札幌圏のカウンセリング
トップページ >> カウンセリング論 >> 独り言-自己欺瞞のナラティヴ
これから私は、自己欺瞞としてのナラティヴについて、その要点を述べるつもりです。ただ、自分の言葉ではなく、私の内面で鳴り響いている、他者たちの声を使います。その声たちを使って、コラージュ作品を創作するかのように、話の全体を構成したいと思います。まず、哲学者ケント・バックの言葉からはじめます。彼はこう述べています。
(スライド1-1)
(スライド1-2)
「自分自身を欺くことが生じるのは、厄介なこと(touchy subject)が思い浮かぶ場合にかぎられている。………自己欺瞞者はpであると信じている上にpでないことを欲しており(desires)、その人が行うのは、持続的か繰り返し回帰するpであるという考えを回避することであると言える。………」
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ここで理解されるのは、自己欺瞞には複数の声、あるいは相反する二つの声がかかわっているということです。
では、二つの声はどのようにして姿を現わすのか、精神科医パールズはこのように語っています。
(スライド2-1)
(スライド2-2)
「私たちがたとえ一つの面をブロックしたとしても、その自己表現はどこか他のところで現われているのです。それは私たちの動きや姿勢、そして何より私たちの声に現われるのです。すぐれたセラピストは、患者が作り出す「でっち上げ(bullshit)」の内容には耳を傾けず、代わりに声の響きや抑揚、言いよどみに耳をそばだてるのです。言葉によるコミュニケーションはたいてい偽りです。真のコミュニケーションは言葉を超えたところにあるのです。………
(スライド2-3)
「話すことを聞く必要はないのです。すなわち声を聞くのです。ペルソナ(Per-sona, per-sonare)とは、「貫いて-響かせる(through sound)」という意味です。声の響きは、あなたにすべてを語ります。………神経症者は自分自身をごまかしているだけで、誰も秘密をもつことなどできないのです」
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このように、矛盾する声が、バーバルなレベルとノンバーバルなレベルに現われるのが、自己欺瞞の基本形です。
自己欺瞞において矛盾する声たちが現われることを、心理臨床家のヘルムート・カイザーは「二重性(duplicity)」と名づけています。
(スライド3-1)
(スライド3-2)
「患者の話に耳を傾けるには内的な努力の感覚がかなり引き起こされたのだが、それはまるで二人の話し手が話すのを同時に聞き取らねばならないかのようなのである。患者のコミュニケーションについていえば、そこには奇妙な二重性があった。単語や、文や、全体のストーリーはとてもよく理解できるものであるし、それ自体は筋が通っていた。けれども、それに伴われている声のトーンや、表情や、ジェスチャーが、全体的なコミュニカティヴな作用を微妙に妨げてしまったり、ときには著しく妨げてしまうこともあった。」
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では、二重化された語りの具体例です。
(4-1)
(4-2)
「面接中、クライエントは少し怒った感じで、今朝、姉の夫である義理の兄と会うつもりであったが、会えなかったと報告する。義理の兄のことをとても慕っていたので、会えなかったことは彼にしてみるととても残念なことである。会えなかった理由を口にするクライエントの声は少しかすれていき、イライラした声のトーンで話し続ける。
(4-3)
「分析家は「怒っているような声だけど、どうしてですか?」と尋ねる。クライエントは「まったくもう、どうしてつっかかるようなことを言うのですか?だから、クソッタレと会えなかったと言っているでしょう。それがどうしたんですか?」と答えてすぐさま、分析家のほうを向いた。彼はリラックスした様子で、何かを理解したようであった。」
(スライド5)
カイザーの言う二重性というのは、バフチンの「二声性(double-voicedness)」あるいは「二つの声を持った言葉(double-voiced word)」としても理解することができると思います。
けれども、この二重性をなす声たちは、互いにぶつかり合って葛藤しているわけではありません。カイザーはこう述べています。
(スライド6-1)
(スライド6-2)
「コミュニケーションの二重の性質は、……単純に相殺されるのではない。神経症的な人に及ぼすその影響は、シンクロしているわけではないのである」
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では、どうして二つの声はシンクロしないのであろうかという問題です。あるいはどうして葛藤しないのであろうかという問題です。
その答えは簡単です。つまり、葛藤が、矛盾する二つの声同士が対話することであるとすれば、その対話としての葛藤に耐えられないからです。
