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| 『マリリン・モンロー 私の愛しかた』['22] (Dream Girl: The Making Of Marilyn Monroe) 『知られざるマリリン・モンロー 残されたテープ』['22] (The Mystery of Marilyn Monroe: The Unheard Tapes) | |||||
| 監督・脚本・編集 イアン・エアーズ 監督 エマ・クーパー | |||||
| 拙サイトの“四大女優”日誌リストに挙げている四人のなかでも、最多観賞作品数とともに映画日誌化率100%となったマリリンは、自室の壁にジグソーパズルのパネルと映友から貰った2002年カレンダーを今も掛けていて、書棚には、1987年の岩波新書『マリリン・モンロー』(亀井俊介)、1987年の『マリリン』(グロリア・スタイネム著 道下匡子訳 ジョージ・バリス写真)、1992年の写真集『Marilyn Monroe』(マガジンハウス)が収まっている別格女優なので、観逃すわけにもいくまいと『マリリン・モンロー 私の愛しかた』を観に赴いた。 本やパズルだけでなく、彼女を描いた映画も機会あれば観ていて、『マリリンとアインシュタイン』['85](監督 ニコラス・ローグ)、『ノーマ・ジーンとマリリン』['95](監督 ティム・フェイウェル)、『マリリン 7日間の恋』['11](監督 サイモン・カーティス)などが思い出される。 幼時の性的虐待や諸説ある三十六歳での死について、加害者を特定する形で断じていたが、その根拠というか証拠については、伝聞及び推測を越えるものはなかったような気がする。最も驚いたのは、帰宅後チラシを詳しく読んでいたら、原題も英語なのにフランス映画だったことと、三年も前の作品だったことだった。 マフィアとの因縁がかなり初期からあって、“バグジー”との異名を持つベンジャミン・シーゲルの庇護を受けていたとのことで意表を突かれた。ウォーレン・ビーティが彼を演じた映画『バグジー』['91]を観たのは、三十三年前のことで朧げな記憶なのだが、同作にマリリン・モンローは登場しなかった気がする。もっとも事実だったとしても、同作にマリリンを登場させると、ヴァージニア・ヒル(アネット・ベニング)へのフォーカスがぶれてしまうので、割愛するのが常道だろうとは思う。そして、その死もまた、司法長官たるロバート・ケネディとマフィアとの確執のなかで起こった殺害だとされていたわけだが、そのかなり踏み込んだ描き方は、アメリカ映画だとなかなかできないことではあるような気がした。 翌日観た『知られざるマリリン・モンロー 残されたテープ』は、ちょうど『マリリン・モンロー 私の愛しかた』を観たばかりだったので、いい機会だと視聴したものだが、思い掛けなくも証言場面以外の引用素材がほとんど被っている同年作だった。生誕百年でもないのに、米仏同時期に何故こういうことが起こったのだろう。没後六十年ということなのかもしれない。 原題からすれば「(ノーマ・ジーンによる)マリリン・モンローの作りかた」とも言うべき『マリリン・モンロー 私の愛しかた』であったことに対して、こちらのほうは、未発表テープと題する証言録音をもとにして、彼女の人物像とともに1962年の謎の死に焦点を当てた作品だった。 死後二十年も経って再捜査が始まったことを契機に取材を始めたとのアンソニー・サマーズが、1982年からの三年掛かりで集めた、当人が言うところの1000人へのインタビューによる650本もの録音テープの音声はそのままに、証言者は役者が演じるという造りだった。未発表テープとの触れ込みの原題タイトルなのだが、かなりの証言が『マリリン・モンロー 私の愛しかた』にも出て来ていたように思う。おそらくは、これらの証言をもとにサマーズ自身が1985年に著作を発表しているから、相当部分が公表済みなのだろう。 どちらの作品でもノーマ・ジーンの強かで脆いパーソナリティが、痛ましく悲劇的に綴られていた気がするけれど、その死については、他殺説に立ち犯行経過や犯人を特定していた『マリリン・モンロー 私の愛しかた』に対し、本作では同作の犯行経過を背景のほうに置いて、直接的な死因は、ロバート・ケネディへの深い失望によってもたらされた自殺であることを示していた。