□「平成28(2016)年ブログ」NO.4  平成28年10月1日〜12月31日  「BGMエンブレム」
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  • ■「今年最後の忘年会」
    平成28年12月27日
    「今年最後の忘年会」
     今年最後の名所めぐりを「渋谷青の洞窟」に決め、この日何時ものお仲間と忘年会をした。メンバーの一人が急用で欠席となっため、2人で渋谷の小料理屋で今年の反省・総括をした後、イルミネーションで飾られた「渋谷青の洞窟」に出かけることにした。...続きを読む
  • ■「危機一髪事なきを得た忘れ物」
    平成28年12月12日
    「危機一髪事なきを得た忘れ物」
     毎週月曜日は、午前中某大学病院でボランティアをし、帰宅途中青葉台の本屋に立ち寄り、自宅で昼食をとった後、午後は、ジムに行って汗を流すことにしている。...続きを読む
  • ■「今時の餅つき」
    平成28年5月21日
    「今時の餅つき」
     この日、居住自治会主催の餅つきが開催された。年末の風物詩である餅つきを、自宅で臼と杵で行うことは、歴史の彼方へと追いやられたが、その文化・伝統を継続して繋いでいこうと各地で様々に工夫を凝らして取り組まれてきている。...続きを読む
  • ■「異国の方との浅草巡り」
    平成28年12月9日
    「異国の方との浅草巡り」
     この日、2年半ぶりに彼の異国の方との再会交流を果たすこととなった。このいきさつは、10月24日に本欄で掲載したで記したので...続きを読む
  • ■「痛恨の忘れ物」
    平成28年11月30日
    「痛恨の忘れ物」
     姉の見舞いで帰省し、この日予定していたことをすべて終え、明日帰るまでに少し時間があったので、この街の目抜き通りにあるデパートに立ち寄った。...続きを読む
  • ■ 「国連WFPハウスバーモント・ファミリーウオーク」
    平成28年11月20日
    「国連WFPハウスバーモント・ファミリーウオーク」
     今年も、毎年恒例となったハウスバーモント・ファミリーウオークに出展する国連WFPの広報、募金活動に参加した。主催者のお話によれば、天候に恵まれたこともあって、...続きを読む
  • ■「ヱビスビール記念館」
    平成28年11月17日
    「ヱビスビール記念館」
     いつものお仲間との美術館や、普段なかなか思いも付かない名所や施設巡りも回を重ね、今月は、ヱビスビール記念館を訪問した。山手線の恵比寿にあるこの記念館は、 ...続きを読む
  • ■「第1回ふるさと県民大会」
    平成28年11月12日
    「第1回ふるさと県民大会」
     10月上旬に高校同窓会関東支部の幹事を経由して、福井県庁から案内状が届いた。案内状には「本年度から、福井県出身者や福井県赴任経験者など、福井県にゆかりのある県外在住の方々を「ふるさと県民」ととらえ、...続きを読む
  • ■「番狂わせに思う」
    平成28年11月9日
    「番狂わせに思う」
     今年ほど、未だかつてないほどの予想を覆したことが起こった年も珍しいのではないか。と、この日のニュースが伝えている。言わずと知れた、某国の大統領選挙でT氏がほぼ確定したからである。...続きを読む
  • ■「最近気づいたこと」
    平成28年11月1日
    「最近気づいたこと」
     元々寝つきが良くないのに、最近は、夜中に目を覚ますことが多くなった。今までは、寝つきに時間は掛かるが、寝入ってしまえば朝方まで寝ていられたので、夜中に再寝する面倒なことはなかった。...続きを読む
  • ■「(続々々)異国の人との交流」
    平成28年10月24日
    「(続々々)異国の人との交流」
     ひょんなことから、Raleighinternational(ローリンインタナショナル)でボランティアをし始めた、異国の方(女性)との交流が続いている。...続きを読む
  • ■「ふるさと村秋の象徴」
    平成28年10月23日
    「低気圧の直撃を受けた帰省」
     横浜寺家ふるさと村の秋の象徴は、何といっても梨と柿であろう。10月も中旬を過ぎたこの日、散策がてら農園を見回すと熟れ急ぎに走らんとしている柿が目に留まった。...続きを読む
  • ■「東京スカイツリー」
    平成28年10月19日
    「東京スカイツリー」
     この日、いつものお仲間と東京スカイツリーに出かけた。この電波塔にはいつか行ってみたいと思っていたが、何時でも行けるという思いが勝りなかなか実現しなかった。...続きを読む
  • ■「赤子の笑みに惹かれて」
    平成28年10月18日
    「赤子の笑みに惹かれて」
     この日、昔会社の人事のEDP(IT)システムを開発したお仲間(9人参加)との懇談会があった。今日はオリンピックや豊洲の件について盛り上がり、いつもより1時間以上もオーバーとなった。...続きを読む
  • ■「アピタECO博での国連WFPの活動」
    平成28年10月16日
    「アピタECO博での国連WFPの活動」
     今年も、ユニー鰍フスーパー・ショッピングセンター「アピタ長津田」で行われる環境イベントに出展させて頂き、10月15日、16日に、国連WFPの活動を行うこととなった。...続きを読む
  • ■「横浜JazzPromenade2016」
    平成28年10月8日
    「横浜JazzPromenade2016」
     今年24回目となる「横濱JAZZ PROMENADE 2016」が10月8日、9日に開催された。毎年、「横濱の街全体をステージ」を合言葉に約50の会場で実施されてきており、...続きを読む
  • ■「収穫の秋」
    平成28年10月2日
    「収穫の秋」
     今年は、8月下旬ごろから続いている長雨に、猛暑の夏だったころの勢いが削がれ、むしろいつもの年より遅めの収穫の秋を迎えているようにみえる。...続きを読む

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  • ■「今年最後の忘年会」
    平成28年12月27日
  • 「渋谷青の洞窟」
    「渋谷青の洞窟」  平成28年12月27日撮影
     今年最後の名所めぐりを「渋谷青の洞窟」に決め、この日何時ものお仲間と忘年会をした。メンバーの一人が急用で欠席となっため、2人で渋谷の小料理屋で今年の反省・総括をした後、イルミネーションで飾られた「渋谷青の洞窟」に出かけることにした。久しぶりに出かけた渋谷の街は、若者があふれ活況を呈していた。

     そんな風景を見た後、先輩が熱く語りだした。今年、大きな番狂わせが起こったことの背景や、我が国の現状を憂うる発言に止まる気配を見せず、酒量を上げていった。街で活況を呈している若者たちは、一見恵まれていそうに見えるが、格差拡大に歯止めがかからず、砂上の楼閣、空元気にしか見えない。経済の回復が思うように進まない。審議不十分な法案があっさりと通ってしまう。我が国がいつか来た道に戻ってしまうのではないか。そんなようなことが感じ取れるからこそ、政治への期待も高まるのだが、一強多弱の世界からは、おごりの政策しか見えてこない。