矛盾するクライエントの声たちは、自分にとっては矛盾することなく、同一の平面に並存したり、あるいは交代して姿を現わします。それで、臨床家は、まるで二人の人間と向き合っているかのような感覚に見舞われるわけです。
たとえば、クライエントは全面的な承認と気遣いを要求しますが、臨床家が承認と気遣いを示したとしても、クライエントはそれを受け入れようとはしないのです。
バフチンにも、このような記述があります。これは、ドストエフスキーの『悪霊The Devil』についていったものです。
(スライド7-1)
(スライド7-2)
「チーホンと話をしているのはさながら、一人の人間の内で互いに邪魔しあっている二人の人間であるかのようだ。チーホンに対立しているのは二つの声であり、その二つの声の内的闘争に、彼もまた参加者として巻き込まれているのである」
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このような、二重性を帯びたクライエントのナラティヴが、外的対話の平面に姿を現わすとき、それはダイアローグではなくモノローグのように感じられるはずです。臨床家は、自分が話しかけられているような気がしません。イントラパーソナルな平面における声たちの対話、つまり内的対話としてのモノローグが、セラピストの目の前で展開するわけです。カイザーとシャピロは次のように述べています。
(スライド8)
「クライエントはセラピストに向けて (to) 話しているのではない。セラピストの目の前で (in front of) 話しているのである」(Kaiser, 1965, p.53)
「本人は、相手とコミュニケーションを営むことに関心があるというよりも、むしろ自分自身の耳に向けて話している(talking for his own ear)」(シャピロ、訳書『自己欺瞞の精神療法』, p.55)。
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では、クライエントは誰に向けて話しているのであろうか、という問題です。バフチンはこう述べています。
(スライド9-1)
(スライド9-2)
「発話の本質的な(生来の)特徴は、それが誰かに向けられていること(directed to someone)、それが宛名を持つこと(addressivity)である。……この受け手(adressee)は、日常会話の直接の参加者である話し手(immediate participant-interlocutor)のこともあれば、……(情動的タイプのさまざまなモノローグ的発話に見られるように)まったく不特定の、具体性を欠いた他者(unconcretized other)のこともある。」
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(スライド10)
つまり、クライエントは、具体性を欠いた他者、あるいは対話における二人の当事者を越えた「潜在的な第三者 (potential third)」、あるいは対話の参加者すべての上に立つ、姿なき「上位の受け手 (superaddressee」に向けて話しているわけです。
この具体性を欠いた他者、潜在的な第三者、上位の受け手というのは、私たちの内面に取り込まれた、他者たちの声に他なりません。フロイトであれば、超自我と呼ぶかもしれません。
ユダヤの対話哲学者であり神学者であるローゼンストック・フューシーは、このように述べています。
(スライド11-1)
(スライド11-2)
「目に見える子どもの魂の指導者たち―両親、教師、白ひげを生やした神―は、空虚と置き換えられるわけではない。そうではなくて、人間は、目に見える唇から発せられるのではないような声たちに、よりいっそう注意を払うことを学ぶのである。人は声を……自分の内面に響き渡る見えない声として聞き始める。……こうした目に見えない声たちは、その人の運命―『我の』運命―を左右する」
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クライエントは、このような、目に見えない声たちに向けて話をします。あるいは、そのような声の顔色をうかがいながら、自分自身に向けて話をします。目の前に臨床家がいるというのに、臨床家に向けて話すのではないのです。
したがって、話の内容、ストーリーは、基本的には、そうした支配的な内的声たちから非難を受けない無難なものになりがちです。あるいは、ひとつのポジションからあることを語っていたとしても、ひとつの声の中に二つの声が同時に響きだして、急に話が途切れたり、突然別のところに飛び移ったりし始めます。
そのときのクライエントは、自分自身を納得させようとして、自分自身を鼓舞して安心させようとして、自分自身に対して他者を演じていることになります。そのような彼らの話しぶりやジェスチャーは、芝居がかった不自然なものに映ることがあります。純粋ではない印象を与えるのです。
シャピロはこう述べています。
