□「平成27(2015)年ブログ」NO.4  平成27年10月1日〜12月31日   ♪BGM 
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  • ■「村上隆の五百羅漢図展」
    平成27年12月21日
    「(続)暖冬の兆し」
     美術館巡りを続けているが、今回は森美術館で開催中の「村上隆の五百羅漢図展」を観に行った。案内によれば、縦3メートル全長100メートルに及ぶ超大作「五百羅漢図」が日本で初公開されるとあり、この作品が、...続きを読む
  • ■「(続)暖冬の兆し」
    平成27年12月11日
    「(続)暖冬の兆し」
     この時期、我が街の青葉台駅に向かう道筋は、銀杏の黄葉に覆われて幻想的な風景を醸し出す。黄葉のメカニズムによれば、紅葉や黄葉が色づき始めるのに、日最低気温8℃以下(広葉樹)が必要で、さらに5℃以下になると一気に進むとされている。...続きを読む
  • ■「ちょっと早めのクリスマス」
    平成27年12月5日
    「ちょっと早めのクリスマス」
     この日、恒例の国連WFP応援団主催のクリスマスパーティ「ちょっと早めのクリスマス」が開催された。団員の手作りによるアットホームなこのパーティは毎年盛り上るが、本年は、...続きを読む
  • ■「暖冬の兆しに思う」
    平成27年12月1日
    「暖冬の兆しに思う」
     毎年11月も半ばを過ぎれば、住まい周辺の里山は紅葉に覆われ、赤や茶や黄などに彩られた晩秋から初冬にかけての佇まいを見せるが、今年は12月に入ってもその風景を見せない。...続きを読む
  • ■ 目から鱗の本「無私の日本人」
    平成27年11月25日
    「無私の日本人」
     著者 磯田道史氏に惹かれこの本を読んだ。表舞台に出ることを潔しとせず、歴史の彼方に埋没してしまった無名の3人の日本人の生き様を追った本である。...続きを読む
  • ■「お江戸の散策」
    平成27年11月22日
    「防災訓練」
     先輩からお声がかかり、華のお江戸を散策することとなった。午後3時に浅草の吾妻橋を出発し、隅田川に沿って駒形橋、厩橋、蔵前橋、両国橋、新大橋、清洲橋、永代橋、佃大橋を経由し築地まで、周辺に散在する史跡を巡りながら約10キロの道程を踏破した。 ...続きを読む
  • ■「平成27年の秋」
    平成27年11月18日
    「平成27年の秋」
     久しぶりに桜木町の汽車道を散策し、深まる秋の気配に彩られた横浜港の夜景を見ながら、この秋に起こった悲喜劇を思い返した。悲劇の序章は、10月の半ばに起こった。...続きを読む
  • ■「心の癒しを求める時」
    平成27年11月10日
    「密かな癒しの場」
     時々、手違いや何やらで、何もかもにも齟齬を来たしイライラとすることがあったり、何もすることがなく茫然とすることが起こる。それでも現役のころは、忙しい職場の環境に押し流されたり、部下や同僚たちを無理に引きづり込んで赤ちょうちんなどでおだを上げたりすることで癒されてきた。...続きを読む
  • ■「我がふるさとの創生に想う」
    平成27年11月5日
    「我がふるさとの創生に想う」
     法事のため帰省した際、故郷のJR福井駅前の広場で動く巨大な恐竜のモニュメントに再会し、改めてふるさと創生に思いを馳せた。この広場で何やら建設しているのは昨年から気付いていたが、...続きを読む
  • ■「外食の風景から」
    平成27年10月25日
    「外食の風景から」
     今月は、孫が熱を出したので保育園に迎えに行ったり、運動会に応援に駆け付けたり、七五三のお祝いに駆けつけさせられたりと結構慌ただしい日々となった。本音を言えば、可愛さあまりにこんな慌ただしさはむしろ歓迎といったところだが、...続きを読む
  • ■「割箸会」
    平成27年10月24日
    「割箸会」
     会社を卒業する少し前から割箸会と称した親睦会が開催され、今から30年ほど前に職場を同じくした仲間との交流を続けてきている。今年も24日に会社のクラブで開催され、久方ぶりに旧交を温めた。...続きを読む
  • ■「横浜JAZZ・PROMENADE2015」
    平成27年10月11日
    「横浜JAZZ・PROMENADE2015」
     今年23回目となる横浜JAZZ・PROMENADEが10月10日、11日の両日に亘り開催された。日本最大級のジャズフェスティバルとなっており、プロ・アマ合わせて約3,000名のミュージシャンが出演しました。...続きを読む
  • ■「モネ展」
    平成27年10月7日
    「モネ展」
     パリ、マルモッタン・モネ美術館所蔵のコレクション展「モネ展」が、9月19日から12月13日まで東京都美術館で開催されている。「印象派」という呼称の由来となった「印象、日の出」も出展されているとのことで、これは見に行かないと、...続きを読む
  • ■「Ricky & Cacho」
    平成27年10月4日
    「ハクビシンの被害」
     国連WFP応援団主催のネパールのためのフォルクローレ・ホームコンサートRicky & Cacho″(音楽と軽食を楽しむ会)が、サロン・ド・アサミで開催された。料金は2,000円(飲物、軽食付き)、すべては応援団の手作りにより運営されており、...続きを読む
  • ■「五姓田義松真発見展」
    平成27年10月4日
    「五姓田義松真発見展」
     9月18日から神奈川県立歴史博物館で開催されている「五姓田義松真発見展」を、この博物館でボランティアをしているS君から紹介があったので観に行った。...続きを読む

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  • ■ 「村上隆の五百羅漢図展」
    平成27年12月21日
  • 「村上隆の五百羅漢図展」
    「村上隆の五百羅漢図展」
     美術館巡りを続けているが、今回は森美術館で開催中の「村上隆の五百羅漢図展」を観に行った。案内によれば、縦3メートル全長100メートルに及ぶ超大作「五百羅漢図」が日本で初公開されるとあり、この作品が、東日本大震災後にいち早く支援の手を差し延べてくれたカタールへの感謝を込めて、震災の翌年2012年にドーハで発表されたものである、とのことでとても興味をひかれた。