     今年は憂い酒で年を越す羽目になってしまった。来年こそいい年にしていかなければならない。二人の意見はここに落ち着いたが、我々世代が後世のために何をしていくべきなのかが問われている。手始めにやることは、何処の誰を選び、そして何をやらせるかであろう。一日も早いその日の到来を待つことにした。

     酔い覚まし、憂い覚ましに「渋谷の青の洞窟」に出かけた。青白く光るLEDのランプが、雨に濡れそぼった渋谷の街並みを浮き立たせ、ぞくっとするほど美しかったが、ここでは、若者の活況は控えめで、今年の社会を象徴しているように見えた。赤色系の希望に満ちたランプで飾られるのはいつの日かと思いながら、年末の渋谷街を歩いた。

     今年も、本欄に立ち寄って頂き誠にありがとうございました。皆さん良いお年を。



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  • ■ 「危機一髪事なきを得た忘れ物」
    平成28年12月12日
  • 「危機一髪事なきを得た忘れ物」
     毎週月曜日は、午前中某大学病院でボランティアをし、帰宅途中青葉台の本屋に立ち寄り、自宅で昼食をとった後、午後は、ジムに行って汗を流すことにしている。定年後週の初めのけじめとして、ズボラに流れる怠惰な気持ちに心棒をかましておきたいとの念から決めたことである。だから、心棒に障るようなこのルーティン以外のことは極力避けるようにしている。

     こんな私的などうでもいい話を披露して恐縮の極みですが、このルーティンに馴染んでしまった加齢進行中の頭の反応が、思いもしなかった事件を引き起こしてしまった。誠に恥ずかしい限りですが、年の瀬の暇つぶしにでもなればと思い開陳する次第です。もしも、このことに同情、同感していただける方がおられれば望外に思います、ご一報いただければ幸いです。

     この日、ボランティア終了後、ある施設を見学したのち、利用契約について交渉するルーティン以外のことが一件入っていた。ボランティア開始直後から、交渉をイメージしながら動き回っている最中に、カミさんから急用で外出するから昼食は外でとってくれとの電話がきた。さらに、財布の中を見ると、諭吉先生も稲造先生も英世先生も出払っていたので銀行にも寄らなければならないことになった。

     ルーティン以外のことが、こんなに重なったことを近年経験したことがなかった。病院を出て青葉台に向かう電車の中でこれからの段取りを反芻した。初めに銀行に立ち寄ること、そして、昼食をとってから施設に行って交渉すること。実に単純なことだが、昼食に何を食べるか、どこの店に行くかで暫し頭は一杯になってしまった。ルーティンに慣れ切った加齢進行中の頭の反応がズレ始めた瞬間だった。

     銀行のCDで金銭を引き出している間も、昼食のお店のことを決めかねており、引き出し後外に出てお店を捜すことに集中しなければならなかった。ようやく見つけたお店に入り、食べたいものを見つけ注文した時に一安心したが、次の交渉に向けたイメージトレーニングを開始しなければならず、慌ただしい時が流れた。その時、我がスマホに見知らぬ先から電話が入った。

     胡散臭そうだったが、一応電話に出たところ機械音声の誘導の声が聞こえてきた。ループする音声誘導の最後のフレーズのようだったが、よく聞き取れなかったので無視して、次の施設に向かった。見学と交渉は首尾よく進んだので満足して帰宅した。ルーティン以外のことが重なった割には、我ながらうまくいったと、ひょいと財布の中を確かめた。

     本日引き出したはずの先生方の姿が何処にも見当たらない。引き落した銀行の明細だけがへばりついているだけ。そんなはずはなかろうと、ズボンのポケットや上着のポケットなどあらゆるところを捜したが見つからない。大した金額ではなかったが、焦りは頂点に達し大騒ぎを演じてしまう始末。余計なことを考えていたのでCDから、紙幣を取り出すのを忘れたに違いないが、いまとなってはどうしようもない、諦めるしかなかった。

     その時、カミさんが銀行にすぐに確認すべしと横から口を挟んできた。CDでは取り忘れ防止のために取り上げるまで大きなブザー音が鳴り響くので、きっと、案内担当の方が気付いているはずと言うのだ。早速ネットでその銀行の電話番号を調べた。何と、覚えのある番号が載っていた。先般スマホに入った電話番号と同じではないか(大きなブザー音に気付いた担当の方を通じて、銀行がわざわざ電話をくれたのだ)地獄で仏様に会った気がした。

     問い合わせをした結果、小生であることを確認したのち、抜き取り忘れた金額を口座に振り込んでおきましたからとの返答を頂いた。危機一髪で事なきを得、本当に良かった。少し前、福井駅で買い物を置き忘れてしまう苦い経験したばかりで注意をしていた積りなのに・・・。

     怠惰に流されないようにと、心棒にくさびを打ったつもりが、加齢進行中の頭がルーティンに慣れ切ると、とっさに入ったことに気を取られ、何か思いもしないことを忘れてしまうのかもしれない。現在の心境は、"To do the routine or not to do, that is the question"と言ったところだ。


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  • ■ 「今時の餅つき」
    平成28年12月11日
  • 「今時の餅つき」
    「孫とつきたての餅を頬張りながら・・・」
     この日、居住自治会主催の餅つきが開催された。年末の風物詩である餅つきを、自宅で臼と杵で行うことは、歴史の彼方へと追いやられたが、その文化・伝統を継続して繋いでいこうと各地域で様々に工夫を凝らして取り組まれてきている。我が居住の自治会もその趣旨に添い長年にわたり取り組んできている。

     ところが、今年になって取組み方が少し変わってきた。餅つきに関わる全ての方々は、手洗い消毒はもとより、マスクを着け手袋をはめなければいけなくなった。杵でつく方も臼でこねる方も手袋、そして千切って丸めるのも勿論手袋。昨今、餅つきでノロウイルスに感染し食中毒を起こしてきているから止むを得ない対応らしい。少々の雑菌には強かったと自負する世代は違和感を覚えるが、このウイルスの脅威にたじろぐしかない。

     今年に入ってから、このことで既に餅つきを廃止しているところが激増してきているようで、我が自治会でも対応について話し合いを重ねたらしい。幸い廃止にはしなかったが、健康の安全を優先とした対応を施すことで、継続することにこぎつけることができたとのことだ。

     参加した子供や孫たちの顔を見れば、続けられたことを了としなければならないが、日本伝統の行事が少しづつ変容していくのは何ともむなしい気持ちになる。無くしてしまったところでは、どんな思いが去来しているのか、他人事ながら気になってしまうのは、化石人間の独り善がりかもしれない。

     つきたてのおろし餅や、きなこ餅や、あんころ餅を頬張りながらそんなことを呟いたら、きょうび、除夜の鐘をつくことさえ中止に追い込まれているらしいとのうわさが耳に飛び込んできた。鐘の音がうるさいらしく激しく抗議を受けたからであるとのことだ。そういえば、当地域でも小正月に、ふるさと村のたんぼでどんど焼きをやっていた行事が、いつごろからか廃止になっていることに気付いた。煙やにおいに嫌悪感を持った方々の抗議を受けてのことだということらしい。

