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トップページ >> カウンセリング論 >> カール・ロジャースの「セラピーによるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件」について


カール・ロジャースの
「セラピーによるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件」について


この記事は、あるブログに掲載したものをそのまま転載しています。

このブログは、来談者中心療法で著名なカール・ロジャーズの論文、「セラピーによるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件」に示されている六つの条件 について、あれこれとつぶやくものです。ただそれだけの目的で立ち上げたのですが、カウンセリングを志す方々には何か参考になるかもしれません。

おそらく、カウンセラーになりたい方は、大学でも、さまざまなカウンセリング講座でも、必ず講義される重要概念を含む論文ですから、一度は読んでおきたいも のです。ロジャーズの重要論文であるだけでなく、カウンセリングの世界にとっても重要な論文であることは、誰しも認めているはずです。それほど、必読の論 文なのです。

では、以下に引用してみましょう。これは、初出が1957年です。訳文は、伊藤博・村山正治監訳『ロジャーズ選集(上)』誠 信書房に収められている、「セラピーによるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件」から利用させていただきました。このページ以降も、この翻訳書の訳文を利用させていただきます。



Carl Rogers (1957) The Necessary and Sufficient Condition of Therapeutic Personality Change. Journal of Counseling Psychology, Vol.21(2), 95-103.

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For constructive personality change to occur, it is necessary that these conditions exist and continue over a period of time(建設的なパーソナリティ変化が起こるためには、次のような諸条件が存在し、しばらくの期間存在しつづけることが必要である):

1. Two persons are in psychological contact(2人の人が心理的な接触をもっていること).

2. The first, whom we shall term the client, is in a state of incongruence, being vulnerable or anxious(第一の人[クライエントと呼ぶことにする]は、不一致の状態にあり、傷つきやすく、不安な状態にあること).

3. The second person, whom we shall term the therapist, is congruent or integrated in the relationship(第二の人[セラピストと呼ぶことにする]は、その関係のなかで一致しており、統合していること).

4. The therapist experiences unconditional positive regard for the client(セラピストは、クライエントに対して無条件の肯定的配慮を経験していること).

5. The therapist experiences an empathic understanding of the client’s internal frame of reference and endeavors to communicate this experience to the client(セラピストは、クライエントの内的照合枠を共感的に理解しており、この経験をクライエントに伝えようと努めていること).

6. The communication to the client of the therapist’s empathic understanding and unconditional positive regard is to a minimal degree achieved(セラピストの共感的理解と無条件の肯定的配慮が、最低限クライエントに伝わっていること).

No other conditions are necessary. If these six conditions exist, and continue over a period of time, this is sufficient. The process of constructive personality change will follow.(他のいかなる条件も必要ではない。この六つの条件が存在し、それが一定の期間継続するならば、それで十分である。建設的なパーソナリティ 変化のプロセスがそこに起こってくるであろう)
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い かがですか。カウンセリング初心者の方は、これだけを読んでもチンプンカンプンに違いありません。ではベテラン・カウンセラーはどうでしょう。おそらく、 そんなことくらい理解していると自負されているかもしれません。しかし、原語と訳文を照らし合わせながら、いまいちどじっくり読んでみてください。いかが ですか。はて、ここの意味はどう理解すればよいのかな、理解していたはずの六つの条件がいままでとは違った意味で受け取れそうな・・・・・なんて方々はい ませんか。

これから、カウンセリングの基本であるこの六つの条件について、少しずつつぶやいて行くつもりです。本当につぶやきになりま す。しかし、ロジャーズのこの仮説については、もう定説となった理解があるでしょう。私は、そうした答えを紹介したり、解説したりといったことをやろうと は思いません。つまり、答えを出そうとしない、ということです(ウィトゲンシュタインのように)。いろいろな理解が、いろいろな方々によって行われている ようですから、できることであれば、意外なことをつぶやくことで、ロジャーズ理解に新風?を吹き込むことを目指したいと思います。まあ、かなりの珍説カウ ンセリング論が飛び出すかもしれません。