     本作品の構成は、中国の古代思想で東西南北を司る四神――青竜(せいりゅう)、白虎(びゃっこ)、朱雀(すざく)、玄武(げんぶ)の名を冠した4面で構成されており、宗教と芸術、人間の死や限界をテーマとし、作家の新たな創作の境地を示す記念碑的な作品と評価されている。その圧倒的なスケールの大きさ、斬新な描写にただただ息を呑むばかりで、その場に釘付けとなってしまった。

     五百羅漢とは、釈迦の教えを広めた500人の弟子である聖人たちで、煩悩を滅し人々を救済したとされている。100mにも及ぶこの作品に500人の羅漢を描き切った作家の信念に深い感銘を受けた。それは、氏が現代美術史に新たな挑戦をしている心象の表れかもしれないと思った。(これは会場で彼を紹介するビデオの中から伺える)

     「五百羅漢図」以外に展示されているオタクカルチャーやキャラクターと日本の美術史を接続していると言われている、「宇宙の産声」や「欲望の炎―金」、「727」や「Tan Tan Bo」、さらに「円相図」や「金銀の唐獅子図」等の作品からもその心象が伺える。彼の作品の数々が、世界中の人々を驚嘆させてきているようだ。小生もその一人となった。分かりづらい現代美術のことが少しわかってくる気がする。是非ご鑑賞をお勧めしたいと思う。

     当日は、そのあと東京ミッドタウンに操出し、一献傾けながら美術談義をはじめたものの、すぐに薄汚れた浮世への恨みつらみに変わり、今年の美術館巡りも相も変わらない体たらくで終わった。来年こそ、真の美術談義ができるよう願わずにはいられない。ミッドタウンの電飾のいざないに浸りながらそう思った。皆さん良いお年を。

    ※本展をパノラマで見られますこのHPをご覧ください。感動のパノラマです。

  • ■「羅漢図展」
    「白虎」
    「白虎(びゃっこ)」
    本作品の構成は、中国の古代思想で東西南北を司る四神――青竜、白虎、朱雀、玄武の名を冠した4面で構成されており、宗教と芸術、人間の死や限界をテーマとし、作家の新たな創作の境地を示す記念碑的な作品と評価されている。
  • 「青竜」
    「青竜(せいりゅう)」
     

  • 「朱雀」
    「朱雀(すざく)」
     
  • 「玄武」
    「玄武(げんぶ)」
     
  • ■「スーパーフラット」
    「Tan Tan Bo」
    「Tan Tan Bo」
     オタクカルチャーやキャラクターと日本の美術史を接続していると言われている、「宇宙の産声」や「欲望の炎―金」、「727」や「Tan Tan Bo」、さらに「円相図」や「金銀の唐獅子図」等の作品からもその心象が伺える
  • 「達磨」
    「達磨」
  • 「見返り釈迦」
    「見返り釈迦」
  • ■「東京ミッドタウン」
    「タウン1」
    「スターライトガーデン2015」
     当日は、そのあと東京ミッドタウンに操出し、一献傾けながら美術談義をはじめたものの、すぐに薄汚れた浮世への恨みつらみに変わり、今年の美術巡りも相も変わらない体たらくで終わった。来年こそ、真の美術談義ができるよう願わずにはいられない。
  • 「タウン2」
    「スターライトガーデン2015」
  • 「タウン3」
    「ツリーイルミネーション」


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  • ■ 「(続)暖冬の兆し」
    平成27年12月11日
  • 「季節外れの低気圧に襲われた銀杏並木」
    「季節外れの低気圧に襲われた銀杏並木」
     この時期、我が家から青葉台駅に向かう道筋は、銀杏の黄葉に覆われて幻想的な風景を醸し出す。黄葉のメカニズムによれば、紅葉や黄葉が色づき始めるのに、日最低気温8℃以下(広葉樹)が必要で、さらに5℃以下になると一気に進むとされている。ここでは、毎年11月中旬から下旬にかけてが見ごろ。12月半ばごろには落葉してしまうようだが、このパターンは、メカニズムの法則に従っているのであろう。

     ところが今年は、このパターンが大分ずれていて、12月半ば近くになって見ごろを迎えていた。随分ずれ始めていると思った矢先、11日に季節外れの低気圧に襲われ大半が散ってしまった。黄葉の役割を果たしたのちに自然に自ら散ったのではなく、大雨と大風によって散らされたのである。ずれを生じていたのは、恐らく暖冬のせいであろうが、散らす時期に焦点を合わせ低気圧を寄こし、帳尻合わせするなんてところに邪(よこしま)な自然の摂理を感じてしまう。邪に通じる摂理の遠因は、すべからず我ら人類の身から出た錆なのだから恨むすべはない。

     この日、東京周辺で24.6度を記録した。気象庁の発表によれば、関東以西では夏日を記録したようで観測史上初めてとのこと。今年の冬は、何もかもが想定を超えている。先般、我がガーデンの大根の話を掲載したが、未だ大根は育ちつつあり、デカ大根の収穫は続いている。更に、隣の農家の畑を見たら、イチゴに実がつき始めていた。いつもの年より2-3か月は早いのではないかと思う。暖冬は極まってきている。

     先の低気圧の脅しに屈しなかった銀杏が何本かあって、今が盛りと黄色い葉を広げ頑張っている。いつもはとっくに店じまいしているのだから何ともいじらしい。巷では、クリスマスツリーが季節感を煽っているが、黄葉全開の銀杏のツリーが、「今年はまだ早いんじゃない」と咆哮しているようにみえる。

     改めて、電車の窓から見える我が街が、観測史上経験したことのない、穏やか過ぎる冬の佇まいを醸しているのを見て、イチョウの咆哮を支持したくなった。邪な不条理な摂理をいつ止めるのか、我々の知恵が試されている。

