あ | アウンサン Aung San ![]() |
1915〜1947年、 ミャンマー、マグエ生まれ。 ヤンゴン大学の学生時代から政治活動、タキン党(ドバマ・アシアヨンDobama Asiayone)に参加。 現在でも「建国の父」として民衆からの信望と人気は絶大。 [参考図書] アウンサン将軍と三十人の志士 ボ・ミンガウン 田辺寿夫 訳 中公新書1990年発行 |
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アウンサンスーチー Aung San Suu Kyi |
1945〜 アウンサンの実娘。英国オックスフォード大学卒業、ニューヨーク国連本部勤務。 1972年、英国人マイケル・アリスと結婚。ロンドン大学東洋アフリカ研究学部にて再び勉学、一時は京都大学東南アジア研究センターに在籍。 |
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★ ビルマ族の名は、姓名の区分がないので、分かち書き「アウンサン・スー・チー」あるいは部分を表記する「スーチー女史」は誤り、正しくは全部を記す「アウンサンスーチー」 [参考図書] ミャンマー政変 北川成史 ちくま新書 2021年発行 |
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アオザイ ![]() Ao dai ベトナム語 |
ベトナム女性の民族衣装「長い衣」の意。 立て襟、長そでの上着、裾の長さは床面から15cm 前後、左右の脇は腰上あたりまでスリットが入る。素材は絹、綿、ポリエステルなど、下半身はクアンと呼称するパンタロンを着用。以前は上半身の肌着としてアオロットを着用していた。 |
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アカ族 Akha Tribe ![]() |
タイ北部、ミャンマー辺境、ラオスの一部に居住。中国、雲南から南下した民族。 女性は鉄かぶとのような金属装飾の帽子、ひざ上までのスカート、脛に脚絆を着用しており他の民族との区別が容易。男性は藍染めの長袖上着とズボンを着用しており、地の民族との区別は困難。標高 1000〜1400m の山岳部で、水源に近いところに定住。集落の入り口には日本の鳥居に酷似した門、陰陽をあらわす男女の木製人形、儀礼や祭事に使う巨大なブランコ、双生児の出産を不吉として殺害処分する特異な習慣をもつ。(現在は廃れた) 一夫多妻制、男女の寝室は区別。 |
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アセアン ASEAN |
東南アジア諸国連合 正式名称 Association South - East Asian Nations |
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アナシスティロシス Anastylosis ギリシャ語? |
遺跡修復の専門用語。 @ 本来の用語では・・・創建時の部材のみを使用し、修復のときに補充や復元をしない。 A 広義の用語では・・・建物を一度解体してから、再度建築すること。 |
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アニミズム Animism |
英国の文化人類学者、タイラーが提唱。 自然界の事象に聖霊や霊魂の存在を信じた原初的な宗教。 語源は「アニト」・・・フィリピン、ルソン島の稲作農民が、加護や畏怖の対象とした死霊を示す現地語。 |
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アチェ Aceh |
インドネシア、スマトラ島北部。16世紀アチェ王国が繁栄、19世紀オランダの植民地化に抵抗、1945年にインドネシアの独立、1953年インドネシアに併合されたのちも抵抗運動が盛ん。 | ||||||||||||||||||||||||||||
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アーチ工法 Arch mathod |
古代ローマ時代から伝わる建築構造で、窓、門、橋などの開口上部をくさび型に石やレンガをくみ上げ荷重を支えた。ミャンマーのバガン遺跡に多用され、カンボジアのクメール遺跡では採用せず。 | ||||||||||||||||||||||||||||
阿片 アヘン Opium ![]() |
芥子(ケシ)は種を播いたあと3ヶ月で開花、その実を切開すると乳白色の液体が流れ、自然に凝固する。これが生アヘンで、加工作業を経てヘロインやモルヒネなどの精製品となる。 | ||||||||||||||||||||||||||||
アプサラス Apsaras |
ヒンドゥー神話における天界の精。 アンコール遺跡では官能の娘、天界の踊り子として壁面彫刻に描かれる。 |
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アムリタ Amrita |
不老不死の甘露。 ヒンドゥー神話の乳海攪拌場面で、ビシュヌ神の化身である大亀が精製。 |
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あやつり人形 Puppet ![]() |
