。地震列島に住まう我々にとって肝に銘じなければならないことである。その基本は自分のことは自分で守る自助に徹することに尽きるが、被災された方へ寄り添い、暖かい支援の手を差し伸べることも忘れてはならない。

     今回も被災された方々や町々の一日も早い復旧復興を願わずにはいられない。だから、属する団体で募金活動のボランティアに参加したいと思っているが、今は、元上司の安否確認しか頭にない。無事にいてくださることを祈るばかりである。



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  • ■ 「出番が狂った春のふるさと村のわき役」
    平成28年4月14日
  • 「出番を誤り薹(トウ)が立ってしまった土筆」
    「出番を誤り薹(トウ)が立ってしまった土筆」 4月9日撮影
     この村での「春の使者」の一角を土筆が担っている。例年は、2月の中旬ごろに顔を出しいち早く春の訪れを告げる。3月中旬にはあちらこちらで見られるようになり春本番を告げる。そして4月の初めに繁茂、盛りを迎え、4月の中旬には枯れてしまい春の終わりを告げる。例年でいえば今が盛りのはずなのに、今年は暖冬の思惑にマンマと嵌められ、出番を1か月ほど早めたせいか既に薹(トウ)が立っていた。

     この時期に、もっとも晴れがましい姿を見せる「春の使者」に、薹が立ち過ぎた姿は似合わない。そのことを知ってか、人目のつかないところでひっそりと佇んでいる「土筆んぼう」から、早まって茫然自失のいじましい「女性に尽くす男性」の姿が透けてきた。ちなみに、日本語俗語辞書には、「『土筆んぼう』と『尽くす』をかけた言葉で、女性にプレゼントをしたり、足代わりとして車を出すなど、女性に尽くす男性を意味する」と記されている。

  • 「菜の花」
    「与謝蕪村が詠んだ菜の花が・・・」 4月14日撮影
     ふるさと村のはずれに散在する畑に菜の花が植えられている。毎年黄色の花が競い合って一斉に咲く。そのことで、一気に春が来たことを感じる。ところがこの花も、今年の開花が随分早かったようで、既に盛りを過ぎている印象を受ける。今年は、春の風物詩も花言葉の意図も何もかもを前倒して味わわないと時機を失してしまいかねない。蕪村の名句「菜の花や 月は東に日は西に」を前倒して鑑賞するすることなど思いもよらないが、出番が狂い始めたこの花畑を見せつけられ、この句の風景が少しずつずれ始めてきているのではないかと気になりだした。

  • 「蓮華草」
    「慰めのスクラムを組む蓮華草」 4月14日撮影
     早すぎる春の去りゆきを、懸命に食い止めようと健気に抗っている蓮華草を休耕田の中で見つけた。化学肥料が使われるようになるまでは、休耕田の雑草防止や緑肥(りょくひ = 草肥:くさごえ)として蓮華草を使ってきたらしい。今では自然のなすがままに任せている印象を受けるが、毎年花の見ごろは4月中旬から5月上旬といわれている。ところが、この花もまた今年は盛りを終えていた。田植えの前に耕かされ始めた田んぼの真ん中で、出番を早め、早々に身仕舞をさせられたお仲間に「今年の田植えは早いかも!」と慰めのスクラムを組んでいるように見えた。

  • 「耕運機」
    「暗黙知を実践する耕運機」 4月14日撮影
     暖冬異変が続く中、休耕田の中に耕運機がお目見えし始めた。その登場が、いつもの年より早いのか遅いのか分かりかねるが、印象的には早く見える。軽い音を立てながらゲンゲ(蓮華草)や雑草をまき鋤き込んでいく風景は、ふるさと村のこの時期の風物詩である。

     出番が狂った春のふるさと村のわき役達を横目にに睨みながら、決して誑かされまいと自分に向かってブツブツと音を立てながら走り回る耕運機殿に頭が下がる。もしかしたら、自分の出番も早まっているのかもしれないと思っているのかもしれないが全くブレを見せない自信に満ちた行動に、プロの農家の英知と誇りが垣間見える。

     そこには、自然に生かされているという考えが基本にあるのだろう、豹変する自然との折り合いのプロセスが暗黙知として蓄積されているのかもしれない。そんな表れが、ふるさと村の春に滲み出ている気がする。
     今年の田植えはいつになるか、蓮華草の願いが叶うか、それを見とどけたい。



