14回目 ロマン主義の美術 2005年1月27日(木) |
最後の授業
*
*
5年に1度くらいの体調の悪い日で、
右腕さえも重く感じました(T_T)
前回習った新古典主義の頃から歴史的には近代となり、
美術界でも表現の多様化が加速されていきます。
新古典主義〜ロマン主義
近代美術 MODERN ART |
20C.以降今日まで。
.現代美術 Post−modern |
18C.後半〜19C.初頭に社会が大きく変化します
産業革命・フランス革命・大量生産
↓
文化芸術の担い手が市民へと移っていきます。
人権宣言が出され、普通選挙が行われるようになり
政治的にも市民が表舞台に立つようになります。
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1910年頃〜ピカソ・マティス・カデンスキーあたりから。
まだこの頃は、カンバスに油彩を使って一枚の作品にしていました。
1970〜80年以降は美術・芸術アートの捉え方が変わってきました。
カンバスから抜け出し、電子工学テクノロジーを用いたり、
ワークショップのなかで皆でつくりあげていったり。。
なんでもOKというようになってきています。
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≪時代背景≫
革命を恐れる諸外国とフランス軍の戦いが始まります。
1796年ナポレオンはイタリアで大勝利を収めました。
このときイタリアにあった多くの彫刻や絵画をフランスに持ち帰ります。
2年後、エジプト遠征には200人もの学者や芸術家を同行させました。
「ロゼッタストーン」などをフランスに運んだのはこのときです。
1799年から独裁政治を始め、
1803年にルーブル美術館(当時はナポレオン美術館とも呼ばれていました)で
遠征で集めた美術品を公開しました。
1814年ナポレオン退位。
エルバ島に流されます。
ダヴィッドの新古典主義はナポレオンの敗北と共に衰退へと向かいます。
↓
【 ロマン主義(Romanticism) 】
★主題の多様化★
18Cまでは美術の題材は「聖書」と「神話」にありましたが、
19Cの芸術家たちは自我に目覚め自由な空想を好み、
自然を愛し、東方世界にも興味をもちました。
ex)文学主題・東方主題
リチャード・ハ−トン 『アラビアンナイト』 を翻訳。
↓
オリエントの情報を集め、
大量生産の原料をオリエントで集めたり
オリエントを製品を売るための市場にしたいと考えました。
↓
植民地主義
パトロンの希望で描いていた新古典主義から
個人の自由な発想と独創性重視のロマン主義へと変わっていきました |
― 本日のスライド鑑賞 ―
新古典派の絵も含まれています。
泉 : アングル |
グランド・オダリスク : アングル |
ヴィーナス誕生 : アレクサンドル・カバネル |
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ダヴィッドの弟子・新古典派の巨匠アングルは
美術学校で正統な教師でした。
【泉】は生命の泉。
若い女性=生命の源を表しています。
裸体画ですが小道具があるので
ポルノグラフではないとのことです。
片足に重心美しい曲線のポーズになっています。
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オダリスクはアラブ王宮ハーレムの女性。
アングルは東洋趣味の優雅な雰囲気を表現しました。
道徳や英雄崇拝とは無関係な美を追求しています。
古代ギリシヤ・ローマの美術を規範としながらも
自分の美の理想をその中で追求しました。
新古典主義の巨匠でさえ個性を発揮し
時代はやがてローマン主義へと移っていきます。 |
ヴィーナス誕生を美しく描かれていますが、
セクシャルな楽しみに浸るという
男性市民に向けて付加価値も付いています。
社会は男性中心であったことが伺えます。 |
ジェロームの描いたアラブの世界 |
1808年5月3日:ゴヤ |
民衆を率いる自由の女神:ドラクロワ |
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モロッコに行きアラブ世界を見てきた絵です。
壁のブルータイルがいかにもイスラム的。
身体にヘビを巻きつけて立つ少年を楽しむ男性達。
スラブには野蛮なエロチシズムがあると示し、
西欧人は文明化されていると優越感を示しています
クラス意識。
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ナポレオンに支配されたスペインを取り戻そうとした
市民を反逆者として処刑しているところ。
左中央白いシャツを着て両手を挙げている人は
無名だけどの意思を持ったスペイン市民です。
右には無機質なフランス兵が描かれています。
ルポルタージュ的な絵画。 |
1830年7月27〜29日。
国民の総意を無視し絶対王政を復活差せようとした
時代錯誤なシャルル10世に対する自由の勝利でした。
『自由』はロマン主義運動の思想バックボーン。
寓意的な女神を登場させ激闘の修羅場に怪しく輝く
白昼夢のような『自由』の花を咲かせました。 |
近代になると時代の変化が目まぐるしく変化していきます。
それに伴い美術の世界も多様化していきます。
『西洋美術史』は個性や独創性が重視され始めたときに編纂されたものであり、
きら星のごとくいた画家の中から発掘されたのは
それぞれの時代においてやはり独創性のある人でした。
美術史は近代の価値観で編纂されたものです。
いまどきの若い子の言葉を交えつつ
歯切れのいいテンポと豊富な資料を示して
美術史から見た世界史までも講義してくださいました
【荒川裕子先生】に深くお礼申し上げます。
この授業を聴講させていただいてホントに良かったです。
そして、
つたいない私の【聴講生ノート】を最後までお付合いくださり、
感想や励ましのお言葉をくださいました皆様に
心よりお礼申し上げます
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ビッテ 2005年2月24日
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13回目 新古典主義の美術 2005年1月20日(木) |
ロココ美術 |
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18C.前半 |
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↓ |
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新古典主義 |
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18C.半ば〜19C.前半 |
何故、新古典主義へと移行していったのでしょうか・・?
