前書き Preface

常識では、人生を、仕事をしている時期とそれ以後という風に2つに分け、退職後の生活を第二の人生、セカンドライフと呼んでいます。この考えによれば、子供の時期は人生の中に含まれないことになります。しかし、私は、子どもの時期を重視し、人生には三つの段階があると考えます。子供のときに私たちは遊びを主とする生活(人生)を送っていました。これが第一の人生です。生まれたときに動物=自然であった人間は、遊びを通じて、少しずつ人間社会に入る=引き入れられます。遊びの延長上に教育があり、教育を受けて、自立した人間として社会の中で生きていく方法を身に付けるのだと考えます。

第二の人生においては、職業を持ち社会のなかで仕事を中心に生きます。そして、第三の人生のなかで、半分子供に帰って、遊び中心の生活を送るのです。この時期、人間は遊びながら、次第に自然に近づきます。やがて、食べ、徘徊するだけの動物となり、さらには、ただ横たわって、息をし、排泄するだけの植物的な存在となり、そして最後は、無機物質になっていくのです。私たちの始まりが、元素や水や土から作られた小さな細胞にあったように、最後に元素に帰っていくのです。
私は少し早く退職し、退職後は年金暮らしをしつつ、半分子供に帰ったつもりで、釣りという遊びを中心にして、生きていこうとしているのですが、今述べたような仕方で自分の一生を概括できるように思います。

この「エッセー」の第一部は私の釣りの経験に基づく釣り随筆です。どうしたらうまく、あるいはたくさん釣れるようになるかを教えるものではありません。私は退職と同時に「教えること」をやめたのです。これは退職以後の自分の「思い出」つまり一種の「自分史」として、自分の楽しみのために書いた「随筆」なのです。何らかの釣りの本だとすれば、どこにでもいる老人がこれまでにやった釣りの思い出話を書いたもので、暇なので寝転んで何か読んでみようと考える人がいればそのような人のために書かれたものです。

第二部では、私が退職後暮らしてきた愛媛県南部の漁村、家串地区とその周辺の自然と文化について、私が行った経験と私が感じたことを書いています。伝統的な文化を残し、時に荒々しい自然に囲まれた漁村を、定年後の移住先として都会の人々に宣伝しようというような考えはありません。定年までサラリーマンをやってきた都会暮らしのひとが漁村で生活するのはそう簡単なことではないと思うからです。しかし、いくつかのハードルをクリアーして田舎で暮らすことができれば、人生を大いに楽しむことができるということもまた事実なのですが。

第三部では、釣りの快楽について、遊びと人生について、幸福について、哲学者や社会学者、文学者などの諸説、考え方、生き方を参考にしながら述べていますが、決して「倫理学書」でも「哲学書」でもありません。しかし、釣りは他の遊びと比べて特別な種類の遊びで、幸福な人生を実現するのに大いに役立つと考え、やや理屈っぽい考察をしてみました。

この「エッセー」は私が今生きている人生の第三段階における個人的な経験のごった煮であり、愛南町家串という小さな海辺の集落で釣りをしながら考えたことの「私的報告」ということになるでしょうか。目次を見て、興味をそそられるところがあれば、パソコン画面で、あるいはスマホをお持ちの方は寝転んででも、読んでみてください。「本」として出版しなかった理由については、「このホームページを開くわけ」の中で書いています。

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