  • ■「極まりつつある暖冬」
    「デカ大根の収穫は続く」
    「デカ大根の収穫は続く」
     今年の冬は何もかもが想定を超えている。先般、我がガーデンの大根の話を掲載したが、未だ大根は育ちつつあり、デカ大根の収穫は続いている。

    ※おでんにも出来ず喜びは半減
  • 「実をつけ始めたイチゴ」
    「実をつけ始めたイチゴ」
     隣の農家の畑を見たら、イチゴに実がつき始めていた。いつもの年より2-3か月は早いのではないかと思う。暖冬は極まってきている。

    ※イチゴの体内時計に狂いが???
  • 「踏ん張る銀杏の咆哮」
    「踏ん張る銀杏の咆哮」
     巷では、クリスマスツリーが季節感を煽っているが、黄葉全開の銀杏のツリーが、「今年はまだ早いんじゃない」と咆哮しているようにみえる。

    ※クイーンズスクエア横浜のツリー
  • 「この街の今冬の佇まい」
    「この街の今冬の佇まい」
     改めて、電車の窓から見える我が街が、観測史上経験したことのない、穏やか過ぎる冬の佇まいを醸しているのを見て、イチョウの咆哮を支持したくなった。邪な不条理な摂理をいつ止めるのか、我々の知恵が試されている。
    ※長津田駅周辺の今冬の佇まい


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  • ■ 「ちょっと早めのクリスマス」
    平成27年12月5日
  • 「ちょっと早めのクリスマス」
    「ちょっと早めのクリスマス」
     この日、恒例の国連WFP応援団主催のクリスマスパーティ「ちょっと早めのクリスマス」が開催された。団員の手作りによるアットホームなこのパーティは毎年盛り上るが、本年は、今年結成されたペガサス合唱団の合唱や、オークション等々盛りだくさんなプログラムが実行され、会場は熱気に溢れた。

     昨年から国連WFP協会職員の方々による工夫を凝らしたパフォーマンスが、一層華々しくなったのに対抗せんと合唱団を結成し、涙ぐましい練習を重ねてきた聖女・聖闘士(セイント)達の心に響く歌声に胸を打たれた。お仲間のこういった行動にも、世界の飢餓撲滅に立ち向かう真摯な気構えが透けて見えたからでもある。

     それにしても、今年も協会職員の方々の工夫を凝らしたパフォーマンスは秀逸で、会場は大いに沸いた。まさか「五郎丸」が飛び出したり、「とにかく明るい安村」が出てくるとは思いもしなかった。お堅いイメージが先行する協会の進取の気性にエールを送りたい。こういった方々に曳かれ、来年も飢餓への取り組みを一歩進めていかなければと思った。

  • 「熱気に溢れた会場」
    「熱気に溢れた会場」
     本年は、今年結成されたペガサス合唱団の合唱や、オークション等々盛りだくさんなプログラムが実行され、会場は熱気に溢れた。
  • 「秀逸なパフォーマンス」
    「秀逸なパフォーマンス」
     今年も協会職員の方々の工夫を凝らしたパフォーマンスは秀逸で、会場は大いに沸いた。まさか「五郎丸」が飛び出したり、「とにかく明るい安村」が出てくるとは思いもしなかった。お堅いイメージが先行する協会の進取の気性にエールを送りたい。
  • 「世界の飢餓撲滅に立ち向かうお仲間」
    「世界の飢餓撲滅に立ち向かうお仲間」
     お仲間のこういった行動にも、世界の飢餓撲滅に立ち向かう真摯な気構えが透けて見える。こういった方々に曳かれ、来年も飢餓への取り組みを一歩進めていかなければと思った。


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  • ■ 「暖冬の兆しに思う」
    平成27年12月1日
  • 「暖冬の兆しが漂う里山」
    「暖冬の兆しが漂う里山」
     毎年11月も半ばを過ぎれば、住まい周辺の里山は紅葉に覆われ、赤や茶や黄などに彩られた晩秋から初冬にかけての佇まいを見せるが、今年は12月に入ってもその風景を見せない。11月は特に暖かった。農作物にも影響が出てきているらしく、大根が異常に大きくなり過ぎてしまい出荷ができず、大損害を抱え込んだ農家のことをニュースかなにかで聞いた。我がガーデンでは、稀に見る大きさの大根が育ち、有頂天になっていたのだが、所詮は素人の世間知らず。生業としていたら青息吐息といったところだろう。

     各局お抱えの気象予報士達が、やたらとエルニーニョの影響を免れず、今年は暖冬になると騒ぎ立てている。それは、我がガーデンや里山周辺を見れば外れてはいない。デカ大根はもとより、イチゴの花が咲いたり、スナップエンドウが異常な速さで伸びてきたり、水車小屋の前が未だ青々としているのを見せつけられれば納得するしかない。

     駅前の洋品店やデパートに行って冬物を見ていたら、何処も20-50%の値引き札が付いていた。暖冬の予想を見極めた証左であろう。消費者にとって着物でも、野菜でも安くなるのは歓迎だが、暖冬による経済落ち込みの打撃は避けられそうにもないとのことだ。

     そう言えば、この時期から「おでん」が幅を利かせてくるが、今年はからっきしだめで、大根も行き場を失っているようだ。経済の打撃はこんなところにも表れ始めている。「こんなに沢山大きい大根を作ってどうするつもりっ」と攻められ、口答えする言葉も思い付かず耐え忍んでいる。我が家では、経済の打撃以外のことが起こっている。

     春夏秋冬のメリハリのついた季節がだんだん薄れていっている気がしてならない。地球温暖化を何としてでも止めなければと「おでん」の時期がずれてきている中で切実に思った。