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18世紀前半、ロココの時代に啓蒙主義がすでに芽生えていました。
暗く狭い視野で見てきた社会や世界に真理の光を当て始めました。
≪ 考古学の発達 ≫
*
1748年から始まった南イタリア・ポンペイの遺跡発掘。
その遺跡から古代ローマ時代の都市が丸ごと見つかります。
AC.79年に噴火したベスビオ火山は、あっという間に3つの町を全滅させました。
出土品から想像される古代人の様子や残された壁画の美しさに18世紀の人々はとても感動しまた。
ルネサンスやバロックの時代も、古代ギリシヤやローマを模しましたが、
それは、なんとなく ≪聞き伝えや口伝え≫からのもの。
Neo classicsm(新古典主義)は、なんとなくではなく、
発掘したも出土品を学問として科学的に実証的に分析して模したのです。
≪ 美術全般についての研究 ≫
*
1755年:ビンケルマン【ギリシア芸術模倣論】
ビンケルマンは『美術史の祖』といわれています。
様式や社会背景を分析・体系化しました。
古代芸術がいかに優れているかを示し模倣を勧めました。
まねっこはマイナーなイメージで、オリジナリティがないと思われていますが、
オリジナリティが大切と考えるのはロマン主義以降だそうです。
.−1820年メロオス島にてミロのビーナス発見される−
『良いものは模倣する=新古典主義の特徴』
独創性やデフォルメはよくないと考えらていました。
美術アカデミーでは、古代の理想美をお手本として教えていました。
アカデミズム
VS
前衛美術 ex.印象派・ゴッホなど |
戦いの構図。
約100年の闘争。
≪フランス革命≫
王侯貴族 |
この階級は合わせて約10%
ルイ16世・マリーアントワネット
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聖職者 |
労働者階級 |
啓蒙主義が広まると、
なぜ自分達が貧しいのかを考え
不平等さを自覚するようになります。
社会そのものがおかしいのではと気付き
これまで虐げられてきたことへの怒りが爆発
↓
フランス革命
未来永劫不変かと思われた社会構造が
ひっくり返り、市民は人権を獲得する。 |
やがて、フランス革命軍は内部分裂していきます。
ジロンド党とジャコバン党
↓
革命軍の混乱を治めることができたのは
ナポレオンT世(ボナパルド)
南フランス・コルシカ島出身:1804年皇帝となりました。
混乱に乗じて独・英が侵略してこないように美術で大いにアピールしました。
★正統な政治を目指している。
★古代社会をお手本としている
フランス革命により王侯・貴族から市民階級へと社会の主役が移り、
宮廷を中心としたロココの繊細で華麗な贅沢でだらしない美術だと批判されます。
古代ローマのたくましく厳しい文化をお手本にして美術を立て直そうとして現れたのが新古典主義です。
― 本日のスライド鑑賞 ―
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12回目 ロココ美術 2005年1月13日(木) |
ロココ美術と聞いてまず何を思い浮かべますか?
私はドイツの≪ヴィース教会≫です。
ノイシュヴァンシュタイン城からの帰り何度かその扉を開けました。
【公式サイト】
18世紀の大芸術家ツィマーマンの手になる最高傑作で
ユネスコ世界遺産に指定されています。
天井
初めて見たときの感動は今でも鮮明に覚えています。
「こんなに綺麗で瀟洒な教会が世の中にあるなんて。。」
瞬きも忘れ息を呑むような信じられない美しさでした。
***
きっちりと興亡するわけでも
顕著に交代するわけでもありませんが、
概ね下記のように区分されます。
1700〜1730頃 |
ロココ美術 |
1750頃〜 |
新古典主義 |
18C.末〜 |
ロマン主義 |
1715年 |
ルイ14世没。豪華絢爛に食傷し、財政も心許なくなっていました。
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・ |
オルレアン公フィリップによる摂政政治 |
1723年 |
ルイ15世即位。ロココ美術へと移行していく。 |
【 ROCOCO ロココ 】
バロック(ルイ14世時代)の荘重で儀式ばった状態から開放され、
≪ 軽快・お洒落・機知に富んだ・センスが良く・軽妙洒脱・洗練・繊細・女性的
・・・ ≫
このように形容される軽くて楽しいもの、華やかで美しいものを求めました。
ロココ美術= |
ルイ15世様式 |
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愛人・ポンパドゥール様式
おフランスな様式 |
文化の担手は女性・文化の発信はサロン
cf.バロックは巨大な宮廷
★サロン★
もともとサロンは客間を意味しましが、
やがてその客間で催される「会合」を表すようになりました。
サロンとは、貴族やその妻達が客間を開放し、洗練された会話を楽しみながら、
お食事をしたり、朗読を聞いたり、音楽や演劇を楽しむ文化的な集まりのことです。
18世紀になると啓蒙思想も加わり、
文学・芸術のほかに政治・宗教・科学の話題などもされるようになります。
★ロココの語源★
貝殻や変わった形の石を型どった装飾をさす【ロカイユ】からきています。
この名が示すように、
この時代は華麗な工芸装飾が花開いた時代でした。
金工・陶磁器・室内インテリアなどの分野で質の高いものが生まれ、
お手本を中国に求め、中国趣味(シノワズリ−*明)が盛んとなりました。
マイセン・ローゼンタール・セーブルなどこの時代生まれです。
↓
逆輸入現象でヨーロッパの香りがブレンドされたものが東洋にもたらされました。
(は〜い♪私もヨーロッパの陶磁器好きです♪)
ロココを担った人々(女性)は、おもてなしの才能に富んでいて
家(サロン)の中を美しく軽快に飾り
名立たる人をお招きして文化・芸術や政治の会話をしたそうです。
つまりキーパ^ソン・・・代表はポンパドール夫人
そんなお話ができるようかなり知識を深めるための努力も惜しまなかったようです。
カソリック中心のイタリアバロックや絶対王政のフランスバロックとは異なり、
