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『鍵』['59] 『細雪』['83] | |||||
監督 市川崑 | |||||
今回の合評会の課題作は、市川崑監督による谷崎潤一郎原作の文芸作の二本だった。先に観た『鍵』は、二か月後には年金暮らしを迎える僕が一歳のときの作品だ。 冒頭でインターン医師の木村(仲代達矢)がスクリーンの前の観客に向けて「老衰と闘った男の物語」と言っていた剣持を演じた中村鴈治郎は、この当時まだ還暦にも至っておらず、今の僕より七歳くらい年下になってしまうわけだが、失われた若さを求めて命懸けで倒錯した刺激を追い求める老境というものが、僕には、まだピンと来ない。 五年前に「大映創立75年企画“大映女優祭”」で観たときに「何とも不気味で倒錯的な作品にはなっていたが、剣持を含め、登場人物の誰ひとりに対しても得心がいかないままだった」と記したものと何ら変わるところがなかった。ただ『細雪』と併せて観ることで、谷崎・市川の描く“女の得体の知れなさ”がより鮮やかに浮かび上がってくるように感じた。 剣崎も木村も得体の知れないところがありつつも、どちらかというと「気が知れない」のほうで、女性陣は郁子・敏子(叶順子)だけではなく、女中のはな(北林谷栄)も含めて、まことに「得体の知れない」怖さがあったように思う。『細雪』のほうも同じで、なかなか得体の知れない四姉妹だった覚えがあり、男は形無しだったような気がした。 今回の『鍵』では、ミルクをあげようとしていた迷い猫に対して「びっこや!嫌らしい」とつまんで戸外に放り出した郁子(京マチ子)の嫌悪感の籠った風情と、矢鱈挟まれるストップモーション画面のうざったさが前回観たときよりも気に障った気がする。 どういう巡り合わせか『いくつになっても男と女』『60歳のラブレター』と、このところ続けて、老いの性愛を描いた映画を続けて観ることになったことも興味深い。若くして敏子を産んだと思しき、歳の離れた妻郁子の腹の上で脳溢血を起こし、口も利けなくなったまま病床に就いた剣持が、湯あたりして倒れ、桜色に染まっていたであろう妻の身体をカメラで盗撮する趣味に耽ることも叶わなくなり、目でせがんで全裸の女体を見納めて亡くなっていた場面が実に強烈だ。 今後の木村との新生活をほくそ笑む郁子、金の切れ目が縁の切れ目と考え始めている木村、母と婚約者の密通を察して母を亡き者にしようと企てた敏子という“同床異夢の三人”が会食するエビサラダに、ミドリ色の缶の裏にしっかり「どく」と記したのを確認してから、農薬を振りかけて合えて出していた老女中の存在も、なかなか得体が知れない。 これに対しては、「三人がぐるになって主人を殺したと考えたのではないか」との指摘が合評会メンバーの女性からあった。そして、なぜ老女中が三人を殺そうと思ったのかが描かれていないから不気味なのであり、原作にはないものをミステリーに仕立てたのは和田夏十なのか、監督なのかという関心を寄せていた。彼女によれば、「原作の妻は淫婦でかなりの心理的屈折がエロティックに描かれているので、映画にするには苦心したのではと思われる婆さんの登用」とのことだった。 同床異夢の三人を“ぐるだと勘違いした老女中”というのは、なかなか面白い着眼だと感心するとともに、彼女の配置とミステリー仕立てにすることで、確かに“女の得体の知れなさ”の部分が際立ってきているような気がした。そこが谷崎の描く女たちの核心部分だというのが映画化作品の作り手の想いなのかもしれない。 だが、メンバーの映友女性にとっては『細雪』の姉妹たちは分かりやすい人達だったとのこと。加えて「『鍵』は陰険な人達オンパレードやね。ま、谷崎先生ですからね。倒錯はテーマなので、陰険でも愚かでも良いのですが。小説は変態嗜好の中にも文体で流石の品格が漂うのだけど、映画はひどいよ。単なる奇妙な物語に落ちたように思います。京マチ子の眉毛が奇妙さを表していて笑えてしまう。女中が三人に毒を盛って殺す、という件は原作にはないから。あの件でミステリー路線を狙ったのが失敗だったのでは。女中の心理も分かりにくいしね。」と散々だった。 その『細雪』は、四十年ぶりの再見となった。二十年前に阿部版['50]を観た際に、「かなり怪しい記憶だが、確か市川作品では、花見に始まり、花見で終わっていたような気がする」と記していた部分は、二十年前に交わした談義で教わったとおりだった。確かに、雨に濡れる桜花から雨上がりとは思えぬ花弁の舞う、昭和十三年の花見場面で始まり、風花の舞う“おほさか”驛で蒔岡本家の鶴子(岸恵子)一家の上京を見送った貞之助(石坂浩二)が、結婚で義妹の雪子(吉永小百合)が家を出ていく寂しさにぽろぽろと落涙するなかで回想した、最早戻らぬ日々の華ある花見の、実に美しい画像で終えていた。予告編にクレジットされていた「陽が射すと すぐに溶ける ささめゆき その儚さ 美しさ」というフレーズは原作にもあるものなのだろうか。阿部版で印象づけられていた自然災害の場面を敢えて排することで、迫り来る洪水ならぬ戦渦を前にした戦前昭和の華ある美しさと儚さを描いていた気がした。 それにしても絢爛たる画面の美しさに観惚れた。四姉妹を演じた五十路の岸恵子、四十路の佐久間良子、三十路の吉永小百合、二十歳過ぎの古手川祐子と各世代の美女の粋を極めた立ち居振る舞いが贅沢な着物によって飾られ、浮世離れした阪急芦屋と大阪上本町の佇まいの対照が見事だった。