(スライド12-1)
(スライド12-2)
「彼らの言うことは、自分がアクチュアルに考えたり感じたりしていることを表現しているようには思われなかったのである。その涙は、取り繕っているか、念入りに仕立てられているように思われることもあった。幼児期のことを語ったストーリーは、あらかじめリハーサルをしてきたかのように聞こえた。昨日あった出来事を怒りながら説明するものの、耳を傾ける者にはまるで公開演説のように聞こえた。」
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自己欺瞞における、演技性の問題です。どうして不自然なのか、それは何かが本末転倒しているからです。
シェーラーはこう述べています。
(スライド13-1)
(スライド13-2)
「先の学説(ジェームズ-ランゲ理論)が逆説的に表現しているように、ヒステリーの患者は現実に『笑うから楽しく、嘆くから悲しい』のである。だが正常な人間はその逆である。その場に居合わせている人、たとえば医師の側の印象や、そうした人が示す『社会的像(social image)』に合う態度をとることが、そこでは直接的に、またいわば自動的に情動の発散を規定する。患者の感情と志向は、それに合わせてあとからはじめて表わされる。
(スライド13-3)
それゆえ『見ている人』がいなくなると、情動はたちまちやんでしまう。したがって、見ている人の錯誤は、ここではつねにそれに先行する自己錯誤(self-deception)の結果であり、それによってこうした挙動は、すべてのたんなる狂言(comedy)や見せかけ(simulation)とは区別される」
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本来であれば、われわれは悲しいから泣き、楽しいから笑います。しかし、自己欺瞞においては、本末転倒しています。彼らは、笑うから楽しく、嘆くから悲しいのです。
自己欺瞞の不自然さは、ここに理由があるように思われます。クライエントの言葉は、自分のフィーリングや確信を表わすものではありません。それは、支配的な内的声の顔色をうかがいながら、何らかのフィーリングや確信を作り出したり、払いのけたりしようとする努力のうちに使用されているわけです。
クライエントの内面では、他者たちの声があふれんばかりに鳴り響いています。バフチンが、「コップの中の嵐(tempest in a teapot)」(Bakhtin, 1934-1935, 訳書、p.129)と呼ぶ状態です。
このような嵐のなかで、クライエントには次のようなことが起こってきます。
(スライド14)
「現実の他者の声はすべて不可避的に、主人公の耳のなかですでに響き渡っている他者の声と融合してしまうのである。」(バフチン、訳書『ドストエフスキーの詩学』p.531)
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あるいは次のようなことが起こってきます。
(スライド15)
Merleau-Pontyの「永遠のヒステリー状態(a state of permanent hysteria)」
「現に体験されているものと、ただ想像されているにすぎないものとの区別がなく、私と他者との区別がない」状態のことである。(M. メルロ・ポンティ, 訳書『意識と言語の獲得』p.56)
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つまり、二重性のうちにあるクライエントは、自分自身の声が聞き分けられないのです。自分の声と他者の声を区別することができないのです。
二重性のうちにあるクライエントのナラティヴは、分裂していない自分自身の声ではありません。その声は、他人の声を代理しているだけなのかもしれません。つまり、自分の声を生きるのではなく、他人の声を生きているだけなのかもしれません。
バフチンはこう述べています。
(スライド16-1)
(スライド16-2)
「彼には、他者の声を自分の外部に完全に閉め出し、自分自身と融合してひとつのモノローグ的な声(その声はどんな声であれ、逃げ道を持っていない)になりきってしまうことができない。」p.484
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つまり、どんなにクライエントのナラティヴに耳傾けても、そのなかにクライエントはいないということです。言葉に全身全霊がこもっていないわけです。
そのようなクライエントに対する心理療法の課題は、小説を通じて主人公が解決しようとする課題と同じです。
バフチンはこう述べています。
(スライド17-1)
(スライド17-2)
「自分自身の声を見つけ出し、それを他者の声たちの間に正しく位置づけ、ある声とは結合させ、またある声とは対立させること、あるいは見分けのつかぬほどに融合している他者の声から自分の声を分離すること-これが小説を通じて主人公たちが解決しようとする課題である」(バフチン, 訳書『ドストエフスキーの詩学』p.499)