  • ■「暖冬を納得させる風景」
    「デカ大根の収穫」
    「デカ大根の収穫」
     我がガーデンでは、稀に見る大きさの大根が育ち、有頂天になっていたのだが、所詮は素人の世間知らず。生業としていたら青息吐息といったところだろう。
  • 「イチゴに季節外れの花」
    「イチゴに季節外れの花が」
     各局お抱えの気象予報士達が、やたらとエルニーニョの影響を免れず、今年は暖冬になると騒ぎ立てている。それは、我がガーデンや里山周辺を見れば外れてはいない。デカ大根はもとより、イチゴの花が咲いたり、
  • 「スナップエンドウ」
    「スナップエンドウの異常な成長」
     スナップエンドウが異常な速さで伸びてきたり、
  • 「水車小屋」
    「谷戸の水車小屋の周りは」
     水車小屋の前が未だ青々としているのを見せつけられれば納得するしかない。


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  • ■ 目から鱗の本「無私の日本人」
    平成27年11月25日
  • 「無私の日本人」
    「無私の日本人」
     著者 磯田道史氏に惹かれこの本を読んだ。表舞台に出ることを潔しとせず、歴史の彼方に埋没してしまった無名の3人の日本人の生き様を追った本である。同著が、奇しくも佐伯啓思氏が、著書「さらば、資本主義」で我が国の将来を危惧し「不幸の根源は経済成長と民主主義である」と指摘していることへの処方箋を暗示している気がして、目から鱗が落ちる思いがした。

     この本の主柱は、「いま東アジアを席巻しているものは、自他を峻別し、他人と競争する社会経済のあり方である。大陸や半島の人々には、元来、これがあっているのかもしれない。競争の厳しさとひきかえに「経済成長」をやりたい人々の生き方を否定するつもりはない。彼らにもその権利はある。しかし、わたしには、どこかしら、それには入っていけない思いがある。『そこに、ほんとうに、人の幸せがあるのですか』という、立ち止まりが心の中にあって、どうしても入ってゆけない。この国には、それとはもっとちがった深い哲学がある。しかも、無名のふつうの江戸人に、その哲学が宿っていた。それがこの国に数々の奇跡を起こした。わたしはこのことを誇りに思っている。この国にとってこわいのは、隣より貧しくなることではない。ほんとうにこわいのは、本来、日本人がもっているこのきちんとした確信が失われることである」との、著者の言葉に集約されていると思う。

     更に、「地球上のどこよりも、落とした財布がきちんと戻ってくるこの国。ほんの小さなことのように思えるが、こういうことはGDPの競争よりも、なによりも大切なことではないかと思う」と言っている。佐伯氏も、戦後一貫してアメリカ流の自由主義・民主主義、経済至上主義に盲従してきたことで、日本人の誇るべき大切なものを失い、精神のあり方(軸)が定まらない無脊椎の国家になってしまっている。と指摘している。

     この指摘に対する処方箋が、伊達藩の貧しい宿場町の商人である穀田屋十三郎の生き様と、一切の栄達を望まなかった日本一の儒者、日本一の詩文家中根東里の生き様、そして、津藩藤堂家の高貴な血を引きながら、数奇な運命をたどった太田垣連月の生き様から暗示されている気がする。無脊椎の国家へと歩調を合わせてきてしまった我々世代にとって、頬かむりはできない。この本から受けた示唆は重くて、深い。我々世代に限らず、この本の一読をお勧めする次第である。

          □ご一読お勧めの本
           書名  無私の日本人(文春文庫)
           著者  磯田 道史
           発行  文芸春秋


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  • ■ 「お江戸を散策」
    平成27年11月22日
  • 「出発は吾妻橋」
    「出発は吾妻橋」
     先輩からお声がかかり、華のお江戸を散策することとなった。午後3時に浅草の吾妻橋を出発し、隅田川に沿って駒形橋、厩橋、蔵前橋、両国橋、新大橋、清洲橋、永代橋、佃大橋を経由し築地まで、周辺に散在する史跡を巡りながら約10キロの道程を踏破した。我々のこの計画には、健康・体力の維持増進を図ろうとする健気な思いが滲み、畏みあたりからも絶大な賛同を受けていた。だから、真の目的が築地の由緒ある「うなぎ屋」で一献傾けることにあったことは、絶対に伏せておかなければならなかったのだ。
  • 「うまやの渡し跡」
    「うまやの渡し跡」
     案内標識に、江戸時代は幕府の政策により橋の数が少なく、かわりに各所に「渡し船」がありました。とある。昔、川岸に江戸幕府の「浅草御米蔵」があり、その北側に幕府の飼っていた厩があったのでこの名がついたと、Google Earthで街並み散歩(江戸編)に載っている。
     この場所に立ち対岸を見ながら、浮世絵に描かれた当時の風景に思いを馳せた。
  • 「首尾の松と両国橋」
    「首尾の松と両国橋」
     首尾の松の由来についてはいくつかあるようだが、「吉原に遊びに行く通人たちは、隅田川をさかのぼり山谷堀から入り込んだものだが、上がり下りの舟が、途中この松陰によって「首尾」を求め語ったところから」との説(たいとう名所図会・史跡説明板ガイドブックによる)が気に入った。到底こんな遊びが叶わないのに、松に寄り添いながらそう思った。

     江戸幕府は防備の面から隅田川への架橋は千住大橋以外認めてこなかったが、明暦の振袖火事の際に、逃げ場を失い多数の死傷者を出してしまったことで、防火・防災目的のためにこの橋が架けられたと、説明にある。回向院は、その人々を弔うために建てられ、のちに勧進相撲が催されるようになったとのこと。両国橋から見える風景に歴史が透けて見える気がした。
  • 「黄昏の佃島方面」
    「黄昏の佃島方面」
     今日は、散策道(河原の土手沿いの道)の所々で工事がなされ散策が寸断。一般道路へ戻ることを繰り返しながら2時間半を掛け、ようやっとゴールにたどり着いた。ゴールが間近に迫った佃島方面の黄昏ゆく風景が、同じ東京でありながら、下町の浅草周辺の景色とは一変していることに気が付いた。時間をかけゆっくりと散策したから気付いたのであろう。あくせくあくせくしていたのでは、見えるものも見えなくなっていたかもしれない。この散策を通じて、ゆっくり、じっくりと考え、世の中を見ていくことの大事さを教えられた気がした。

