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●万治元年(1658)
●万治2年(1659)
●寛文元年(1661)
●寛文2年(1662)
●寛文3年(1663)
●寛文7年(1667)
●寛文10年(1670)
●寛文12年(1672)
町立てを許された小杉新町が、宿場指定と市場開設の認可を申請する。
富山藩が宗藩である加賀藩に願い出ていた領地替えが許され、婦負(ねい)郡一円180カ村
約6万3,000石と、新川(にいかわ)郡のうち富山町近郷の73カ村約3万7,000石にまとめられ、
10万石の領地の一円支配が確定する。
幕府より富山城の造営が許され、富山町奉行をおき、城の改修と城下町の整備にとりかかる。
黒部川の峡谷部から平野部に抜ける愛本にハネ橋が架かる(愛本橋の架設)。
川合又八によって芹谷野(せりだんの)用水工事がはじめられる。
富山藩がはじめて米1万5,000石を西岩瀬港から大販へ廻漕する。
加賀藩領村々の村御印が改訂される。
加賀藩主前田綱紀の命によって庄川の松川除(まつかわよけ)改修工事がはじめられる。
このころ、河村瑞賢によって西廻り航路が改良される。
8月27日−飛騨・越中両国の国境論争がおこる。
富山藩が米を四方湊から大坂に初めて輸送する。