John Pearlson as a Poet and English Teacher
詩作は思索
散文と違って、詩を書くときには何らかの窮屈さがあるが、その窮屈さがあるからこそ想像力が一層かきたてられるような気がする。英語で詩を書くときには脚韻を踏んだりリズムを揃えたりするし、日本語で書く場合には五七調や七五調などの定型に従ったり、何らかの他のルールを自分で設定したりする。その窮屈さの中で物事の本質を捉えて表現しようとしたり、ストーリーを構築しようとしたりする試みは、まさに思索の世界である。
高校の通常授業の英作文指導は「正しい英語で意味が正しく伝わること」しか求めないため、ともすると「妙に難しい単語を使っているのに構造が稚拙」「複雑すぎる構造をつかって回りくどい」などの文体面の問題が放置されることも多いが、音やリズムという別の要素での制約を加えると作文の発想がより柔軟になり、自然な英語に近づこうという意識を持つきっかけになる。「結局何が言いたいのか」という本質を考えさせる上で、韻文を書かせてみることは役に立ったように思うし、プロジェクトを経験した生徒の中には東京大学や京都大学などの難関大学に進学した者も少なからずいる。受験で要求されるスキルだけを磨くのでなく、遊び心を持って柔軟性を磨くことには大きな意義があるのではないかと思う。
1.訳詞・作詞の授業(高校2年生)
2.授業におけるその他の取り組み(高校3年生)
3.John Pearlson の詩歌作品(大半は実名で発表)
4.John Pearlson の著作(実名で執筆)