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自己欺瞞の心理療法を行うためには、あらゆる声を一挙に、同時に聞き分けて、理解する才能が必要かもしれません。つまり、ドストエフスキーのような才能が必要かもしれません。
バフチンはこう述べています。
(スライド18-1)
(スライド18-2)
「ひとつひとつの声の中に、彼は論争しあう二つの声を聞き分け、個々の表現のうちに屈折を、つまりすぐにでも別の、正反対の表現に移行し得るような要因を感得することができた。あらゆる身振りは彼にとって自信とためらいを同時に表現したものであった。すなわち彼はすべての現象の奥に隠れた両義性あるいは多義性を感受したのである。」(バフチン, 訳書『ドストエフスキーの詩学』p.61)
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しかし、このような天才的な耳を持った、天才的な臨床家はあまりいないと思います。私のような平凡な臨床家には、次のようなシンプルなモットーが役に立ちます。
まずシャピロです。
(スライド19)
「言葉だけでなく話し手にも注意を払え」(D.シャピロ, 訳書『自己欺瞞の精神療法』p.48)
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次にパールズです。
(スライド20-1)
(スライド20-2)
「全人格とは、動きに、姿勢に、声の響きに、外見に反映されるのです。非常に多くの素材がここにあるのですから、他に何もする必要はないのです。ただ自明なもの、もっとも外側に現われているものをとらえ、それを患者の気づきに上らせるようにフィードバックしてやればよいのです」パールズ、p.66
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簡単に言えば、クライエントの話と対照をなすノンバーバルな行動に気づいたときに、臨床家がそのような一面を「声に出す」ことです。おそらく、そのときの臨床家の言葉は、バフチンの言う「心に染み透る言葉(penetrative
word)」になっているはずです。
(スライド21)
「心に染み透る言葉(penetrative word)、つまり他者の声のひとつにそれを真理の声として呼びかける言葉」(訳書, p.506)
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心に染み透る言葉とは、つまりクライエントの声のひとつに、それを真理の声として呼びかける言葉です。自己欺瞞の語りは、セラピストがただ黙って聞いているだけでは際限なく続きます。なぜならば、彼は真の声から耳をふさいで、痛みを回避するために、一方的に語るからです。
そのような語りに耳を傾けても、自己欺瞞は改善しません。自己欺瞞の二重性を改善するためには、まず臨床家が介入して、クライエントの真の声に呼びかける必要があるわけです。クライエントの感動的な人生の物語を耳にすることができるのは、そのあとなのです。
soliloquy
On Narrative Interpreted as a Self-Deceptive Speech Act
Today, I would like to talk about self-deceptive narratives in a small compass. Now, I feel like the voices of various researchers are playing a live concert within me. So I will let the voices speak freely, so as to make an assemblage of musical entities that is beyond the imagination of ordinary average psychotherapists. Philosopher Kent Bach stated that:
---------------Power Point 1---------------
Kent Bach (1981) An analysis of self-deception. Philosophy and Phenomenological Research, 41(3), 351-370.
“………Consider that the occasion for deceiving oneself arises only insofar as the touchy subject is thought of, ………the self-deceiver desires that not-p while believing that p, and what he does is to avoid the sustained or recurrent thought that p.”
