札幌圏のカウンセリング
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本当は「こんなカウンセラーになりたい」と言う表題で書きたいところですが、こんな風にはなりたくない、こんなカウンセラーは嫌だと言う否定型の方が書きやすいものです。
以下に書き記すのは、あくまでフィクションです。私が実際に目にしたこと、聞いたことではありません。そんなことは、もちろんここに書けるはずもなし。ただし、本当にいそうだという微妙な線を目指して書くつもりです。実際に行って見てきたような文章のスタイルで書きますが、誤解されませんように。
もくじ
復讐する人
妙なプロ意識のある人
事例検討会でレイプする人
守秘義務をこっそり破っている人
入浴しない人
経験年数ばかり誇示する人
口の大きい人
根掘り葉掘りの情報収集
他人の批判ばかりする人
自分の個別的な経験ばかり口にする人
自分の好き嫌いでのみ判断する人
責任論を振りかざす人
日常生活をないがしろにしている人
トイレ掃除をしない人
精神病理や問題点に飛びつく人
話を聞かない人、メモばかり取る人
復讐する人
事例検討会に顔を出しました。発表者がこんなセリフを口にします。「カウンセラーは復讐しないから」。私は「フムフム、そうだよな、臨床家がクライエントに復讐するなんて、とんでもないことだからな」と納得します。しかし、その人は続けてこんなことを話し始めました。「クライエントと数回会って、其の人の顔を見るとどうしてか自分の落着きが無くなり、これでは自分はこの人と会っていけないと思って他のカウンセラーを紹介しました」。
おやおや、これはどういうことか。復讐ではないのか。
臨床家としての限界と言うよりも、むしろ個人としての限界にぶち当たり、これは復讐ではないと防衛線を貼ってから、「捨てる」という復讐をしてしまったことを正当化する。この発表者とクライエントのあいだで起こっていたのは、どうやらこういうことのようでした。この方はさらに、引き受けられない人をいつまでも引き受けているのは無責任なことであるから、他に紹介したのは責任ある行為なのだと口にしました。
カウンセラーは復讐しないという言葉は嘘です。カウンセラーは、復讐しないように気をつけねばならないのです。「復讐」を「責任」にすり替え、自分を正当化するようなカウンセラーには、なりたくないものです。
妙なプロ意識のある人
A子さんはカウンセラーになって十年の臨床家です。かつてOLをしていましたが、思うところがあってこの世界に転職しました。少し遅い旅立ちです。「私は臨床心理士。心の専門家、プロのカウンセラーなの」、彼女はいつも自分にそう言い聞かせています。
あちこちの研修会に顔を出して、研鑽を重ねてきました。先輩たちの教えが、しっかりと身についています。この世界の常識が彼女の常識になりました。立派な臨床家になったつもりでいます。
彼女がよく口にする言葉は、「プロのカウンセラー」とか、「私はこう教わったけど」とか、「カウンセラーとクライエントは対等ではない」とか、「臨床心理士は一番グレードの高い資格だから」とか、自分の流派に対する忠誠と、とにかくプロ意識を反映するものばかりです。
プロになることで、それと引き換えに失ってしまったものが大きかったことに、彼女は気づいていないようです。視野が狭くなり、身に付けた教えがドグマになってしまったのかもしれません。彼女は、カウンセリングの世界にあるプロフェッショナリズムの歴史や、それに対する反省については、誰からも教わらなかったようです。
いやはや、妙なプロ意識のあるカウンセラーにはなりたくないものです。
事例検討会でレイプする人
記憶が定かではありませんが、たしかエーリッヒ・フロムがどこかで言っていたような気がします。精神分析系の事例検討で、ジャルゴンを使ってクライエントのことをめった切りにして分析するような類いのことを、彼は「レイプ」と呼んで戒めました。
検討会でこんなことをしている人がいれば、それはまさにフロムの言う意味でのレイプをしていることになります。こうです。クライエントの病理や至らないところをあげつらって、徹底して自分のよって立つ流派のジャルゴンで料理する。それには、クライエントを蔑むようなニュアンスが込められている。専門家が、被援助者を半ば馬鹿にするわけです。
このような意味で、クライエントをレイプするようなカウンセラーにはなりたくないものです。いまここにクライエントがいたなら、自分はそのような言葉で語るだろうか、うまくいかなかったクライエントの悪口を言っているだけではないのか、いつも自問したいものです。
守秘義務をこっそり破っている人
個人情報保護法が施行されてから、ますます相談者のプライバシー保護が重視されるようになりました。とてもよいことです。私たちカウンセリングの世界も守秘義務についてさらに強化され、インフォームド・コンセントが当然の時代となりました。
カウンセラーのAさんは、個人情報保護法が施行される前に、勤務先の心療内科クリニックを退職しました。念願であった、私設相談室を開業するためです。これまで関与した相談者のカルテをすべてコピーして、心理テストのデータも「これは私が実施したテストだからデータは私のもの」とつぶやいて、テストのロー・データも持ち出しました。彼は何をしようとしているのでしょう。言わずもがなです。いつか論文にして、発表しようと目論んでいるのです。
勤務先からコピーやデータを持ち出すことを、彼はその病院にも、クライエントにも、許可を取っていませんでした。こっそりやったのです。
守秘義務をこっそり破るようなカウンセラーには、なりたくないものです。後で発覚したときに、クライエントから訴訟を起こされる可能性もあるでしょう。なにせ、許可を取っていないわけですから。何のための臨床なのか。クライエントを欺いてまで研究論文を書いて、それがいったい何になると言うのか。ああ、そうか。論文や著書があれば、自分に箔がつくものなー。職業倫理のマヒ。
入浴しない人
こんな人、いるのかいないのか定かではありません。もちろん作り話です。相談者のA子さんは、今日も札幌市内にある相談室を訪れました。今日で三回目のカウンセリングです。でも、足取りが重く、あまり行きたい気分ではありませんでした。
どうしてでしょう。それは、カウンセリング・ルームにこもる臭いのせいです。なんだか男くさい。体臭が部屋にこもっている。一時間いるとなれるけど、部屋に入ってから10分は臭いで頭がくらくらしそう。
A子さんは臭いに耐えきれず、それを最後にカウンセリングを止めてしまいました。いやはや、いくら多忙とは言え、入浴しないような不潔なカウンセラーには、なりたくないものです。
経験年数ばかり誇示する人
むかし、「ど根性ガエル」という漫画がありました。その中のキャラクターとして登場する町田先生のセリフが印象的です。こうです。「教師生活○○年・・・」。教師を長いあいだしているが、こんなことはいままでなかったと言うぼやきの決め台詞です。
カウンセリング歴40年のA子さんは、もうこの道の大ベテランです。後輩たちの相談によく乗り、的確な助言をします。けれども最近、「この道40年・・・」というセリフを連発するようになっていました。自分でも気がつかないうちに、経験年数を誇示するようになってしまったのです。
経験年数と、自分の経験に裏打ちされた助言を口にするものの、周囲の人間にしてみると、その言葉の数々がどことなく古びたものに映ってきました。蔭では「はいはい、分かりました。長い経験のある凄い人なんでしょうよ」と辛らつに批判する人も出る始末です。
臨床家としての成長が止まり、回顧するばかりのカウンセラーにはなりたくないものです。産業廃棄物の行く末は、「処理」です。カウンセラーの賞味期限は、人間としての成長が止まるときにやってくるのかもしれません。
以下、更新予定です。
関連文献
江別等、札幌近郊のメンタルヘルスのために