札幌圏のカウンセリング

札幌|のっぽろカウンセリング研究室
トップページへ

トップページ >> カウンセリング論 >> 来談者「中心」の本当の意味

来談者「中心」の本当の意味
-オットー・ランクに学ぶ-




 来談者中心療法で著名なカール・ロジャーズですが、みなさんこの「中心」の意味を考えたことはありますか。これ、なかなか奥深いのです。ロジャーズがオットー・ランクの影響を受けていることは有名な話です。ここでは、ロジャーズがランクからパクッた?この「中心」の意味を、ランクにさかのぼって考えてみます。

 オットー・ランクの講演集があります。Otto Rank "A Psychology of Difference: The American Lectures" Princeton.です。この第21章に収められた「能動的セラピーと受動的セラピー」が実に興味深いのです。これは、1935年4月5日、ニューヨークのJewish School of Social Workでの講演で、ロジャーズが取り入れたであろう「センター」の意味を考えさせてくれるよい資料です。では、解説して行きましょう。



 皆さん、ようこそいらっしゃいました。ソーシャル・ワークというのは、そもそも能動的・積極的な活動でありました。つまり、クライエントのおかれている困難な状況や、どうすることもできない状況を援助し、安らぎを与え、何か行おうと尽力することであったのです。現代のソーシャル・ワークへと至るこうした初期の運動の発展では、個人が不適応状態にあることに関して心理学的な原因が強調されていましたけれども、そうしたことについてはヴァージニア・ロビンソンの『ケースワーク心理学の変遷』(A Changing Psychology in Social Case Work[Chapel Hill:University of North Carolina Press, 1930]訳、岩崎学術出版社)によく示されています。

 もともと精神医学は(ソーシャル・ワークのように)、その人の苦しみを軽減したり、その人の状態を改善したりすることを目指して、患者のために、あるいは患者に対して、直接的に何かを行うことを目的としていました。それから、フロイトが研究法として発展させた精神分析学が現れて、クライエントの無意識を受動的に探究することになりました−使い慣れた催眠を放棄して、その人が置かれているトラブルの隠された根源を見つけ出すためにです。最初の段階では、治療者の側が能動的で、クライエントの側が受動的でした。つまり、忘れてしまったことを想起したり思いつくことを口にしたりするように、治療者がクライエントに強く勧め、そうするように迫る必要があったのです。その後、いわゆる自由連想法が編み出されて、治療者はより受動的になり、患者は心理療法のプロセスの中でより能動的な立場をとるようになりました−全体としてみると、まだ受動的なものなのですが。

 精神科医は仕事の虫ですから、自分のケースのために何かしようとするわけですが、一見するとこの早期段階の受動性は(自分自身を能動的に示すことは患者にも一切認められていないわけですから、相互的な受動性であるという人もいるかもしれません)、そうした精神科医の側に認められる過度な能動性に対して注意を払う、慎重な姿勢による受動性でありました。

 実際のところ、このような受動性は、研究の必要性から生まれました。無意識的な心が機能する様をよりよく理解するためにです。フロイトは後にこの受動性を、治療的に利用できればよいのだがと考えていました。フロイトは自由連想法に魅せられていたのですが、患者が産出するマテリアルに対する彼の関心は、セラピーという作業課題からますます離れていったのです。

 分析状況で神経症患者が産出したマテリアルをフロイトは解釈したわけですが、それによって、非常に複雑な無意識の理論が構築されることになりました。患者の奇妙なリアクションについて説明するためには、必要なことであったのです。それと同時に、同じく説明・解釈することが、分析状況における治療的要因であることにフロイトは気がつきました。こうすることが致命的な誤りであったことはいまや私たちには分かっていますが、こうしたセラピーの知性化に関わる議論は、歴史的な意味でとても面白いものです。なぜならば、それには、過度の受動性から、とてもはっきりとした能動的干渉へと、治療者が次第に変化していったことが示されているからです。フロイト自身は、無意識的なマテリアルを意識にもたらしても、望み通りの治療効果を生み出すには不十分であることに往々にして気がついていましたし、非常に能動的に命令したり禁止したりすることを余儀なくされると感じることもありました。けれども、そのことを彼は、まるで神聖視する受動性・中立性に背いてしまったかのようにして申し訳なく思っていたものの、自分の説明が確実に、それ自体で患者の受動的な産出に対して能動的に干渉してしまうことには、気がついていなかったのです。