     もっともこの後、ゆっくり、じっくりと老舗のウナギを味わい、静かな語らいに至福の時を過ごすべし。と、計画のエンデイングにはそう書かれていたのだが・・・。じっくりにもゆっくりにも、そして静かな語らいにも遠かった。まだまだ修行が足りないようだ。これからも、畏みあたりから絶大な賛同を受けているうちは、お江戸の散策を続けなければなるまい。



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  • ■ 「平成27年の秋」
    平成27年11月18日
  • 「平成27年の秋」
    「平成27年の秋」
     久しぶりに桜木町の汽車道を散策し、深まる秋の気配に彩られた横浜港の夜景を見ながら、この秋に起こった悲喜劇を思い返した。悲劇の序章は、10月の半ばに起こった。会社のOB会にPCを持込み、散々苦労して作成した画像のスライドショーを、操作を誤りクライマックスの一番大事なときに音声を出せず、折角の苦労が水泡に帰したことである。さらにこの後、PCとプロジェクターを繋いだケーブルを引掛け、PCが台から落ち液晶画面にひびが入り、使い勝手が悪くなる悲劇に追い打ちをかけられたのだ。ここまで極まる悲劇はついぞ経験したこともなく、ガックリするばかりであったが、まさか第2章の悲劇が待ち受けていようとは思いもしなかった。

     第2章は、畑作業には絶好の日よりに恵まれた10月の後半に起こった。日頃の手抜きを挽回せんと大いに張り切り、スコップをいつもよりやや深めに入れてしまったため、腰を痛めてしまったのだ。椎間板に軽いヘルニアがあると10数年前に言われていたので、腰には十分留意していた積りなのに。さらに、このせい(なのだと思う)で軽い耳鳴りまで発症してしまった。ガックリが癒される間もない悲劇が続いたが、まさか第3章が・・・。

     第3章は、11月の上旬、旅先のホテルで新聞を読んでいた時に起こった。新聞はいつも眼鏡を外して読むことにしている。この日は外した眼鏡を膝の上において読んでいたところ、カミさんから声をかけられたので振り向いた瞬間、チタニューム製のツルがいとも簡単に折れ曲がってしまったのだ。ホテルの近間の眼鏡屋で応急処置をしてもらったが、長持ちしないとの託宣通り、旅から戻って2日目にポッキリと折れてしまった。何という悲劇か。それにしてもなんでメガネのフレームは高いのだろうと臨時の出費にこの秋を恨むばかり。そんな悲劇慣れした日に、故郷の友人のK君からとてもうれしい知らせが届いた。

     東京に嫁いだ娘の家に行くので、15日に一杯遣ろうということなのだが、小生にサプライズを用意するとのことだった。当日、待ち合わせの東京駅に出かけた。そこには、K君を仲立ちにした新たな友が一緒に出迎えてくれた。51年ぶりに合う高校の同級生だった。高校時代面識はなかったが、K君との繋がりで貴重な同窓生との再会を果たすこととなり感激もひとしおとなった。彼は、未だ大手出版社で要職につき頑張っているとのことで、この夜の懇談は彼に触発されっぱなし。懐かしい青春時代を共に語り、今までの生き様を開陳し合う時間はまさに至福のひと時となった。

     東京に住む彼とは、これからもお付き合いすることを約束しながら、この飛び切りのサプライズを用意してくれたK君に感謝の気持ちを伝えた。平成27年の秋は、こんな粋な計らいを用意していてくれたのだ。このサプライズの喜びを究めさせるためにあえて、いくつかの悲劇を織り込んだのかもしれない。深まる秋の気配に彩られた横浜港の夜景がそのように暗示しているように思えた。



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  • ■ 「心の癒しを求める時」
    平成27年11月10日
  • 「密かな癒しの場」
    「密かな癒しの場」
     時々、手違いや何やらで、何もかもにも齟齬を来たしイライラとすることがあったり、何もすることがなく茫然とすることが起こる 。それでも現役のころは、忙しい職場の環境に押し流されたり、部下や同僚たちを無理に引きづり込んで赤ちょうちんなどでおだを上げたりすることで癒されてきた。

     ところが、会社を卒業してから、押し流される忙しい職場の環境も、引きづり込む部下や同僚たちも手近になくなってしまうと、この対応に四苦八苦する。ちょっとだけ話を聞いてくれたり、愚痴のほんのさわりだけでも耳に止めてくれたらどれだけ癒されることかと思うのだが、一番近間にいる山の神さえ寄り付かなくなってしまうので、状況は推して量られよう。

     癒しの世界も、他力を当てにせず自力で求めていくしか道はないことを思い知った次第だが、最近、ネットサーフィンをしている中、密かな癒しの場を探り当てた。「YouTubeの音楽」のサイトだ。手軽に好きな、しかも著名なアーティストやオーケストラの演奏を聞けるのが気に入り、常連になっている。

     CDでジャズや軽音楽を聴くこともあるが、画面いっぱいに広がる演奏を聴けるのは臨場感も在り、コンサートに行った雰囲気が味わえるのでとても気に入っているというわけだ。とりわけこの世界に入ると、最初に「ボレロ(モーリス・ラヴェル)」を聴く、単調なメロディが延々と続き、いつ終わるのか分からない曲だが、脳髄がいたく刺激される。若い時からこの曲が好きで、この曲を置いて始まらないのだ。そのあと、好きな曲を当日の気分に合せて聴き、最後はまた「ボレロ」で締めるという聞き方をしている。

     好きな本読みながらや、片手にグラス(酒でもワインでもブランデーでも何でも合う)を傾けながらして、この音楽に浸る時間はまさに至福の時で、心の底から癒される。小生の「密かな癒しの場」になってる。度が過ぎて、何にもやりたくなってしまうことも起こるので、癒しもそこそこにしなければならないことを申し添えしておくが、よろしければ、この場に踏み入れてみませんか?

