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●寛永3年(1626)
●寛永4年(1627)
●寛永6年(1629)
●寛永8年(1631)
●寛永9年(1632)
●寛永12年(1635)
●寛永16年(1639)
●寛永20年(1643)
【対馬】
●寛永元年(1624)
8月22日−対馬藩主宗義成が朝鮮王に銃100艇を贈り,朝鮮人参500斤を求めていたが,朝鮮王が人参50斤を贈る。
10月4日−元和9年の幕府要請を受け朝鮮より、初めて「日本国王承襲祝賀」を名目にした使節が府中(厳原)に到着。
12月−対馬藩主宗義成が朝鮮に煙硝200斤,鉄砲100挺を贈り,良馬を求める。
2月−後金国の侵入をうけた朝鮮の援助要請に応じ,対馬藩主宗義成が銃80挺,火薬,鉛を輸出する。
1月−対馬藩主宗義成が幕府の命令により,朝鮮の現状視察のため規伯玄方と杉浦采女を漢城(今のソウル)
に入京させるとともに,漂流民を送還する。
対馬藩の老臣柳川調興が、藩主宗氏による国書の偽造を幕府に出訴。
幕府が老中を対馬に派遣、宗氏、柳川氏の尋問を行う。
3月11日−将軍家光が対馬藩主宗義成と重臣柳川調興との争いを裁決する。(柳川一件=宗義成の勝訴、柳川調興は津軽藩にお預け)
7月25日−幕府が対馬藩と平戸藩に平戸来航のオランダ船との貿易を許可する。
幕府が鎖国政策のため,対馬藩に朝鮮から薬種・絹類を求めるように命じる。
将軍家光に家綱誕生により朝鮮通信使が派遣される。