●正保3年(1646) 7月21日−幕府が、家老を殺害して脱藩した浜田藩士を藩主に引き渡す。 津和野藩の家老多胡真益が藩の産業振興に着手する。 津和野藩は、椿、漆、櫨(ばせ)の栽培を進め、紙座、蝋歴を設け、椿(こうぞ)紙を年貢米に代えて収納することをはじめた。 ●慶安2年(1649) 吉田重恒(しげつね)に代わって松平周防守康映(やすてる)が五万一千石で浜田藩主となる。
●慶安2年(1649) 吉田重恒(しげつね)に代わって松平周防守康映(やすてる)が五万一千石で浜田藩主となる。