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●享保6年(1721)
●享保7年(1722)
●享保9年(1724)
●享保17年(1732)
●享保19年(1734)
大森代官に井戸平左衛門が着任した。
浜田藩領那賀(なか)郡原井組で凶作時の検地に反対する百姓一揆が勃発する。
4月3日−浜田藩江戸屋敷で藩主夫人つきの奥女中落合沢野を,中
老みちの侍女さつが殺害する(鏡山事件)。
大凶作。石見国では大森代官井戸平左衛門が甘藷栽培をすすめた。松江藤領内ではい
なごの発生で大凶作となり、17万石減の被害、神門(かんど)郡では年貢減免を要求する百姓
一揆が起こる。隠岐国の惨状については、宝暦5年に村上考言が『凶年蔵土穂(きょうねんそうどう)』
を著して詳細を記録した。
浜田藩の国東(くにさき)治兵衛が美濃郡遠田でイグサを植えて畳表を普及する。