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The meaning of this statement is that multiple, or irreconcilable, voices are involved in self-deception. How do such voices appear? Headshrinker Perls states that:
---------------Power Point 2---------------
Perls, F.S. (1969) Gestalt Therapy Verbatim. pp.53-54.
“We have blocked one side, and then the self-expression comes out somewhere else, in our movements, in our posture, and most of all in our voice. A good therapist doesn’t listen to the content of the bullshit the patient produces, but to the sound, to the music, to the hesitations. Verbal communication is usually a lie. The real communication is beyond words.”………You don’t have to listen to what the person says: listen to the sound. Per sona―“thorough sound.” The sounds tell you everything. ………Nobody can have any secrets because the neurotic only fools himself, nobody else―except for awhile, maybe, if he is a good actor.”
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The basic form of self-deception is that a client’s verbal and nonverbal communications are divided, without regard to facts, by opposing voices. Psychoanalyst Hellmuth Kaiser named such a schism, “duplicity.”
---------------Power Point 3---------------
Kaiser, H. (1965) The Universal Symptom of the Psychoneuroses. pp.36-37.
“Listening to them caused some inner struggle, almost as if one had to listen to two speakers talking simultaneously. There was a strange duplicity about their communications. There were words and sentences and whole stories which were quite understandable and made sentence in themselves; but the accompaniment of the tone of voice, facial expression and gestures interfered subtly and sometimes grossly with the total communicative effect.”
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Now, I'd like to present a concrete example of the kind of “duplicity” that I'm talking about.
---------------Power Point 4---------------
Kaiser, H. (1934) Problem of Technique. In Bergman, M.S., and Hartman, F.R. eds. (1976) The Evolution of Psychoanalytic Technique. pp.388-389.
“During the analytic hour the patient reports somewhat angrily that this morning he had intended to meet his brother-in law, his sister’s husband, who is on a trip and had a layover of one hour in the patient’s home town. The patient was to have met him at the railway station but did not make it. He felt very sorry about this because he liked his brother-in –law very much. ………While saying this the patient’s voice becomes a bit hoarse; he continues in a more irritated tone of voice. ………The analyst asks, “Why do you sound so angry?” “My God, why are you needling me? So I missed the damn guy, so what?” Immediately after this answer the patient turns around to the analyst, his face is relaxed and his glance conveys that inside he understands what was going on in him.”
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---------------Power Point 5---------------
“double-voicedness” (Bakhtin,M.M. (1959-1961) The Problem of the Text. P.206)
“double-voiced word” (Bakhtin,M.M. (1959-1961) The Problem of the Text. P.206)
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“Duplicity” is similar to the Bakhtin’s notions of “double-voicedness” and “double-voiced words.” But, the voices in the case of duplicity do not fight an inner struggle. Kaiser states that:
---------------Power Point 6---------------
Kaiser, H. (1965) The Universal Symptom of the Psychoneuroses. p.152.
“………the double nature of communication………did not simply cancel out each other. Their effect on the neurotic person was not synchronic.”
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Then, why are double voices not synchronic? Why are they not in conflict? The answer is that clients possibly cannot tolerate destructive conflicts between the voices. The clients’ opposing voices coexist simultaneously, in the same plane, without causing any contradictions. At other times, they immediately change to another expression. It is almost as if the psychotherapist has to listen to two speakers talking simultaneously. For example, clients demand full recognition and positive regard from therapists, but at the same time, they do not accept the therapists’ recognition and regard. The client says, “yes,” and at the same time, “no.” Bakhtin states that:
---------------Power Point 7---------------
Bakhtin, M. (1963) Problems of Dostoevsky’s Poetics. p.262.
“It is as if two persons were speaking with Tikhon(Dostoevsky’s The Devil), merged interruptedly into one. Tikhon is confronted with two voices, into whose internal struggle he is drawn as a participant.”
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When client’s intrapersonal dialogue that is in duplicity appears on an interpersonal plane, one feels that it is like a monologue, or self-talk. The psychotherapist does not feel addressed by the client. It is only an internal dialogue between voices before the therapist. Kaiser and Shapiro state that:
---------------Power Point 8---------------
Kaiser, 1965, p.53.
