□「平成25(2013)年ブログ」NO.4  平成25年10月1日〜12月31日   ♪BGM 
「平成25年度 NO.4 インデックス」
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■「大晦日の独り言」                      平成25年12月31日

 大掃除を終え、”松ちゃん”と今年最後の畑の見回りも終えほっと一息ついたとき、いつもの飲み屋さんに足が向いていた。いつもの席に腰を落ち着かせビールを一口流し込んだら、疲れを癒すより先に、今年を回想する愚痴とも嘆きともつかない言葉が口をついた。それは、お互いに今年は気分が優れることよりも、塞ぐことの出来事の方により多くの時間をとられたからである。

 ”松ちゃん”は、九死に一生の交通事故に遭遇し、人生最大の危機を味わされた今年はついていなかったと言う。小生にとっても、5月にPCの操作を誤り大きなトラブルに巻き込まれたこと、揚句にそのPCが破損し買い替えを余儀なくされたこと、そしてその買い換えた新PCが初期不良で立ち上げた作業がオジャンになってしまったこと、異常天候により農作業がはかどらなかったこと、白内障の治療に神経を使い過ぎ、今年後半に予定していた絵画や音楽の観賞をフイにしてしまったこと、さらに兄姉の体調不良に遭遇するなど、不運に振り回された1年と言えた。だから、期せずして乾杯の一口は、不運が溶け込んでいるとしか思えない極苦(ごくにが)の味しかしなかった。

 そうであるからこそ、不運の呪術から解き放なたれようと手を変え品を替えた話題で杯を重ねたが、我々を取り巻くシビアな話題に追い打ちをかけられ、極苦の味がますます沁みた。巷では景気が少し良くなってきたと言われているが、その恩恵に預かれていないばかりか、消費税がアップされ、年金がカットされようとする現実におろおろさせられるからだ。お国の為にはやむを得ないと思ってはいるものの、先行きの不透明感が払しょくできず、なんとなくすっきりしない越年という感想を寄せられた現役先輩の言葉に触れるにつけ、気分が高揚するわけもなく、苦いビールを飲み続ける羽目になった。

 身から出た錆の不運は自己責任の苦みを味わわなけれればならないが、自分が選んだ覚えのない輩からもたらされようとする苦みは如何ともしがたい思いがする。先進諸国に共通する課題かもしれないが、国に何をしてくれるのかと問うている限りこの苦みからは逃れられないに違いない。そう結論付けたときビールの味が一変し、今年のよかったことに話題が転じ、杯を重ねるスピードに拍車がかかった。

 術後久しぶりに酔った。そのお蔭で疲れも癒され塞いでいた気分も晴れた。だから来年の抱負を立て板に水のごとく語ったらしいが未明に目が覚めたとき、抱負は雲散霧消していた。来年もアルコールの功罪に一喜一憂させられるに違いない。


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■「今年のクリスマス」                     平成25年12月26日

 クリスマスだからといって、何かをやるような歳ではなくなってから久しいが、今年は孫に引かれ何十年かぶりにクリスマスを意識させられた。

 12月22日に孫の保育園でクリスマス会が開催され、1歳8か月になった孫がパフォーマンスをやるとのことで、手術後初めて集まりに出かけた。0歳児から2歳児までの親子のパフォーマンスは親の意思そのものだから、熱演すればするほど見栄を超越した子供への愛情が際立ち、お父さんお母さんの演技が神々しく見えた。クリスマスにかこつけた行事かもしれないが、子供には何よりの贈り物に違いない。

 省みれば、自分は自分の子供のためにこのようなパフォーマンスをしたか覚えがない、恐らく、忙しさにかまけてという言い訳のもとに、カミさん任せにしてきたからであろう。道理で今まで気付きもしなかったが、我が家のクリスマスはカミさんと子供が中心で、小生はいつも埒外にされていたのだ。

 さればこそ、子供らがその言い訳を先刻見抜いていたのかどうかもとても気になったが、彼らの父親(小生)へのリスペクトを思えば結末は明々白々であり、申し開きすることすら叶わない己の罪深さを思い知らされた。いまさら取り戻すことはできないが、せめて孫を囲むクリスマスには何としてでも埒内に割り込み、遅らせばせながら眷属としての罪の償いをしていこうと誓った。

 その為に来年からどんな贈り物を用意するかで悩み、罪の償いが楽ではないことを思い知るに違いない。それはこのクリスマス会の親たちの熱演が示唆していた。

 数年後、彼からリスペクトされていれば、その償いが順調に進んだ証といえるだろう。だからだから、来年はクリスマスに向けた新たなジジイ馬鹿を進展させなければならないのだ。そのことを今から予告しておきたい。


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■「通いなれたジムの閉鎖に想う」                平成25年12月25日

 小生の通っているジムから倶楽部閉店の話が今年の4月にあった。閉店の期日は12月23日。この倶楽部は他の支所に比べて規模や、立地場所、設置機材等は抜きんでてよかったとは思わなかったが、スタッフのお客様目線に傾注したヒューマン力は抜きんでていたと思う。だから、小生はこのアットホームなジムを気に入り、5年有余も通い詰め、充実した日々の創造を楽しんできた。それだけに、この話を聞いた時には大変ショックを受けた。

 この思いは小生のみならず、この場所をこよなく気に入っている多くの客たちも同じ気持ちになっていたに違いなく、というより小生よりずっと長い間利用している先輩方は激しい憤りさえ伴ったようだ。だから、彼らは結束して継続の交渉をぎりぎりの日まで、何回となく試みた。小生から見れば、彼らは珠玉のカスタマーだったと思う。どなたも、明日の日本を背負って生きてきた自負心に溢れ、またその言動にジェントルマンが感じられたからである。