     昭和の御世から平成へ移り、日本のこういった伝統が変容したり、無くなっていくのに加速度が増していっている気がしてならない。昔、会社の上司から「不易流行」ということについて厳しく指導されたことがある。時代や環境の変化によって変えてはならないもの(本質)と、時代や環境の変化に敢て変えていかなければならないもの(本質を追求するための手段など)である。何を変えて、何を変えてはならないのか、今年の餅つきを見ながら昔の上司の言葉を噛みしめた。昨今、我々世代に問われている課題は多くなってきた。


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  • ■ 「異国の方との浅草巡り」
    平成28年12月9日
  • 「浅草浅草寺」
    「浅草浅草寺」
     この日、2年半ぶりに彼の異国の方との再会交流を果たすこととなった。このいきさつは、10月24日に本欄で掲載した「異国の方との交流」で記したのでご覧いただければ、ご理解いただけれると思うが、策定した受け入れ計画が、ジジイ達の独り善がりになっているのではないかと、当日会うまで気を揉んだ。

     11月25日に来日する直前まで、やり取りをし確認してきたはずなのに、来日した直後の彼女のFBには、当方が提案した浅草巡りの諸所の名所に行った後が窺われる記事が掲載されていたからである。当方の計画は、彼女の希望も取り入れ雷門⇒浅草寺⇒東京江戸博物館⇒墨田北斎館⇒東京スカイツリー⇒会食としており、江戸、東京の伝統的文化に触れて頂き、最後は、最先端建設技術を凝らしたスカイツリーに上って、近代東京の夜景の美しさを堪能してもらおうと思っていたのだ。

     お仲間から連絡があった彼女のFBの写真に、さすがに滅入ったが、今更変更も楽ではなく、当日会って彼女の意志を確かめてから、行先の変更等を考えることで衆議一決。早い話が行き当たりばったりでいいじゃないかという、ジジイ特有の状況変化優柔不断適応症候に勇気づけられ、当日10時に落ち合うことを約束した浅草雷門に向かった。

     小春日和の天気となった当日は、行楽には恵まれすぎるほどのお日和となった。外国の方々でごった返す雷門で、2年半ぶりに再会した彼女から、タンザニアでの体験もあってか一段とスマートで逞しい印象を受けた。久闊を序すのももどかしく早速、今日の予定を告げ彼女の意志を確認したところ、大変楽しみにしているとにこやかな笑顔が返ってきた。

     不安が杞憂であったことを知った瞬間、ジジイ達のおもてなす心に火が点いた。「人形焼きを食ったことあるかい?」、「せんべいはどうか?」、「粟おこしはどうか?」などなど、日本伝統のお菓子を食していただくことから、この日の浅草巡りは始まった。ちなみに、この3つのお菓子に日本伝統の味覚を感じて頂き、とても気に入ってくれたようだった。幸先のいいスタートとなったが、これらの説明を英語でやるのはなかなかの骨で、昨晩解説用のメモを作っておかなかったら四苦八苦していたに違いない。
  • 「人形焼き食ったことあるかい?」
    「人形焼き食ったことあるかい?」
     人形焼きで気をよくしたジジイ達は、次に浅草寺でのお参りの方法について、身の清め方からお賽銭の上げ方、お祈りの仕方まで懇切丁寧に教え上げ、無事に仏教徒の仕来たり通りお参りを成し遂げた。その成果がおみくじを引いた時に現れた。「中吉」を引いたのである。教えた方も、教えられた方も仏さまに認められた証と言えるかもしれない。彼女の喜びはひとしおのものとなった。
  • 「お寺のお参りの方法、身の清め方を伝授」
    「お寺のお参りの方法、身の清め方を伝授」
     仲見世を冷やかしながら続ける散策をとても喜んでいるように見えた。このようなショッピングモールは、ほかで経験したことがないらしく、食べ物も着物もおもちゃ類も何もかもが、目新しく興味深いものばかりでかつ、日本の伝統に浸れることが何よりもうれしい経験となったようだ。だから、散策に時間が掛かった。どこもかしこも混み合う中昼食場所を選ぶのは至難の業だったが、ようやく見つけた軽食店で彼女に合せベジタリアン・カレーライスをとり、慌ただしく午後の浅草巡りに備えた。

     午後一番は、電車を乗り継ぎ両国から東京江戸博物館にいった。狙いは江戸の文化を知ってもらうことだったので、常設展だけを見るつもりだったが、当日は、特別展として「戦国時代展」が開催されていた。どうするか迷ったが、彼女の雰囲気を察しままよと、特別展も見ることにした。ところが豈図(あにはか)らんや、彼女はこの戦国時代展に興味を持ったらしく、一つひとつの展覧物(書であったり、絵画であったり、道具類であったり)を丁寧に見始め、特に自分が以前に3年ほど山形にいたことがあったので、その関連する展示物の前でのはしゃぎようは尋常ではなかった。海外の一般方がそれも女性が、我が国の戦国時代のものに興味があるとは到底信じられなかったので、少々驚いた。

     この調子で行くと、常設展まですべて見終わるには、どれだけ時間が掛かるか心配になった。思った通り常設展の江戸の街並み等の展示物に嵌り込み、時間はどんどん落ちていった。後ろ髪を引かれる思いで先を急がせたが、本博物館を出たときには大幅に時間が遅れてしまい、次の墨田北斎館をパスせざるを得なくなった。
  • 「お江戸の街並みに嵌り込んでしまった」
    「お江戸の街並みに嵌り込んでしまった」
     徒歩で約2キロメートルほどの道を、次の東京スカイツリーに向け急いだ。初冬の日暮れもつるべ落とし、5時ちょっと前の暮れ始めたスカイツリーから見る東京の景色は絶景というしかなかった。この景色への共感は、万国を通じて同じなのだろう、展望デッキに居た観客(多くの外国人も日本人も)の感嘆の声が渦巻いていた。薄明るさの中にかすかに見えた富士山に感動する彼女の姿に、この日、この時間に、この場所に案内したことが誤りではなかったことを確認した一瞬であった。

     そんな折、彼女から全員に声がかかった。彼女の周りに集まった時、彼女はスマホに向かって喋っていた。そこには老夫婦が映りだされていた。(英国)ジャージー島に住む彼女の両親と実況中継を始めたのだ。画面に向かって我々を両親に紹介し始めた。突然のことで、How do you do! を絞り出すのがやっとだったが、彼女の両親と交流できたのは望外の喜びだった。我々を真摯な日本人、ひいては、彼女の友人として認めてくれたからこその、実況中継と言えたであろう。