人間世界のあり方やより良い生き方を探求するよう真理の光を当てました。
啓蒙主義がひろまります。
迷信や偏見に満ちた過去の価値観から脱して、
近代合理主義と理性を信望することが提唱されます。
― 本日のスライド鑑賞 ―
ブーシェ「恋人たち」 |
スープ鉢(ニデルヴィレ窯) |
オテル・ド・ロアン・スービーズ(パリ) |
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ロアン家の増設した館の2Fサロン。
ロカイユ(貝殻模様)や曲線を駆使し
女性美・繊細さを強調してあります。 |
額縁の模様が「C」と「S」の字型を用いて
作られているのがロココの特徴。農村を舞台
に中央には若い恋人(彼は羊飼い)がイチャ
イチャしているのが描かれています。
が!日常から離れた綺麗な衣装でコスプレ
しています。軽薄とすれすれという感じ?! |
ファイアンス(軟陶)は磁器の堅い緻密な
感じと異なり温かみのある肌合いが特色。
手慣れた筆で花々が絵付けされ、曲線で
描かれ繊細かつ素朴で即興的な味わい。
これらの色釉(しきゆう)は低温で焼き付け
られ、発色も落ち着いた感じです。 |
オットーボイレン聖堂内部装飾:ドイツ |
シェーンブルン宮、古漆の間:ウィーン |
ベッド:チッペンデール |
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「S字」と「C字」の曲線で唐草模様。
唐草に天使を座らせ幻想的で自由奔放な
想像を使った産物。 |
壁面のパネルは黒漆に花鳥が描かれている。
シノワズリーが取り込まれています。
ベルサイユ風の宮殿の一室。 |
シノワズリー。天蓋は反り返った屋根を思わせる。東洋の貴人が憩った小建築を眠りのための家具に移行させています。 |
シャルロッテンブルク宮陶器室:ベルリン |
ミルク壷と皿:セーヴル磁器(パリ装飾美術館) |
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プロイセンのフリードリッヒT世の宮殿の一室。
王室の権力と財力で集めた東洋の磁器を
装飾素材としてそのまま壁一面に埋め込んであります。
隣国ザクセンのアウグスト強力王が彼の騎馬兵一連帯を
プロイセン王所有のひと組(!)の東洋磁器と交換しようとした
というくらい、ヨーロッパ宮廷では磁器収集がブームでありました。
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薔薇の膨らみを思わせるなだらかな膨らみのミルク壷と
受け皿のセットは、セーヴルでたくさんの類品が生産
されている。深いスミレ色の地に金彩で囲んだ白色地の
部分をとり、愛らしい薔薇や野草の花束を自然食で
描かれています。 |
食前の祈り:シャルダン |
ポンパドール夫人の肖像画 |
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1740年の絵。左下の女の子は手を合わせています。お食事の前にはお祈りをして紙に感謝をするのねという教訓が見えてきます。
真実・真理など地に足ついたフランス庶民の
つつましさが描かれています。 |
クァンタン・ド・ラ・トゥール:作パステル画
ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人は政治能力に長け,国王以上に
政治を動かしていた。机の上には地球儀・古典の本・建築に関する
書類・手には楽譜。美しいだけでなく勤勉。啓蒙思想の
大著【百科全書】の編纂に大いに助力したそうです。 |
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11回目 バロック美術@オランダ 2004年12月15日(木) |
【バニティ】という概念
(ヴァニタス)
もとはと言えば 『鏡』 からきています。
鏡を覗き込んでうっとりする。お化粧する。
バニティは「うぬぼれ、虚栄心」のアレゴリー(寓意)です。
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皆さんご存知のお化粧品や化粧用具を入れて持ち歩けるようにした箱形のバッグ。
ふたの表に取っ手が裏に鏡が付き化粧品を仕分けて収納できる仕切りがあるあれです。
私も一応持っているあのバニティバッグも虚しい物の象徴だそうです。。。 |
― 本日のスライド鑑賞 ―
前回の続きでバロック@オランダ&フランドルのスライドをたっぷり見せていただきました。
勤勉を旨とするオランダ人
絵画の中にも人格陶冶を目的とする教訓を盛り込みました
*
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ヘリッド・ダウ「肉屋の店先」 |
「静物画」 |
「静物画」 |
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左の若い娘の手に肉片
(色欲に興味を持つ)
右の肉屋の手にはウサギ
ウサギは臆病で逃げ足が速い
子だくさん(10〜12匹)で多産
↓
色欲が強い・淫乱
↓
≪教訓≫
若い娘はそんな早くからSexに
興味を持たずに慎みましょうね。
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カゲロウ・花・ヴァイオリン
花瓶に映る窓ガラス・
骸骨など、
はかないものや
快楽・死と共に
本も描かれています。
↓
≪教訓≫
この世でうつつを抜かしていると、
死後、神の国に行けませんよ。
本を読んでお勉強しましょうね。
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透明な花瓶にカーネーション(視覚)
ワイン(味覚・臭覚)・パン(味覚)
マンドリン(聴覚)
チェスボード・カード(触覚)と共に、
巾着(コイン)や虚飾の極地の鏡が
描かれています。
↓
≪教訓≫
五感に酔ってばかりいるとダメですよ。
ワイン&パンでイエス様の存在を
思い出しましょうね。
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ヤン・ブリューゲル(息子)「静物画」 |
