平賀本土寺

平賀本土寺略歴

長谷山と号する。池上長栄山本門寺、鎌倉長興山妙本寺と共に朗門の三長三本と呼ばれる。
この地は平賀家の屋敷跡と伝えられる。
建治3年(1277)領主曽谷教信により領内の地蔵堂をこの地に移して法華堂とし、日朗上人を招じ、開山とする。
その後、順次堂宇が整うも、宝徳4年(1453)本堂・祖師堂など焼失。
寛永7年(1630)身池対論、その結果、平賀第15世了心院日弘上人は伊豆戸田へ流罪。
2019/10/26追加:
○「禁制不受不施派の研究」宮崎英修、平楽寺書店、1959(昭和34年) より
◇碑文谷法華寺・平賀本土寺の反撃
 碑文谷日進は信州上田仙谷政俊に預けられ、その帰依を得て、妙光寺を創し、平賀日弘は伊豆戸田に預けられ長谷寺を創す。
  ※長谷寺は現存、本土山と号す、平賀本土寺末、不受不施派了心院日弘の開創。
身池対論の遺跡たる両寺とも他の諸寺と同じく、身延の脅迫にあう。
 碑文谷法華寺は日進のあと守玄院日誠が稟(う)けるが、住職ではなく、看坊職(住職代理)として法華寺を薫する。
日誠は看坊職を長期にわたり、勤めていて、身延の圧力には屈することはなかったようである。
  ※日誠:野呂17世、谷中感應寺11世、碑文谷法華寺12世。
 平賀についても、身延は手を変え品を変えて支配下に入れようとするも、寺僧は本土寺が祖師在世の草創であることを楯に他門流の支配は受けぬと断固拒否する。
さらに、池上・妙覚寺と同じく本土寺にも公儀より御下知を蒙ったのであれば、その証拠(つまり朱印状)を示せと身延に反撃し、もしご朱印なくば、幾度督促されても、従うことは出来ないと通告する。身延としては打つ術がなく、引き下がるほかはなかった。
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寛文6年(1666)寛文の法難(不受不施の禁制)で、平賀第21世生知院日述上人は伊予吉田伊達家お預け・追放。
  ※日述は祖山妙覚寺24世
  ※日述の事績については、備前法華の系譜に論述<日述で検索を乞う>
(以降、日誠上人は「古制を堅持」するも、やがて身延派が摂取と思われる。)
   ※日蓮の正系(不受不施派)についての概要は「備前法華の系譜」のページを参照。
往時の本堂は14間四面の大堂で、4院6坊(仏持院のみ現存)、末寺百数十を有したと云う。
 ※享保2年(1717)12間四面の本堂建立。(「創立並縁起」)
三聖人(日朗上人・日像上人・日輪上人)の生誕地と云う。日輪上人は池上・比企ヶ谷第3世。
 ※妙朗尼は日昭上人の妹にあたり、妙朗尼と平賀の印東有国との子が後に日朗上人となる、
  妙朗尼は有国没後、平賀忠晴に再嫁し、日像・日輪を授かる。
   →日像上人略伝
2016/10/02追加:
○「日蓮宗寺院大鑑」池上、昭和56年 より
文永6年(1269)創立、開山は日蓮上人、蔭山土佐守狩野の松原に法華堂を建立、風損の為曽我教信が地蔵堂を法華堂に改め、日朗は日傳を住職とする。教信の娘の芝崎の前(千葉貞胤の娘)は延慶2年(1309)平賀六郷を寄進し伽藍の造営に尽す。
この地は平賀忠晴の邸跡で、日像・日輪(池上3世)兄弟の生誕の地である。
徳川家康10石を寄せ、徳川光圀は20石余を寄進。
寛永期不受不施の中心となり、寛永7年(1630)身池対論では15世了心院日弘が伊豆戸田へ流罪となる。
寛文6年の法難では上述の通りである。
盛時には20間本堂、4院6坊、末寺150を有するという。

 ・近世平賀本土寺景観:「水戸佐倉街道分間延絵図」(文化3年(1608)) より
  ※仁王門に至る並木で構成される長い(数町)参道を有する、この参道は周囲の宅地化の中で、今に基本形は保持されている。
  蓋し、後世にも伝えるべきものであろう。

2012/10/24追加:
○寺中の消息(移転):K.G氏調査作成「日蓮宗移転寺院一覧(Excel)」2012/10/20版 より
 明治32年、寺中實相院寺号移転、知足山實相寺として新潟県新潟市江南区稲葉2−2−14に現存、弘化2年開創知足庵が、明治32年實相 院の寺号を移転し知足山實相寺と改称する。

平賀本土寺伽藍

仁王門、本堂、鐘楼、方丈(庫裏)、大客殿、白毫殿、像師堂、妙朗堂、霊宝殿、近年の五重塔、祖師堂(大改修)、実相閣(寺中実相院跡地に建立)、開山堂 (祖師堂のことか?)、長廊下などの堂宇を有する。但し鐘楼を除き、古建築は無いと思われる。寺中は仏持院1坊のみ現存。境内2万坪を有した。
 ・平賀本土寺境内図:昭和46年刊「日蓮宗の本山めぐり」の「絵」をベースに近年の堂宇を追加する。

○平賀本土寺五重塔:2007/09/26撮影:

 ・平賀本土寺五重塔1     同        2     同        3     同        4     同        5

1991年日像菩薩650年遠忌紀念として建立。初重には裳階を付設。初重一辺5,5m、高さ18m余り。
陸奥観音寺・横須賀聖徳寺と同型同寸。GRC(ガラス繊維強化セメント)造。