以下は、現在の段階で比較的入手しやすい、日本語で読めるC.R. ロジャーズの著作リストです。カウンセリングを志す方は必読です。

「カウンセリングと心理療法―実践のための新しい概念 ロジャーズ主要著作集1」岩崎学術出版社
「クライアント中心療法 ロジャーズ主要著作集2」岩崎学術出版社
「ロジャーズが語る自己実現の道 ロジャーズ主要著作集3」 岩崎学術出版社
「ロジャーズ選集 ―カウンセラーなら一度は読んでおきたい厳選33論文〈上〉」誠信書房
「ロジャーズ選集―カウンセラーなら一度は読んでおきたい厳選33論文〈下〉」誠信書房
「人間尊重の心理学―わが人生と思想を語る」創元社
「エンカウンター・グループ―人間信頼の原点を求めて」創元社


カウンセリングの第一条件

カウンセリングでパーソナリティが変化するための条件、まず最初はこれです。

1.二人の人が心理的な接触をもっていること

カウンセリングの場で、カウンセラーとクライエントが、心理的なコンタクトをもっていること。この文言は、とても理解しやすいと思いきや、なかなか曲者で す。そのまま受け取れば、二人の人間が一緒にいて、そこには何らかの「こころの触れ合い」があるということになるでしょうか。相互的な存在として、ふたり は「あいだ」のなかに「ある」わけです。

ロジャーズにしてみると、この条件は他の条件よりも重要なもので、いわばその他の条件に対する前提条件をなしています。その他の条件が「程度」として扱われているのに対して、この基礎条件は「あるか、ないか」の二分法、つまり全か無かのように扱われているのです。

この心理的接触は「最低限の関係」とも言い換えられています。意味深いパーソナリティの変化は、人間同士の関係のなかでなければ起こらないのだというロジャーズ流の哲学が、その背景にあるようです。

それから、彼はこんな説明もしています。「二人の人が何らかの程度の接触をもっており、そのそれぞれが、他者の経験領域のなかに知覚できるほどの違いを もっていること」。ここでロジャーズが、「違い」つまりdifferenceという言葉を使っていることは注目に値します。カウンセリングのなかで、カウ ンセラーとクライエントの双方が、相手を自分とは異なる他者として感じていることが大切なのです。「知覚」は「潜在知覚(subceive)」とも言い換 えられています。私なりにこれをさらに言いかえると、自分ではない他者の存在を「それとなく感じている」となるかもしれません。

ロジャーズは、緊張病の患者さんを例にとって、彼らがカウンセラーの存在を自分とは違うものとして感じ取っているかは分かりにくいものの、「ある有機体的 水準(some organic level)」においては違いを感じ取っているだろうと述べています。もう少し説明がほしいところですが、「難しい境界線的な状況」と述べるにとどまって いて、少し残念です。私なりに理解すれば、フランスのミンコフスキーの概念ですが、「現実との生ける接触の喪失」状態にあって、いわゆる「自閉」を余儀な くされている精神病レベルの病理に苦しんでいる人たちは、他者や周囲との心理的接触が難しいということになるでしょうか。

ロジャーズは、このようなタイプのクライエントは、カウンセリング自体が難しいと考えていたのでしょうか。おそらくそうでしょう。しかし、ある有機体的水準では他者としての違いを感じ取っていると述べています。希望をもっていたはずです。

彼はこのような説明もしています。神経症者にはある方法で、精神病者にはそれと異なる別の方法で、それから、強迫神経症のカウンセリングの条件とその他の セラピーの条件は異なるなど、そのような診断名による条件の違いが一般的になっている。しかし、自分はそう考えていない。カウンセリングにとって肝要な条 件は、ひとつの形態で存在するのだ。ということは、彼は、そのような診断によっては左右されない、カウンセリングによってパーソナリティが変化するための 「普遍的な」必要十分条件を規定しようと試みたわけです。