 お店側から見ても、このような珠玉のカスタマーは離したくなかったに違いないが、経営の事情がそれを上回っていたのであろう。そう決断した店側と最終的にやむを得ないと受け入れた客側双方にとって断腸の思いとなった。こういう思いが重なると時の進みは一段と加速するらしくあっという間に閉店を迎えてしまった。

 小生は16日に手術を受けたので、15日に最終の利用をし、お店とスタッフの皆さんに別れを告げた。今までに多くの卒業を経験してきているが、この度の卒業には格別の感慨がよぎった。それはこのお店が小生にとって格別に良かった証である。年の瀬の侘しさはきついが、心を切り替えけじめをつけられるのには適した時期かもしれない。年末にかけ、来年早々からの健康体力作りを模索することに忙しくなりそうだ。


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■「何もできない日々の中でたぎった想い」            平成25年12月23日

 眼の手術を受けてから1週間は、洗髪はできず入浴も制限つき、汗をかきそうな運動はご法度、両眼のバランスが落ち着かない(落ち着くまでに1-2か月かかる)等々の状況下にあったので、体を動かしたり外出することも覚束かず、ほとんど何もできない状態が続いた。むろん酒を飲んで憂さ晴らしすることも能わず、精神衛生上芳しからぬ状態に陥っていた。

 眼を疲れさせないようにと、TVやPCを遠ざけていたのだが5日目に我慢しきれなくPCを開いた。何の導きなのか、偶然にも会社OB用のサイトの案内が届いていたので、そこから久方ぶりに社内報に入った。そこには我々がもう話題にもしなくなった、仕事への活き活きとした取り組みの記事が目に留まった。健康管理と遊びの話しかしなくなったものにとって、何と血のたぎる話だったことか、若い後輩たちの言葉に触発されずにはいられなかった。頭に血が上り、社内報を貪り読んだ。

 病気や老齢化を言い訳に、ひたすら惰眠を貪ってきた身を本当に恥ずかしく思った。彼らと明日を拓いていく話を丁々発止とやりたい、と、老心に久方ぶりに灯が点き血圧が大きく振れた気がした。本日、そんな気を引き摺っていたせいか、自治会の会議で爆発してしまい、会議が踊りに踊ってしまった。反省しきりの年末になってしまったが、精神衛生上芳しからぬ状態からは脱し切れた気がする。

 来年は、こんな話に引き摺りこんでくれる仲間を求め丁々発止といきたい。


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■「白内障手術」の顛末                     平成25年12月18日

 手術の件については、事前の説明や先輩からの話、そしてネットでの情報から内容をほぼ理解していたので、何の不安もなく16日の8時30分に入院した。入室後看護師から術前の処置を施され手術の順番を待った。相部屋の方が右目に大きな眼帯を付けて戻ってきた時、自分の思っていたよりずっと早い時間に次はあなたですと告げられ緊張が高まった。このような場所での順番待ちはあまりいい気がしない。

 ついにその時が来て10時30分、付き添いの看護士と手術室に向かった。手術室の前の部屋で、付き添いの看護士と手術室の看護士が患者の確認をカルテに添付した資料で行い、小生が次の被術者だと確認したようだ。しばらく待たされ手術室の扉が開き、手術を終えた患者が目に大きな眼帯を付けられ、小生の脇を通り抜けていった。何か激励の声をかけられた気がしたが覚えていない。

 手術台(床屋の椅子に似ている)に座らされ、看護師から術直前の検査や処置が施された。手術の内容を理解していたものの緊張が高まった。部屋内では3-4人が同時に手術できるようになっており、前の人が終わるまで手術の様子を見聞きできることと、看護師が処置する毎に氏名やどちらの目をやるのかをいちいち確認することが、緊張に拍車をかけている気がした。とりわけ、その部屋の中でも待たされ、その待たされる微妙な時間にも、何とも言えない気分が誘発された。

 10時45分、担当医が目の周辺を消毒し麻酔をした後、執刀医(教授)と患者や手術の詳細をいちいち声を出しながら確認しているのが聞こえた。執刀医の「それでは」の掛け声で手術が始まった。痛くもなんともないがものすごく眩しいことだけが気になった。今これをやっているのだろう、といった手術の工程がなんとなく推定されたが、小生は、変に推定したり妄想に駆られるより、知らないうちに終わるのがいいのではないかと思った。

 15分ぐらいで手術は完了した。執刀医の「手術は完璧でした」とのお声掛けに、ものすごく安堵した。右目に大きな眼帯をつけ、車椅子に乗せられて部屋に戻り、1時間の安静を言い渡された。午後遅くなって、担当の看護士から明日の朝7時に眼帯を外すと告げられた時は、術前にいろいろ悩んだことを思い出し、正直、嬉しさと不安が入り混じった心境になった。

 翌朝、予告通りに看護師は、きわめて事務的に眼帯を引き剥がした。勿体ぶって剥がしてくれるに違いない、その方が患者の心境には合っているから、と、勝手に想像していたことが見事に裏切られたが、完璧な手術の効果の前には、何の言葉も勿体ぶりも用をなさないことを思い知らされた。世の中がこんなにクリアに見えていたことを思い出せず、ただただ感動に打ちひしがれてしまったのだ。恐らく、曇り切った世界を見慣れてきたものに、この福音を語る言葉を持たないであろう。