“He is not really talking to the therapist but in front of him.”
David Shapiro (1989) Psychotherapy of Neurotic Character. p.65.
“………in all of these instances he is, without recognizing the fact, not so much concerned with communicating with another person as he is talking for his own ear.”
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Then to whom does the client talk to? Bakhtin states that:
---------------Power Point 9---------------
Bakhtin, M. (1986) The problem of Speech Genre. p.95.
“An essential (constitutive) marker of the utterance is its quality of being directed to someone, its addressivity. ………This addressee can be an immediate participant-interlocutor in an everyday dialogue, ………And it can also be an indefinite, unconcretized other (with various kinds of monological utterances of an emotional type).”
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---------------Power Point 10---------------
unconcretized other
potential third (Bakhtin,M.M. (1959-1961) The Problem of the Text. p.115)
superaddressee (Bakhtin,M.M. (1959-1961) The Problem of the Text. p.126)
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Thus, the object that the client is talking to is an invisibly present, “unconcretized other,” a “potential third,” and a “super-addressee,” that stands above all the participants in the dialogue. They are the other’s voices internalized within. Freud may call it the superego. Eugen Rosenstock-Huessy states that:
---------------Power Point 11---------------
Rosenstock-Huessy, E. (1988) Practical Knowledge of the Soul. p.26.
“………the apparent rulers of the child’s soul—parents, teachers, dear God with his white beard—are not replaced by a vacuum. On the contrary: a person now learns to pay even more attention to voices which do not come from visible mouths. He begins to hear the voices………as invisible voices within him. ………These invisible voices determine a person’s destiny—an “I-s” destiny—and ………”
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The client talks to such invisible voices, or talks to his own self in fear, trying to gauge the voice's feelings. His speech is directed not outwards, not towards the therapist. So the content of the speech, that is, the story of the narrative, tends to be acceptable and socially desirable, not so as to be blamed by dominating internal voices. Or else, different tones begin to sound simultaneously in the client’s voice, resulting in abrupt interruptions and sudden jumps. On such occasions, the client persuades himself, reassures and comforts himself, plays the role of another person vis-à-vis himself. Then the client’s speech and gestures appear theatrical and artificial, not genuine. Shapiro states that:
---------------Power Point 12---------------
Shapiro,D. (1996) On the Psychology of Self-Deception. Social Research, 63(3), 785-800.
“………what they said did not seem to express what they actually thought or felt. The tears sometimes seemed forced or worked up; the story of childhood sounded rehearsed; the angry account of yesterday’s event, as one listened to it, had the quality of a public oration.”
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It is essential to consider what histrionicity actually is in self-deception. Why is self-deceptive speech is artificial? It could be because self-deceptive speech is like putting the cart before the horse. Max Scheler states that:
---------------Power Point 13---------------
Scheler, M. (1915) The Idol of Self-Knowledge. In David R. Lachterman eds. (1973) Max Scheler: Selected Philosophical Essays. Northwestern University Press. p.78.
“The hysterical patient is actually ‘pleased because he laughs and sad because he cries,’ as someone has paradoxically expressed this theory(James-Lange theory). The normal man behaves in the opposite way. The patient’s concern for the impression he makes on a spectator, for example the doctor, or for the ‘social image ’ he presents, immediately and, as it were, automatically, induces the discharge of the affect; the patient’s own feeling and intention are introduced only afterward. Thus the deception of the observer is always a result of an antecedent self-deception, and this fact distinguishes hysterical behavior from any comedy or simulation which begins in the conscious sphere of will and judgment and aims directly at the observer.”
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We laugh because we are pleased and cry because we are sad. But in self-deception, the client is pleased because he laughs and sad because he cries. It is the other way around. This is the reason why self-deception is artificial. Client’s words are not so much an expression of a feeling, or a conviction, as they are used in an effort to create, or dispel, some feeling or conviction. In the client’s inner world, the other’s voice is blaring out. Bakhtin called such a bustle of voices a “tempest in a teapot.” The tempest has the following characteristics.