     密かな癒し場「ボレロ」の曲はこの入口から入れます。

     ちなみに小生の気持ちを掻き立ててくれる曲は、上記のほか、ラデツキー行進曲/ウイーンヒル・ニューイヤーコンサート、展覧会の絵(ラヴェル編曲版)、エルガー作曲 行進曲「威風堂々」、葉加瀬太郎/情熱大陸(OFFICIAL)等々。いろんなジャンルの音楽があるので好きな曲を存分に聴くことができます。好きな音楽を聞いて癒しの自慢でもやりますか。



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  • ■ 「我がふるさとの創生に想う」
    平成27年11月5日
  • 「我がふるさとの創生に想う」
    「我がふるさとの創生に想う」
     法事のため帰省した際、故郷のJR福井駅前の広場で動く巨大な恐竜のモニュメントに再会し、改めてふるさと創生に思いを馳せた。この広場で何やら建設しているのは昨年から気付いていたが、完成後改めて直面してみると、故郷の再生・創生にかける思いが伝わってくる。恐竜の化石や骨などが大量に発見、発掘され一躍恐竜王国となり、大勢の観光客がお見えになるようになったようだ。だからこの恐竜にあやかった街の再生・創生が透けて見えてくる。

     もう20年以上前から、繁華街だった市の中心も過疎化が進みシャッター通りとなり、昔日の面影は何処にもなくなってしまった。全国で起こっていることが、我がふるさとも例外ではなかったということであろう。そしてまた、新たな「ふるさと創生」が、全国一斉に取り組まれきているようだが、恐竜に頼るだけではどうにもならないのではないか、とため息をついた時、先日読み終えた佐伯啓思著「さらば、資本主義」を思い出した。

  • 「さらば、資本主義」
    「さらば、資本主義」
     氏は、「戦後日本の主たる関心が、もっぱら経済成長と物質的な豊かさにしか向けられていなかった。経済を発展させる、ということに我々はもっぱら精神を集中してきたが、人口減少や高齢化社会に突入した日本は、もはや、経済成長を第一義の価値にする時代ではない」と。さらに、「過剰な市場競争が正義であるかに誤認されているために、我々の社会はますます窮屈になり、政治は不安定化していく。確かなことは、まずは「資本」を金融にバラまいて成長を目指すという「資本主義は」もう限界なのだ」と指摘している。

     にもかかわらず、「今日、成長戦略が政策の柱になり、相変わらず経済成長を目指し、市場競争の強化や構造改革の継続がなされようとしている。これらが地方を劣化させる政策なのに、今頃になって、地方創生を唱えることのちぐはぐさを我々はもっと自覚すべきではないか」。との指摘に、今回も氏の本に胸をグサッとえぐられた。

     「グローバルな大競争が加速し、その中で日本は自らの立ち位置を見失ってしまっている。何を次の国家の目標にするのか。それがまだ見えていない。我々は、これからどこへ行こうとしているのか、また、どこへいけばいいのか。この問いには容易に答えは出ないとしても、我々一人ひとりが自分で考えるほかない」。と、言うのが、この本の主題になっている。

  • 「恐竜の囁き」
    「恐竜の囁き」
     こんな社会とともに生きてきた、我々世代にとって格別の思いがよぎる。「今からでも遅くはない、我々が出来るところから始めなければならない」。と隣のブロンズの恐竜から囁かれた気がした。

     お暇があれば、この本のご一読をお勧めします。

         □ご一読お勧めの本
          書名  さらば、資本主義(新潮新書)
          著者  佐伯 啓思
          発行  新潮社



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  • ■ 「外食の風景から」
    平成27年10月25日
  • 「外食の風景から」
    「外食の風景から」 
     今月は、孫が熱を出したので保育園に迎えに行ったり、運動会に応援に駆け付けたり、七五三のお祝いに駆けつけさせられたりと結構慌ただしい日々となった。本音を言えば、可愛さあまりにこんな慌ただしさはむしろ歓迎といったところだが、口に出せないところが辛いところでもある。そんな思いが頂点に達した25日、七五三のお参りを無事済ませ、娘夫婦と孫と、そして婿殿のご両親と我ら二人の七人で郊外のこじゃれたレストランで昼食をとった。

     お店は、孫が七五三だったことを知り、風船や線香花火や蝋燭などを飾り付けたケーキを差し入れてくれるなど粋な計らいをしてくれ、我がテーブルはジジ・ババ達の姦しいお喋りで盛り上がった。その時、隣のテーブル(小生から右斜めの方向)から、こちらに視線を投げかけてくるとても可愛い女の子(4-5歳といったところだろうか)に気付いた。

     我々のところが気になってしょうがないといった雰囲気である。ちらっちらっと、そして時々じーと眺めてくるので少し観察してみた。彼女が視線を投げかけてくるのがなんとなく分かった。彼女は両親(おそらく40歳前後)と一緒だったが、彼女の左隣のお母さん(優しそうで理知的な印象)は、彼女とお父さんが視野に入らないらしく一心不乱に本を読んでいる。一方、お母さんの前に座ったお父さん(やり手の印象)は、座ってからずーっと携帯と格闘中で、彼女とお母さんを視野に入れていないからだ。

     前菜がだされ、そしてメイン料理が出されても、両親のスタイルは変わらず、ずーと本を読み続け、ずーと携帯と格闘し続け、黙々と料理を口に運び続けるばかり。彼女は、いじくる物を持ち合わせておらず手持無沙汰の上、語り掛けることも能わず、料理が出てからも一人ぽつねんと食べ続けながらこちらに視線を送り続けてきた。何ともいじらしく、飛んで行って話しかけてやりたい衝動に駆られた。