○その他伽藍:2007/09/26撮影:

 ・平賀本土寺宝物殿:仏塔形式の建物で ある。
 ・平賀本土寺像師堂  像師堂内部:日像上人開基寺院は京都具足山妙顕寺など参照、日像上人荼毘所は深草宝塔寺にある。
 ・平賀本土寺仁王門  ・本土寺寺中仏持院

2017/03/06追加:
○平賀本土寺末寺
本土寺寺中仏持院
本土寺寺中実相閣結社
白毫山放光寺(北海道虻田郡倶知安町南五条東)
西郷山法華寺(高崎市九蔵町)
成田山妙光寺(下野市成田)
東雷山久成寺(土浦市並木)
本円山照谷寺(取手市米田)
大谷山星宮寺(筑西市甲)
妙福山本泉寺(八潮市大字2)
妙法山蓮福寺(埼玉県北葛飾郡松伏町大字下赤岩)
道行山常真寺(松戸市大谷口)
昌寿山了源寺(松戸市根木内)
金龍山安立寺(松戸市小金原)
妙高山法栄寺(流山市駒木台)
通法山成顕寺(流山市駒木)
理性山浄蓮寺(流山市野々下)
長重山本行寺(流山市平和台)
了修山本源寺(松戸市大橋)
曽谷山法蓮寺(市川市大野町)
 法蓮寺寺中:曽谷山充行院
 法蓮寺寺中:曽谷山圓行院
宝珠山多聞寺(船橋市東中山)
妙法山長栄寺(東金市小野)
南照山妙観寺(東金市山田)
法水山妙法寺(東金市山田)
法田山妙勝寺(佐倉市上勝田)
 妙勝寺末:経王山本昌寺(八街市大関)
勝興山長福寺(佐倉市岩富)
 長福寺寺中:蓮乗院
 長福寺寺中:福寿院
 長福寺末:日澤山仙寿院(釜石市大只越町)
京隆山教蔵寺(佐倉市岩富)
正國寺(佐倉市宮内)
暁慶山妙伝寺(佐倉市臼井台)
妙栄山大法寺(香取市森戸)
東耀山浄蓮寺(香取市大戸川)
東光山安興寺(香取市岩部)
安興寺末:立正山安國寺(香取市岡飯田)
蓮寿山真浄寺(香取市沢)
 真浄寺末:妙法山円光寺(笠間市稲田)
 真浄寺末:長妙山浄國寺(香取市佐原イ)
 真浄寺末:宝樹山妙印寺(成田市大和田町)
妙長山法宣寺(八街市根古谷)
妙谷山松林寺(山武市大木)
高勝山長徳寺(山武市木原)
金谷山妙上寺(山武市森)
宝寿医山常福寺(山武市埴谷)
 常福寺末:白瑛山長久寺(山武市埴谷)
法高山本行寺(山武市成東)
蓮行山本福寺(千葉県香取郡多古町北中)
法王山顕実寺(千葉県香取郡多古町東松崎)
 顕実寺末:妙解山妙行寺(千葉県香取郡多古町坂)
 顕実寺末:宝成山妙高寺(千葉県香取郡多古町坂)
 顕実寺末:延命山法光寺(千葉県香取郡多古町方田)
 顕実寺末:川島山妙蔵寺(千葉県香取郡多古町川島)
妙法山蓮華寺(千葉県香取郡多古町南玉造)
 蓮華寺末:玉泉寺(千葉県香取郡多古町南玉造)
正念山長妙寺(市原市古市場)
苗鹿山根立寺(市原市根田)
大乗山長栄寺(市原市加茂)
経王山光徳寺(市原市中野)
 光徳寺末:法性山正蓮寺(市原市瀬又)
平野山永久寺(市原市永吉)
妙光山真浄寺(港区麻布台)
法久山安全寺(港区元麻布)
長泉山妙福寺(港区高輪)
長源山本光寺(台東区谷中)
常光山蓮城寺(台東区東上野)
長滝山本法寺(台東区寿)
昭法山本久寺(墨田区東駒形)
見応山実相寺(墨田区東駒形)
常谷山妙泉寺(江戸川区谷河内)
本高山城立寺(江戸川区春江町)
○妙高山本城寺(江戸川区鹿骨) →篋 塔 中にあり。
最勝山上妙寺(江東区東砂)
松頭山本善寺(品川区東五反田)
平等山本性寺(新宿区須賀町)
福聚山常圓寺(新宿区西新宿)
 常圓寺寺中:拍照山常泉院
大乗山経王寺(新宿区原町)
長久山常立寺(新宿区原町)
如説山修行寺(杉並区堀ノ内)
本照山蓮法寺(横浜市神奈川区七島町)
西谷山善行寺(横浜市中区西之谷町)
高栄山守源寺(神奈川県足柄下郡箱根町畑宿)
法悦山妙現寺(平塚市南金目)
知足山実相寺(新潟市江南区稲葉):平賀本土寺旧寺中實相院明治32年移転し、實相寺と改号する。
妙見山歓喜寺(福井県南条郡南越前町清水)
○本土山長谷寺(沼津市戸田):本土山と号す、平賀本土寺末、不受不施派了心院日弘(平賀日弘)の開創。


2007/09/26作成:2019/10/26更新:ホームページ日本の塔婆日蓮の正系