■ 「もったいない」に想う                 平成24年2月2日

 昨年11月に、国連の食糧支援機関である「WFP(World Food Programme)」を知り、WFPを支援する民間協力の支援窓口である「国連WFP協会」でボランティア活動を始めた。飢餓と貧困の撲滅を使命として活動することを主目的としていて、今のところその活動に3回しか参加していないが、その中で感じたことを書き留めなければならないと思った。

 この機関の広報によれば、世界には全ての人に十分な食料があるにもかかわらず、現在世界ではおよそ7人に1人、計9億2,500万人が飢餓に苦しんでおり、その内、3億5,000万人以上の子供が飢えに苦しんでいるとのことである。こういった状況を全く知らなかったわけではないが、改めてその実体を知らされ、飢餓の原因の大部分に人間の業が絡んでいることを考えると愕然とする。

 飢餓の原因は、自然災害や紛争、貧困の連鎖である。近年、自然災害により被害が一層深刻化してきているようだが、人間の強欲がもたらしている乱開発・環境破壊が、影響していることは間違いないだろう。ましてや、紛争がもたらす飢餓は人間の業以外の何ものでもない。そしてこの貧困は連鎖し、9億もの人がこの業で苦しめられているのである。世界には全ての人に十分な食料があるにもかかわらずである。何か頬かむりしていないか、唖然とする思いに駆られたのである。

 わが国では、食品品質管理の一環で賞味期限、消費期限といった基準の下で如何に多くの食料品を廃棄していることか、最近の実体はよく分からないが、少し前まで知られていたことは、毎日ある時間が来るとコンビニだのス―パだのの弁当、パン、おにぎり、さらには我々の目が行き届かないところの食料品が山のように捨てられているという実態であった。さも先進・一流国の条件であるかの如く思い上がった風潮が、大多数の国民に支持されていたことである。そしてその規制に違反した生産者が、1億総攻撃の的にされ徹底的に血祭りにあげられたのは1度や2度ではない。そしてそのお先棒を天下のマスコミが嬉々として担ぎ1億の民を先導していたのが実態ではなかったか。

 生産者の中には、このような実態はおかしいと、貴重な食料が捨てられることに「真にもったいない」と考えた経営者が再生の方法を考え、多額の投資をして機械化し、今日売れ残った余りを明日の商品に再生しても問題ないようにしたものまでマスコミは徹底的にたたいたのである。勿論、規制を作りその法秩序のもとで社会システムを動かすことが近代社会の原則であれば、これに違反した生産者は咎を受けなければならないのは当然であるが、我々はその本質を単純な規制に惑わされ見失ってはいけないと思う。その規制に外れたものは本当に食べられないのかという本質的な疑問と対応にこそ焦点を当てるべきなのではないか。マスコミも大多数の日本人も違反したことにだけを徹底的にたたき、その後は知らぬ存ぜぬでは、どこか狂っているとしか言いようがないのである。

 付け加えれば、幾多の会合やパーティ、学校の給食等々で食いきれなかったあまたの食べ物が惜しげもなく捨てられているのにも、何の痛痒も感じず、マスコミがこれこそは一大事と掻き立て追求をした覚えもない。 以前から思っていた義墳が、WFPのボランティアに参加することで火が点いてしまった次第である。

 我が国でも戦前、戦後の一時期は正に飢餓と貧困の時代を過ごし、食べ物に関する価値観はどこよりも知っているはずなのにである。全く唖然としてしまう。恐らく我が国を神代の時代から数えれば創国3-4千年は経っているであろう。その間このように食べ物を粗末に扱ってきたことは一度もないと思うのである。3-4千年間連綿と継承してきた食への思い、精神(勿体ない、米粒一つひとつに感謝の気持ちを捧げる)が、戦後60数年で変わってしまったということかもしれない。この長大な歴史の遺産:我が国以外ではきちんと守られ通されてきている:を変えてしまった我々世代の罪は重く、歴史の中で処断されることであろう。

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