     高所恐怖症の小生にとっては、窓際でのスナップやガラス張りの床(地上が透けて見える)でのスナップは、恐怖にすくみ冷汗三斗ものだったが、お仲間や彼女の顔に国際交流親善の笑みが見える。東京スカイツリーの粋な計らいに頭を下げるしかない。この下の階にあるソファーに座り込み、その感動の余韻を噛みしめながら、午後ずっと歩き通しだった疲れを癒した。勿論、我々が最初に知り合ったときに重要な役割を果たしたお薬(ウイスキー)を傾けたのはいうまでもない。
  • 「冷汗三斗のスカイツリーでのスナップ」
    「冷汗三斗のスカイツリーでのスナップ」
     今朝10時に会ってからすでに7時間半が経過していた。計画通りの浅草巡りにはならなかったが、彼女が再体験を希望していた18項目のうち、Tokyo Sky Tree, Temples, Srines, Omiyage shopsは我々でサポートできた。加えれば、彼女の念頭になかった「人形焼き」「せんべい」「粟おこし」「お寺参りの方法」「おみくじ」「日本伝統の文化を展示する博物館」等々、新たな体験をサポートできたのは望外のことであった。さて、これからが今日の締めくくりである。

     お仲間が予約した浅草の小料理屋で、ご希望のTempuraはもちろん「豆腐・湯葉」をはじめ東京浅草伝統のベジタリアン料理を味わっていただきながら、日本滞在最後の日となった今宵の懇談に花を咲かせた。片言の会話ではあったが、ひと言一言に厚い友情が満ち溢れ、交流は高まり大いに盛り上がった。お互いがこれほど饒舌になろうとは・・・、日本酒の効き目は絶大であった。スカイツリーで一休みした時、彼女が「日本酒がとても好きになった」と、ふっと漏らした一言をジジイ達は聞き逃さなかったのだ。
  • 「本日の締めを浅草の小料理屋で」
    「本日の締めを浅草の小料理屋で」
     彼女の言葉を借りれば、一見「エンドレスに出てくる日本酒」とおいしい日本の食べ物とそして、楽しい会話(これは小生の勝手な思い込み)に満喫し、去り難い思いに駆られたようだ。日本酒の効用について一家言を持つジジイ達ならではのおもてなしと言えるであろう。こんなに盛り上がったのは日本酒のせいだったかもしれないが、この3年間で彼女と胸襟を開いて交流できる間柄になったことに尽きている。だから、我々もこの場を離れがたく、いつまでも話し合っていたかった。
  • 「初冬の夜の帳が落ちた浅草寺に戻り・・・」
    「初冬の夜の帳が落ちた浅草寺に戻り・・・」
     初冬の夜の帳が落ちた浅草寺の前に戻り、これからも友情を繋げていくことを約束し、浅草巡りを締めくくった。赤々とライトアップされた浅草寺の山門から、また一緒に訪ねてくるようにと言われている気がした。
  • 「ライトアップされた浅草寺の山門から・・・・」
    「ライトアップされた浅草寺の山門から・・・」
     彼女のFBに今回の浅草巡りの感想が載った。彼女の思いが透けて見えてくる。
    My last day in Japan, and it was pretty wonderful - hanging out with my friends the 'Inkyo-san', who took me on a packed sightseeing tour of Senso-ji, the Tokyo Edo museum and up the Sky Tree for a fantastic view of the city lights below. All topped off with lots of tasty food and a seemingly endless supply of nihonshuu. Totally don't want to leave, but at the same time it's really good to know I've got so much to come back for.


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  • ■ 「痛恨の忘れ物」
    平成28年11月30日
  • 「越前和紙に描かれた日本伝統の絵画」
    「越前和紙に描かれた日本伝統の絵画」
     姉を見舞うため帰省していたが、見舞を終え帰るまでに少し時間があったので、この街の目抜き通りにあるデパートに立ち寄った。このデパートは名称は変わったものの、小生の子供の頃から存在する老舗のデパートであり、母親に連れていってもらうのがとても楽しみな所だったので、懐かしさが込み上げた。

     懐かしい思い出に曳かれながら、一通り廻り終えた後に3階のある売り場に目が留まった。そこには、越前和紙に日本の伝統文化(中世の雅な宮廷絵や浮世絵など)が描かれたプリント画(アート作品)が展示されていた。目が留まったのは、つい先日本欄で「異国の方との交流」を掲載したところだが、12月9日にその方と東京で再会することになっているので、日本のお土産品をあれこれ思案していたからである。

     今までのやり取りから彼の方が、日本伝統の和紙に日本の伝統文化が描かれているこの画を気に入らないわけがない、との思いを確信したくそこの店主にその画のことを聞いてみた。冷静に考えれば、買わんとする者の気持ちを逆なでまでして店主が推薦しないわけがなく、この画が異国の方に絶大な人気があることを力説した。

     小生の最も思い出深いデパートで、我が故郷の誇る越前和紙に描かれた日本伝統の絵画を見付けることができたことに不思議な巡り合わせを感じないわけにはいかなかった。何かのお導きだったに違いない。彼の方にお渡しした時の喜びの表情が浮かび、昂ぶる感情のままそのお品を買い求めた。

     翌日、帰りの特急電車が福井駅を出て一つ目の駅「鯖江」を過ぎた頃、昨日求めたあのお土産品がないことに気付いた。何処を捜してもない。和紙製品なので折り畳みができず、丸い筒状に包装してもらったのだが、長すぎてバッグには収納できなかったので、わざわざ手持ちにして運んできたはずなのに・・・。

     あまりの落胆に、乗り換えた新幹線の中で駅弁を食したがのどを通らずがっくり。としたときに、福井駅構内の弁当屋で駅弁を買い、支払のやり取りの際そのお土産品を手放したことや、コンビニで買ったお茶やスナック類を、駅構内のベンチでバッグに詰め直している際にも手放したことを思い出した。

     きっと、駅構内で忘れたに違いない。そう思い、帰宅後駅の拾得物係に電話で確認したが、そのような拾得物の届け出はないと言われ、一縷の望みも経たれてしまった。近年、思い出せないことがたびたび起こり、歳を感じることが多くなったが、このような忘れ物をしたことはない。今まではバッグ一つで行き来していたので、それに慣れ過ぎた加齢進行中の頭は、いつもと違う手荷物を持つことが加わったことに反応が遅れ、暫し加わった動作の忘却を引き起こしたのかもしれない。

     もっとも、お土産を買ったこと自体を忘れてしまったら、落胆せずに済むのかもしれないが、そこまでに到達する「覚・忘のまだらな期間」に悩まされるに違いない。覚えていたり、忘れてしまったり、神の課す試練にどのように耐えていくのか、そのとば口に入ったことを思い知った。今回は、不思議な巡り合わせの喜びもぬか喜びになってしまったが、これからは、このようなことを、たびたび経験するに違いない。


