札幌圏のカウンセリング

札幌|のっぽろカウンセリング研究室
トップページへ

トップページ >> カウンセリング論 >> それは愛なのです。転移?逆転移?

それは愛なのです
転移? 逆転移?




 最近のことです。本当に久しぶりにカール・ロジャーズのビデオ映像を見ました。ベーシック・エンカウンター・グループの映像で、例のアカデミー賞を受賞した作品「出会いへの道(自己への旅路)」です。学生の頃始めてみたときには、まあこんなものだろうという味気ない感想しかなかったような気がするのですが、今回は違っていました。ありきたりに言えば感動して、涙がこぼれそうになったのです。少し年を取ったかな。いいえ、普通の血の通ったオヤジになって来たのかな。以前だと、一人前のカウンセラーになることばかりを考えていただけなので。

今回のお題は、「それは愛なのです。転移?逆転移?」と題してつぶやくつもりです。もう結論はお分かりでしょう。精神分析は転移とか逆転移といった極めて専門的なジャルゴンにすり替えてしまうのですが、ロジャーズは、愛をそのまま愛と呼ぶのです。

我と汝が出会うとき、そこには感動があります。その場に一緒に「いる」人間同士が互いに自分の胸に流れる暖かいものを感じ、共存在として何かに包まれるのです。ロジャーズはそれを愛と表現します。しかし、それは「惜しみなく愛は奪う」と表現されるような、所有的、独占的な愛情ではありません。非所有的な愛なのです。自分ではない他者としての尊重を忘れない愛なのです。みなさん想像がつきますか。私なりにいいかえると、人間愛とか、人類愛とか、何だか壮大なものになってしまいます。でも、これでは転移や逆転移などのジャルゴンと大差ないのかもしれません。そう、それは端的に愛情なのです。

 私自身のカウンセリング場面についてお話しましょう。

 我と汝が出会うような瞬間を、私もカウンセラーとして幾度となく体験してきました。クライエントが感動的に語る姿を目の当たりにして、私の胸には熱いものが流れます。そんなときは、ただひたすらにクライエントに寄り添い、ただひたすらにともにある、ともにいるだけです。お話を聞いていると、私のこころも洗われるような、深く癒されるような感じがします。とてもディープな一体感のなかで、私は一緒にいるクライエントに対して愛情を感じています。

ロジャーズはあの映像の中で、少し涙を浮かべているような気がします。でも、モノクロなので、よく分かりません。しかし、「愛している」という言葉を、グループのなかで口にしています。私の場合は一対一の個人カウンセリングなので、それに日本人ということもあり、クライエントに対して、いまこの瞬間に「愛している」という言葉を伝えたことはありません。おそらく、これからもないでしょう。でも、この年になってやっと、溢れてくる自分の涙をこらえようと意図して抑えることがなくなりました。

自然体です。取り繕うことなく、この瞬間にあるがままの自分でいること。おそらくこれが、ロジャーズの言う「実存的」ということなのでしょう。

みなさんはいかがですか。まだ転移とか、逆転移とか、精神分析的なジャルゴンを使い続けますか。私はもうやめました。私の辞書に、もう転移-逆転移という言葉はないようなのです。

カウンセラーとしての自分と一緒に、いまここにいるクライエントに対して、このような愛情を感じたとしたら、皆さんはどうしますか。力動的な考え方にどっぷりつかっている人であれば、やはり治療的な枠組みがどうとか、中立性とか、やはりそちらに議論が流れるのでしょうね。なんといっても、転移の操作が中心的なワークになるのでしたっけね。転移-逆転移という概念を介してカウンセリングを見たい人はそれでもよいでしょう。ただ、そのような概念を捨ててしまえば、まったく違う世界が、カウンセリングのいまここに立ち現われてくるはずです。まあ、少なくとも、私にはそうなのです。

ではまた書きます。


関連文献