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  • ■ 「(続)ふるさと村の春」
    平成28年4月8日
  • 「満開を迎えたチューリップ畑」
    「満開を迎えたチューリップ畑」 4月8日撮影
     ふるさと村の畑を一部お借りして農業ごっこをしているところだが、我が畑では、暖冬の余波を受けスナップエンドウがやられてしまい、読めなくなってきた季節感に悩まされている昨今である。そんな中、ふと隣の畑に目をやると、鮮やかにチューリップが咲き誇っている。いつも開花は4月中旬〜5月にかけてなのだから、今年の春は早い訪れと言えるのかもしれない。
  • 「パンジー満開の我が家の庭」
    「パンジー満開の我が家の庭」 3月26日撮影
     それは、我が家の庭にも起こっていた。庭の手入れは小生の職分には入っていないので、滅多に隅々まで見ることはないのだが、野鳥がやたらと囀りまくるのにつられて見回したところ、パンジーの花が咲いていた。これも4月中旬〜5月にかけてが見頃なのだから、今年の春はやはり早いのだろう。

     ちなみに、これらの花々の花言葉にあたってみた。赤いチューリップの花言葉は「愛の告白」、黄色いチューリップの花言葉は「実らぬ恋、正直」と言われ、そして、黄色のパンジーは「つつましい幸せ」「田園の喜び」、白いパンジーは「温順」と言われている。

     辞書には、花言葉とは花の一つひとつに象徴的な意味を持たせたものと記されている。それは、花々の持つ色彩や形、イメージ、文化・風習へのかかわり方などいろいろな要素が加味されてのものだろうと思う。当然そこには季節感も含まれているに違いない。と、思い至った時、暖冬の直撃を受けた今年の春に、花言葉の含意がズレてないかと余計な心配に駆られた。

     既に、「愛の告白」をし「実らぬ恋」を経験してしまった方々、異常気象に誑(たぶら)かされませんように!、本番はこれからですから・・・。



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  • ■ 横浜「寺家ふるさと村の春」
    平成28年4月3日
  • 「つぼみの健気な抗い」
    「つぼみの健気な抗い」 4月3日撮影
     今年も、我が住み家に隣接する「寺家ふるさと村」に桜の季節が巡ってきた。遊歩道に凛と咲く花の傍らに、未だじっと時期を伺っているつぼみに思わず足を止めた。暖冬に誑(たぶら)かされ、浮かれて早々と身仕舞させられた仲間を思い、自分だけでも、決して騙されまいと異常気象に抗う健気な気持ちがひしひしと伝ってくる。
     今年の春はどうなるのやら?

  • 「里山に咲いたさくら」
    「里山に咲いたさくら」 4月3日撮影
     「ふるさと村」の里山に咲き誇る桜は、3月20日以降の寒暖を繰り返す日々の気象に翻弄されてか、いつもの年より萎縮して見える。それを慮ってか、木々の間を飛び交う野鳥が、この時期に相応しいさくらの満開の笑みを催促しているように、一段と姦しく囀っていた。

  • 「花(さくら)より釣果」
    「花(さくら)より釣果」 4月3日撮影
     「寺家ふるさと村の熊の池」は釣り堀を兼ね、多くの釣り人を楽しませている。ここでは、「花(さくら)より釣果」といった風情が漂っているが、ここに咲いているさくらが一番美しく見える。これでもかっと、釣り人に迫る桜花にいじましい意地が透けてくる。

  • 「むじな池」
    「むじな池」 4月3日撮影
     「寺家ふるさと村のむじな池」は、ちょと奥まったところにあるが、散策で来る人の自然を見る目が肥えているせいか、それに応えようとするさくらは、何処よりもあでやかに見える。「むじな池」が一番光輝く時期でもある。

  • 「ジジイ達のお花見」
    「ジジイ達のお花見」 3月31日撮影
     何といってもこの時期の締めはお花見であろう。今年のお仲間のお花見は、3月31日に行われた。絶好のお日和に恵まれ、さくらを愛でるジジイ達の気分は、いつもの年より酒量が上がっていたことに象徴されていた。当日は3次会まで続き、元気である何よりの証だとばかり酒量を誇るジジイ達の豪語は続いたが、翌日に二日酔いに陥ったものが続出。今年も「花より酒」となってしまったことを猛省するはめに。
     これがすっかりこの時期の風物詩となってしまったようだ。



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