「手紙を読む女」 |
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色とりどりのお花を寄せ集めて
花瓶に豪華に活けられています。
実際に高価な花を飾れなくても、
枯れないお花でお部屋を飾りました。 |
手紙を読む女性と女中。
右上:絵画が飾られています。
大切なものを保護するために
カーテンが引かれています。 |
この時代のオランダでは、
一枚絵を描いたからといって2〜3年寝て暮らせるものではありませんでした。
前時代において絵画は商品ではありませんでしたが、
絵画を商品として大量生産し、市民が大量消費するになっていました。
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ルーベンスン「キリスト降架」 レンブラント「夜警」 |
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カラバジェスキ
イタリアバロックの代表カラバッジオ風に
劇的な明暗でイエス様降架を描いています。
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明暗対比。アムステルダム自警団の集団肖像画です。
市民が自覚を持って自分達の町を守り、その役割を
担うことに誇りを持ち、市民としての自分達の姿を
末代まで残したいと思いました。
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アントワープの聖母大聖堂にあるルーベンスの【キリスト昇架】【キリスト降架】
【キリスト昇架】 |
【キリスト降架】 |
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画像BBS
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10回目 バロック美術@オランダ 2004年12月8日(木) |
オランダバロック=「17世紀美術」「オランダ絵画・美術」
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それまで北方はフランドルのアントウェルペンが中心でしたが、
17世紀は【オランダ】が大躍進を遂げました。
*
1648年 :ハプスブルク家から領土と宗教において独立
.プロテスタントの市民が国を支えました。
↓
美術に対して深い知識のない市民が
労働の余剰時間やお金で美術を楽しみました。
なので、絵画のサイズや価格はコンパクトなものとなります。
*************
― 17世紀オランダ美術の特徴 ―
≪近代的なジャンルの成立≫
1. 風景画
オランダの国土は狭くて貴重な不動産なので価値があります。
独立した国・国土に対する市民の自負心が多いにありました。
cf.ヨーロッパは万物の尺度は人物と考えていました
2.静物画
誰が見ても解りやすい花・果物・花瓶・グラスなどは
難解な知識や教養はいりませんので市民向けです。
※貿易が栄えたのでブラジルの植物やオーム貝の貝殻や
日本の焼き物など外国製品を持つことはできないけど
絵に描かれたものなら市民にも持つことができました。
※チューリップブームで球根への投機が始まりました。。。
生花は美しいけど、やがて散ります。絵なら散りません
3.風俗画
無名の人物や市井の人々の日常生活を描きました。
4.肖像画
今では普通に描かれています。
― 本日のスライド鑑賞 ―
プッサン「トモンの葬送」 「エウロペの略奪」
ルーベンス「パリスの審判」
トモンは古代ローマ人
風景も古代ローマ風に描かれています
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ギリシヤ神話を題材
後方に見える建物は、古代風建築です
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ギリシャ神話を題材。
ヘラ・アプロディテ・アテナの三美神のうちで誰がもっとも美しいかをパリスが判定させられたことをいう。多くの画家が
このタイトルの絵を描いています |
フェルメール「手紙を読む女」 フェルメール「デルフトの眺望」 ヤン・ステーン「医者の診察」
地図=カルトグラフィ
遠い所から来た手紙を
読んでいることが想像できます
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もっとも美しい絵と言われています。
貿易において世界で活躍しているが、
狭い国土故に土地に対して強い執着があり、
「デルフト」という街を絵に残しておきたいという
強いモチベーションが伺えます
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若い奥さんの病気は「恋患い」
近代的な絵に見えますが、
風俗画にも意味が込められています
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9回目 バロック美術@フランス 2004年12月1日(木) |
本日は、フランスに飛びます♪
― フランスのバロック美術 ―
フランスのバロックといえば、誰しも思い浮かべるのが
絢爛豪華な「ベルサイユ宮殿」「太陽王ルイ14世」ですね。
フランスでは、絶対王権を際立たせるための手段としてバロック美術が生まれました。
イタリア・神聖ローマ帝国・英国などまわりの国よりも国の力を絶対的なものにしようと
国家規模で文化・芸術政策を推し進めたそうです。
アカデミー制度の確立
@ |
1635年 |
アカデミーフランセーズ(王立学院) |
A |
1648年 |
アカデミー・デ・ボザール※
王立絵画・彫刻アカデミー |
※Beaux - arts
( 美 芸術 )
フランス語はおしゃれで洗練されているとされ、
ロシア宮廷でもフランス語が使われていましたし,ハイレベルと考えられたそうです。
アカデミー制度は他国にも多大な影響をあたえました。
例えば
ロシアの「エルミタージュ美術館」 Hermitage(隠れ家).
.
ドイツ・ポツダムの「サン・スーシー宮殿」 Sane Sousi 憂いがない。無憂宮。 .
