人生が三つの段階(ステージ)から成り立っているという点については、トップページ「前書 preface」の「2016年3月末、HPの上掲に当たっての前書」を参照してください。
2023年3月から掲載していた<私の第二ステージ「迷い・闘い・働き・子供を育てる」>における、第三部「労働者の東大闘争=臨職闘争(10971年から74.5.24)、第四部「東大百年祭闘争を闘う」は掲載を中止します。
代わりに「東大創立150周年を問う」の見出しの下に、近刊予定の著書『第二、第三の東大闘争 労働者の東大闘争=臨職闘争と東大百年祭闘争』(仮)の目次を示し、その概要を示すことにします。
なお「計画中」としていた第五部「東雲女子大教員時代(1992年~2005年まで)働きと子育て」は実現の見通しが立たず、目次からは外しました。

私の第二ステージ 「迷い・闘い・働き・子どもを育てる」

第二ステージ 目次 

第一部 大学に入ったけれど(1964年~1968年6月20日)

第二部 東大闘争に加わった(1968年6月20日~1971年)  一部工事中

東大創立150周年を問う」

「第二、第三の東大闘争 労働者の東大闘争=臨職闘争と東大百年祭闘争」 

UTokyo 150というHPでは、東京大学が2027年に「創立150周年」を迎えるとして「東京大学をかえりみる」、「東京大学が生みだす」、「東京大学でつながる」という、「三つの旗」をかかげた記念事業を行なうという。https://www.u-tokyo.ac.jp/150ut/ja/events/post_019.html
「かえりみる」では「----埋もれた達成を知ろうとするだけでなく、忘れられた失敗や過ちから学ぶことも必要でしょう。世界が各国内外の分断や格差にわずらい、市場も社会や環境への負担を考慮せずには発展しえず、科学の実践が研究倫理や正義と不可分になった時代だからこそ、大学の存在意義がグローバルにも問われています」と いう。
「生みだす」では「気候変動や異常気象---など地球規模で生命史の深さを有する多くの課題に直面しています。これらの課題解決には、既存の学問分野をこえた総合知の醸成、未知や不思議にねばり強くいどむ精神の養成----が、不可欠です。2004年の国立大学法人化に際し、----世界の公共に奉仕することを強調した----。自由で自律的な探究が生みだす多様な成果を、積極的に発信してゆきたい」といい、「つながる」では「東京大学の成員は、いま所属している教職員と学生だけではありません」。「私たちは東京大学を閉じた孤高の組織としてではなく、社会と世界の多様な知と人とが出会い「対話」する場にしたいと願っています」という。

150周年記念事業宣伝の「旗」でかかげられている目標は抽象的一般的であり中味は全くわからない。
「埋もれた達成を知ろうとするだけでなく、忘れられた失敗や過ちから学ぶことも必要でしょう」とあるが、東大が「達成」したことの多くは先の「百年記念事業」の一環として刊行された『東京大学百年史』に詳しく書かれていて「埋もれて」いるとはとうてい言えないだろう。「埋もれた」は、「失敗や過ち」を形容している「忘れられた」の対句としてもちいられているに過ぎないのではないか。実際この50年間あるいはさらにそれに先だつ100年間の「失敗や過ち」はどのように省みられているのだろうか。
およそ50年前、林総長の下で百年記念事業計画が発表された。そして、記念館建設や「学術奨励基金」設置のためだという百億円の「後援資金募集」趣意書で、次のように歌っていた。
「百年間において、東京大学は、15万余の優れた人材を社会に送り出し、国際的水準において、数々の輝かしい研究業績を挙げつつ、我が国における代表的な総合大学として歩み続けて」きた、と東大の百年を誇ったうえで、「東京大学が創立百年を迎えるにあたり、その歴史を振り返って先人の偉業をしのぶとともに、さらに、今後の一層の発展を期して記念事業を企画し、遺産を残すことは、きわめて意義あること」としていた。
趣意書によれば「記念」しようとしているのは東大の誇らしい「業績」であり、先人の「偉業」である。東大が生み出してきた負の業績、人々に強いてきた犠牲は問題にされない。