 手術をして本当に良かったと思う。ドクターはじめ医療スタッフの皆さん方に心からお礼を申し上げたい。挿入したレンズの安定と両眼のバランスが落ち着くまでには今少し時間がかかるようだが、そこそこの幸せの必要条件を整えられた気がしている。これを機に来年もそこそこを目指して行くことにしたい。

 今回の手術で困ったことが起こった。
鏡に映った自分の顔に驚愕してしまった。こんなにシミやしわがあったとは。
だから、かみさんを見れば腰を抜かすかもしれない。心の準備ができるまでは正視をしないでおこうと思う。 見えすぎる弊害の織り込み忘れには辛いものがある。


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■「今年の師走事情」                      平成25年12月15日

 白内障の手術前説明を2日間に亘って受け100%納得したのに、手術日まで10日ほど間が空いていたことで、却って余計なことを心配し何とも落ち着かない1週間となった。それは、経験者先輩方の温かいアドバイス(焦点を遠くにした方がいいといった経験談)に気持ちが揺らされたことである。決着をつけたはずなのに、ほとんどやり直しがきかない手術を考えると揺れてしまうのだ。

 結果的には、この為にネットで調べ上げたことと、セカンドオピニオンを聞くことで完璧に納得したのだが、その間は何もやる気が起こらず、7日の午後に予定されていたWFP応援団の「ちょっと早いクリスマス」や、8日に実施された横浜市民ギャラリー関内のボランティア有志による懇談会、さらに10日に実施された職場のOB会にことごとく不参加を決め込み、後悔を重ねてしまった。

 心配や悩みのない人生はないであろう。ほどほどに幸せであることは、それがほどほどで収まっているからに違いない。後悔を重ねてきてしまったのは、ほどほどを超えてしまったということだ。その原因はどれほどあるかわからないが、健康を損ねることはその一つと言える。であれば、身体健全であることは、ほどほどの幸せの必要条件とも言えるであろう。過去に何回か入院治療を経験しそのたびに思ったことでもある。16日の手術によって、自分のみならず家族のためにも、その必要条件を整え直さなければと思う。

 この週かろうじて、7日の午前中に行われた今年を締めくくる国連WFPのボランティアミーティングで、活動の感想を報告したことと、WFP日本事務所の大室直子さんのセネガルの話を拝聴し、今年1年の義務を果たせたこと。そして、知人から観賞の依頼を受けた展覧会に出向き、出品作品からほのぼのとした感動を受けたことが、後悔の色に染まりかけた今年の師走を救ってくれたことを追記しておきたい。それは今日やることがあることの効用であろう。ふさぎがちだった日々だっただけにその効用を有難く感じた。

 ほどほどの幸せの師が、今年の年末を狂走している気がしてならない。



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■「白内障手術前説明」                     平成25年12月8日

 今年の2月に白内障の宣告を受けたが、手術を受けることに逡巡して日を延ばしてきてしまった。でも最近とりわけ夜間の車の運転時に不都合を感じることが多くなってきたので、漸く踏ん切りをつけることとした。手術日は16日と決まった。4日に術前の説明があるとのことで呼び出された。

 新進気鋭の若手のドクターが開口一番、手術する右目の焦点は40-50センチが最適です。これでどうでしょう、と、承諾を求めてきた。一瞬何のことか戸惑い聞き返したが、同じことを繰り返えされた。小生の乏しい認識では、今までに手術を受けられたあまたの先輩方から経験談をお聞きしていたものだから、患者に焦点を遠くに合わせるのか近くに合わせるのかを聞き、患者の希望に沿って決めるものとばかり思っていた。そして、その希望は例外なく遠くに焦点を合わせており、術後の感想が良く見えすぎるようになり感動の極致を味わっている様を聞くにつけ、当然自分も遠くに焦点に合わせることを伝える積りだったのだ。

 だから、このお話を理解することができず、ドクターに執拗に食い下がり質問をぶっつけた。プロの目から見て最善の方法を提示したのにこの患者は何なんだろうと思ったに違いないが、患者を納得させるには、詳細な検査の結果をシュミュレーションして説明するしかないと思ったのか、明日また来るようにと指示を受けた。翌日は検査技師が、時間をかけて説明をしてくれ、小生の質問にも懇切丁寧に答えてくれた。

 お蔭ですっかり納得することができ、手術の承諾書にサインした。素人の耳学問による思い込みが、専門家を手こずらせた典型的な事例であろう。でも、ひとこと言い訳をさせていただければ、患者が一番気にしている点を聞き出し、患者の理解度に応じた平易な言葉で誤解を解いていただければ、こんなに頑なにはならなかったと思う。自身の理解力の低さを棚に上げて恥ずかしい限りだが、我が身に降りかかったことで、患者がインフォームド・コンセントをどれだけ頼りにしているかを思い知った。

 情報(経験者談やネットからの上っ面な知識)の入手が容易になった分、安易な自己診断に拍車がかかっているだけに、ドクターの負担も増しているに違いない。小生などはその典型的な患者なのであろう。

 妄想に駆られたこともあったが、今は100%納得している。師走の忙しい中、2日に亘って説明してくれたドクター、スタッフの方に感謝の気持ちを伝えたい。


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■「自治会&雑木&日体大野球部との合同作業」           平成25年12月1日

 恒例となった我が自治会と日体大さんとの合同清掃(草むしり、落ち葉拾い、側溝清掃など)がこの日実施された。年に2-3回居住区域内が接するお隣さんの日体大さんと町内の環境美化に取り組んでいる。毎回、当方からは自治会と雑木のメンバー20-30名と、日体大さんからは野球部のみなさん(1-2年生の寮生が主力)30-40名が参加して、境界領域道路、側溝などの大掃除に取り組んできているが、年齢による体力差や社会経験や知恵の差を見事にハーモナイズさせ、この取り組みの成果を高めている。