二人のあいだに心理的な接触があるのか、ないのか、この条件によって、カウンセリング自体の成立が左右されてしまいます。ロジャーズ流の臨床的観点は、当 時のカウンセリングや精神医学の常識とは対立するものでした。彼自身キルケゴールよろしく「おそれとおののき」を感じていると告白しています。


カウンセリングの第二条件


カウンセリングでパーソナリティが変化するための条件、二番目はこれです。

2. 第一の人[クライエントと呼ぶことにする]は、不一致の状態にあり、傷つきやすく、不安な状態にあること。


この条件はクライエントの状態について述べたものです。はあはあ、カウンセリングにやってくるクライエントは、傷つきやすくて、不安定な状態にあるというのは、なるほどその通りであると思います。

ところで、このクライエントという言葉、ロジャーズの専売特許のように考えられているのかもしれませんが、実は、オットー・ランクから拝借したのではない かという論考もあります。古いアメリカ講演の記録を読むと、ランクは、はっきりとクライエントなる言葉を使っています。それまでは患者という言い表わし方 が一般的でしたが、本当に画期的なことですね。けれども、商業主義まるだしの言葉でもあり、何だかしっくりしない側面もあるような気がします。ビジネスの 世界で、当り前のようにして使われているように。最近は、福祉領域でユーザーとか利用者という言い方が広まってきましたが、どっちがよいのか、私には分か りません。

さて、この第二の条件で特に重要なのは、「不一致」という言葉です。一体全体、クライエントは何が不一致なのでしょうか。

それは、自己概念と経験との間の不一致のことを指しています。

自己概念については、自己構造とか、自己像などとも言い換えられています。簡単に説明すると、時々刻々と体験されていく自己自身についての知覚の総体のこ と、あるいは、意識化可能な自己知覚の体制化された構造のことです。経験は、現象野のなかで、私たちに日々与えられる経験のことです。

自己と経験との間に不一致が生まれ、そのズレが大きいと、われわれは心理的不適応の状態にあるわけです。いまある自己概念にそぐわない経験は否認され、お そらく意識化されないはずです。否認されたり、歪曲されたりするわけです。価値の条件と言いますか、大雑把に言うと身についている価値観によって、自分の 経験が選択的に知覚されるようになりますから、価値と齟齬をきたして不安や緊張を生じさせるような経験は否認されるのです。

これは、ロジャーズの人格理論、自己理論でもあります。そして、私がいろいろと研究している自己欺瞞の主観的体験プロセスともよく似ています。

以上、カウンセリングを求めるクライエントの条件でした。パーソナリティが変化するための条件ではなく、いわゆるクライエントはこのような状態にあるのだという説明です。


カウンセリングの第三条件

カウンセリングでパーソナリティが変化するための条件、三番目はこれです。

3.第二の人[セラピストと呼ぶことにする]は、その関係のなかで一致しており、統合していること。

これは、カウンセラーの態度条件と呼ばれるもののひとつです。小手先の技法ではなく、カウンセラーの態度・姿勢こそ大切なのだと強調したロジャーズの、とても重要な条件であると思います。カウンセラーとは、かくあるべしといいますか。

カウンセラーはクライエントよりも、一致していて、統合されていることが必要です。つまり、経験と自己概念のずれが比較的小さいので、心理的不適応状態には一応置かれていないことが必要なのです。

ロジャーズがここでもっとも言いたかったことは、カウンセリング関係のなかでカウンセラーは純粋であらねばならないということです。有名な「純粋性」です。これは仮面をかぶらないということであり、自分自身に関してクライエントを欺いてはいけないということのようです。

カ ウンセラーは、関係のなかで、深く自己自身である必要があります。現実に経験していることをあるがままに受け入れ、気づきに開かれていて、それを否認しな いのです。自分の感情が意識に開かれていて、その感情のままいること、ありのままの自己でいること、それが満たされればこの条件はクリアされます。