ミャンマー語でヨウテー、指先から糸で繰る木製の人形、小人数の楽団を伴う。 ミャンマーでは伝統芸能としてマンダレーに常設劇場があり、地方を巡回する旅団もある。 |
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アユタヤ王朝 Ayutthaya Dynasty ![]() |
1351〜1767年、400年あまり続いた現タイ国の王朝。バンコクの北70km チャオプラヤー、ロッブリー、パーサック河の合流点に位置し、交易の中心地として繁栄。これらの河川は雨季の氾濫にともない、周辺に肥沃な土地と農作物をもたらす効果があった。ウートン、スパンブリー、スコータイ、プラサートトーン、バーンプルアン、以上5つの王家から33代の王を輩出。17世紀前半には日本から朱印船が来航し、日本人町の形成をもたらした。当時アユッタヤーの人口は推定19万人。カンボジアのアンコール王朝への出兵や、北部スコータイ王朝との戦勝により勢力を拡大したが、最後はビルマ軍の侵攻により滅亡した。 | ||||||||||||||||||||||||||||
アンコールトム Angkor Tom ![]() |
アンコールワットと併記することが多いため、寺院の固有名詞として誤解されるが、正しくはヤショヴァルマンT世時代(889〜910年)の城壁内全体をさす。 城壁は一辺約 3Km四方で、ラテライト(紅土)をブロック状に積み上げて構築され、高さ8m 南大門・北大門・西大門・東は勝利の門と死者の門 計5つの城門をもち、その内側に人面像で名高いバヨン寺院・象のテラス・ピミアンナカ・バプーオン北クリヤン・南クリヤンなどの遺跡が現存する。 |
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アンコールワット Angkor Wat ![]() |
1140年ごろ、スールヤヴァルマンU世王の霊廟として建立。 東西1500m 南北1300m 幅190m の水豪で四方をかこみ、アンコール遺跡の例外として西側が正面。フランス人博物学者アンリ・ムオの著作が1863年に出版され、西欧に認知された。5基の塔、その中心祠堂の高さ65m。 [参考図書] アンコールワットの魅力 重枝 豊 彰国社1994年発行 |
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アンナ・レオノゥエンス Anna Harriette Leonowens |
1834〜1914年、英国人女性。タイ国ラーマ4世王の時代、1862年から5年間王室の家庭教師を務めた。著書に「シャム王室のイギリス人女性教師」 「シャム王室のハレム生活」 1956年制作のアメリカ映画「王様と私」は、この回想録をもとに、マーガレット・ランドンが執筆した小説が原作。 |
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い | イスラム Islam |
マホメットを創始者として、7世紀ごろからアラビア半島で布教が広まり、東南アジアへは13世紀末ごろに伝来。特徴として偶像崇拝の禁止、一日5回の礼拝、一年のうち約1ヶ月におよぶ断食の義務、豚肉の食用を厳禁、金銭借用の利子を禁止、男子性器の割礼、妻帯4人までの容認、経典コーランは各国語への翻訳を禁止・・・など他の宗教とは一線を画す独創性をもつ。 | |||||||||||||||||||||||||||
稲 Rice |
栽培稲の学名 Oryza
Sativa 野生稲の学名 Oryza Perennis 食感から大別してねばりをもつ「モチ種」と、ねぱりのない「ウルチ種」 |
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インダー族 Intha Tribe ![]() |
「湖の民」の意、ミャンマー・インレ湖の周辺あるいは水上に居住し漁業、湖上菜園、機織りなどで生計を営む。杭上家屋を好み、小船をあやつる独特な片足漕ぎの習慣をもつ。インダー族の民間伝承では、言語のなまりが類似するミャンマー南部のタボイ族を、同属とみなす。 | ||||||||||||||||||||||||||||
インドネシア語 Indnesia Ward |
元はマレー語方言の一種。オランダは17世紀半ばから植民地として支配を広げ、行政文書にマレー語を使用したことで各地で普及。1945年に独立後、憲法に国語として制定。 | ||||||||||||||||||||||||||||
インパール作戦 Inphal Operations |
太平洋戦争中ビルマ北部から侵攻し、インド領インパールを占領して敵側イギリス軍の壊滅と中国からの補給路を断つ目的で日本軍が強行した軍事作戦。1944年(昭和19年)
1月7日に作戦が発令され、3月8日第33師団がチンドウィン河を通過して作戦が開始。食料と武器の補給が遅延、くわえて雨季の陸路事情と病気の蔓延などのため作戦は6月22日に中止。退却路は俗に「白骨街道」と呼ばれ、参加兵力10万人のうち3万人が戦死。運良く生還できた兵の多くは、ビルマ民間人から物心両面の援助をうけた。 [参考図書] インパール作戦従軍記 丸山静雄 岩波新書1989年発行 |
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イリ(I.R.R.I.)略称 International Rice Research Institute |