【アカデミーでの勉強形態】
先生
○
|
生徒
○・・・○○○・・○○○○○○○○○○○○・・○○○・・・○
50人くらいの生徒が先生から
平等に同じことを学び模倣する
||
ひとつのスタイルができます
こういうアカデミズム(academism)は以降300年続くそうです。
アカデミズムができてから、約200年後の19世紀に
前衛(アヴァンギャルド)が台頭します。
ex)マネ・ゴッホ
反アカデミズムの人たちは人々から受け入れられずに
大きな壁(アカデミズム)の前に苦難の道を歩みます。
ふぅ。
ちょっと難しいですね。。。
【文化政策を推し進めた人】
17C.初 |
ルイ13世(カトリックの王様) |
ナントの勅令(宗教政策を緩和)
プロテスタントの人がいてもOKなのよ。
おおらかな政策。 |
リシュリュ−(優秀な宰相) |
*王立ゴブラン織り
*リモージュ焼き
国家がバックアップした。
ロシアから注文が殺到したそうです。
「おフランスのものを買いましょう」と。
(イギリスは文学はいいけど・・・) |
1640年 |
ルイ14世(太陽王)即位
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幼かったので、母方から宰相マザランが送り込まれる。 |
1660年代 |
ルイ14世・親政
バロック中心時代 |
*パリではなく、20年かけて【ヴェルサイユ宮殿】をつくる。
ヴェルサイユは元王族の狩猟場でした。
水がないので、セーヌ川から水を引いてきたそうです(@_@)!
*文化政策で世界制覇をねらいました※ |
※宮殿はこってりしていましたが、美術は古典主義(ギリシア・ローマを体系化しました)
cf.イタリアは宗教的法悦・エクスタシー・トランス状態
ギリシアはトルコに制覇されていましたので、フランスの人々はローマ留学で箔をつけました。
ローマで学ばなければ、二流とされていたそうです。
ローマに留学して、ミケランジェロやラファエッロをデッサンしました。
ローマで制作して作品をフランスに送ったり、
芸術的に乏しいイギリスに売ったそうです。
古代ローマを受け継いだ正統派。
全ヨーロッパに広めた人が二人います。
★ニコラ・プッサン
★クロード・ロラン.
― 本日のスライド鑑賞 ―
ルイ14世肖像画 ボールルコンテ宮 ヴェルサイユ宮殿 ニコラ・プッサン「アルカディアの牧人」
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8回目 バロック美術@イタリアバロック 2004年11月25日(木) |
これから3つの地域の【バロック美術】をお勉強していきます。
1.イタリア .
2.フランス .
3.オランダ(フランドル)
≪バロックってなぁに?≫
Baroque(仏):逸脱、誇張、歪曲、ゆがみ
語源は、ポルトガル語のBarroco(バロッコ):ゆがんだ真珠です。
1888年ハインリッヒ・ヴェルフリンというドイツの芸術理論家が次のように定義しました。
『ルネサンス(的) と バロック(的)』
・ ・
閉じた形式 開かれた形式
平面的・線的 面的・奥行き .
輪郭線で区切る 色彩で外に広げる
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― イタリアバロック美術 ―
(時代背景)
1540〜60年代
対抗宗教改革(Counter-Revolution)が起こります。
1517年ルターによって始まった宗教改革により、
多くの人々はカソリック教会から離れて新教へと流れていきました。
さすがの旧教側も免罪符などは良くなかったと反省しました。
なんとかして信徒を増やしたいと切に願いました。
「トレント公会議」において
1.典礼・教義の建て直し.
2.布教にて信徒数の増す
新教に行った人を呼び戻すのではなく、
新しい信徒を求めてアメリカやアジアへ布教活動に行くことになります。
その宣伝用に発明されたのがイタリアバロック美術です。
★迫真性 ★ドラマティックな表現
↓
光と影のコントラストを用いてカソリックの素晴らしさをアピールしました。
見るものをワクワクさせてカソリックへ導こうとしたわけです。
ex)カラヴァジォ(伊)バロックの代表的画家
. この流れは後の『夜警』で有名なレンブラントにつながります。
暗闇の中に美しい光で浮き彫りにされる世界ってホント〜に幻想的で美しいです!
絵画なら視覚だけですが、そこに美しいVn.の音色があれば・・・
ハートを奪われてしまうのは当然です
(目からうろこ ぽろっ。)
― 本日のスライド鑑賞 ―
. カラッチ「ピエタ」 グイド・レーニ「聖セバスチアヌス」 カラバッチオ「エマオの聖食」 カラバッチオ「イエスの埋葬」
カラッチとグレド・レーニは、イタリアバロックを支えた絶大な人気を誇ったそうです。
どの絵も明暗のコントラストがくっきりしていて、オーバーな表情や驚きが見られます。
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7回目 北方ルネサンス&バロック美術 2004年11月18日(木) |
今日は北方ルネサンスの続きと17世紀の絵画をお勉強しました。
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≪北方ルネサンス≫
フランドルの「ヤン・ファン・エイク」は、仏ブルゴーニュ家から作品依頼を受けていましたし、
ドイツの「デューラー」や「クラナッハ」は、神聖ローマ帝国のマクシミリアンT世から依頼を受け作品制作しました。
いわば、エリート中の超エリートでした。
では、エリートじゃない画家さんたちは?