他方77年2月、東大の学生、職員・労働者によって百年祭糾弾全学実行委員会(以下「全学実」)が結成され、「全学実」は、「百億円募金」は 東大の「功績」を宣伝し、東大と企業の癒着を強めるものだとして反対した。また「百年記念事業」と同時に、東大の(とくに理系に重点をおいて)拡大・膨張をはかろうと打ち出さた「総合大学院新設、立川移転・統合」計画を批判する運動を開始した。そして募金の政財界窓口であった「経団連」への抗議デモ、新入生とその父兄に対する「反百年のアピール」としての「入学式」への介入、学外・神田学士会館に逃亡して行なわれた「記念式典」への追撃デモ、そして、「移転がらみの百年記念事業」の批判として「「五月祭企画―『立川移転・総合大学院新設』を問う」五月祭企画パンフの発行などを次々と行った。
「全学実」の主要な論点は東大の研究至上主義/研究者至上主義の批判にあった。医学部、工学部の講座の主任教授などが「研究の自由」を行使し、政府の審議会等を通じて、水俣病など多数の被害者を生んだ公害の原因を隠蔽し、公害企業を擁護してきたこと、医学部教授が「研究」を至上目的にして精神病患者を傷つけ人格を侵害し生命を奪う「人体実験」などを行なってきたことを糾弾した。また研究者・教授たちが、学生の自治活動を抑圧するために専横で不当な「処分」を行ない、また職員・労働者とりわけ臨時職員(「臨職」)に対する横暴な支配・搾取を行なってきた「研究者至上主義」を批判した。

東京大学地震研究所の臨職(臨時職員)として勤めていた石川良宜さんは、1970年9月、研究室主任の宮村摂三教授に抗議してハンスト(ハンガーストライキ)を行なった。彼は宮村教授から一年前に「来ても金は払わないからな」「君のような身障者を雇う義務はない」と首を切られようとし、一か月前に「非常勤なら置いてやる」と言われて口論になり、揚げ句の果てに顔面裂傷の怪我を負わせられたことに抗議をして、ハンストをはじめたのである。
 彼はその「ハンスト宣言」で次のように書いた。「宮村教授は-----研究室では絶対権力を持ち支配をほしいままにしている。臨職のように衣・食・住、つまり人間として基本的に必要な生命権、生活権の犠牲は教官には絶対に起こりえない。今の臨職体制を「黙認」する研究者は自分の研究というエゴイズムのためには-----人間を人間として考えない」、「研究のための単なる装置のアタッチメント〔付属品〕としか考え」ないのだ。
1960年代後半の東大では、この石川さんの「ハンスト宣言」で書かれたような、絶対的権力を有し、専横な支配を行なう研究者・教官(教授)たちが学内秩序を独裁的に管理支配していた。1968~69年の東大闘争開始のきっかけとなった、文学部、医学部自治会の活動家学生に対して加えられた(停学や退学などの)処分は、その専横で独裁的な権力のあらわれであった。全共闘(全額共闘会議)がかかげた学生処分の撤回を求める「七項目要求」は全10学部の学生の無期限ストによって支持されたが、当局はこの要求に応じようとはしなかった。69年1月18~19日、安田講堂・時計台を占拠して闘っていた全共闘は、東大当局の要請によって導入された国家権力・8500人の機動隊との闘いを余儀なくされ、「血の弾圧」を受けて後退し、69年秋の文学部における闘争を最後に鎮圧された。
研究者・教授たちの専横な支配は、学生たちに対してだけ行われていたのではなく、学内の職員・労働者に対しても行われていたのであり、研究者・教授たちの差別的で抑圧的な姿勢は、研究の補助労働に携わっていた非常勤職員=「臨職」に対する態度の中にとくに強く表れていた。臨職闘争はこうした東大の研究者・教官の管理支配に対する労働者、とくに臨職労働者たちの異議申し立ての闘いであり、「学生の東大闘争」は69年秋以降、「労働者の東大闘争」=臨職闘争に引き継がれた。いわば第二の東大闘争である。(拙著第一部で述べる。)
77年秋、文学部学生・院生の有志との話し合い=公開団交と、「百億円募金中止」をもとめる文学部生大多数の署名をつきつけられた山本学部長は「募金非協力」声明を行なった。だが、総長室の介入もあって、文学部教授会の百年祭推進派・体制翼賛派により、この確認が破棄され、文学部学生院生有志10数名が、文学部当局の確認破棄を糾弾し、話合い=団交を要求する文学部長室坐り込み闘争を行なった。
78年5月、東大闘争以後、ほぼ十年ぶりに成立した学生大会で「団交を実行する会」(団交実)が結成され、「正規の」団交で文当局に募金非協力の確認を迫った。しかし、山本氏に代わって登場した今道友信文学部長には「話し合い」の姿勢はなく、7月以降、団交を拒否、逃亡した。9月、坐り込み闘争中の文学部長室に、外部者による闘争破壊の疑いのある不審火が発生。以後、今道は坐り込み学生「失火」キャンペーンを繰り広げるとともに、坐り込みを「暴力」「占拠」と呼んで処分策動を開始。全学的な処分反対運動の高まりで、処分が無理と見るや、学友会(自治会)の話合い要求、ストライキの際のピケなどを集団暴力、暴行・傷害事件などとして警察に告訴する挙に出た。
79年3月、向坊総長は処分の「断念」を発表する一方、処分制度の「存在の確認」だとする処分制度制定を行なう。これは政府・文部省の要請を背景としつつも、「研究(者)至上主義」に対する批判と、反百年運動/闘争の結果「百億円募金」が4割しか達成できなかったことを面白く思わない、学内の研究者層の意向に沿うものであった。反百年・反募金、反処分の闘いは第三の東大闘争だった。