「自治会長と野球部リーダとの打ち合わせ」

 親子(ほとんどは孫)以上の年齢差がある世代との共同作業が、これほどぴったりと息が合い、活き活きとボランティアに打ち込めるのはそうざらにはないだろう。それは、日頃口うるさいジジイ達がここぞとばかりに好々爺を演じ、彼我の体力差を補って余りある懇切丁寧な清掃技術の指導を行うからである。その教授は的確で誠に微笑ましく、奥方殿はもとより野球部のコーチ殿さえ、これを知れば嫉妬されるに違いない。

「好々爺を演じようと企んでいる風景」

 もっとも団体生活をされている学生諸君が素直に聞き入れてくれているからであり、発揮される高邁な連帯意識に頭が下がる。周辺に植えられた木は1万本を超すようだが、そこから散った落ち葉は半端ではない。それを2時間ばかりで片づけられたのは、双方の意思が強く繋がっていた証であろう。彼らの純粋な若いエネルギーに触れることで、得られた心の奮い立ちは誠に大きい。落ち葉で一杯になったリヤカーを押しながら感謝の気持ちを呟いた。そして彼らの野球部が勝利の道を突っ走れるようエールを送った。

「双方の意思が強く繋がっていた証」



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■「区民交流センターまつり」                  平成25年11月23日

 この日、田奈駅前の青葉区民交流センターで「区民交流センターまつり」が開催された。今年は第9回目になるようだが、近間の田奈の「農業まつり」と連動していたので、たいへんにぎやかなまつりとなった。これに青葉国際交流ラウンジも国際交流支援の一環から参画しているので、我々ボランティアにとっても展示やブースの設置などで大わらわとなった。

 小生の属する国際児童画展事業部は、各国から届いた児童の絵画を展示用の台紙に貼り付け、会場の会議室に展示した。そのため絵画の選定と台紙への仮貼付を21日に行ったが、昨年使用の台紙は丸まっており、伸ばす作業に思いのほか手こずらされた。そして翌日に行った会議室に展示する作業は、慣れない高所作業にとどめを刺され大汗をかいてしまった。

「高所作業に大汗をかかされた展示会場」

 手作り手弁当の世界では、大汗をかかせられるのは当たり前なのかもしれない。そんな気構えに満ちた多くのボランティアの活動に心打たれる思いがした。高邁な理想を掲げた交流も、このような方たちの下働きがなければ進められないに違いない。その確かな実感を得るためにも、このグループでもう少し頑張っていこうと思う。

 23日は絶好のお天気に恵まれ、おまつりは大盛会となった。彼らの献身的な活動が天に届いた証であろう。 おまつりの風景はこちらからどうぞ


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■「言い訳を糺す農作業」                    平成25年11月17日

 今年の気候変動は従前の経験にない振れ方となっている。たった1か月前には30度を超す猛暑日だったのに、この1週間は真冬並みの寒さとなっている。30度を超す秋も、真冬並みの秋もどこか狂っている。この歳になって真夏からいきなり冬への適応はかなりきつい。春夏秋冬が順に巡る季節に応じた自然の営みに、変容を与えていないかと思わずにはいられない。

 やっと秋らしくなったこの日、友人の”松ちゃん”と畑の見回りに出かけた。思えば今年の作物の出来栄えは散々だった気がする。スイカは育たず、トウモロコシも未熟のまま終わった。トマトも胡瓜もいつもより収穫が大分落ちた。さらにブロッコリーは虫に食われて青息吐息の状態。かろうじて茄子が一人気を吐いてくれたが、気候変動に直撃された影響が出ている。

 晩秋になって植えた大根とキャベツ、玉ねぎに期待するしかないのだが、今日のところまだひ弱なまま。いい加減にしてほしいと思わずつぶやいたら、お隣の方から気候変動ばかりじゃないんじゃないのかと言われ、思わず絶句。自分らの取り組みを棚に上げてひたすら他を責める癖を見透かされてしまった。何とも恥ずかしく天候が一瞬正常に戻った晩秋の日差しの中で、農業がそんなに甘いもんではないことを改めて思い知らされ、反省しきりの見回りとなった。

 気候変動の異常さも、もとを糺せば弁解の余地もない。だから何かにこじつけた言い訳は封じなければならない。ひたすら正しく思う道を愚直に進むしかないのだと思う。来春の玉ねぎの収穫にその成果が試される。頑張らなきゃあ。



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■ 「横浜ジャズクルー交流会」                  平成25年11月13日

 この日、10月12日、13日に開催された「横濱Jazz Promenade 2013」の打ち上げが、横浜赤レンガ倉庫1号館3階ホールで挙行された。今年は過去最高の14万6千人のお客様が来場したとの報告に、会場は大いに盛り上がった。当日会場に駆け付けたクルーは300人余り。ジャズ好きが嵩じたものばかりの、繰り返す乾杯の声音は止まることがなかった。

「来年も赤レンガ倉庫で再会することを誓った」

 いろいろな場所で活動した仲間同士が一心同体となり、好きなジャズを語り、入れ込んで盛り上がっていく風景に語る言葉がない。ジャズに中毒してしまった依存症患者の誓いは、来年も必ずこのクルーに参加することなのである。だから今年ご一緒させていただいた我がチームは一人残らず、来年も赤レンガ倉庫で再会することを誓った。本当に素敵な仲間だと思う。

