須藤自由児のホームページ

エッセー:四国の漁村で船釣りを楽しむ―私の第三ステージ
そして 今 山へ

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更新履歴

14/4/'23(金)「第6部」「訴え」緊急アピールに追加:「日本政府は、米国の対中戦争への追従、9条壊憲・大軍拡を止めよ」上掲
31/3/'23 (金) 第二ステージ・第二部「東大闘争に加わった」を上掲
10/3/'23(金) 第二ステージ・第三部「労働者の東大闘争=臨職闘争の支援」を上掲
8/3/'23 (水) 第二ステージ・第一部「大学に入ったけれど」を上掲
14/2/'23(水) 第二ステージ・第四部「東大百年祭闘争を闘う 」を上掲
26/1/'23(木)トップページ構図の変更;イメージ写真をスライドショー的に切り替える仕様に変更
22/7/'22「「前書への追加」への追加?」<私の釣りの終わり>上掲
5月/'22「第6部」緊急アピール「ロシアによるウクライナ侵攻糾弾」上掲
22/7/'21「前書への追加」《山にも行く》を上掲
8月/'20 第5部 「航海と漂流の考古学散歩」上掲 
8月/'19 第4部「山を歩く/山に上る」上掲
7.2/'15 「須藤自由児のホームページ」第1部~第3部起ち上げ

私は2005年に松山市の女子大を退職してから、ほぼ10年間、愛媛県の南西端・愛南町の漁村家串(イエクシ)に住み、漁師同様に、暗いうちに海に出て釣りをする暮らしをつづけた。2016年に上掲したこのHP「四国の海で船釣りを楽しむ―私の第三ステージ」(第一部から第三部)は、この時の釣りと、漁村での生活、そして釣りについて考えたことを書いたものである。
その後、2018年頃から始めた山歩き/山登りについての報告を追加して、2020年の夏に第四部としてアップロードした。夏山だけだったが数年間は高い山にできるだけ多く登りたいと考えていたが新型コロナ感染症が流行し始め、あきらめざるを得なくなった。
2016年頃から松山で暮らすことが多くなり、車は運転しなかったので家串と松山の間はバスで往復していた。コロナが猛威を振るい3時間のバス利用も避けざるを得なくなり、釣行回数もガクンと落ちてしまった。こうして、2022.7.22 「「前書きへの追加」への追加?」<私の釣りの終わり> で書いたように、船と家を手放し、釣りを終わらざるを得なくなった。
家串への釣行を止めることは「私の第三ステージ」の終わりを意味したが、体が不自由になって、安楽イスにもたれて楽しかった釣りを回想しながら余生を送る armchair fisherman(第三ステージの第三部「考える」第5章「釣りの回想」参照)の心境にはなっておらず、私は「第二ステージ」の回想に向かった。第二ステージは、私の区分では高校を卒業してから、仕事につき退職するまでの時期であり(「前書き preface」のうち、「2016年3月末、HPの上掲に当たっての前書 」を参照)、私が「迷い・闘い・働き・子供を育て」た時期を指す。
今回上掲した「第二ステージ第四部」は、この第二ステージのうち、大学院時代の数年間の私の経験に基づく「東大百年祭闘争」についての報告である。なお、「前書 preface」の「第二ステージ・第四部「東大百年祭闘争 」を上掲するに当たっての前書き」では、上で書いたことと一部重なるが、この報告の内容紹介を書いておいた。


緊急アピール 「プーチンのロシア軍によるウクライナ侵略と残虐行為を強く非難する」

・核兵器の保持、「核兵器使用」の脅迫反対・日本の軍事力拡大反対、憲法第9条の改正反対 (2022.5.22)  

第六部「訴え」=「緊急アピール」参照

注:「四国の釣り世界」など、釣りサイトのリンクからこのHPを来訪された方は「釣り人の方に」のコーナーを参照してください