地元主義といいましょうか・・・
民衆に伝わる諺や生活などを描く「ローカルな画家」だそうです。
その代表は、「ボッス」と「ブリューゲル」
― ボッス & ブリューゲル ―
【ヒエロニムス・ボッス(1450?-1516)】
彼が活躍したのは、1500年頃つまり15世紀の世紀末です。
20世紀の世紀末を私達が大騒ぎしたように、
いえそれ以上に当時の人々はこの世の終わりの恐怖に慄き
社会そのものが大揺れしていたことは想像するに難くありません。
その民衆の不安に揺れ動く心をボッスが『快楽の園』などで表現しました。
【ブリューゲル(1525〜1569)】
私、ブリューゲルの絵画はずっと好きでした。
まず色彩!ブルーグレイやスモーキーなブラウン&ライトグレイの色づかいがなんとも言えません。
また、風景の中に描き込まれた人々の体温を感じるような動きも
お話を読んでいるようで好きです。
ボッスに遅れること約50年。
世紀末大騒動は終わっていたものの、宗教改革(1517〜)の不穏な時代に生きました。
その画風は王侯貴族の目からすると、まったくの異次元。
垣間見ることのなかった農民・民衆の息づかいがとても新鮮だったようです。
ブリューゲルの絵画はウィーン・ハプスブルグ家(私の憧れ♪)が
レアな絵画として蒐集しました。
ウィーン美術史美術館にブリューゲル絵画の大半が収められています。
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余談ですが・・・
美術史美術館は私が最も好きな美術館です。
ヨーロッパの由緒ある美術館の多くが
昔の王城や教会の中に設けられているなか、
ここは純粋に美術館として建てられた実に素晴らしい美の殿堂だからです。
ルネサンスの次は【バロック美術】(17世紀)へと進みます。
― 本日のスライド鑑賞 ―
デューラ−:「アダムとイブ」:クラナッハ デューラー「メランコリアT」 ボッス「愚者の船」 ブリューゲル「雪中の狩人」
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6回目 北方ルネサンス 2004年11月11日(木) |
早目に教室に入ると
学生はまばらでした
今日は大好きな北方ルネサンス
頑張ってメモしましょ。
― 「イタリアルネサンス」 と 「北方ルネサンス」 の違い ―
【イタリアルネサンス】
≪人体内部・空間を構築≫・・・@解剖学 A線遠近法(空間の中に人体や事物を描いていく)
【北方ルネサンス】
≪描写≫・・・目に映るものをひたすら緻密に描いていこうとしています. .
外面(表面に見えるもの・お洋服のドレープ・素材の質感など重視)
緻密な表現を可能にしたのは、油彩です。
テンペラ画に比べ乾燥は遅いですが、
ぼかしや透明感のある色を出せます。
15世紀・初期ネーデルランド絵画はの主題は「宗教」でしたが、
16世紀、宗教改革により「聖書の教えに立ち戻ろう」という考えから
祈りの対象としての宗教画がいらなくなってしまいました。
とは言うものの、
マリア様の像やイエス様の像は、祈りの対象として解りやすいわけで
画家は絵の中に偽装された象徴を描きました。
ex) 白ユリの花・・・・・・マリアさま(処女マリアさま)
洗面器とタオル・・・・イエスキリストの洗礼
洗面器・・・・・・・・・・洗礼者聖ヨハネ.
★ アルブレヒト・デューラー(独) ★
彼は、人間の精神の奥底まで描き出すといわれた画家で、
銅版画でも優れた作品を残しました。
イタリアに2度留学して「人体比例」・「遠近法」・「ルネサンスの思想」を学び、
北方ルネサンスの緻密さの中にその技法を活かしました。
それまでの緻密ではあるけれど、
人体比例バランスがおかしいかった北方ルネサンスの画家とは
趣の異なる素晴らしい作品を残しました。
余談ですが・・・
ドイツ在住時代デューラーハウスがある
ニュルンベルグを何回か訪れたことがあります。
街中フラウエン教会近くの
ニュルンベルガーブルスト(ソーセージ)屋さん、
すご〜く美味しかったの♪
他のお店でもいただきましたが、ピカイチでした!
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活版印刷の発明&普及により 鎖国中の日本にも
長崎・出島からヨーロッパとりわけオランダの絵画が入ってきました。
「葛飾北斎」や「安藤広重」はそれらから遠近法を学び、
三次元的な浮世絵を完成させました。
(@_@)すご〜い!
イタリアルネサンスが極東の日本につながりました!
今日もたくさんノートとりました
ふぅ〜っ
― 本日のスライド鑑賞 ―
ディルク「最期の晩餐」 ヤン・ファン・エイク「アルノルフィニ夫妻の肖像」 ファン・エイク兄弟「神秘の子羊の礼拝」 デューラー「自画像」
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5回目マニエリスム&ヴェネツィア派&北方ルネサンス 2004年11月4日(木) |
先生ったら、会議室から教室へ直行でこられたので、
マイクの鍵(?)忘れちゃったんですって。
だから肉声で頑張られました。
前回の講義で解ったような解らなかったようなことを
まず、スライドを見ながら解説をしていただきました。
お部屋は暗いけど、私も頑張ってノートとりしましょ φ(..)メモメモ
今日も盛りだくさんの講義内容です。
― マニエリスム ―
三巨匠を頂点に理想的な美しさの芸術を極めたあとは
様式美をお手本にしつつも、デフォルメやひねりを加えたりと・・・
私の好きなのとはちょっと違うなと思う絵画も
ヨーロッパでたくさん観てきました。
それで、今日判ったことなのですが・・・
西洋美術を学問するには、「辞書」が必要なのだそうです。
寓意を読み解くための 【 図像学辞典 】(リーパの「イコロギニア」)
外国語を勉強するときと同じように、
美術史も辞書と首っ引きが必要なんですって@@!、
例えば・・・
リンゴを持った女性は「イヴorヴィーナス」.