他方、林前総長が百年記念事業と合わせて打ち出していた立川移転(理系部局)統合計画は学内一致が得られず、政府の「昭和記念公園」建設計画優先などもあって破綻してしまった。そして、81年、退官した向坊氏に代わって選ばれた平野総長は「百年記念館」の建設を打ち出した。次の森亘総長の時代、および有馬朗人 総長時代には、大学院重点化政策の検討が進められ、中曽根臨調が設けた「大学審議会」が打ち出す「21世紀の大学像」のひとつを先取りする形の東大の拡大改革再編計画を発表。立川に代わる柏新キャンパスを獲得し、本郷-駒場-柏の「3極構造」の東大が生まれた。そして文部大臣となった有馬は国立大学の法人化にも賛成する。 こうして、2003年以降、他大学とは比較にならない巨大な資産を所有する半官半民の、あるいは政府の援助を一部に受けた民営の東大が生まれた。この「国立大学法人東京大学」の最高経営責任者CEOが東大総長である。
東大総長は、学内の研究教育に携わる「有資格者」の中から、学外の委員が多数である総長選考会議で、学内の「意向」を考慮して選ばれることになっているが、選考会議委員の多くは、総長が独断でもしくは学内委員の意見を聞いて選ぶことになっており、(次期)総長選に関する総長の権限が格段に大きい。しかも最近では選考会議で学内の「意向」を無視する傾向が強まっている。
職員・労働者、学生に対する横暴な管理者・支配者たる研究者至上主義、利潤と資本の拡大を追求する企業活動に無批判で住民や患者の犠牲をいとわぬ研究至上主義は 反百年祭闘争で糾弾されたが、その研究(者)至上主義は、その後も、処分制度の制定により学生の異議申し立てを抑圧しようとしたこと、「大学院重点化」計画を推進し、柏キャンパスの獲得により膨張を続けたことの中で、その後も強化され続け「国立大学法人東京大学」が生まれたということができる。