 来年はどれだけのお客様をお呼びできるのか、我々の誓いの強さにもかかっている。そう思っている仲間の誓いの強さがスウィングし会場全体に広がっていっているように見えた。ジャズ依存症患者の呟きはしばらく止めようもない。


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■青葉国際交流ラウンジ「国際児童画展」            平成25年11月11日

 横浜市青葉国際交流ラウンジ主催の第18回国際児童画展開催のため、9時半に横浜市民ギャラリーあざみ野に呼び出された。かねてよりこのボランティアに参加していたので、展示会場で作品の展示作業を依頼されたのだ。140点を超える作品を画鋲で衝立にとめていく作業はなかなかしんどくて3時間近くかかってしまった。

「第18回国際児童画展/あざみ野ギャラリにて」

 子供たちが心血を注いで描き上げたものばかりだから、丁寧に丁寧にと気を使った。そのせいか、作業終了後たいへん肩が凝ってしまったが、久しぶりに体を使う労働の快感と子供達へ尽くした清々しい気持ちを味わうことができた。ひょんなことからこのボランティアに参加することとなったが、思いもかけない喜びである。

 未経験の領域だが、新しいお仲間との会話にも興味を惹かれ始めてきた。腰を据えてこのボランティアを続けていかなければならない宿命にあるようだ。であれば気張っていくしかない。どなたか一緒にやりませんか?

  
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■あざみ野カレッジ「やまなみ物語」               平成25年11月4日

 10月26日から11月17日まで、横浜市民ギャラリーあざみ野で「スーパーピュア展2013」が開催されている。本展は障がいのあるアーティストの表現活動の今を伝える展覧会と紹介されており、滋賀県のやまなみ工房に通われている方たちの作品展覧会となっている。(展覧会の模様はこちらからどうぞ)

 この日の午後、このやまなみ工房で施設長をされている山下完和(まさと)氏の講演が、あざみ野カレッジで採りあげられたので拝聴しに行った。氏は「やまなみ物語ー福祉とアートの現場から」と題し、氏自作の絵本や工房内での活動風景やエピソード等の類を豊富な写真や映像を基に講演された。時流の中で、こういった福祉活動での教育・育成指導とか言ったいわゆるあるべき論を聞かされるのではないかと思っていたが、見事にはずされてしまった。

 それは、ここに通っている方たちの自由に活き活きと活動している笑顔や風景に、この工房の果たしている役割が垣間見え、深い感動を覚えたからである。きっとそれは人それぞれの個性・本質を尊重し、そして人間関係や信頼関係を大事にしながら、伸びやかに自分らしく生きることを目指そうとしているからに違いない。

 本福祉活動については、それぞれの機関がたいへん苦労されていることが推察される。やまなみもその一つに違いないが、その進め方に心が突かれた。心から応援をしてあげなければと思った。その証は展覧会で展示されている作品一つ一つににじみ出ていた。現物をぜひ見ていただきたいと思うが、ホームページ内で紹介されている作品だけでも見ていただければと思う。

 やまなみ工房はこちらからどうぞ


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■「横山大観展:良き師、良き友」                平成25年11月3日

 廃仏毀釈を進める時の流れに反抗し、日本古来の芸術を見直し復興に尽力した岡倉天心に師事し、近代日本画壇の基を築いていった横山大観に惹かれこの日横浜美術館に「横山大観展:良き師、良き友」を観に行った。

 とりわけ、岡倉天心が創設に関わった東京美術学校の校長職を追われた時に、師の目指す理想に共鳴した少数の仲間と共に学校を飛び出していった逸話に心打たれるものがあったので、興味津々の思いで門をくぐった。

 美術館の開催案内には"制作においては「朦朧体(もうろうたい)」を脱し、東洋趣味の水墨表現、大胆な色彩表現や構図、形態のデフォルメなどに取り組み、のびやかな明るさをもつ作品を生み出しました"とある。専門的なことはよくわからないが、天心の主張した世の東西や、古今を問わずいいところを学んで、新しいものを創造していこうとする意気込みを感じた。

 水墨画の屏風の前で、そして緑が鮮やに映える屏風の前で佇みその意図するところに思いを馳せた。高尚な意図ではない。その作品の前で動けなくなってしまったということだ。そこに美術に不案内なものさえを惹きつける何かがあるのだと思った。

 本展覧会は11月24日まで開催されている。ぜひ足を運ばれることをお勧めしたい、きっと目から鱗が落ちますよ。

 本展覧会についてはこちらからどうぞ。


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■国際親善を果たした雑木『横須賀ロマン紀行』          平成25年10月30日

 今年の2月に雑木の有志で鎌倉・江の島七福神巡りを行ったことを切っ掛けに、雑木『ロマン紀行』を続けることになった。アンチエージングを口先の達者さを図ることと勘違いし、運動不足が亢進してだぶつく腹となった輩には、まことにありがたい企画である。

 10月30日に第2回目が実施され、5人のメンバーが参加した。行先は横須賀。日露戦争の折、日本海海戦で勝利を収めた連合艦隊の旗艦「三笠」(記念艦として保存されている)を訪ね近代史を学ぶこと、そして、猿島を強行歩行で身体を苛めつつ島の由来や歴史遺産に思いを馳せること、さらに横須賀ならではの味(ネイビーバーガ、海軍カレー)を堪能することであった。

 日頃見知ったジジイ達だけなので、味気ないことを除けば、Kさんの計画は今回も完璧だった。のだが、ほんのちょっとした狂いが、想定を超えたロマン紀行となり筋書きを大幅に変えてしまった。まさか異国の、それもとても若い一人旅をしている女性と一緒に、親しく会話を楽しみながら終日横須賀を巡る筋書きになろうとは、想像することすら覚束ない。現実に起こったことは信じ難いことだったが、その展開にいくつかの偶然の重なりが起因していた。その巧みな仕掛けに見えざる「雑木の女神」の差配を感じないわけにはいかなかった。まさに「事実は想像より奇なり」である。

