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●慶長6年(1601)
●慶長7年(1602)
●慶長8年(1603)
●慶長9年(1604)
●慶長10年(1605)
●慶長12年(1607)
●慶長16年(1611)
●慶長5年(1600)
2月23日−宇土城主小西行長・対馬城主宗義智らが朝鮮に捕虜160名を返還。
9月21日−加藤清正が小西行長の宇土城を攻め落とす。
西軍に味方した小西行長が処刑され、翌年加藤清正に天草・球磨をのぞく肥後一国と豊後三郡
が与えられる。
肥後国の加藤清正、天草郡の替地として、豊後国大分郡・海部郡・直入郡の内に領地を与えられる。
加藤清正、隈本城(のちの熊本城)の築城に着手する。(通説)
熊本城主加藤清正がキリスト教を厳禁する。
熊本藩主加藤清正が、命に背いたキリシタン南五郎左衛門らを処刑する。
寺沢広高が天草郡富岡に新しく城を築く。
6月20日−人吉藩主相良長毎(ながつね)が人質として母を江戸に送る。
連歌・俳諧の普及に尽くした西山宗因(そういん)が、八代に生まれる。
隈本新城が完成し、隈本を熊本と改める。
6月24日−加藤清正が五十歳で没し、三男の忠広がその跡を継ぐ。