も ちろんカウンセラーは、カウンセリング場面を超えた生活の全局面にいたるまで、統合された模範的人間であることを求められているのではありません。クライ エントと対面するカウンセリングのこの時間において、カウンセリングのこの瞬間において、あるがままの自分であればよいのです。

しかし現 実には、カウンセリング場面で不一致の状態に陥ることがあるでしょう。たとえば、自分のことに気を取られてクライエントの話に集中できないときとか。ある いは、いろいろな感情が湧いてきて、一致した態度で話が聞けないとか。カウンセラーは、こうした感情を、つまりこのような現実をどの程度クライエントに伝 えればよいのでしょうか。ロジャーズによれば、カウンセラーはすべてをクライエントに伝えなければならないというわけではなく、あくまで相手を欺いてはな らないと言っています。そして、次の二つの条件、つまり「無条件の肯定的配慮」と「共感的理解」が妨げられる場合に限って、クライエントや、同僚や、スー パーヴァイザーに対して、ある程度打ち明ける必要があるだろうと述べています。

それにしても、皆さんはいかが考えますか。ロジャーズのこ の条件では、カウンセラーはクライエントよりも一致している、統合されている、純粋であると言っているかのようです。もちろんそれはカウンセリング場面の ことであって、日常生活全般にまで求められているわけではありません。カウンセリング場面で、クライエントよりもカウンセラーの方が不安定で動揺している となると、それもまた問題があるのでしょうが、なんとなく、ニュアンスとして、カウンセラー側の優位という暗黙の価値観が感じ取れるような気がします。あ れです、あれ、治療関係は非対称的であって、それは動かない事実なのだと断固と主張する人たちがいますが、そこに通じているような気がするのです。

け れどもロジャーズは、ブーバーとの対話のなかで、セラピストとクライエントの対等性を主張していて、カウンセリング関係の非対称性を強調したのはブーバー でした。治療構造の問題と絡めてです。ロジャーズはこのとき、カウンセリングにはそのような瞬間があるのだと述べていますから、クライエントの不一致、カ ウンセラーの一致ということから非対称性のことを考えるのは、あまり一般的な思考ではないようです。まだまだ私は勉強不足です。この点について、さらに深 めて考えて行こうと思っています。


カウンセリングの第四条件

カウンセリングでパーソナリティが変化するための条件、四番目はこれです。

4.セラピストは、クライエントに対して無条件の肯定的配慮を経験していること。

無条件の肯定的配慮・積極的関心です。これについてロジャーズは、受容とか、尊重することとか、caring for という言葉でも説明しています。

カウンセラーが、クライエントのあらゆる側面を、つまりよい感情の表現だけでなく悪い感情の表現も含めて、暖かみのある態度で受容しているという経験をしていれば、カウンセラーは、クライエントを受容している分だけ無条件の肯定的配慮を経験していることになります。

こ のとき、この受容には、条件がついていません。もしも○○であれば○○です、というかたちの、選択的に評価する態度ではないのです。あくまで無条件に、と いう意味です。したがって、クライエントの行動が一致していようが、一致していまいが、よくても悪くても、そのようなものとして受容するわけです。

そ れから、受容することにはさらに重要な意味が込められています。それは、クライエントを自分とは独立した別個の人間として受容するということです。クライ エントは、それによって、カウンセラーとは異なる感情や経験をもつことを許されるわけです。カウンセリング関係のなかで、そのような独自の存在であること が尊重されるのです。

ひとつ注意が必要です。絶対的な、あるいは完全な無条件の肯定的配慮が成立するのかというと、ロジャーズによれば、 それはあくまで理論的にしか存立しないようです。カウンセラーはときとして条件つきの肯定的配慮しか経験することができない場面があるわけで、あくまで程 度の問題とされています。

