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●慶安4年(1651)
●正保2年(1645)
宮本武蔵が没する。(62)
細川忠興が八代でで没する。(81)
光尚の従弟の行孝(ゆきたか)に宇土・益城(ましき)両郡のうち3万石が分知され、宇土藩が成立する。
宇土藩主行孝は元禄3年轟泉(ごうせん)水道をつくる。
熊本藩の家老である松井氏が八代城代になり、以後、世襲される。
熊本藩が幕府に郷帳を提出し、現高75万石余を記録する。
出羽庄内に配流中の元熊本藩主加藤忠広が五十二歳で没する。
天草代官の鈴木重成が天草の石高半減を幕府に訴えて、六十五歳で自刃する。