     でもよく考えたら、お家では和気藹々の語らいが多いのかもしれない。でなければあんなに穏やかに可愛く育つはずがないからだ。きっと外に出たときだけは、静かなマナーを身に付けさせる教育をされているのかもしれない。我々のテーブルが姦しすぎるために彼女が警告のシグナルを送っていたに違いない。と、思えてきたとき、冷汗三斗の思いがした。

     それにしても、小さな子供から愁いを込めた目で見られると涙腺が緩みそうで、落ち着かなくなってしまう。あの子のおじいちゃんはどう感じるだろうかと、余計な心配に駆られ、孫にのめり込むジジ馬鹿ぶりを思い切り味わわされた外食となった。



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  • ■ 「割箸会」
    平成27年10月24日
  • 「割箸会」
    「割箸会」
     会社を卒業する少し前から割箸会と称した親睦会が開催され、今から30年ほど前に職場を同じくした仲間との交流を続けてきている。今年も24日に会社のクラブで開催され、久方ぶりに旧交を温めた。本会は、当時一人のボスのユニークなマネジメントの下で、最も激し、最も尖がり、そして最も熱く燃え上がり改革を進めていた集団が下敷きとなっている。

     難問山積の中、毎日激論を交わし激務をこなし、事業場を活性化し事業活動を支援し続けていったこの集団からどれだけ触発されたことか。そして今、50代になった仲間が、主要ポストを得て会社を牽引していることを目の当たりにすると感慨もひとしおである。仲間の一人として一層の活躍を願うばかりである。また、時々は当時に勝るとも劣らない激論を交わせればとも思う。であれば、本会はもうしばらくは継続していかなければならないのではないか。切に願うところである。

     ところで、本会の名称については、小生の不遜な態度(割箸事件)に由来していることもあって面映ゆいところだが、少しばかりお話しておきたいと思う。なお詳細のいきさつについては本HPの会員のページ内の「あんちゃん事件」と「割箸事件」の項に掲載していますのでお暇な折に参照いただければ幸いです。

     そもそも「割箸事件」とは、30年ほど前、ある場末のスナックで小生が本部長と彼のユニークなボスの二人から、仕事の進め方について難詰され、厳しく攻め立てられた際に、割箸をテーブルにコンコンと激しく叩きながら応戦した行為のことである(小生にそんな覚えはないのだが、お二人はそう主張した)。翌日、この不遜な態度が職場中に伝わり、小生に箸を持たせるな、口より先に箸が飛んでくる、といったような中傷誹謗の数々が針小棒大に仕立て上げられたのである。「割箸事件」と命名され、小生にとっては不名誉極まりないこととなったのだが、こういったことを逆手に、面白、可笑しく若手の活性化に利用されることにもなり、以来 「割箸会」が発足することとなった。

     そして毎年、ボスを大将に支援本部の若手を集め、美女谷温泉で「割箸会」の合宿研修を行うこととなったのである。命名のイワレに鑑み、若手のリーダが口火を切り、大激論会は明け方まで続くのが慣例となった。・・・以下「会員のページ」でどうぞ。



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  • ■ 「横浜JAZZ・PROMENADE2015」
    平成27年10月11日
  • 「横浜JAZZ・PROMENADE2015」
    「横浜JAZZ・PROMENADE2015」
     今年23回目となる横浜JAZZ・PROMENADEが10月10日、11日の両日に亘り開催された。日本最大級のジャズフェスティバルとなっており、プロ・アマ合わせて約3,000名のミュージシャンが出演しました。ジャズを愛するおよそ350名の市民ボランティアが参加し、日本のジャズのふるさと横浜に相応しいジャズのお祭りを下支えした。

  • 「Tシャツ販売を担当」
    「Tシャツ販売を担当」
     今年5回目のボランティア参加になるが、昨年と同様横浜開港記念会館で受付、Tシャツ販売を担当しながらこの最大級のジャズフェティバルを楽しんだ。年々ジャズに熱いお仲間も増え、交わすジャズ談義に華が咲くのは堪(こたえ)られない魅力である。今年は、15万5百人のお客様の来場があり各会場は大盛況となったとのことで主催者から感謝の言葉を頂いた。誠に、慶賀の至りでボランティア冥利に尽きる。

     11日、お手伝い終了後関内ホールで板橋文夫のライブ:第一部『板橋文夫FIT!』+類家心平(Tp) 纐纈雅代(As) レオナ(Tap) 第二部『板橋文夫スペシャル・オーケストラ』+金子友紀・結(藤沢しげみ・町田加代子・小山貢理乃)・レオナ(Tap)・堀越千秋(ライブ・ペインティング):に酔いしれた。

  • 「ジャズ談義に華が咲く交流会」
    「ジャズ談義に華が咲く交流会」
     26日に横浜ジャズクルー交流会が赤レンガ倉庫で開催され、ボランティアを慰労して頂いた。ここでジャズ談義に華が咲いたのは言うまでもない。そして、お仲間から来年もまたご一緒にジャズを楽しみましょうとの約束を取り付けられた。ジャズ仲間の絆が今年も一層強まった気がした。

     横浜ジャズプロムナードはこのHPをご覧ください。



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  • ■ 「モネ展」
    平成27年10月7日
  • 「モネ展」

    「モネ展」
     パリ、マルモッタン・モネ美術館所蔵のコレクション展「モネ展」が、9月19日から12月13日まで東京都美術館で開催されている。「印象派」という呼称の由来となった「印象、日の出」も出展されているとのことで、これは見に行かないと、と思っていたところ、先輩からお誘いを受けたのでもっけの幸いとなった。

     この日はウイークデー(水曜日)にも変わらず大変な混みようで、チケットの購入にも行列ができ、本展の人気の高さが窺えた。光とモダニティの画家と呼ばれた印象派の巨匠クロード・モネの、その神髄とも思える移りゆく光が象徴的に捉えられた「睡蓮」の連作作品に圧倒された。そして、それが時代を重ねていく中でモダンアート化していくのが窺え、19世紀の絵画芸術に革命を起こしたと言われていることを実感できた気がした。

