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●延宝3年(1675)
●延宝5年(1677)
●延宝6年(1674)
●延宝8年(1680)
●貞享2年(1685)
●延宝2年(1674)
上益城(かみましき)郡矢部手永で結城半太夫・十太夫らによる仏原(ほとけばる)騒動が起こる。
11月−肥後・熊本藩が,知行高が役高より少ない者に役料米を与える(役料米の初め)。
熊本藩が初めて戸数改めを行う。竃(かまど)数8万250余戸となる。
鉄眼禅師(てつげんぜんじ)が黄檗版大蔵経(だいぞうきよう)の開刻を完成させる。
地方知行(じかだちぎよう)を改め、蔵米(くらまい)知行となる。代官が惣庄屋の兼任となる。
大飢饉となり、餓死者が多く、熊本城下の各所で粥を施す。
球磨郡百太郎溝(ひやくたろうみぞ)の二期目の工事が行われる。
熊本藩領内で男女48万1,471人に対して絵踏みを行う。
五家荘(ごかのしょう)住民に紛争が起こり、五家荘は天領となり、天草代官支配となる。