死亡当日の深夜から翌朝にかけての経緯の具体について、複数の証言者を明示していた点からは、事故か自殺かはともかく、他殺説を退けるに足るものだったような気がする。 僕がその名を知っている証言者は、『紳士は金髪がお好き』['53]でマリリンと共演し、チャイニーズシアターのフォーコート・オブ・ザ・スターズでの手形とサインも一緒にしていた女優であるジェーン・ラッセル、マリリンの遺作となった『荒馬と女』['61]を撮ったジョン・ヒューストン監督、『七年目の浮気』['55]、『お熱いのがお好き』['59]のビリー・ワイルダー監督くらいしかいなかったが、映画監督や俳優、ドレッサー、エージェントといった業界人から、マリリンの盗聴を請け負っていた探偵やパトロン筋、家族ぐるみで付き合っていたという精神科医ラルフ・グリーンソンの遺族やマリリンの家政婦ユーニス・マレー、ロバート・ケネディの元秘書アンジー・ノヴェロといった幅広い人々の証言があって、興味深く聴いた。むろん皆が真実を語っているとは限らないが、少なくとも当人はそう思っているという真実性は高かった気がする。 また、本作によって『マリリン・モンロー 私の愛しかた』のほうに登場していたノーマ・ジーンと同じ里親の元で共に育ったという女性の証言の同作における意義を再認識した。そこには、10もの里親の元を転々としたノーマの姿はなく、生い立ちについてより悲劇的に盛ることで、性的魅力を振りまくマリリンに反発する女性たちの同情を引くというノーマによる“マリリンの作りかた”の一つが示されていたわけで、そこのところについては、他殺説と違って意外性よりも納得感のほうが強いように思った。 『知られざるマリリン・モンロー 残されたテープ』で繰り返し使われていたように思う、ノーマ・ジーン=マリリン・モンローの心身ともの“家なき子”という言葉が印象深い。最初に登場した証言者だったように思うエージェントのアル・ローゼンが1982年に言っていた「(女優を売り込むには)今はカネ、昔はセックスだった」の時代において、真摯な向上心と変身願望と共にある上昇志向によって、力ある男たちを渡り歩いて傷んでいきつつ磨きの掛かっていった稀代の女性の姿を改めて悼む気になった。 すると、高校の新聞部の先輩から、「マリリン・モンローって、おっぱいが大きいからか、野坂昭如が「マリリン・モンロー・ノータリーン」(?)と歌ったからか、頭がよくないイメージですが、本当は賢い人だったらしいですね。」とのコメントが寄せられた。頭がよくないどころか、非常に聡明な女性だったのではないかと僕は思っている。頭のよくない人にあれだけ多彩で魅力的な表情は、とてもできないはずだ。どれだけ読んでいるかはともかく、遺品として残されていた蔵書量も見上げたものだったし、耳学問だけでも知的レベルの相当に高い時間を過ごしていたことだろうと思う。そもそも、痴的レベルでも高いものを表出できるのは、裏を返せば、それによって損なわれない自負を備えていればこそ、とさえ言えるようなセルフプロデュースだった気がする。 また、旧知の映友女性からは、「モンローウォークは、マリリンがフェラガモのハイヒールの片方のヒールを3cmカットして、考案したんですって。これ読んだ時、バカな女なわけがないと思いました。寄る辺ない身の上が、賢くて繊細なノーマジーンを、マリリン・モンローとして生きる事を、選択させたのだと思っています。」とのコメントも寄せられた。彼女が言及した映画は『ナイアガラ』['53]だ。再見時にはヒールに注目して観たのだが、違和感なく流石だと感心させられた覚えがある。また、普段着ではドレスアップを嫌っていたらしい彼女は、セクシーであれ、ゴージャスであれ、人目を惹く衣装は、いつも“仕事着”だと言っていたという証言もあった。ただ知的には聡明でもメンタル的には脆くて仕方のない部分があったのだろう。だがしかし、それもこれも全部あわせたうえで、ノーマ・ジーンの作り上げたマリリン・モンローがあるのだと思う。 | |||||
| by ヤマ '25.10.19. 喫茶メフィストフェレス2Fシアター '25.10.20. NETFLIX配信動画 | |||||
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