管理人Dr.TOSHIです

<院長の自己紹介と御挨拶>

院長は・・・Dr. TOSHI です。

2004年 2月 1日 、開院しました。

耳鼻咽喉科領域のみならず、救急病院での一般「救急医療」に携わった経験も生かして、他の医療機関等とも連携して地域医療に役立てるようにがんばります

スタッフ一同、地域の皆様のお役に立てるように、精一杯がんばりますので、公私共に末永く良いお付き合いをよろしくお願い申し上げます。

得意(?)な分野は「鼻・副鼻腔」で、特に嗅覚などの感覚分野で学位を取得したこともあり、興味を持っています。

当クリニックでは日帰り手術を積極的に行っています。

近隣の病院にて入院・全身麻酔手術を管理人Dr.TOSHIが行い、術後まで責任をもって対処することもあります。

また、鹿児島市内にある総合病院(耳鼻咽喉科常勤医のいる病院)などと連携して、難病や癌治療なども、紹介・経過観察を行っております。

 

これだけ医療技術が進歩しても、生活習慣病やアレルギー疾患などは増えております。

治療不可能な難病もいっぱい存在します。

 

私個人の医師としてのスタンスは、「病気を治す」ではなく、「あなたの身体が病気を治そうとする過程のお手伝いをする」です。

少しでも皆さんのQOL(生活の質)の向上に貢献できたらいいと思っています。

まずは気軽に話ができる信頼関係を作っていきたいと思っています。

 

「医者だから」「医者なのに」なんていうボケたことは言わないで下さいね。

公務員や教員もそうだと思っていますが、聖職なんて思えません。

医者も農業や漁業、製造業や公務員、パート労働者などと同じ人間です。

昔は「先生」呼ばわりされるのがイヤでしたが、なんとか慣れました。

みんなが呼びやすいように呼んでくださったらよろしい。

やっぱり「としセンセー」が多いんで、恐縮ですがそれで結構です。

さて、管理人Dr.TOSHIは音楽演奏からアウトドア、マリンスポーツからウィンタースポーツまで節操なくいろんな趣味を持っていますので、管理人Dr.TOSHIのQOL向上のためにも、地域の皆様とのプライベートな付き合いなど、よろしくお願いします。


2008年、12月20日・・・管理人Dr.TOSHIは父親としての新たな人生を歩み始めました。

父親として、人間として、医師として、住民として、いろいろ考えながら、葛藤しながら、皆さんと歩んでいきます。

馴れ合いだけではダメですね。スポーツ社会と同じく勝ち抜かねば生きていけない。潤うところがあれば、持っていかれるところがある。この現実を子供たちにしっかりと伝えていかねばなりません。

人生という荒波を生き抜く厳しさを勉強しながらがんばっていきたいと思います。

 

2007年3月17日・・・禁煙・・・

毎年、指宿菜の花マラソンを走ることを決意!・・・その日は休診になります。ご了承ください。



*********簡単な職務経歴********

196○年9月 この世に生を受ける
199○年 4月
鹿児島大学医学部卒業
家系で初の医者になっても〜た〜!
鹿児島大学大学院医学研究科入学
鹿児島大学医学部耳鼻咽喉科入局
199○年 4月〜9月 ドイツErlangen大学留学
ドイツ語はしゃべれません。
英語で押し通しました。(^^)
199○年10月〜199○年 3月 国分中央病院耳鼻咽喉科
今もCT依頼や開放病床でお世話になっています。
199○年 4月〜199○年 3月 国立南九州中央病院 耳鼻咽喉科
今でも患者さんの紹介でお世話になっています。
199○年 4月〜9月 今村病院分院耳鼻咽喉科
すばらしい聴力検査室がありました。
199○年10月〜200○年 3月 大島郡医師会病院耳鼻咽喉科(兼 内科)
楽しかったですね。呼吸器内科も勉強できたし
1級小型船舶免許、ダイビングのC−カードも
ゲットできました。毎日釣りでした。
199○年 3月末 若かったですね〜。人事に納得できず、
大学を退局してフリーへ。
あとは開業一直線って思ってました。
リクルートなんかもしました。
200○年 5月〜200○年12月 そうもすぐに開業できるわけなく
青雲病院に拾っていただきました。
耳鼻咽喉科外来をする傍ら、
週1回の当直医を任されました。
救急なら何でも来る救急外来です。
ここで救急を学びました。
おかげで今や患者さんに何が起きても大丈夫。
2004年 2月1日 みみ・はな・のど としクリニック開院
救急経験を生かしてハードが許す限り
なんでもしまっせ。
念願の音楽のバンドも組めて楽しくやってます。