羽根や矢筒を背負っている子は「キューピット」
砂時計を持っている老人は「時」 .
「天秤」は公平や公正を表すなど .
≪ブロンヅィーノ「愛のアレゴリー≫を鑑賞しながら、絵解きしていただきました。
― ヴェネツィア派 ―
フィレンツェやローマのルネサンス美術とは異なり色彩を重視しています。
ジョルジョーネやティッツィアーノの裸婦を鑑賞しました。
絵具も顔料をテンピ油で溶いた絵具(油絵具)て描く「油彩」が特徴です。
グラデーションでぼかしを入れて
輪郭線に陰影を出し丸みを表現したそうです。
― 北方ルネサンス ―
ベルギーの北部フランドル地方を中心に、オランダやドイツに広がりました。
ドイツ在住時代や帰国後にベルギーに遊びに行ったときに
たくさん北方ルネサンスの絵画に触れ、
他とは異なる構成にいたく惹きつけられていました。
活躍した画家は
メムリンク、ボッス、ブリューゲル、デューラー、ファン・エイク
【 特徴 】
1)人間表現. .
2)風景(川・空気・大地を意図的にとりあげる)
3)油彩画. .
線遠近法や解剖学を基にした科学的な絵画ではなく、
経験に基づく「人間表現」「空間表現を重視したそうです。
そうですよね、ヨーロッパでも北の方って
ちょっと素朴とか朴訥とか懐かしさが伴う感じがありますよね。
ラテン系民族とゲルマン民族の違いも大いにあると
私は秘かに思っているのですが・・・
北方の芸術家は南方の科学的知性に憧れ・・・
南方の人は油彩画や風景画を新鮮な目で買い求めた。
人って、自分にはないものに憧れるのはいつの時代も同じなんですね。
― 本日のスライド鑑賞 ―
ブロンヅィーノ「愛のアレゴリー」 パルミジャニーノ「長い首の聖母」 ティッツィアーノ「ウルビノのヴィーナス」.
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4回目 ヴェネツィア派&マニエリスム 2004年10月28日(木) |
― ヴェネツィア派 ―
盛期ルネサンスの主な舞台はローマと、もうひとつ・・・
東方とヨーロッパ諸国を結ぶ貿易で財政豊かになった
ヴェネツィア です。
「ヴェネツィア」 にはエキゾチックな香りが漂っています。
ローマとフィレンツェは交流が盛んで
注文主の都合で芸術家の貸し借りがあったそうです@@。
一方、ヴェネツィア派は独自のもの!を発達させていきました。
その独自な特徴は「色彩」。
感覚的で人の心をざわめかせる「色彩」です。
ルネサンス盛期には、「線」が1番で「色彩」は2番と考えられていました。
フィレンツェ派は知性や精神性を表すのに線描を重視していました。
でも、ヴェネツィア派は色彩を大切にしました。
海洋性都市の明るさからでしょうか・・・
≪感覚的でいいじゃない≫
≪官能的でいいじゃない≫
≪美しくていいじゃない..≫
ヴェネツィア派の代表的な画家は
ジョルジョーネ
ティントレット
そして、色彩の父 「 ティッツィアーノ」
1519年にダ・ビンチが没し. .
1520年にラファエッロが没す
二人の巨匠を相次いで失い、盛期ルネサンスは終焉を迎えます。
そして、時代は・・・
― マニエリスム ―
(Mannierism)
「マニエリスム」・・あまりお馴染みじゃありませんね・・・
イタリア語の「マニエラ」(manner:様式)に由来するそうです。
芸術家たちは、頂点を極めたルネサンス盛期を維持しよう思い、
巨匠たちの様式を大切に受け継ごうとしました。
ただ、前回にお勉強したように社会情勢は
フランスや神聖ローマ帝国の侵入と宗教改革・・・
不安定な時代でした。
芸術のおいてもその不安定さが影を落とし、
自然を超えた洗練・芸術的技巧・観念性を求めるように・・・
マニエリスムの様式的特徴は・・・
極端な「ねじれのポーズ」「長身化」
「冷たく鮮やかな色調」
「短縮法や遠近法の誇張」
「非合理的空間表現」
などが挙げられるそうです。
ふぅ〜っ。
なんだかややこしくなってきましたね。
つまり、時代そのものがややこしかったということでしょうか・・・
あっ!それで、長生きされた巨匠ミケランジェロは
ご自身の作品の中で「マニエリスム」を実践していたようです。
そう言われれば、絵画や彫刻において「ねじれ」を見出すこと、ありますよね。。。
理想的な美しさで芸術を続けていくことや
高い理想をもって美しく生き抜くことは
とても難しいことなのでしょうか・・・・・
― 本日のスライド鑑賞 ―
ラファエッロ:「アテネ学堂」 ダ・ビンチ:「モナ・リザ」 . ミケランジェロ:「聖家族」 & 「最後の審判」 .
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3回目 盛期ルネサンス 2004年10月21日(木) |
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( 時代背景 )
フィレンツェの芸術の保護者であり有力な金融業を営んでいたのはメディチ家でした。
が・・・ロレンツォ(3代目さん)が★さまになられた後、
禁欲的なカリスマ的修道僧・サボナローラが現れて支配をしたり
神聖ローマ帝国(ドイツ)皇帝やフランス王がイタリアの富と土地を狙って侵入してきたそうです。
ああ〜ドイツもなの〜><。
それで、フィレンツェは、だんだん力がなくなっていき・・・
貿易でお金持ちになったヴェネツィアや
教皇さまのいらっしゃるローマが元気になっていきました。
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― 盛期ルネサンス ―
*ダ・ヴィンチ・・・・・( ミラノやフランスに雇われていきます ). .