 近刊予定の拙著第一部では、 ”学生の東大闘争” に続いて起こった「第二の東大闘争」、臨時職員を中心とした「労働者の東大闘争」について、私は、その闘争の支援活動を少々行なった立場から 説明する。
続く第二部は、76年以降、東大の百年記念事業、東大百年祭に反対して闘った学生を主体とする運動/闘争、「第三の東大闘争」について、大学院に在学していた私が、学部学生に交じって数年間闘った一人として書いた闘争報告である。そして、エピローグで、多くの問題点を指摘されている「国立大学法人」化に繋がった、80年代後半以降の東大の「改革」についてふれる。
また、<資料>として、私を含む文有志(文学部学生院生有志)が、文学部当局の「募金非協力」確認の破棄を糾弾し、話合い=団交を要求して行なった文学部長室坐り込み闘争で配布したパンフレット「文学部長室坐り込み闘争を貫徹し、企業募金阻止に向けて共に闘おう」78年4月(「坐り込みパンフ」と略)を掲載した。
旧HP第四部では、東大百年祭闘争関係資料としてこれを含め12編の資料(A1~7に学内闘争資料、B1~5に裁判関係資料)を掲載していたが、ページ数が多くなり、「坐り込みパンフ」以外は割愛せざるを得なかった。
現HPでは、拙著の内容は「目次」を掲載しただけだが、資料については、すべて掲載し、また、新たに資料A8として「 東京大学文学部学友会救援対策部『文闘争裁判勝利 2.14弾圧完全粉砕! 無罪要求署名を集中しよう!』1980年1月」を追加掲載した。

第二ステージ 東大百年祭闘争関係資料

第二、第三の東大闘争――臨職闘争と反百年祭闘争〔仮〕
 目次

第一部 臨職闘争―労働者の東大闘争

第1章 東大病院地区における医学部生、医師、労働者の闘い
1.東大闘争の延長戦―附属病院精神科赤レンガ病棟の自主管理
2.内科・小児の運動/闘争
3.私は病院の闘争をわずかながら支援、病院の労働者と親しくなった
4.「病院スト実」=病院反戦派労働者の闘争
5.皮膚科実験助手・臨職大津康子さんの闘い
6.病院スト実の全臨職の定員化要求と総定員法との闘い
7.病院スト実の医療の帝国主義的再編の一環としての北病棟移転阻止闘争
      


第2章 弥生キャンパス地区、地震研・応微研・農学部における臨職闘争

1.応微研における「第一次」臨職闘争
2.地震研石川良宜さんの定員化要求と「宮村事件」
3.東職(東京大学教職員組合)の臨職闘争に対する姿勢
4.地震研職組の宮村教授弾劾、石川さんのハンスト闘争、石川さんと連帯する全学闘争員会の結成、震闘連(地震研闘争連合)所長室「解放宣言」
5.加藤総長の地震研当局に対する「厳重注意」処分の欺瞞 
6.力武所長による地震研ロックアウト、警察力を使った大弾圧、それに対する職組と全闘委の反撃の闘い
7.応微研の「第二次」臨職闘争、Y.E.さん、大橋幸雄さんの定員化要求と応共闘の闘い
8.大橋さんの職場での死亡と労災の不認定
9.応微研闘争と5.25事件
10.加藤総長による休職処分と「大学=理性の府」論の批判
11.臨職闘争の農学部への拡大と加藤総長の弾圧路線
12.地震研力武所長の自己批判、全闘委との団交
 

               

 第3章 臨職闘争の収拾過程

1.地震研宇佐美所長の団交拒否、欺まん的な「膝を交えた」話合い 
2. 加藤、林両総長による総長室弾圧体制  
3. 73年地震研坪川所長の登場、文部省の「照会」、「危機アジり」に職組の闘争態勢が後退 
4.坪川所長の研究所への突入、翼賛派職員による所長室占拠の解除、「正常化」 
5.石川良宜さんにとっての「臨職定員化」要求と「生きる」ための闘い 
6.74年5.24総長室座り込み闘争、林総長に抗議する時計台前の座り込み、昼デモ 
7.「長官」、「フクロウ」、「心のこり」と「ラブ・ユー東京」 
      

第二部  東大反百年祭闘争
                       p103

第1章 創立百年記念事業・百億円募金への反対運動と山本文学部長の「募金非協力声明」

1.東大百年祭、百年記念事業について
2.百年祭挙行と「東大の立川移転再編・総合大学院新設」計画との関係について
3.77年4月~山本文学部長との話し合い=公開団交
4.「百億円募金反対」文学部生400署名と、77.10.26「募金非協力」文学部長声明

