『後妻業の女』
監督 鶴橋康夫

ヤマのMixi日記 2016年09月14日23:04

 一昨日に観たグループる・ばる公演八百屋のお告げとは正反対に、素朴な善良さの失われた人物ばかりの人間模様に呆れつつも、観終えると滑稽譚としてより人の哀しさが浮かびあがってくるようなところがあって悪くなかった。

 近所にまで知れ呆れられるような色惚け老人になっていて、業とかビジネスと称するのも遺憾な“後妻業”のプロ武内小夜子(大竹しのぶ)から唆されるままに全財産を相続させる遺言を公正証書にまでしていた中瀬耕造(津川雅彦)が、有効性を担保するための念の入った註を添えた周到な仕掛けを施し得たとは思えないものの、二年前に観た0.5ミリに続き、色惚け老人が実に似合う津川雅彦に感心した。尻に鞭打ち跡の残るエロ写真の秘蔵ネタは、黒川博行の原作にもあるものなのか、映画の作り手の凝らした趣向なのかを思うと、妙に後者のような気がしてならなかった。

 それと同様に、後妻業それ自体にある種の生き甲斐というか達成感を覚えていたらしき小夜子について、それもさることながら、どうやら共犯の柏木亨(豊川悦司)のパートナーであり続けたいがゆえの後妻業だったようにも描いていた部分も、映画化に際しての潤色のような気がしてならなかった。エンドロールに凝らしたものの外、映画の序盤で柏木にならタダで見せてあげるわよと言って失笑を買う場面も原作にはないのではなかろうか。

 だが、それなら実は棹師と呼ばれる凄腕らしき自称不動産デベロッパーの舟山(笑福亭鶴瓶)に愛想尽かしをされたときに、小夜子が「ホンマに欲しいもんは逃げていく」と呟く場面はないほうがいいように思うのだが、おそらくこちらは原作にあったのだろうという気がした。

 しかし、狙われるようなものを持ったまま独居老人になることの危うさというか怖さは、僕自身には無縁のものではあるけれども、最も哀しい末路のような気がした。持たざる者の幸いのようなところで媚びている作品でもないとは思うが…(苦笑)。


コメント談義:2016年09月14日 23:57~2016年09月20日 23:33

(ケイケイさん)
 それもさることながら、どうやら共犯の柏木亨(豊川悦司)のパートナーであり続けたいがゆえの後妻業だったようにも描いていた部分も、映画化に際しての潤色のような気がしてならなかった。
 なるほどねー。
 私は逆に、嫌いなタイプと言いながら、柏木のほうが小夜子に惚れていたと感じていました。あの卓抜とした手練手管の使い手は、年齢から考えても、そうそういてないもん。同じ欲の深いもん同志としてね。
 「あんたには、タダ」は、私はグリコのおまけくらいのもんに思いましたし(笑)。おまけって言うか、サービスね。あれくらいで「惚れている」と思っていたら、ヤマさん、小夜子みたいな女に騙されますよ(笑)。


ヤマ(管理人)
◎ようこそ、ケイケイさん、

 僕はたぶん女性に簡単に騙されると思いますよ~。権力持ってたら、ハニートラップにイチコロでしょうし、財力持ってたら、後妻業にもイチコロなんでしょうが、いずれも持たずに妻子は持っているので、狙われないだけ(笑)。

 ただ、一つ言っておきたいのは、小夜子が柏木に惚れていると僕が解したというよりも、作り手がそういうふうに見せようと潤色している気がしたということなんですよ。ひたすら下品で非情な業突くババァとして造形すると、手管としての愛嬌は出しても、映画市場のメインターゲットである中高年女性の反発を食らうと観ての潤色の気がしたんだよね。原作には、そんな風情は覗かせてないような気がしたの。

 それは、エンドロールの二人を映し出していた様子から思ったことで、ああ、そう言えば、映画の序盤でもあんなこと言わせてたなぁってな按配です(笑)。もしあれを本気で柏木へのサービスと思って口にしているという人物造形にしてたのなら、その意図は小夜子の化け物ぶりを表現しているということになると思うんだけど、そのようにも感じられなかったしなぁ(笑)。

 また、僕は、欲の深いもん同士、というより、あの二人には“後妻業”の外には自己実現の場がないという点での似た者同士のように映りましたね。もちろん金銭欲も漲っているのですが、それ以上に手玉に取ることの達成感に囚われているように見えたなぁ。


(TAOさん)
 私はヤマさんに同感!
 「あんたにはタダ」で失笑を買ったあと、「じょ、冗談に決まってるでしょ」と取り繕わせたところに作り手としては、小夜子の意外な純情さをチラッと見せたかったんだろうなと思いました。

 金銭欲より、手玉にとる達成感ってところも同感。日の当たるところで成功している人たちに一矢報いる快感とでもいうかな。柏木が小夜子に偽のブランド品をつかませて喜ぶのもこそですよね~。

 観終えると滑稽譚としてより人の哀しさが浮かびあがってくるようなところがあって悪くなかった。
 そうそう、そこがいちばんよかったですね。


(ケイケイさん)
 ヤマさん TAOさん、こんばんは。

 ひたすら下品で非情な業突くババァとして造形すると、手管としての愛嬌は出しても、映画市場のメインターゲットである中高年女性の反発を食らうと観ての潤色の気がしたんだよね。
 とすれば、私がそう見たくなかったんですね。私はもっとモンスターでも良かったもん(笑)。小夜子が柏木如きに気があるなんて、私は嫌だなぁ。