また、受容はcaring for とも言い換えられています。これを日本語に直してみると、大事に思う、思いやりをもつ、心配する、気を使う、愛している、いつくしむ、関心をもつ、好む、 その他などになります。日本語的にこの言葉を理解すると、とても多義的で、多様な意味合いを含んでいることがわかります。多義的に理解した方が、ロジャー ズの言いたいことがより分かりやすくなるような気がしています。

カウンセラーは、カウンセリング場面で、このような開かれた姿勢を保つこ とが理想です。しかし、実際に経験してみると分かるでしょうが、この条件を実現することは、とても、とても難しいような気がします。カウンセラーとしてと いうよりも、一人の人間としての器が浮き彫りになるような、とても重要な条件であるからです。

相手に対する、人としての基本的な態度は、 YESとNOです。全的なYESを、私たちカウンセラーは、どこまでクライエントに対して経験することができるでしょうか。開かれたYESの態度、カウン セリングの基本中の基本だけに、初心者だけでなく、ベテランのカウンセラーも忘れないようにしたいものです。


カウンセリングの第五条件

カウンセリングでパーソナリティが変化するための条件、五番目はこれです。

5.セラピストは、クライエントの内的照合枠を共感的に理解しており、この経験をクライエントに伝えようと努めていること。

これは、態度条件の三番目でもあります。純粋性(一致)、受容(無条件の肯定的配慮)、そして共感(的理解)。

カ ウンセラーはクライエントの気づきについて、正確な理解、共感的な理解を体験している必要があります。あたかも○○のように、こうもあろうかという質を忘 れてはならないが、クライエントの私的な体験世界を、まるで自分の世界であるかのように感受するのが、共感です。このような共感によって、クライエント本 人がまだ気づいていないような経験の意味を、カウンセラーは言葉にして発することもできるのです。

クライエントをその内的照合枠から共感 的に理解しようとするわけですが、これは外部の視点からではなく、クライエントの内部の視点から共感をもって理解しようとするわけです。ロジャーズは他の 著書「クライエント中心療法」のなかで、カウンセラーが「インパーソナル」であることに触れています。つまり、滅私ということになるでしょう。カウンセ ラーは、カウンセリングの場面で「私」を透明化させ、クライエントのもう一つの自己に(あたかも)なります。クライエントにしてみると、もう一人の自分が 目の前にいるかのように感じられるでしょう。カウンセラーは、自分の唇からクライエントの言葉を発します。これはクライエントにしてみると、カウンセラー が自分になって、自分の言葉を発するのを耳にする(目の当たりにする)わけです。このときのカウンセラーの言葉は、クライエントの気分や話の内容などに、 ぴったりと適合するものになっているはずです。

私が注目するのは、ロジャーズが「正確な」という言葉を使っていることです。つまり、カウンセラーの言葉とクライエントのそのときの様態が「一致」していることを指しています。「ぴったり」ということです。

ク ライエントにしてみると、カウンセリングのなかで共感的な理解を示されるわけですから、悪い気はしないでしょう。しかし、注意もまた必要かもしれません。 意外かもしれませんが、カウンセラーが共感的に理解して言葉を発するとき、クライエントに強いインパクトを与える場合もあるのです。稀なことかもしれませ んが、例えばこんなことです。カウンセリングのなかで、共感的に発せられる言葉、たとえばクライエントの言葉を繰り返しただけのリフレクションを差し出す とします。クライエントは、カウンセラーの唇から発せられる自分の言葉と対面し、自分の姿にハタと気づいて愕然とするときがあるのです。驚きと発見・洞察 に通じてもいますが、動揺してしまった場合には、すぐさまクライエントは前言を撤回してそれは自分ではないと否定するのです。

どうもうま く表現できませんが、「ぴったり」ばかりに気をとらわれず、三分くらい外すことがよい場合もあるということです。ぴったりよりも、少しずれた方がよい。私 の珍説ですが、皆さんはいかがお考えでしょう。共感的理解に基づいて発せられる言葉は、カウンセリング関係のなかで、ときとして強すぎるインパクトを与え てしまうこともあると、小声でささやいておきます。