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  • ■「国連WFPハウスバーモント・ファミリーウオーク」
    平成28年11月20日
  • 「国連WFPハウスバーモント・ファミリーウオーク」
     今年も、毎年恒例となったハウスバーモント・ファミリーウオークに出展する国連WFPの広報、募金活動に参加した。主催者のお話によれば、天候に恵まれたこともあって、今年の参加者は3,000名を超えていたようだ。ブースに立ち寄って話し掛けてこられたある親子は、大阪から来たとのことだったので、本大会は全国規模になってきている印象を受けた。

     我々の今日の主な任務は、世界の飢餓状況を知っていただくこと、そしてその支援を推進しているWFPの活動を知っていただくこと、その上で、皆様方から温かいご支援を頂くための具体的活動:レッドカップキャンペーン、世界食料デー(10/16)、及び世界食料デーキャンペーン(10月-12月)を通じた募金、ファンドレーズである。

     こういった場でのボランティア活動を通じて何時も思うことだが、広報にしても募金活動にしても、大変タフな活動だということである。清い行動であるから誰もが同意、支援してくれるはずだとの、独りよがりの思いに駆られやすく、訪問者の気持ちとすれ違うことが多いからである。多様な考えや思いが錯綜する中に、本活動の趣意を伝え同意を得え、さらに温かい支援の手を差し伸べて頂くことは、決して楽なことではない。

     勿論そのことは、自己の能力の問題だったり、当日の身体のコンディションにより左右されるが、何といってもその場の環境(天候、活動の場所、ボランティアの組み合わせ等々)によることも大きい。幸い、この日の環境は天候と言い場所と言い申し分なく、そして、最高のお仲間に恵まれたことで、例年にない大きな成果を上げることができた。

     こんな日は、本当にボランティア冥利に尽きる。朝7:30に現地入りして16時ごろまで、ほぼ終日動き回るとさすがに疲れ果てたが、お仲間たちと分かち合えた喜びの大きさに、疲れは吹き飛んだ。こんな活動が続けられることを願い、来年も参加しなければなるまいと、帰途の銀杏満開の並木通りを歩きながら思った。
  • 「満開の神宮の銀杏並木」              撮影 平成28年11月20日
    「満開の銀杏並木」


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  • ■ 「ヱビスビール記念館」
    平成28年11月17日
  • 「ヱビスビール記念館」
    「ヱビスビール記念館」
     いつものお仲間との美術館や、普段なかなか思いも付かない名所や施設巡りも回を重ね、今月は、ヱビスビール記念館を訪問した。山手線の恵比寿にあるこの記念館は、サッポロホールディングスの前身、日本麦酒醸造会社が1899年に現・目黒区三田にビール醸造所を建設し、1890年に「恵比寿ビール」を醸造するなど、1986年に千葉工場へ移転するまで、ビール醸造工場の一大拠点であったところである。今では、超高層オフィスビルや商業・飲食施設などが集まる複合施設「恵比寿ガーデンプレイス」として、東京の新名所として注目を集めている。

     噂には聞いていたが、こんなおしゃれな場所には気が引けてしまい、縁遠い所としか思っていなかった。お仲間の誘いがなければ(お仲間と徒党を組まなければ)行くことはなかったであろう。だから、縁遠かったおしゃれな街に踏み出し、「ヱビスビール記念館」に立ち寄れたことは、勿怪の幸いであった。記念館では、洗練された案内の方に説明を頂きながら、約20分のガイドツアーをした後、コミュニュケーションステージで2種類のヱビスをテイスティングした。

     説明も雰囲気も申し分なく、とりわけテイスティングしたビールの美味さは格別だった。地名の「恵比寿」が「恵比寿ビール」からきていることもあって、この会社の地域への貢献、思い入れがこの記念館から透けて見え、ツアー参加者達には好評を博していた。
  • 「恵比寿ガーデンプレイス」
    「恵比寿ガーデンプレイス」
     雰囲気とテイスティングに酔わされ、改めて眺める恵比寿ガーデンプレイスは、更に美しくおしゃれに磨きがかかったように見えた。この周辺で展開されるイルミネーション(Baccarat ETERNAL LIGHTS -歓びのかたち-、や、コロプラキャナルウォーク 〜恵比寿にゆらめく青の運河〜など)は、これからが本番を迎えようとしている。おしゃれで幻想的な雰囲気に浸れるのはこの時期しかない。自ら行くのに気がひける方は、徒党を組んででも足を運ばれることをお勧めしたい。
  • 「恵比寿ガーデンプレイス」
    「恵比寿ガーデンプレイス」
     おしゃれで幻想的な雰囲気は、人の心を和ませ、精神を豊かにするものらしい。その効用を倍加させたいとお思いでしたら、はじめに、ヱビスツアーで雰囲気とテイスティングに酔わされ、感性を高めておくことが望ましいように思ったがどうだろう? ちなみにツアー費用は1コイン(500円)でした。


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  • ■ 「第1回ふるさと県民大会」
    平成28年11月12日
  • 「開始30分も前というのに・・・」
    「開始30分も前というのに・・・」
     10月上旬に高校同窓会関東支部の幹事を経由して、福井県庁から案内状が届いた。案内状には「本年度から、福井県出身者や福井県赴任経験者など、福井県にゆかりのある県外在住の方々を「ふるさと県民」ととらえ、ふるさと県民を増やす政策を実施を進めています。ふるさと県民と本県とのつながりをより一層強化するとともに、県外における「ふくい創生」実現に向けた機運を醸成するため、ふるさと県民大会を開催します。ふるってご参加ください」とあった。

     ふるさとの幼友達に恵まれたせいであろう、歳を重ねるごとに、故郷への思いがひとしお強くなってきていることもあって、この日(12日)ホテル椿山荘東京で開催された第1回目のふるさと県民大会に参加した。当日は、関東各地から800名が参集し、郷土から駆けつけてきた、知事や、実業関係者、並びに県出身者で著名な活躍をされている方々との交流が盛大に行われた。

     知事の挨拶には、「幸福度日本一」に3度も輝く実績を踏まえた、ふるさと創生の熱意があふれており、県外に住む我々に一層の応援・支援を依頼するものであった。人口減少が進み、各地方でこういう取り組みがなされているのであろう。各県の産業(農工業、観光サービス等々)再生、拡充に知恵が試されている時代になっていることを改めて実感させられた。

     今回、恩返しにでもなればと思い些少だが「ふるさと納税」をした。ちなみに他県に先駆け本枠組みを作ったのは、福井県だったことを初めて聞いた。さらに言えば、お米のコシヒカリも福井で開発されたそうだ。そんなこんな自慢話が結構あるが、世の中ではあまり知られていない。また、近代日本を動かした偉人達も輩出しているが大いに宣伝してきたわけではないから、歴史の陰にうずもれている印象を受ける。

