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●慶長2年(1597)
●慶長5年(1600)
●慶長6年(1601)
●慶長7年(1602)
●慶長9年(1604)
●慶長10年(1605)
●慶長13年(1608)
●慶長14年(1609)
●慶長15年(1610)
●慶長19年(1614)
前田利長が守山城より富山城に移り、家臣、寺院、商家も多く富山に移る。
関が原の戦い。戦後、前田利長は加賀、越中、能登、120万石を与えられる。
前田利長、領内の街道に松並木を植えさせる。
越中国中の新開地の海山川への小物成(雑税の総称)を新たに申し付ける。
郡方(こおりかた)支配のため十村(とむら)役を設ける。
この年、礪波・射水郡の総検地が行われる。
加賀藩、加賀・能登・越中3国において新桝を用いることを申し付ける。
富山大火により富山城も焼失する。徳川家康が火事を見舞い、築城を許可する。前藩主の利長が
高岡に築城し移転する。富山・守山・木船の旧城下の家臣や町人、寺院など多くが移転し、城下町
を形成する。
前田利常が礪波(となみ)郡立野(たての)新町に市場の再開を許し、伝馬諸役を定める。
前田利長が53歳で高岡城に没す。