*ミケランジェロ・・・・・( ピエタ像やシスティーナ礼拝堂天井画,. .
. サン・ピエトロ大聖堂のドーム )
*ラファエロ・・・・・ ( 聖母子やアテネ学堂などの絵画 ) .
*ブラマンテ・・・・・( サン・ピエトロ聖堂建設を着手した建築家 )
*ティッツィアーノ・・・・・( この方はヴェネツィアでご活躍 ).
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私達がよく知っているルネサンスの芸術家は、この盛期ルネサンスに活躍しました。
でも、この盛期ルネサンス、驚くことなかれ・・・
1500〜1520年のわずか20年間という短いピークなんですって!!
そんな短期間に これだけの天才たちが生まれたのですか ?!
す・凄過ぎます@@!
それはね・・・
注文主がいて始めて成り立つ芸術家&作品ということだそうです。。。( ?)
注文主が変われば、作品にも影響する・・・( どういうことなのですか?) .
場所はローマ。時代はルネサンス。
教皇ユリウスU世というカソリックの一番偉い方が、
聖ペテロの骨が祭られていた古い寺院を立派にしよう!と計画したのです。
そうです♪ヴァチカン市国にある カソリック教徒の総本山 * 【 サン・ピエトロ大聖堂 】
「建築家」 に 立派な聖堂を造ることを要求し・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「彫刻家」 に 聖人の立派な像を作ることを求め・・・・・・・・・・・・・・・
「画家」 に 天井や壁を飾る絵画(聖書のお話)を描くことを命じ・・・
そんな巨大プロジェクトのもとに 「 芸術家たち 」 が 「 天才たち 」 への道を歩んだのです。
偶然ではなく、時代が生んだ必然的なもの。といえるでしょうか。。。
教皇ユリウスU世さま、ありがとうございます m(_ _)m
でも・・・
この巨大プロジェクトも いずれ経済的に逼迫していき、
お金集めのために 【 免罪符 】 を販売。。。( あらら・・・><; )
( これを買うと、あなたの犯した罪は許してあげますというキャッチ・コピー)
腐敗に傾いていくカソリックに我慢できなくなり・・・
やがて 【 宗教改革 】 がドイツやフランスで起こります。。。。
そんな訳で、盛期ルネサンスのピークは短かったのです。
― 本日のスライド鑑賞 ―
ボッテチェルリ : 「 春 」
ルネサンスの精神が結晶してつくりあげた作品です。
ルネサンスは、古典古代の伝統の再生を意味しますが、
この作品にはキリスト教の聖人たちに代わって古代の神々が登場しています。
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主人公の愛と美の女神「ヴィーナス」
西風(春風)の神「ゼフュロス」
春の女神「クロリス」
花の女神「フローラ」
貞節・愛・美を象徴する3美神
知恵の神「マーキュリー」
― 本日のスライド鑑賞 ―
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2回目 初期ルネサンス 2004年10月14日(木) |
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( ルネサンスとは・・・ )
中世の封建社会(領主や教会)で抑圧されていた人間らしさの回復をめざした文芸復興運動のことです。
自然・人間・古代(古代ギリシヤ・古代ローマ)への回帰。。。
ルネサンスはイタリア*フィレンツェで始まります
それは、フィレンツェが市民・都市を中心に交易や商業取引がさかんであったため
1300年(トレチェント)〜・・・ルネサンスの芽生え 1400(クワトロチェント)〜・・・・・初期ルネサンス 1500(チンクェチェント)〜・・・・・盛期ルネサンス
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― 初期ルネサンス ―
なんと言っても、画期的な発明は【遠近法】と【解剖学】 そして【サイン:署名】もこの頃、初めて使われます。 技を伝承しながら肉体を使って働いていた職人「アーティザン」から
唯一無二のものを創造する芸術家「アーティスト」へ・・・
人間復興は作品だけでなく、 作り手自らが芸術的価値を認めて欲しいと願うところにも現れました。 「これを制作したのは、私、○○です!」
アーティストたちは、【遠近法(幾何学)】【解剖学】を学び、 芸術を知的にサイエンスに近づける努力を惜しみなくしました。
また、画家自身が【絵画法】を執筆しました。
― ** 遠近法 **―
例えば、まっすぐな道のまん中に立って先を見ると・・・
道の両端は遠くに行くにつれて、ひとつの点(消失点)に集まっていくように見えます。
この「消失点」という一点を画面に作り、そこへ向けてラインを集約するように絵を描くと、
すべてのものを奥行きのある三次元で描けるようになるそうです。
私たちって、なんとなく当たり前って思っていますが、
15C.のアーティストが素晴らしい発明をやってくださったのですね!
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1回目 プロローグ 2004年10月7日(木) |
こちらの聴講も本日からスタート♪ 後期が始まったばかりのキャンパスは学生があふれていて活気むんむん!!
「ルネサンス」⇒「バロック」⇒「ロココ」⇒「新古典主義」・「ロマン主義」・・・・(バルビゾン派)・・・・→(印象派)
≪―― *講義ではこれらの時代!うれしっ♪* ――≫ ... ..... ...
今日はガイダンスとルネサンスの定義づけを少しだけしました。来週からが楽しみです♪
上に戻ります |
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