国際稲研究所。 アメリカのロックフェラー財団とフォード財団の資金提供により、1960年フィリピン、ルソン島のラグナ州に設立された稲専門の研究施設。稲の資料収集、品種改良、農家への稲作指導などで成果。 品種改良番号・偶数はウルチ種(例:IR20・IR24)奇数はモチ種(例:IR15・IR23) |
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う | 雨安居 うあんご Vassavasa パーリ語 |
仏教用語で、「雨季の定住」の意。 東南アジアの大陸部では、モンスーンの影響をうけ5月中旬から10月初旬まで、雨季。この間、仏教に仕える僧は外出を控え、寺院や僧院のなかで修行生活をおくる。在家信者は雨安居のあいだ、結婚式や転居を控える。 |
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ヴィシュヌ神 Vishunu ![]() |
インド・ヒンドゥー神話における救済の神。 青年の姿と4本の腕、智慧の象徴としての棍棒をもち、存在の根幹としてホラ貝の殻、創造と破壊を表した車輪、乗り物はガルーダ、妃はラクシュミー。 |
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ウォーレス Alfred Russel Wallaces |
1823〜1913年、英国の動物・地理学者。 彼が1854年から62年にかけて行ったマレー諸島とインドネシアの現地調査により、動植物分布のまったく異なる境界線を提唱。それはフィリピンのミンダナオ島南方、カリマンタン島とスラウェシ島の間、バリ島とロンボク島の間を通過。提唱者の名をとってウォーレス線と呼ぶ。この境界線より東側は、ニューギニアとオーストラリアをふくめて芋と豚の文化圏。西側は、インドまでを包括して稲と水牛の文化圏。 |
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[参考図書] マレー諸島 上・下 A.R.ウォーレス 新妻昭夫 訳 ちくま学芸文庫1993年発行 熱帯の自然 A.R.ウォーレス 新妻昭夫 訳 ちくま学芸文庫1998年発行 |
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浮稲 Froating Rice |
水位の上昇に応じて茎の部分を伸ばし、常に先端部が水面上にある性質の稲。 名称から連想して浮遊しているわけではなく、根は土壌に固定。肥料が要せず雑草対策も手間いらずの反面、急激な増水や減水によわく収量の安定性に欠く。 水深1m 前後の稲は「深水稲 Deep Woter Rice」として区別。 |
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歌垣 うたがき | 男女が掛け合いの歌をうたいながら、求愛行為の代用とする習慣。 本来は、めあての異性に向けてうたうが、祭事や農閑期には集団で余興とすることがある。現在では、ベトナム北部、中国南部の山間地で習慣がのこる。 |
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え | エーヤワディ河 Ayeyarwady River |
ヒンディー語で「象の河、大きな河」の意。 「イラワジ河」は、日本語の誤記。 ミャンマー北部カチン州からマンダレー、バガン、ピィを経由してベンガル湾にそそぐ、全長2160km の大河。この河を境に上流地域を上ビルマ、下流地域を下ビルマと区分。その水量は雨季の7月と乾季の2月を比較すれば、中流域のバガンで高低差10メ−トル。 |
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F.E.C. ![]() Foreign Exchage Certificate |
Foreign Exchage Certificates の略称 通貨単位は 1・5・10・20 四種類 通称ビルマドル。 1995年4月ごろから個人旅行客に対して入国時にUSドル立ての両替を強制し当初は300USドル、2000年7月からは200USドルに改訂。2003年8月から強制両替を廃止・・・残存紙幣は流通していない。 |
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N.L.D. National League for Democracy |
ミャンマーの最大野党、国民民主連盟。1988年、民主勢力を統合するため設立され、「建国の父」アウンサンの実娘、国民的人気をもつアウンサンスーチー女史を代表者とした。 | ||||||||||||||||||||||||||||
お | オダラン ![]() Odalan |
インドネシア、バリ島、独自のウク暦 (1年210日) よるバリ・ヒンドゥー寺院の祭事。 寺院の格式、規模により1日~数日など、祭事の期間は異なる。 |
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オラウータン Orang Hutan |
インドネシア語でオラン・ウタン「森の人」の意。 スマトラ島北部とボルネオ島(カリマンタン島)に生息する大型類人猿。成長体重はオス75kg以上、メスは35kg以上、主食は果実、そのほか樹皮、茎、葉を採取。樹上の枝わたたり移動のほか、体重の増したオスは、地上の歩行移動をともなう。生息個体数はスマトラ島で9000頭、ボルネオ島で1万数千頭と推定される。 |