 この段階で、精神科医と精神科ソーシャル・ワーカーは精神分析学に精通して、フロイト派の教条的な諸原則を自分のクライエントに適用しようとしました。とうぜんながら、最初に起こったのは、この分野のかつてのワーカーたちの活動に対する反発と、その人自身の問題に対するより受動的なアプローチでした。精神分析学では、受動的であることの動機づけが研究することにあったわけですが、ソーシャル・ワークでは、相手の自立性に対して敬意を払うということにあったのです。

 その一方でこの15年ほどのあいだ、固有のセラピーの領域では、オーソドックスな分析が与えるところを越えて、より能動的で、直接的で、効果的なアプローチに向けて、変動が始まりました。私がこのアプローチを取ったのは、1921年くらいであったと思います。分離理論を唱えてセラピーを実践し、効果的であるためにセラピーは能動的であらねばならないと主張していました。患者を知的に導き、他のトリートメントに類似するような治療的に期待されるリアクションを促進するための、受動的な研究と知識の蓄積を、精神分析学はもう十分に行ったと私は思ったのです。

 同時に私は、知的な体験の代わりに、プロセス全体の力点を情動体験に置くことによって、分析状況だけでなく、日常生活においてもよりいっそう能動的に取り組むことを患者に認めました。『精神分析学の発展』のなかで粗描しましたが、同時にこの治療哲学の再評価によって、患者の過去に対する理論的関心から、患者の現在のリアクションと態度に対する治療的関心へと、力点が移行したのです。

 私は、それが分析状況に結晶化するのを見たのですが、その人の現在の情動状況というのは、フロイトの所見を避けて通るわけにはいきません。ところがフロイトは、それについて、現在の情動的意味合いを実感したり、それを十分に利用したりするのではなくて、幼児期のパターンを現在の状況に転移することとして説明したのです。分析プロセスに対する最も能動的な干渉なのですが、私が時間制限の設定を導入して現在の情動状況を利用しようとしたとき、分析家のオーソドックスな流派から抗議を受けました−暗に示すだけであると言うまで止みませんでした。

 私の働きかけによってクライエントに強いリアクション―能動的でもある―が喚起されることを、彼らは見落としています。分析家の説明による漸進的な教化ほど、言外の意味として暗示を提供するような余地などないのです。それはさておき、能動的なムーブメントは、私から始まりました。フロイト派の分析が重視することを捨て去って、従来にもまして受動的であることに再び回帰したのです。しかし、このたびは、合理的な研究はもはやその理由ではありません。過度の能動性に対するリアクションでもありません−それは恐れなのです!。いずれにせよ患者に対して説明しなければならないのに、何かを暗示するにとどめることへの恐れ。それに、患者のリアクションに対する恐れ−つまり、患者の活動性に対する恐れ。

 この恐れは、ソーシャル・ワークではもっと弱いものであるか、まったく存在していませんでした。ソーシャル・ワークというのは、その性質からいっても、基本的により能動的なものですから、新しい治療的ムーブメントがもたらすより能動的なアプローチを容易に取り入れることができたのです。このアプローチによって、最初に、最大の成果をあげたのは、ペンシルバニア大学の社会福祉学部でした。そこのリーダーたちは、自分自身のアプローチに基づいて、私の哲学に興味を示してくださったのです。彼女らが私を受け入れてくれたのは、自分自身のソーシャル・ワーカーとしての活動が理にかなっていることの確認というだけではありませんでした。患者の側の能動的体験(ほとんど創造的体験)として、治療プロセスのより本質的で、より深遠な意味もまた理解してくださったのです。それに彼女らは、自分自身の救済を苦労してでもやり遂げることをクライエントと同意しようとしますから(もちろん、援助はしますけれど)、そのアプローチは、クライエントの立場からすると、つまり純粋に治療的な意味で言えば実質的には「能動的」なものですが、ワーカーの立場からすると「受動的」であるとみなすことができるのです。

 こうなると、ソーシャル・ワークにおける受動性と能動性をめぐる議論の全体が、フロイトが理論とセラピーをまぜこぜにしてしまったのと同じような根本的誤りによって、混乱していたことがはっきりとします。精神分析的アプローチの全体は、研究を行い、自分が知っていることに基づいて説明する治療者を中心にしています。真の治療というのは、クライエントを、その困難を、そのニーズを、その活動を中心にしなければなりません。(注釈2)治療者が能動的であっても、受動的であっても、そんなことはさして重要ではないように思えるのです−クライエントが建設的な仕方で能動的になることができるかぎりのことですが。