「日頃見知った味気ないジジイ達にちょっとした狂いが・・・」

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 そもそも事の発端は、行程の始まりだった横須賀中央駅から猿島に渡る港に直行する道を誤り、10分程度時間をロスしたため予定した便に乗船できなかったことにある。あまりの好天に、ジジイ達の方向感覚に一瞬狂いが生じ、道の選択を誤ったということだ。日頃、方向感覚には絶大なる自信を誇る輩にはあり得ないことなのだが、筋書き書き替えの1歩はここにあった。

 この為、次の便までの約1時間、戦艦『三笠』に立ち寄った。予定が逆になり、歴史を追認する時間を充分に取れず、心を残すこととなったが、この微妙な時間の経過こそが、彼の方との巡り合わせのために必要な時間だったのだ。筋書き書き替えの第2歩は、短過ぎても長過ぎても叶わない女神の仕掛けた絶妙な時間にあった。

「戦艦『三笠』を見学した時間が筋書き替えの第2歩となった」

 その絶妙な時間によってもたらされた乗船待ちの順番が、彼の方を隣合わせにさせる仕掛けであった。シャトル船には船室や甲板に席が設けられており、乗船の順に席は埋められていった。我々は甲板に設置されていた席に向かった。船の前方の突端に6人掛けの特別席が2列設置されており、順に詰め合わせ我々が2列目に席を占拠できたとき右端に1席空席が残った。そこに彼の方がお座りになったのだ。信じられない現実に目を疑った。どこに好き好んでジジイ達と席を同じにする乙女がいるか、まして異国の空の下で・・・。

 さらにさらに信じられないことが続いた。Sさんが恒例とし始めた儀式に着手し、持参したポケット瓶から琥珀色の飲物をお仲間に振舞った。この効用はあらたかで、口先周りを円滑にし会話を弾ませ旅を一層楽しませてくれる。振舞いは仲間内に限るのだが、Yさんが何を思ったか、隣り合わせたお客人に杯の一つを勧めてしまった。いくらなんでもそれはやり過ぎだろう、不興を買うと思った。ところが何と彼女は拒否もせず、にこやかに杯を挙げて仲間になってくれた証を「チアーズ」で示した。
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 信じられないことだと思うが、筋書きにはなかった異国の方との猿島散策や、菜食主義の彼女のために横須賀の街を徘徊し、探し当てたレストランでの会話は大いに弾み、国際交流に花を咲かせることができた。そして、互いに別れがたい気持ちに促され、ヴェルニー公園まで足を延ばし、散策を続けながら友好を確かめ合う素敵な時間を共有することができた。まさに「事実は想像より奇」であった。晩秋の夕日に照らされたジジイ達の顔には、その意外な結末に満足の笑みがこぼれていた。

「菜食主義の彼女のメニュー探しにてんやわんや・・・」

 もしも、道を誤っていなければ。もしも、乗船待ちの順番が狂っていたら。もしも、参加者が5名でなかったら。もしも、異国の方が琥珀色の飲物がお好きでなかったら。これらの一つでも崩れていたら、このようなロマンに満ちた紀行とはならなかったであろう。だから、この信じ難い精緻に仕掛けられた偶然に見えざる天啓の意図を感じてしまうのだ。それは、我々にもっと外に出て世間のお役に立たせようとの女神の思し召しなのかもしれない。であれば、楽しく雑木『ロマン紀行』を続けていくしかない。それが天啓の意図に沿うことなのだから。

「晩秋の夕日に照らされたジジイ達の顔には・・・」

 ちなみに、彼女は英国人。外国語青年招致事業(JET:The Japan Exchange and Teaching Programme)で招聘され、山形で3年間英語を教えてきたとのこと。気さくで好奇心旺盛、そして菜食主義を伝えたときに垣間見せた強い信念の持ち主、という印象を受けた。さらに日本に興味を持ち、日本を学ぼうとする貪欲な意欲が伝わりとても感激した。彼女の意欲に触発され、英国をもっと理解しなければと思った。

 翌日、彼女から日本語の素敵なメールが届いた。

こんばんは、
元気ですか?

写真をありがとうございます!昨日も、ありがとうございました。
横須賀の観光はとても楽しかった!

隠居さんたちに会ったことは、嬉しかった。
日本語を教えてくれた、ありがとうございました。
「石垣」を覚えよう!
いつかまた会いましょう。

アンバー


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■10月に集中した「国連WFP活動」                 平成25年10月27日

 この10月は、ボランティアが参画する国連WFPの広報、募金活動が集中した。どのような場所で活動しているのか、ご参考までにいくつか紹介しておきたいと思う。このうちのどこかで遭遇された方がおられたら、感想などをお聞かせいただければ幸いです。

■5日    グローバルフェスタ日比谷公園(日比谷公園)
■10日   横浜市老連大会(関内ホール)設立50周年記念横浜市老人クラブ大会
■16日   WFPエッセイコンテスト表彰式(国連大学)
■19-20日  アピタ長津田エコ博(アピタ長津田店)
■19-20日  横浜国際フェスタ(象の鼻パーク)
■24日   クラシック・クルーズ(横浜みなとみらいホール)
■27日   ハウスバーモンド・ファミリーウォーク神宮(神宮外苑)