カウンセリングの第六条件

カウンセリングでパーソナリティが変化するための条件、六番目はこれです。

6. セラピストの共感的理解と無条件の肯定的配慮が、最低限クライエントに伝わっていること。

こ れは、カウンセラーのことを、クライエントがどのように知覚しているのかという問題です。つまり、クライエントのパーソナリティが変化するためには、カウ ンセラーがクライエントに対して受容と共感の姿勢を向けていることが(クライエントによって)知覚されていることが必要なのです。

この態度的な諸条件がある程度、最小限でも伝わっていないかぎり、カウンセリング関係のなかにそれらの条件は具現されていないことになります。そして、カウンセリングのプロセスそのものが始まっていないことにもなります。

人間の態度、カウンセラーの態度は、直接的に知覚されるものではありません。クライエントは、自分が受容されている、理解されているということを、カウンセラーの振る舞いや言葉を介して、それとなく感じ取るのです。



以上、著名なカール・ロジャーズの、クライエントのパーソナリティ変化のための必要にして十分な条件を六つ紹介しました。



カ ウンセリング関係のなかに、これら六つの条件が存在するかぎり、クライエントには建設的なパーソナリティの変化が起き、何かが欠けていればそれは起こらな いとされています。それから、第一条件のみ全か無か、あるかないかであり、その他の条件は連続線上にある程度の問題とされています。

ロ ジャーズは六つの条件について、理想的には存在しなければならないという意味で述べているのではないようです。できるかぎり操作的に規定して、測定可能な 条件として提示しています。このあたりに、人間性心理学の第一人者でありつつも、実証主義者としての顔をもつ彼の態度が見え隠れしているような気がしま す。


カウンセリングの条件として省略されている重要なこと



ロジャーズが規定した六つの条件は、何も来談者中心療法の基本理念として述べられたのではなく、さまざまな学派のカウンセリング実践に一貫して適用できる 仮説として述べられたものです。ここが、とても重要であると思います。個々の技法や技術そのものには何の価値もない、ただ、公式化された基本的条件が伝え られるチャンネルになるという意味で、それらの技法には意味があるわけです。たとえば、精神分析で言う解釈であれば、それをチャンネルとして、クライエン トに対して無条件の肯定的配慮を伝えることができるのです。ですから、繰り返しになりますが、大切なのは技法ではなく基本的な態度であり、カウンセリング 関係のなかでクライエントのパーソナリティが変化するとすれば、そのときのカウンセラーの基本態度は流派を超えて共通しているはずなのです。

さて、ロジャーズは六つの条件以外にも、「省略されている重要なこと」をいくつか挙げて説明しています。おそらく、これらに対しては賛否両論あるでしょ う。いや、むしろロジャースの言っていることは、昔も今も少数派に属する意見なのかもしれません。けれども、私たちは今一度彼の意見に耳を傾けて、あれこ れと再考する必要があるように思います。まだまだ決着がついたものと安心するのは、早すぎると思います。

では、以下に五つあげましょう。

○ここにあげた条件は、あるタイプのクライエントに適用されるものであって、他のタイプのクライエントのセラピー的な変化をもたらすためには別の条件が必要であるとは述べられていない。

ここでロジャーズが言いたいのは、おそらく精神病理の種類や病態レベルの違いによって異なる方法を用いるべきだという一般的な考え方ではなく、パーソナリ ティが変化する基本的条件はここで述べたようなひとつの形態に尽きる、ということなのでしょう。このような意見を述べることに、ロジャーズは恐れを抱いて いるようです。なぜなら、その当時の心理療法・カウンセリングや精神医学の常識とは対立する意見だからです。これは、今も変わらないと思うのですが。


○これら六つの条件はクライエント・センタード・セラピーの基本的条件であるとか、他のタイプのサイコセラピーには他の基本的条件が必要である、ということは述べられていない。