     俺がおれがとしゃしゃり出る性格ではなく、引っ込み思案で控えめな県民性の上に、宣伝下手だからこういうことになるのであろう。こういった視点にメスを入れ、おらが郷土の自慢できることをもっと広く知ってもらわなければ、ふるさと創生には繋がらないに違いない。
  • 「ふるさとのマスコットと」
    「ふるさとのマスコットと」
     そんなことを、集まった県人たちと話を交わしながら、このふるさと県民大会を堪能した。最後に「五木某」という有名な演歌歌手(福井県出身)が、軽妙洒脱なトークを交え、故郷の川を題名にした歌を歌い上げてお開きとなった。本当にふるさとは遠きにありて思ふものである。この思いが続く限りふるさと支援を続けたい。

     ちなみに、知られざる福井の一面を紹介します。お暇な折にご覧ください。
     1. 福井が舞台の「大河ドラマ」→「福井の幕末明治 歴史秘話」は こちらから
     2.「福井の名所」はこちらから
     3.「福井の特産品」はこちらから


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  • ■ 「番狂わせに思う」
    平成28年11月9日
  • 「番狂わせに思う」
     今年ほど、未だかつてないほどの予想を覆したことが起こった年も珍しいのではないか。と、この日のニュースが伝えている。言わずと知れた、某国の大統領選挙でT氏がほぼ確定したからである。この1年、この選挙の予想を聞くとはなしに聞いていたのだが、何処もがと言っていいほど、彼の勝利を伝える報道には触れなかった。我が国では、そう信じ込まされていたからこそ、確定した時から激震が走っている。

     これと似た状況が、今年の6月23日にも欧州で起こった。Brexitというらしいが欧州某国のEU離脱の是非につき行われた国民投票にからんで生まれた言葉で、番狂わせの象徴となってしまった感がする。ウイキペディアによれば、「番狂わせ(ばんくるわせ)とは、予期せぬ事態により物事が順序どおりに進まなくなること、またはスポーツの試合などにおいて戦力や過去の実績で上回る競技者や競技チームに対して格下と見なされる側が、事前の予想を覆して勝利することを指す言葉である。時には「奇跡」とまで表現されることもある」。となっている。

     こんな大きな番狂わせが、続けて起こった今年は、本当に珍しい年なのであろう。だから、識者も報道関係者も見通しが狂ったことの言い訳や、反省に躍起となっており、喧しいまでの論争を巻き起こしている。そして揚句に、こういった状況が起こるのには、既に底流に現状の常識ではキャッチできない兆候が流れていたのだと、したり顔で解説しているのに接すると、何と理解していいのか戸惑ってしまう。それ前までは、あれほどにまで逆のことを煽りたてていたのだから。

     何か潮流が大きく変わろうとするときには、こんな番狂わせが起こるのだと思う。こんな節目に立ち会ったとき、惑わされずに、自分自身で底流の流れをしっかり見極めるしかないが、凡人には極めて厄介なことである。欧州辺りでは、番狂わせは、これからが本番ということでもあるらしい。ただ、潮流が大きく変わりそうな兆候が出てきたことから言えば、番狂わせとは言えないのかもしれないが、その波及するインパクトを受け、我が国がいつか来た道に逆戻りしないかとということについてだけは、目を光らせておきたいと思う。


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  • ■ 「最近気づいたこと」
    平成28年11月1日
  • 「最近気づいたこと」
     元々寝つきが良くないのに、最近は、夜中に目を覚ますことが多くなった。今までは、寝つきに時間は掛かるが、寝入ってしまえば朝方まで寝ていられたので、夜中に再寝する面倒なことはなかった。今は、早く寝ようが遅く寝ようが、午前3時か3時半ごろになると、決まって尿意を催し、我慢できずに目が覚めてしまうのだ。

     飲み過ぎているわけでもないし、キャパシティが小さくなったわけでもないのになぁと思いつつ、目覚めたらすぐにトイレに駆け込み、出してしまった後は、何も考えないで眠気が覚めないうちに早く再寝に入る。寝入りに苦労する者の苦心の習慣といえよう。最近、この習慣にすっかり馴染んでしまった。

     馴染み始めてからしばらくたった頃、目が覚めたとき玄関口で「ことっ」と小さな音が聞こえてくることに気付いた。気にはなったが、寝入り苦労人であるだけに、小さな音なんぞに関わって習慣を無視することはできない相談だった。ところが数日前、ちょうど出し終えてすっきりした時にこの音が聞こえたものだから、頭が冴えわたってしまい再寝どころではなくなってしまった。

     その音の正体を確認しようと玄関口に行った時、目に飛び込んだのは朝刊だった。それには、雨粒が付いたビニールのカバーがかけてあった。時計を見ると午前3時10分。まさかこんな時間に朝刊を配達するなんてと、とても信じがたかった。小生の頭の中では、朝刊の配達は明け方ごろ、5時ごろが相場だと信じていたからだ。だからその日以降毎夜中チェックしてみたところ、毎日3時から3時半の間に配達されていることがわかった。

     こんなに早くから、配達していただいていることに頭が下がった。しかも雨が降った時には、ビニールのカバーまでしてくれていることに感謝するしかない。今まで気づかなかったことを大いに恥じ入った。年をとり、夜中に目が覚めるようになったから気付いたことで、そうでなければ気付かないままだったに違いない。年をとったことで、知らなかった埋もれた聖なる仕事があることを知ったことは収穫だが、年をとらなくても、こういった隠れた仕事があることを知る努力も必要なのではないか、再寝の寝床の中で思った。

     ところで、皆さん方のところの朝刊は何時に配達されているのでしょう?


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  • ■ 「(続々々)異国の人との交流」
    平成28年10月24日
  • 「Post Boxの中身」
    「Post Boxの中身」
     ひょんなことから、Raleighinternational(ローリンインタナショナル)でボランティアをし始めた、異国の方(女性)との交流が続いている。そもそものなれそめは、平成25年10月に、日頃懇意にしているお仲間4人と横須賀の猿島にハイキングに行った折、シャトルの船上で偶然に出くわし意気投合したことに発する。※そもそものなれそめは、 こちらを参照してください。

     英会話もろくにできないジジイ達が、意気投合したこと事態信じられないことであり、交流を続けさせようとする不思議な意図を感じないわけにはいかない。彼の方は一旦帰国したが、翌年再来日し横濱で再会を果たすやら、その後数回にわたり手紙や、メールでのやり取りが続いている。こんなことをどう表現すればいいのか、不思議な意図というしかないだろう。 ※その後の、やり取りの記事は、
      「異国の方との不思議なご縁(H26.4.22)」はこちらを
      「異国の方との交流(H28.1.13)」はこちらを
      「(続)異国の方との交流(H28.1.25)」はこちらを
      「(続々)異国の方との交流(H28.6.2)」はこちらを参照してください。

     彼女はその後、Raleighinternationalでボランティア活動をし始め、今年の1月から3-4か月タンザニアに滞在して、開発途上国への支援を行ってきたことを、手紙で知らせてきた。当方からも、タンザニアに向けて激励の手紙を差し上げたが、郵便事情が悪く相当遅れ、帰国後に回送され読んだとの返信も届き、この不思議な縁が続いていることを嬉しく思った。