「神宮に参集した前向きなお仲間」

 我々の活動は、世界の飢餓状況を知っていただくこと、そして支援にご協力をいただくことです。利他の気持ちがあれば、難しいことではないが、自利に惑わされると難しくなります。このボランティアに関係してから約2年、ようやくその本質がわかりかけてきた気がします。この10月は野暮用が立て込んだこともあって、19日のアピタ長津田エコ博と27日ハウスバーモンド・ファミリーウォーク神宮のイベントに参加しました。

 両日とも、前向きなお仲間に触発され、気持ちの良い活動ができました。ご苦労さんと声をかけ、募金を寄せて頂く方々に利他の気持ちが高揚され、気持ちの良い活動に一層拍車がかかりました。もっと続けなければと思いました。

 皆さんの中で、このような活動に興味をお持ちになられたようでしたら、是非お声をおかけしてください。一緒にやりませんか? お待ちしております。


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■「Z15というコードネームの基で」                平成25年10月22日

 昭和46-7年ごろ、会社の人事・労務関係の巨大EDPシステムの開発・構築・立ち上げを実行していた。本システムへの取り組みは他社に比べ比較的早い段階からなされ、昭和37-8年ごろには小型のコンピュータで運用をしていた。その後何度も更新を重ね、前記の年に当時の超大型機のコンピュータにグレードアップすることとなった。今までのコンピュータとは比較にならない大きさ、速さを誇る最新鋭機だったので、システム化する業務が増大したり、開発プロセスやオペレーションのやり方が何から何まで従来のやり方とは異なっていたため難渋を極めた。

 人事関係のシステムは、個人の情報管理に細心を払わなければならないため、システム開発に携わる主パートが人事関係者に限定されたことも難渋に拍車をかけたと思う。とにかく猛烈に忙しかった。会社に泊まり込み、プログラムを追い必死にバグつぶしをしたことなどが思い出される。オペレーション系業務のシステムと、マネジメント系業務のシステムの構築には2年間を費やしたが、どこに出しても恥ずかしくない、誇り高いシステムを構築したとの自負心があった。

 本システム取っ掛かりのコードネームはZ15(全社システムの人事月例系を意味する)、この旗の基に投入されたIT(当時はEDP)技術者は、昭和45,46年卒のピチピチした俊秀たちであった。彼らの絶大な支援がなければ開発は覚束なかったであろう。彼らと激論を重ね寝食を共にしながら、茨の道を辿って行ったことを昨日のように思うことがあるが、全員が定年を迎え爺さんの仲間に入ってしまったことに隔世の感がする。この日再会した写真を見ていてそんなことを次から次へと思い出した。

「Z15の旗印の基に参集した俊秀」

 確かな手ごたえのある仕事をしてきた仲間は、いつまでも離れられない定めに支配されているのかもしれない。最近は、定めを取仕切る幹事殿が年2回ほど会う機会を設定してくれるので、当時の辛さの検証がはかばかしくなってきたが、彼らの熱い心は少しも変わらず、何か新しいことの創造に向けた気概に満ち満ちている。後輩のために、社会のためにきっと何かを創造してくれるに違いない気概である。

 未だ青春の香りを漂わせるこの輩たちに刺激を受け、触発されることが定めのようである。であれば、これからも定めに沿って付き合っていかなければならない。


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■「今年の台風に振り回されて」                 平成25年10月20日

 今年は本当に台風の当たり年になってしまった、10月になっても直撃を受けている。16日伊豆大島を襲った26号は未曽有の被害をもたらした。以前に、この国の気候が確実に亜熱帯化してきている感想を漏らしたが、現実のこととして受け入れざるを得なくなってきたようだ。そんなことへの備えをしてきて来なかった村落から街並みに至るまで、生活の基盤を揺るがされる被害に恐々とするこの頃である。

 すでに、気候が変わってしまったのだから、経験したことのないことが起こってくるのは当然なのであって、過去との比較は意味がなくなってきているのでないか。であれば、変わってしまったことを前提とした災害対策に注力していかなければならないのであろう。町が水浸しになったり、街のあちらこちらで造成された住宅街の崖が崩れ落ちたり、都市交通がマヒしたりと従前とは比較にならない災害をもたらす自然の猛威から逃れられなくなってきているということであって、旧態依然とした台風一過、のど元過ぎればでは済まされないということである。

 原発問題への対応も、従来の気候感を拠りどころに進めていくことの危うさを示唆しているように思う。過去に経験したことのないことが起こってくるのだから。
 この日、楽しみにしていた計画が台風27号の影響で振り回され、その恨み・つらみが、つい愚痴になってしまったが、こういった問題にもっと関心を深めていかなければと思った。


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■「おじさんたちの嘆息」                    平成25年10月18日

 この日、銀座の小料理屋でお仲間と名物の穴子を肴に一献となった。美酒と味物と上品な語りで秋の夜長を愛でるには絶好の場所なのに、今夜も激論で秋の夜長を愛で損なってしまった。いい年を重ねたのだから今夜こそ上品な語らいを、と心に期して一献に臨んだはずなのに、あまりに腹立たしい浮世の出来事が、我々のその気を振り払ってしまったようだ。

 今夜も先輩の舌鋒は冴えにさえた。原発の事故処理対応や某鉄道の安全確保対応、異常気象への対応や情報の流し方、さらには、前のめりの形相を示し始めてきている国防問題や巨大債務処理の問題等々、手をこまねいてはいられない深刻な出来事ばかりだからである。加えて、世の報道関係からもうつつを抜かしたような体たらくを見せつけられると、正直じっとしていられなく、上品な語り口には程遠くなってしまうのだ。