---------------Power Point 14---------------
Mikhail Bakhtin (1984) Problems of Dostoevsky’s Poetics, p.253.
“A real-life other voice inevitably fuses with the other voice already ringing in the hero’s ears.”
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Or else, the following characteristics.
---------------Power Point 15---------------
Merleau-Ponty, M. (1973) Consciousness and the Acquisition of Language. P.47.
“a state of permanent ‘hysteria’ (in the sense of an indistinctness between that which is lived and that which is only imagined between self and others).”
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That is to say, the client cannot distinguish precisely between his own voice and the voice of others. Client’s narrative in duplicity is not his own undivided voice. His voice must perform the function of being a surrogate for the other person. Bakhtin states that:
--------------Power point16---------------
Mikhail Bakhtin (1984) Problems of Dostoevsky’s Poetics, p.235.
“He can not merge completely with himself in a unified monologic voice simply by leaving the other’s voice entirely outside himself (whatever that voice might be, without a loophole), ………”p.235
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Thus, no matter how eagerly the therapist is listening to the word, the client is not there in the narrative. The client is never wholeheartedly behind the words. The task of psychotherapy for such a client is similar to the task that was solved by the heroes in the course of the novel. Bakhtin state that:
---------------Power Point 17---------------
Mikhail Bakhtin (1984) Problems of Dostoevsky’s Poetics, p.239.
“To find one’s own voice and to orient it among other voices, to combine it with some and to oppose it to others, to separate one’s voice from another voice with which it has inseparably merged―these are the tasks that the heroes solve in the course of the novel.”
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The psychotherapy of self-deception requires unusual talents comparable to Dostoevsky’s, for hearing and understanding all the voices immediately and simultaneously. Bakhtin states that:
----------------Power Point 18----------------
Mikhail Bakhtin (1984) Problems of Dostoevsky’s Poetics, p.30.
“In every voice he(Dostoevsky) could hear two contending voices, in every expression a crack, and the readiness to go over immediately to another contradictory expression; in every gesture he detected confidence and lack of confidence simultaneously; he perceived the profound ambiguity, even multiple ambiguity, of every phenomenon.”
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But, there aren't very many genuine therapists with extraordinary ears like Dostoevsky. Undistinguished therapists lacking in talent, such as me, must take the following motto to the heart. Shapiro states that:
---------------Power Point 19---------------
David Shapiro (1989) Psychotherapy of Neurotic Character, p.58.
“Pay attention not only to the words but also to the speaker.”
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Next, Perls states that:
---------------Power Point 20---------------
Perls, F.S. (1969) Gestalt Therapy Verbatim. p.54.
“………the total personality as it expresses itself with movements, with posture, with sound, with pictures—there is so much invaluable material here, that we don’t have to do anything else except get to the obvious, to the outermost surface, and feed this back, so as to bring this into the patient’s awareness.”
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When the therapist notices it, the therapist verbalizes the nonverbal behavior that contrasts with a client’s prevailing discourse. Then the therapist’s words to the client must become Bakhtin’s “penetrative word.”
---------------Power Point 21---------------
Mikhail Bakhtin (1963) Problems of Dostoevsky’s Poetics, p.242.
“………penetrative word, once having made its appeal to one of the voices (to the genuine voice) within the other person………”
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A “Penetrative word” implies addressing one of the client’s voices as the genuine voice within the client. If the therapist has a relationship with a client in a listen-only mode, self-deceptive speech acting in duplicity would continue without an end, because the client would talk away without listening to the therapist, so the client can close his ears to the genuine voice within and feel no pain. Listening to the client talking away does not change self-deception for the better. To improve the client’s duplicity of self-deception, initially, the therapist must step into the client’s narrative and call for his genuine voice. The client’s heart-warming life story can be heard only after loosening the duplicity of self-deception.
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