     もちろん、「印象派」という呼称の由来となった「印象、日の出」に圧倒されたのは言うまでもない。古典派の巨匠たちが酷評したらしいが、新機軸を打ち立てようとするアーティストの反骨心が透けて見えるようだと、絵画を目の前にした多くの鑑賞者たちの口から漏れていた。反骨にしては、とても穏やかで温かく優しさに溢れた絵画との印象を深くした。

     10月20日からは、同館から滅多に離れることのない「ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅」が特別出展されるようです。古典から現代アートへの橋渡しをした巨匠の絵画に興味のある方は必見です。是非お出かけを・・・。

     本展覧会の概要は東京都美術館HPをご覧ください。

  • 「東京都美術館にて」
    「東京都美術館前にて」
     パリ、マルモッタン・モネ美術館所蔵のコレクション展「モネ展」が、9月19日から12月13日まで東京都美術館で開催されている。「印象派」という呼称の由来となった「印象、日の出」も出展されているとのことで、これは見に行かないと、と思っていたところ、先輩からお誘いを受けたのでもっけの幸いとなった。


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  • ■ 「Ricky & Cacho」
    平成27年10月4日
  • 「Ricky & Cacho」

    「Ricky & Cacho」
     国連WFP応援団主催のネパールのためのフォルクローレ・ホームコンサートRicky & Cacho″(音楽と軽食を楽しむ会)が、サロン・ド・アサミで開催された。料金は2,000円(飲物、軽食付き)、すべては応援団の手作りにより運営されており、演奏者への心遣いと、飲食費等の実費を控除した残りは、全て国連WFPに寄付するというチャリティーコンサートになっている。このコンサートは、本応援団の主要なファンドレージング活動の一環として、ほぼ毎年企画されている。

     会場に行って驚いた。全く普通のマンションの一室でこのようなコンサートを開催していたからだ。しかも30人くらいのお客様(賛同者)が参集していたからでもある。ホームコンサートの形式だが、小生の想定をはるかに超えていた。部屋は完全防音が施されている上に、無償で利用させて頂いていると聞いた時、場所を提供されている方の篤志によるご行為に頭が下がる思いがした。

     お客様は、我々応援団員のほか、海外で生活された経験者(今回はとりわけ南米駐在者)が多く、今般の演奏者との親和性が一段と高まり、ラテン系の音楽演奏に会場は大いに盛り上がった。演奏終了後、アルコールも用意された会場では、演奏の余韻に浸りながら演奏者との熱い交流が続いた。もちろん、お客様同士の交流が盛り上がったのは言うまでもない。

     このようなホームコンサートには初めて参加したが、好きなラテン音楽を堪能し、素敵なお仲間との交流に至福のひと時を持てたことがとても有難かった。加えて、なにがしかの金額が寄付に回ったことを思うとこれほど嬉しいことはない。これからもこういったコンサートには出かけなければなるまいと思ったが、それよりも、応援団のお手伝いに傾注しなければならないことを深く反省した次第である。どなたか、応援団に入って活動をされたい方いませんか? 是非、ご一報いただきたく。

    ※フォルクローレ・ホームコンサート:民謡。民族音楽。特に、アルゼンチンおよびその周辺の国々のフォークソングを指す。

  • 「Ricky & Cacho」
    「Ricky & Cacho」
     リッキーのケーナの演奏は、神懸っているのではないかと思わせるほど、会場を陶酔の極致へ誘っていた。

  • 「Audience」
    「Audience」
     部屋を占領した観衆は、ラテンの音楽に酔いしれ至福の時を過ごした。
  • 「Ricky & Cacho & Me」
    「Ricky & Cacho & Me」
     小生が何か楽器でもやれたら、トリオで観衆を喜ばせられたのにと・・・彼らが応じてくれたポーズにアホな妄想が走った。  
  • 「盛り上がった交流」
    「盛り上がった交流」
     アルコールも用意された会場では、演奏の余韻に浸りながら演奏者との熱い交流が続いた。もちろん、お客様同士の交流が盛り上がったのは言うまでもない。
  • 「オーナと演奏者と応援団」
    「オーナと演奏者と応援団」
     このようなホームコンサートには初めて参加したが、好きなラテン音楽を堪能し、素敵なお仲間との交流に至福のひと時を持てたことがとても有難かった。とりわけ、オーナーの篤志によるご行為に頭が下がる思いがした。


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  • ■「五姓田義松真発見展」
    平成27年10月4日
  • 「五姓田義松真発見展」
    「五姓田義松真発見展」
     9月18日から神奈川県立歴史博物館で開催されている「五姓田義松真発見展」を、この博物館でボランティアをしているS君から紹介があったので観に行った。パンフレットには、「平成27年度の特別展、没後100年 五姓田義松 −最後の天才−」と銘打れている。

     五姓田の作品は、横浜美術館で常設展覧されており時々見受けていたので知らなかったわけではなかったが、今般その生い立ちや、ひたすら絵画に打ち込んでいった心象が理解できた気がし、改めてこの作家に心酔した。案内書によれば、義松を現代のスポーツ選手に例えれば、国内リーグで頂点を極め、海外プロリーグに挑戦したパイオニアだった。そして、洋画家のトップランナーとなり、名声を獲得したが、その後、流行の移り変わりの早さに流れ、その名声はほとんど忘れられてしまったと記されている。

     作品の写実画には、写真では表現できない天才の信念を変えないこだわりが見えてくる気がします。30年ぶりの大回顧展だそうです。案内の最後に「会場内に満ち満ちた作品や資料を通じて、天才義松の神髄を真”発見してください」と記した言葉に うなずかされた次第です。洋画に興味をお持ちの方必見です。本展覧会は11月8日まで開催されていますので、ぜひ足をお運びいただければと思います。

     本展覧会の概要は神奈川県立歴史博物館HPをご覧ください。



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