第2章 文・教授会「募金非協力声明」の破棄、文学部長室への坐り込み、「反百年」で10年ぶりの学生大会成立、78年9.22学部長室の火災
P114 

1. 総長室と文当局による10.26「文学部募金非協力」声明のもみ消し策動
2. 我々「文学部学生・院生有志」による文学部長室坐り込み闘争の開始
3. 山本学部長との話し合いを新学部長今道が全面的に歪曲―4.3「告示」への反論
4. 文学部における反百年・募金反対の運動の高まり
5.日共=民青系学生中央委と職組による文学部長室坐り込みへの攻撃、サンケイ新聞による『東大正常化』キャンペーン 、国会調査団による介入
6.10年ぶりの学生大会の成立、「団交実」の対教授会団交獲得、七夕団交の流会と今道学部長による団交破壊工作
7.1978.9.22.文学部長室の「火災事件」
8.教授会の文学部全面ロックアウト、立て看破壊・ 撤去、集会の暴力的妨害


第3章 政府の「失火」臆断と学生処分指令、今道学部長の反百年祭運動圧殺攻撃、我々の反撃
                   P134 

1. 9・22火災以降の政府の直接指令
2. 今道「失火」処分から「不法占拠」処分へ、そして学生の実名掲載と刑事弾圧
3.「真理探究」に名を借りた闘争弾圧と「処分」による学生排除をこととする今道
4.今道の処分策動を支援した原理研
5.9.22火災についての消防署の「最終判定」
6.今道による刑事事件デッチ上げによる闘争弾圧策動
7.全学的な処分反対運動の高まり
8.東京地裁からの「証人召喚」攻撃
9.文教授会が処分案上申、学生3名がハンストに突入、2.14弾圧
  二つのエピソード
<三好君の東拘70日、獄中の闘争と生活>、<私の本富士署の23日間>



第4章 79年3月27日の「総長声明」=文学部処分の断念、その批判
                                     P163

1.3.27「 総長声明 」と我々の「中間総括」
2.3.27「 総長声明 」とその批判
3.「坐り込み」は、後になってから「不法占拠」にされ、「処分対象行為」となった
4.「現場のことは部局の判断に任せている」という総長の言い訳
5.「9.22火災について「不審火」と称した」こと等々の非難
6.「2.14弾圧」の正当化
7.総長の言う文学部学生の ”罪状” 、そして「大学を去れ」という不当勧告
8.78年6月国会での向坊総長の坐り込みについての陳述
9.国会での向坊発言の問題点
10.「理性的対話による対立の解決」という総長の主張、それに対する反論
11.我々の坐り込みについて
12.坐り込みにおける規律のありかたについて
13.大学管理法案闘争処分に抗議した山本義隆の時計台前座り込み
14.80年3月の卒業、就職、進学等の問題

第5章 文学部学生ホール「奪還・解放」闘争と「百億円募金」粉砕闘争 ― 3.27「総長声明」以降の闘い その1                                  P206

1. 79年5月22日の文・学生大会と文ホール自主管理運営委の創設 
2. 文ホール自主管理運営委の活動、文ホール解放要求・団交実のリレーハンスト闘争
3.計画の半分にも満たなかった「百億円募金」、民青のものとり主義


第6章 日本育英会奨学金停止処分に対する闘い ― 3.27「総長声明」以降の闘い その2
                                          
p215
第7章 今道のデッチ上げ「11・7暴行傷害事件」裁判闘争―3.27「総長声明」以降の闘い その3                                         P217

1.東京地裁の不当な訴訟指揮と不当判決
2.一審判決丸写し、高裁による「控訴棄却」判決の批判
(1)今道のデッチ上げ証言を「信用」し、「殴打行為」認定した船田判決
(2)今道の要求で書かれたカルテを「信用」し、「傷害の不存在」を退けた船田判決


第8章 向坊総長による新処分制度制定との闘い ― 3.27「総長声明」以降の闘い その4                                               

1. 処分制度検討委員会の設置、検討委の「方針」
2.向坊総長による処分制度制定の強行、ゲバ職による学生に対する暴行
3."修正"、復活された東大の処分制度、その批判
4.処分制度制定はなぜ強行されたのか。総長の受けた「圧力」とは何か
5.処分制度は学生の異議申し立て運動/闘争を抑圧することができるか