谷崎趣味を感じさせる脚フェチも、妙子に足の爪を切らせている雪子の裾の捲れた膝下のみならず、女中の春(上原ゆかり)が幸子の相伴で爪弾く琴の演奏に付いて行くのに必死で裾が乱れて膝を覗かせているさまを映し出す。『鍵』との対照を思わせる妙子の入浴姿も印象深く、湯に上気した女性の肌の色の桜花を思わせる美しさだったように思う。 そして、記憶にあった四姉妹のなかの“女の得体の知れなさ”というのは、何を言い出し振舞い出すやら測り難い部分だったことを再確認した。ころころ変わる変幻自在と、強い拘りを見せる執着心の表わしように、些かの迷いも衒いもないという、一貫性が無さそうで一貫している本心の量り難さだと改めて感じた。とりわけ雪子の言動、妙子の行動によって顕著に浮かび上がらせていたように思う。それからすれば、鶴子の夫辰雄(伊丹十三)にしても、幸子の夫貞之助にしても、奥畑の啓ぼん(桂小米朝)にしても、男どもは至ってシンプルだ。シングルマザーの美容師井谷(横山道代)の手に手を重ねる貞之助にしても、貞之助に金を集りに行く啓ぼんにしても、気の知れなさは感じても、得体の知れない測り難さなど、どこにもなかったような気がする。 合評会の主宰者たる映画部長がSNSのコメント欄に予告編をアップしてくれていたが、花も四姉妹も着物も、本当に綺麗な映画だったように思う。予告編ではなく本編だが、辰雄がブルゴーニュを英語でバーガンディと言っていたのが思い掛けなかった。台詞校訂とクレジットされていた谷崎夫人によるものか、原作小説によるものか、少々気に掛った。すると、映画部長が谷崎夫人は船場言葉の監修だったらしいと教えてくれたが、辰雄は本家の婿だから、人手に渡す前の船場の店には行っていただろうし、劇中に船場そのものは出てこなかった点からすれば、本家筋の言葉遣いを監修したということなのだろう。松子夫人がモデルになっているのは、鶴子ではなく幸子なのだが、幸子は芦屋に住んでいても、使っている言葉は生まれ育った船場のものだということでの監修のような気がする。 合評会では『鍵』について僕が言及した“本作の妙味は、不気味と滑稽の共存”に対して大いに賛同が得られ、嬉しく思った。最も目を惹いたというか、気になった場面は?と問い掛けてみたところ、数々挙がったが、想に反して、僕が最も可笑しかった「私、寒くなってきましたわ…」に続く「死んだ」との郁子のほくそ笑みの場面は、誰からも出てこなかった。腹上死では仕留められなかった郁子が、寒くなるほど長時間その裸身を見せつけて視姦死させたということかと、そのシュールさに笑い、それを大真面目に描出していた演出に大いに感心した場面だ。 メンバーからは「ボディダブルでもいいから、上半身も映し出してほしかった」との意見も出たが、あそこは脚だけを強調し、腿から上は荒涼たる砂丘のイメージショットに切り替えてこそ、谷崎作品に相応しいと僕は思っている。砂丘というのは、女体の曲線と純白ではない色づいた肌合いを表すと同時に、娘の敏子に対しても、夫の剣崎に対しても、ドライ極まりなく我執にしか関心のなくなっている郁子の乾いた心象をも偲ばせる的確さがあって、なかなか秀逸なアイデアだという気がする。そのような話をしたら、たいへん受けて愉快だった。 四姉妹の誰が好みか?と問い掛けてみたら、予想どおり幸子と雪子に分かれた。僕は断然、佐久間良子の演じた幸子だ。雪子については、演じた吉永小百合にとっての代表作とも言うべき天晴れな造形だったとは思うけれども、あの手の女性は実に面倒くさくて、最も苦手とするタイプだ。やはり、何とも複雑にニュアンス豊かな「あのひと、粘らはったなぁ」との声を洩らし、ようやく夫の前から角を立てずに雪子を去らせることの叶っていた幸子の「きょうだいは、仲良うせないかんわ。つくづくそう思うたわぁ」との言葉を思い返させた台詞に痺れる。「雪ちゃん」と言わずに「あのひと」と言ってしまって、姉から「ゆっこちゃんか」と問われて「ふぅん」と息を洩らしている幸子の風情が絶妙だった。 両作ともに二度目の観賞だったが、合わせ観ることで随分と妙味が増したように思う。今期は、木下・今村両巨匠による『楢山節考』といい、能面のような表の平静さの下に潜む“女性の心底の怖さ”を成瀬巳喜男監督が描き出した二作といい、いわゆるテロリストとは一味異なる和風テロリストを造形した二作といい、主宰者映友によって“女の愛のエゴイズム、女優若尾文子”と括られたカップリングといい、思わぬ話の拡がりを大いに楽しむことができた東宝・東映の『青春の門』といい、ベストカップリング候補がたくさんあって何とも迷いそうだ。 『鍵』 推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/5387004268065779/ 推薦テクスト:「ケイケイの映画通信」より http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20080129 『細雪』 推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/5330523300380543 | |||||
by ヤマ '23. 2. 7,10. DVD観賞 | |||||
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