【 免罪符 】



ローマのサン・ピエトロ大聖堂を建設する資金を調達するために、北ドイツのマインツ大司教区で免罪符が売り出されました。

販売を委託されたのは、以前から免罪説教師として活動していたライプツィヒの修道士ヨハン・テッツェルでした。
テッツェルはドイツ各地で巧みな説教を行い、民衆は競ってこれを購入しました。
身分や収入、あるいは罪の内容によって免罪符の値段を決め販売の成果をあげました。
「 お金が箱の中でチャリンと鳴れば、魂は天国へ行ける 」
といった巧みな弁舌が苦しい生活を強いられている人々の心をとらえたのです。

国家的統一の弱いドイツは、免罪符の最大の市場とされました。

この免罪符は、中世から近世初期のローマカソリック教会で発行され、
信徒がこれを購入すると自己の犯した罪へのつぐないが赦免されるというものでしたが、
このころには聖俗支配者たちの金銭的利益追求に用いられるようになっていました。

神聖ローマ帝国(ドイツ)内で販売されていた免罪符に対して、
ルターは 「 真の悔い改めや信仰とは異なるもの 」 として疑義を抱いていました。

やがて、ルターは純粋に神学上論争と考え、免罪をめぐる公開討論を目的に
「 95か条の提題 」 を教会に貼り出しました。
手書きのラテン語の文書は人々の共感をよび、ただちにドイツ語に訳され出版されます。
その結果、2週間でドイツ中に流布し、大きな反響をよぶことになります。

これが宗教改革の発端になるとは、彼自身予想だにしていませんでした。

― 「 クロニック 世界全史 」 講談社より ―