第9章 百年記念館建設反対運動 ― 3.27「総長声明」以降の闘い その5                                                                             

1.百年記念館建設反対運動の経過
2.なぜ「百年記念」館の建設なのか「反対する会」の主張
3.「百年記念館建設に反対する会」は警察の学内パトにも抗議した

  **エピソード** 83.3.14 今道の最終講義
   <エピローグ> 1981年とその後 


第10章 東大の90年代の「改革」、そして「国立大学法人」化
                                                  
P269

1.加藤総長下の掛け声だけの「改革」、林総長下の移転計画の挫折
2.大学院重点化政策(法学部の「大学院部局化」)、研究機能の強化と柏キャンパスの獲得
3.国立大学法人化―全面的な産学協同


第11章 「回想と追悼」(寄稿文)
1.「回想と追悼…1978年東大文学部学友会委員長篠田重晃君を中心に、そしてまた…」2024年1月  鈴木宏昌
2.「篠田重晃について」2023年12月 片山純子
3.「わたしの反百年祭闘争とその後、そしてゴリ(三好伸清)さんへ」 長野順一                               
P269

<資料>
文学部学生・院生有志「文学部長室坐り込み闘争を貫徹し、企業募金阻止に向けて共に闘おう」78年4月

                                   P312 目次
第1章 我々は何故百年祭糾弾闘争を闘うか
1.情勢----‐‐日本帝国主義の動向
 (1)高度経済成長期
 (2)日帝の現状と動向
  a.対外的経済侵略と国内的な収奪
     (ⅰ)対外的経済進出/侵略  (ⅱ)国内的な搾取強化と再編合理化
  b.対外軍事力増強と国内治安管理体制の再編強化
    (ⅰ)軍備の増強   (ⅱ)国内的な治安管理の再編強化
2.教育再編の動向
3.東大再編の動向
(1)東大の改革  (2)立川移転・総合大学院新設計画、および最近の動向
4.東大創立百年記念事業―百億円募金の問題点
(1)「百年記念事業」の概要と進行経過
(2)「百年記念事業」の問題点
a.教育のありかたにおいて
b.研究のありかたにおいて
c.管理のありかたにおいて
(3)「百億円募金」の問題点
5.東大再編と臨職問題
(1)臨職とは何か
(2)臨職体制は何故に存在するのか
(3)これまでの臨職闘争と現在の動向
a. これまでの経過
b. 総長室弾圧体制 
c. 日共-東職の敵対 
(4)立川移転に向けた移転再編の先取りとしての現在的に進行している労働者への再編 合理化攻撃
 資料《定員職員と臨職の給与等の格差表》

第2章 文学部における百年祭糾弾闘争の経過
  はじめに(概括)
1. 76年7月~77年2月16日(百年祭糾弾全学実結成)
2. 77年2月16日~4月12日(4.12式典粉砕)
3.4月12日~10月26日(募金に反対する文学部生400署名の力で山本学部長が文学部の募金協力拒否声明を出した日)
4.77年10月26日~78年1月23日(1月19、23両日における柴田学部長代理との団交の中で10.26確認の圧殺策動が学生の前で明らかになった)
5.1月27日(学部長室座り込み闘争開始)~3月3日(入試を口実とした弾圧と今道の登場)
  おわりに(概括)

第3章 百年祭闘争への敵対者=日共民青批判
1.学生及び学問―教育に対するブルジョア的位置づけ
2. その結果としての当局と一体となった再編加担
3. 百年祭糾弾闘争への日共民青の敵対
4. 東院協(東大院生協議会)「百年記念事業パンフ」批判

第4章 今後の我々の闘いの方向性
1.文・坐り込み闘争を貫徹し、百年祭―企業募金を粉砕せよ
2.さらなる闘いの深化に向けて
-------------------------------------------------〔以上は<資料>文学部学生・院生有志「文学部長室坐り込み闘争を貫徹し、企業募金阻止に向けて共に闘おう」パンフの目次〕

< あとがき&三好君に贈る言葉 >
p369
                                                 

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