六つの条件は、アドラー派であれ、フロイト派であれ、来談者中心療法であれ、その差異を超えて、いかなる状況にも適用されるものであるとされています。カウンセリング関係によってパーソナリティが変化するための、普遍的な条件が述べられているということなのでしょう。

○サイコセラピーは、日常生活のなかに起こる他のすべての人間関係と種類の違う、特別な人間関係であるとも述べられていない。

六つの条件は、カウンセリング関係を超えた、日常的な友情関係にも、たとえそれが一瞬のものであるとしても、認められることがある。カウンセリング関係と いうものは、他の関係にも見られる建設的な性質を高めたものかもしれないし、他の関係では一瞬であるものを、時間的に拡大したものなのかもしれません。


○特別な、知的・専門的な知識-心理学的な、精神医学的な、医学的な、あるいは宗教的な-がセラピストに要求される、ということも述べられていない。

これに対しては、かなり反対意見があるかもしれません。たとえば、自分のことをプロのカウンセラーだと自認している人たちには、受け入れられないかもしれ ません。プロフェッショナリズムに対する批判にもなっていて、私はどちらかと言えば惹かれる意見なのですが。ロジャーズは、カウンセラーの三つの態度条件 は、知的な情報を学習することによって獲得されるとは考えていません。あくまでそれは、経験的な性質のものであると考えています。知的な学習ではなく、経 験的な訓練こそが大切なのだと考えていたようです。


○セラピストがクライエントについて正確に心理学的診断をしていることがサイコセラピーに必要なことだとも述べられていない。

いわゆる見立てにかかわる問題でしょう。ロジャーズは、診断的な知識はカウンセリングに必須のものではないと、カウンセリングの基本的な前提条件ではない と結論しています。あらかじめ診断的な情報がないと、カウンセラーは安心して居られない、それで多くの時間をカウンセリングの前に見立てを得るために使う のです。彼は他のところで、診断的理解は共感的理解と逆相関の関係にあり、診断的理解はむしろ有害であるという趣旨のことも述べています。見立てないし心 理学的診断なしにカウンセリングを行うのは、行き当たりばったりの無謀なことではないのか、なんて批判する人もいるはずです。この点を来談者中心療法の弱 点であると指摘する人もいますし、ロジャース派のなかにも診断的理解もやはり大切なのではという方もいるようです。ロジャーズが本当に言いたかったのは、 どんなことなのでしょう。もう一度原点に返って再考したいものです。

私は、ロジャーズの意見に賛成です。いまは。少し前まではロジャーズに対して批判的でした。けれども、時間論、行為論などの哲学的な視点から考えると、ここでいう心理学的診断はあまり重要なことではなくなってくるのです。これについては、こちら で論じています。一度ご覧になって下さい。

カール・ロジャーズの影響力のある論文「セラピーによるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件」について解説しました。このブログは、ここでお終いです。

 

カウンセリングを志す者は、ロジャーズのこの論文から多くのことを学ぶことができるでしょう。来談者中心療法やPCAの世界ではよく知られていても、流派が異なればあまり読まれていないのかもしれません。これを機会に、ぜひ一読をお勧めします。

 

カ ウンセラーとクライエントのカウンセリング関係のなかで、パーソナリティが変化するための必要にして十分な条件は何か、ロジャーズは、これを六つの基本条 件としてまとめました。そのうち三つは、カウンセラー側の基本的な態度条件と呼ばれるもので、カウンセリング・マインドを形成するために必要不可欠のもの であると思います。

 

純粋性、無条件の肯定的配慮、共感的理解、あるいは、一致、受容、共感、この三つの基本姿勢が実現されるのであれば、あなたはカウンセラーとして「合格」なのかもしれません。

 

ロジャーズの著書は、残念ながらあまり読まれなくなっているようです。これまでのロジャーズ全集にかわる重要著作集は出回っています。全集を揃えるには古書を利用するしかないようですが、ぜひ入手してください。もちろん、翻訳よりも、原書の方がよいですけど。

 

ではまたお会いしましょう。




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