 このことから、もっぱら能動的であったり、あるいはもっぱら受動的であったりするアプローチはどれもみな、原則の問題として、失敗するのは必至であるということが明らかになります。というのは、あれかこれか、どちらか一方の方法だけでよいという人はいないからです。それに、さまざまに異なる人たちにとって必要と思われるアプローチであればどんなものでも、あるいは同じ人であってもその人が置かれているさまざまな状況にとって必要と思われるアプローチであればどんなものでも考慮に入れる柔軟なものでなければ、セラピーが成功するはずはないからです。言い換えると、治療者に関していいますと、私たちに求められるのは、能動的とか受動的とかいうことではなくて、力動的なアプローチなのです。まさにケースバイケースで、能動的にも受動的にもなり得るのです。そうでなければ、治療者には能動的か受動的であろうとする好みが各自あるわけでして、このことによって、セラピーは、いずれかの治療者のタイプを映し出すことになってしまう危険があります。

 結局のところ、大事なのはクライエント本人ですし、私たちが研究して連れ添う必要があるのはクライエントの心理です。特定の治療者や学派の考えを満足させるような、治療的なイデオロギーを作り出すことではないのです。



 ソーシャルワーカーを対象とした講演です。ソーシャル・ワークの世界は、1920年代に診断主義ケースワークを特徴とする診断主義学派が台頭しました。この学派は、フロイトの精神分析を取り入れ、利用者の問題は社会的なものであるよりも、それぞれの精神内界に起因するとして、個人の心理的側面に傾倒していました。利用者の心的問題・病理を援助者が治療する、あるいは援助者の側が能動的に働きかけるという、援助者中心の医学モデルがとられていたわけです。

 しかし、1930年代になると、このランクが多大な影響を及ぼしたヴァージニア・ロビンソンとジェシー・タフトが勢力となって、機能主義ケースワークを特徴とする機能主義学派が台頭しました。この学派の一番の特徴は、ランクから受け継いだ「自己決定の原理」でしょう。利用者の自由な意志を尊重して、主体的な問題解決を側面から援助するのです。利用者中心の思想と言えます。援助者は能動的に働きかけると言うよりも、むしろ利用者の成長しようとする潜在的な力(意志)の発現を阻害するような障害を取り除くことに重点が置かれたのです。つまり、能動的になるのは利用者の側です。

 アメリカのソーシャルワークにも、このような歴史があったのです。では、私たち臨床心理学の世界はどうだったのでしょうか。

 ジェシー・タフトがこんなことを言っています。彼女はシカゴ大学でミードから社会心理学などを学び、対人援助の世界に足を踏み入れたのですが、当時のサイコロジストは心理テストばかりしていたようです。テスト屋です。困難を抱えている人間を援助するのはどちらかといえばワーカーであって、カウンセラーは見立て屋、診断屋であったのです。日本の児童相談所は、もしかするといまだにそのスタイルを受け継いでいるのかもしれません。処遇の方針決定などを心理職が行い、実際の処遇はワーカーが行うと言う意味においてです。

 さて、本題です。ロジャーズが来談者中心療法と言いだした時代的背景には、上記のようなことがあったはずです。彼はタフトやロビンソンの指導を受けたワーカーたちとの交流があり、ランクと接触したのは必然であったと思います。つまり、時代の要請が、ロジャーズにクライエント「中心」と言わしめたのです。

 ランクはこの講演のなかで、一部このように表現しています。重要なので原文のまま掲載します。"Real therapy has to be centered around the client, his difficulties, his needs, his activities." ドイツ語が母国語であるランクは、おそらくタフトなどに英文原稿をチェックしてもらっていたのでしょう。けれども、ここにある"centerd around" と "client"なる表現には、時代を映し出す偉大な響きがあります。ロジャーズが取り入れたのも、なるほどうなづけます。

 「真のセラピーは、クライエントを軸として展開しなければならない」、いやはや、しびれます。クライエントを「中心に」というよりも、語感としては「クライエントを軸として」の方がわれわれ日本人には近いのかもしれませんね。もちろん、「クライエント」なる表現も、ロジャースはランクから拝借したようで、これも注目です。

 少し長くなりました。これでお終いです。クライエント「中心」は、時代の要請がロジャーズを介して現われ出た表現のようです。パクッたという表現はロジャーズ信者から非難を受けそうですが、まあ、しゃれと思ってください。


関連文献