 こんな先輩がいるうちに、何とかましな道を探し方向付けをしていかなければならないのだろう。我々の世代が果たすべき課題は山積している。おじさんたちが上品な語りに酔い、素敵な秋の夜長を愛でることができるのはいつのことになるやら、と嘆息で傾けた一献に気概の”こく”を感じた。当分はそんな夜長の愛で方が続くのであろう、それも悪くはない。

                                  
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■「横浜JAZZ PROMENADE 2013」                  平成25年10月13日

 今年で21回目を迎えた「横浜JAZZ PROMENADE 2013」が12日、13日の両日に亘って開催された。これに先立ち、9月27日、横浜にぎわい座・のげシャーレで「横濱JAZZ PROMENADE 2013を120%楽しもう! 柴田浩一ディレクターが語る今年の聴きどころ、見どころ」が開催された。今年の見どころを映像や音楽を交えて解説をいただいたので、初心者の自分には大変ありがたかった。どれもこれも見たい気を抑えがたかったが、ボランティアを行う時間帯はかなわないので、その時間帯を外したステージは必ず見ようとプログラムに朱の赤丸を付した。詳細はこちらからどうぞ。

そして、10月7日に横浜市開港記念会館で「横浜JAZZ PROMENADE 2013」のオールスタッフミーティングがあり、本番対応の説明を受けた。参加ボランティアは400名を超えており、横浜市民の根強い心意気を感じた。今年の小生には、赤レンガ倉庫1号館でホール・ホワイエスタッフがアサインされた。昨年までは、開港記念会館で受付関係を担当していたので、新規の役割を受け若干の戸惑いを感じたが、総括チーフAさんの丁寧な説明と、人柄に触れ懸念は雲散霧消した。

 12日、いよいよ本番。この日は汗ばむほど暑い日だったが、朝9時にスタッフ全員は赤レンガ倉庫1号館に集合。会場全体を巡り詳細な説明を受けたのち、各担当別の場所に控えスタンバイ。我々のメンバーは9人、本プロムナード支援経験の豊かな方ばかりだったが、本日初めてお会いする方ばかりなので、動き始めはぎこちなかったが、年長で一番経験の豊かなSさんの指導でチームは纏まっていった。記念写真を撮り始めたころには、打ち解け、最高のメンバーに恵まれたことを実感した。

「最高のメンバーに恵まれたことを実感」

 11:30会場、来客がどおっと押し寄せてきたが、お仲間の客さばきは手慣れたもので、会場への誘導、整理は完璧に遂行された。なおかつ、お客様へのホスピタリティも実に見事なものだった。これは、ジャズ愛好者がこうしてほしいと思うことが、ジャズ好きな我々には手に取るように分かるからかもしれない。こういった阿吽の呼吸、雰囲気はたまらなくいい。だから来年もという気にさせる。

 こういった来客、スタッフの気持ちの通った会場が盛り上がらないわけがない。もっともミュージシャンの力量のなすところには違いないが、ジャズを楽しむ最高の環境が整えられていることも大きな要素であろう。13日も前日同様会場の環境を一生懸命支え切った。この両日、まさに三位一体、一座建立が具現されていたと思う。今年も素敵なお仲間に巡り合えたことを感謝しなければならない。

 今年は、スタッフ業務を遂行しながら12日には、谷口英治(cl)NEWカルテット+1&キャロル山崎(vo)と鈴木勲(b)OMASOUND、13日には新澤健一郎(p)「イチョウ5重奏団」とTOWER STATIONの4ステージを聴くことができた。会場に気を配りながらではあったが、お客様とスイングしながら好きなジャズを堪能できたことは何よりのねぎらいとなった。

 そして、12日業務が終了した後、AさんとKさんと開港記念会館に行く道すがら、3人で象の鼻テラスによってビールを飲みかわし、ジャズ談義に花を咲かせた。このことは一生忘れないであろう。とても充実した至福の時間だったからである。さらに13日には、関内ホールで大橋巨泉親子のステージを見た。懐かしの声、歌に心から震えた。表に出ると、こんな思いに駆られたであろう缶バッジを付けた多くのファンに出会った。今年も横浜市街はスウィングの人波で溢れていた。
「横浜JAZZ PROMENADE 2013」はこちらからどうぞ。


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■「最近忙しかったこと」                    平成25年10月2日

 8月の後半から10月にかけてPCの立ち上げや、PC内写真の整理、アルバム作りに忙しく、HPの更新に手が回らなかった。もっともこの間、HPのネタにそぐわない小生の機微にかかわることが多かったからでもある。最近、HPを更新し始めたが、少し間を置いたため更新処理に手間がかかり過ぎ閉口している。何事も、毎日ちょっとずつやることの大事さを痛感しているところだ。

 ところで、小生をこのような状況に追い込んだのは、写真のアルバム作りで、音楽を載せCDに落とすことにのめり込ませ、夢中にさせてしまったからである。新しいPCに付随している写真編集ソフトを活用しようと四苦八苦を重ね、何枚かのCDをオジャンにしながらようやっとの思いで、孫のこの夏の思い出を作った。深夜、TVにかけビデオの再生からわが作品を眺め、なかなか良い出来と一人悦に入っていたところ、下の娘にけなされてしまいガックリ。

 それでもと気を取り戻し編集し続け、渾身の一枚を娘夫婦にプレゼントした。今のところ何も言ってこないのが気にかかるが、気に入ってくれているのだと独り合点し、次の作品制作に取り掛かった次第である。この作業はなかなか面白く、ひょっとするとまたHPの更新に影響が出るかもしれないが、嵌ってしまった作業は止められない。悩しい秋が続く。



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