     そして今般、掲載のPost Boxが届いた。箱の中には現況を知らせる手紙と、英国のスナック類が入っていた。これは、彼女がタンザニアに行くとき、こちらから差しいれた横浜のお菓子などの返礼なのかもしれないが、本当は、タンザニアのKangaと呼ばれている伝統的な織物を送りたかったらしい。郵便で送るには重すぎて高くなるので、持参するようなことを言っている。

     彼女は、いまVSOで : Voluntary Service Overseas.※参考【VSOの概要】、働き始めたことや、11月末から12月に上旬にかけて来日することを併せて連絡してきた。我々との再会ができることをとても楽しみにしていることも書かれている。ジジイ達は張り切らないわけにはいかない。計画を彼女にメールで知らせたところである。

     彼女との再会で、今回もアグレッシブに世界を股にかけ、飛び回る彼女の姿勢に触発されることであろう。ドメスティックにしか生きてきていないジジイ達には、何よりの楽しみである。Post Boxの中身に、交流を持続させようとする女神の思し召しが感じられてならない。

     ちなみに彼女は、日本の温泉、お寺、旅館、コンビニ、スカイツリー、カラオケ、そして、てんぷら、お好み焼き、おにぎり、餅等などを経験したいといってきている。計画が彼女に気に入っていただければと願うばかりである。



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  • ■ 「ふるさと村秋の象徴」
    平成28年10月23日
  • 「熟れ急ぐ柿の実」 平成28年10月21日撮影
    「熟れ急ぐ柿の実」
     横浜寺家ふるさと村の秋の象徴は、何といっても梨と柿であろう。10月も中旬を過ぎたこの日、散策がてら農園を見回すと熟れ急ぎに走らんとしている柿が目に留まった。この頃になると梨はすでに収穫を終えていたが、柿は、まだこれからが本番とばかり頑張っているように見えた。

     だが、いつもの年とちょっと様子が違う気がした。いつもはこの頃には収穫も進み、盛りが過ぎているように見えるが、 今年は、日照時間が極端に短かかったせいか、盛りの時期が遅れているのではないかと思う。急に寒くなってきたこともあって、この辺は既に晩秋の気配すら漂い始めている。本能的に柿が熟れ急ごうとしているのではないか、と邪推を逞しくした次第である。

     生まれてから刷り込まれてきた季節感が、知らず知らずのうちに変えられてきている気がしてならない。そんな思いがよぎったとき、傍らでコスモスの花が、この時期を象徴するように咲き誇っていた。今ならまだ何とかなる証かもしれない。この花が咲き急ぎ始めたら、取り返しのつかないところに来てしまうに違いない。何とかしなければなるまい。エネルギー消費を減らすことにフォーカスし、小さな一歩かもしれないが、今以上に節電に心掛けることを、深まりつつある秋に誓った。

  • 「満開のコスモスに・・・」 平成28年10月23日撮影
    「満開のコスモスに・・・」
     コスモスの花が、この時期を象徴するように咲き誇っていた。今ならまだ何とかなる証かもしれない。この花が咲き急ぎ始めたら、取り返しのつかないところに来てしまうに違いない。


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  • ■ 「東京スカイツリー」
    平成28年10月19日
  • 「東京スカイツリー」
    「東京スカイツリー」
     この日、いつものお仲間と東京スカイツリーに出かけた。この電波塔にはいつか行ってみたいと思っていたが、何時でも行けるという思いが勝りなかなか実現しなかった。開業してからもう4年半も経っており、改めて「歳月人を待たず」を実感させられた。

     行ってみて驚いた。駅舎(押上)の構えや塔周辺の環境、塔内ショッピングモール(ソラマチ)、展望台などどれも機能美を備え、充実した観光拠点の印象を受けたからだ。塔のエレベータホール(入場口)は思ったより広く、案内の方に一々聞かないと進めなく、お上りさんを演じてしまうほどだった。

     地上350mのところにある天望デッキから眺める景色は、都会のビル群の中から抜きんでた高さからの眺望になるので、山から見る景色とは異なり圧倒される。当日は小雨、曇り模様の天候だったので、遠くまでは見えず残念だったが、登った甲斐はあった。もっと上方(地上450m)に天望回廊があったが、当日は天望デッキに止めた。個人的には、猛烈な高所恐怖症なのでここまでが限界。お仲間の望みを削いでしまったかも知れなかったが、許してもらうしかなかった。

     訪れる客が多くて、展望チケットの入手に1時間以上かかることもあるらしい。当日は平日だったからかもしれないが、外国人訪問者が目立ち、デッキでは3割を超えていたように思う。一大観光拠点となって、人が多く来てくれることは御同慶至りだが、周辺地域(地域の商店街など)が、潤いの分配に与れているのかどうかちょっと気になった。この展望台を中核とした周辺、ビル内の売り場が充実しすぎていて、ほとんどの消費がこの中で済んでしまうのではないかと思ったからである。

     独り勝ちより、共生してともに発展していくことが大事ではないか。高所恐怖症に駆られながら余計なお節介が頭をよぎった。
  • 「天望デッキからの眺望」
    「天望デッキからの眺望」
     地上350mのところにある天望デッキから眺める景色は、都会のビル群の中から抜きんでた高さからの眺望になるので、山から見る景色とは異なり圧倒される。当日は小雨、曇り模様の天候だったので、遠くまでは見えず残念だったが、個人的には、猛烈な高所恐怖症なのでここまでが限界。


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  • ■ 「赤子の笑みに惹かれて」
    平成28年10月18日
  • 「赤子の笑みに惹かれて」
     この日、昔会社の人事のEDP(IT)システムを開発したお仲間(9人参加)との懇談会があった。 今日はオリンピックや豊洲の件について盛り上がり、いつもより1時間以上もオーバーとなった。東京住いのものには切実な問題に違いなく、正義感むき出しの議論に熱が入りその分酒量も大いに上がった。

     まだ午後9時ごろだったが、2次会をやる元気はとっくになくなっているので、田町の駅でお仲間たちと別れ、途中まで帰る方向が同じのM君と山手線に乗った。幸いにして3人掛けの真ん中の席が空いていた。M君が気を使って小生に席を勧めてくれたのでご厚意に甘え、酔った身体を席に埋めた。席の右隣は会社勤めらしい若い女性が、スマホを一心不乱に見入っていた。そして左隣りは男の赤ちゃんを前に抱えた若いお母さんが子供をあやしていた。

     座って、前に立つM君と話し始めてから間もなく、隣の赤ちゃんからじーっと見つめられているのに気付いた。さぞや酒臭いジジイに迷惑がっているのだろうと思い、顔をずらしたところ、彼の目は小生の顔から外さずずっとついてくる。ままよとばかり周辺に気付かれないように、彼に愛想笑いを送った。

     その瞬間、思いもしなかった反応が返ってきた。彼は、足を突っ張らかしてお母さんの腹を蹴り上げながら思い切り笑い出したのだ。余程気に入ってくれたに違いないと思い、次に、手を使ったり、変顔をしたりして彼に応戦したところ、きゃっきゃきゃっきゃと大騒ぎを始めた。これに、右隣の女性が気付きスマホをほったらかしにして見入り始めた。

     調子に乗ったジジイは、酒の勢いにのって前に立つM君と二人でタッグを組み、彼に応戦を続けたが、そのたびに見せる彼の人を惹きつけずにはおかない福々しい笑みの必殺技に、ひざまずかないわけにはいかなかった。聞けば彼はまだ9か月とのこと、そんな短い人生の中で培ってきた彼の醸し出す人たらしの魅力に、隣の彼女まで虜にされたようだった。

     きっと、愛情豊かに育てられてきたのであろう。ほんの二駅足らずの間だったが、お母さんと交わす言葉の端々にそれが窺えた。この電車で理想形の親子に巡り合えたことを嬉しく思った。彼らがすくすくと成長していくことを願わずにはいられない。そのために、我々の出番があるのであれば変顔で対応するのも厭っていてはいけないのだろう。口角泡を飛ばす正義の議論も、赤子の無垢な笑みの前ではむなしくなってしまったが、こんなに心が晴れ渡った日もない。これからは、電車の中で忙しくなっていくのを覚悟しなければならない、と思った。


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  • ■ 「アピタECO博での国連WFPの活動」
    平成28年10月16日
  • 「アピタECO博」
    「アピタECO博」
     今年も、ユニー鰍フスーパー・ショッピングセンター「アピタ長津田」で行われる環境イベントに出展させて頂き、10月15日、16日に、国連WFPの活動を行うこととなった。 世界の飢餓状況、WFPの活動、レッドカップキャンペーン、世界食料デー(10/16)、及び世界食料デーキャンペーン(10月-12月)についての広報PR並びに募金活動を行うものである。

  • 「苦心の汗を流しながらの訪問者対応」
    「苦心の汗を流しながらの訪問者対応」
     今年は、16日に終日本活動に従事し、訪問頂いた方々に、世界の飢餓状況について、理解を深めて頂けるよう努めたが、独り善がりに陥りやすくなる説明が頭をもたげ、今回も苦心の汗を流した。ほんの一言二言で、相手の心を掴み取りご理解を頂くのは至難の業であることを改めて思い知らされた。まだまだ修行が足りない証拠であろう。痺れてきた足を引き摺りながら本日の総括を行った。


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  • ■ 「横浜JazzPromenade2016」
    平成28年10月8日
  • 「横浜赤レンガ倉庫1号館」
    「横浜赤レンガ倉庫1号館」
     今年24回目となる「横濱JAZZ PROMENADE 2016」が10月8日、9日に開催された。毎年、「横濱の街全体をステージ」を合言葉に約50の会場で実施されてきており、昨年は、約15万人を超える聴衆者が訪れた。今年もプロ・アマ合わせて約3,000名の演奏家が集結し、横浜の街全体がジャズ一色に染まった。

     この日本最大級のジャズフェスティバルには、およそ350人の市民ボランティアが参加するが、今年もその一員として8日に赤レンガ倉庫1号館でお手伝いをした。今年は、雨が降るあいにくの天候に見舞われ、街角ライブが一部中止になるなど影響を受けたが、来年の25周年記念に向け、ホールやジャズクラブでのライブは大いに盛り上がったようだ。

     毎年2日間ボランティアに参加しているが、今年は事情があって1日しか参加できず、ジャズ浸りが1日になってしまったことは残念だった。ところが、当日任された場内案内業務を遂行しながら、演奏を拝聴できる恩恵に与れ、とても充実したジャズ浸りの1日を送ることができた。もちろん、業務優先だから座って落ち着いて拝聴することはできないが、客席との一体感を共有し、ジャズにのめりこめた時間は至福の時だった。

     それは、今年配属された会場が、自分の好みに合った演奏家に巡り合えた幸運にあったのかもしれない。出だしの古野光明(b)カルテットのモダンジャズに引き込まれてしまった。特に、纐纈歩美のアルトサックスの音に心をえぐられた。そして、何といっても、KKB244のスウィングジャズに心を奪われなかったものはいなかったであろう。バンド名のゆかりは「後期高齢者バンド244歳」ということらしい。五十嵐明要(80歳、アルトサックス)、杉原淳(84歳、テナーサックス)、原田忠幸(80歳、バリトンサックス)、この3人のレジェンドの年齢合計が244歳とのこと。とても、80歳を超えた方々の演奏とは思えないほど滑らかで、力量感あふれるサックスの音色に心がとろけ、会場にはスイングの波が立っていた。

     これだから、このボランティアは止められないのだ。来年も至福の時を求めんと、参加する意思を担当の方に伝え、後半組に引き継ぎ赤レンガ倉庫を後にした。


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  • ■ 「収穫の秋」
    平成28年10月2日
  • 「収穫稲が架けられた稲架が並び尽くす田んぼ」 10月2日撮影
    「収穫稲が架けられた稲架が並び尽くす田んぼ」
     今年は、8月下旬ごろから続いている長雨に、猛暑の夏だったころの勢いが削がれ、むしろいつもの年より遅めの収穫の秋を迎えているようにみえる。ここ横浜ふるさと村での「収穫の秋」の象徴は、収穫稲が架けられた稲架が並び尽くす田んぼであり、そして、これから刈り入れを待つ、たわわに実り頭を下げた稲穂に埋め尽くされた田んぼであろう。

     今年もこの辺りは大きな災害にも合わず、時期は遅れ目ながらも豊作の秋を迎えているようだ。この時期に見せる「収穫の秋の色」はひとしおだが、近年この辺りの「収穫の秋の色」に変化が見られるようになった。目立ち始めた休耕田に、セイタカアワダチソウの黄色い小花が咲き誇り、「収穫の秋の色」には何とも似合わない風景である。

     こういった風景は、意識しないとみられないものである。気が付かないうちに、日本の農業の姿が激変していることへの警鐘を、真摯に受け止めなければならないのではないか。今年の収穫の秋に思った。

  • 「頭を下げた稲穂に収穫の色が」 10月2日撮影
    「頭を下げた稲穂に収穫の色が」
     これから刈り入れを待つ、たわわに実り頭を下げた稲穂に埋め尽くされた田んぼ。時期は遅れ目ながらも豊作の秋を迎えている。この時期に見せる収穫の秋の色はひとしおである。

  • 「セイタカアワダチソウに占拠された田んぼ」 10月2日撮影
    「セイタカアワダチソウに占拠された田んぼ」
     目立ち始めた休耕田に、セイタカアワダチソウの黄色い小花が咲き誇り、収穫の秋の色には何とも似合わない風景である。



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