 もちろん金銭欲も漲っているのですが、それ以上に手玉に取ることの達成感に囚われているように見えたなぁ。
 金銭欲より、手玉にとる達成感ってところも同感。
 うんうん、達成感というのは、わかります。でもあれだけやっても、まだ達成感がないというのは、欲が深いに繋がりませんか?
 二人とも背景に、微かにその理由を匂わしているけど、根本的には性癖だと感じました。今回は想像させるだけで、理由を掘り下げないところが気風よく、そこも気に入りました。昨日見た「だれかの木琴」のように、何考えているんだかわからない、常盤貴子の箱入り奥様より、小夜子のほうがずっと好きです(笑)。

 原作では、息子ではなく弟。小夜子の年齢は69歳。最後は小夜子はあのまま死んで、柏木は警察に捕まるそうです。
 私は映画のエンディングのほうがいいなぁ。殺人ではなく、死ぬほうに仕向けるみたいな展開に脚色してくれていたら、もっともっとエンディングが生きたし、もっと好きな作品になったのにと、そこがちょっと残念です。

ヤマ(管理人)
 ◎ようこそ、TAOさん、

 「同感!」ありがとうございます。御覧になってましたか。

 「じょ、冗談に決まってるでしょ」と取り繕わせたところ
 裏返しの本気のほうを印象づけているわけですよね。母としても、女としても、奥に秘めたる“意外な純情さ”ってのを演出してたと思います。

 そちらのmixi日記に「野坂昭如の「エロ事師たち」みたいな哀愁」とあるのを読んで、今村監督の「エロ事師たち」より 人類学入門['66]のことを思い出しました。キーワードは、哀感だと思います、本作も。

 口元の印象的な水上あさみは、僕も気に入りました。彼女の演じたホステスばかりじゃありませんね。他の総ての“素朴な善良さの失われた人物”たちそれぞれに残っている、善良さではない「意外な純情」というものが、その哀感を醸し出したんでしょうね~。


◎ケイケイさん、

 私はもっとモンスターでも良かった
 ゴーン・ガールみたいに?(笑)

 小夜子が柏木如きに気があるなんて、私は嫌だなぁ
 わかる気がする。なんか安い感じが立ち込めてきますもん。小夜子の役柄の場合、むしろ母の部分でのみ「秘めたる純情」を窺わせるほうが良かったのかもしれませんね。

 でもあれだけやっても、まだ達成感がないと言うのは、欲が深いに繋がりませんか?
 いや、エクスタシーにも匹敵するような達成感が得られるからこそ、繰り返すんだと思いますよ。そういう意味での欲は深いわけですし、欲というよりも癖になっちゃった「性癖」と言えるのかもしれませんね。

 それはそうと、原作では小夜子、弟に殺されちゃうんですか?(唖然)
 ってことは、姉がきっと貯め込んでるだろうカネを狙ってということになるのかな。そんなら、ケイケイさんが「私は映画のエンディングのほうがいいなぁ」とおっしゃるのも御尤もですな。ユーモラスでしたもんね。予定調和的ではありましたが。「うちは被害者やぁ」って言わせたかったんだろうな、映画の作り手(笑)。「よぉ言うわ、ほんまにぃ」との笑いを取りに来てました。
 殺人の部分をおっしゃるように変えると小夜子たちの常軌を逸した犯罪の根幹部分を改変しちゃうことになるので、映画的にはそうであっても、さすがに控えたんでしょうかね?(笑)

 モンスター造形のほうで臨めば、園子温監督の冷たい熱帯魚の域に迫るのは並大抵ではないですからねー。映画市場のメインターゲットも外すし(笑)。そんなら、シャーリーズ・セロンのモンスターの線で行くかとなると、あれには、哀感はあってもユーモアがどこにもありませんでしたからね。
 本作の軽みは、そういう意味では、イイ線いってるんではないでしょうか。ケイケイさんが映画日記に書いておいでるような痛快を覚えられる作品にちゃんとなってるわけですから、作り手の企図した部分は成功していますよね。


(TAOさん)
 小夜子が柏木如きに気があるなんて、私は嫌だなぁ。
 はは。わかります。もちろんそこまで純情じゃないですよ。あくまで「意外な純情」です。手玉にとれないのが悔しいだけかも(笑)
 ただ、柏木にしても小夜子にしても、夫や愛人はいくらでも替えがきくけど、同じ達成感を分かち合える同志として替えがきかない相手なのでは。

 しかし、原作のてんまつは哀しすぎますねー。私もあぜん。ぜったい映画のほうがいいですね。


(ケイケイさん)
 わかる気がする。なんか安い感じが立ち込めてきますもん。
 はは。わかります。もちろんそこまで純情じゃないですよ。あくまで「意外な純情」です。
 でしょう~(笑)。意外というか、安い純情ならわかります(笑)。私も情を滲ますなら、息子が良かったです。小夜子は、男にはあくまでもピカレスクでいて欲しかったなぁ。

 トヨエツはイメージと違って、実際はコテコテの大阪人だとか。以前虫よけのCM出てたでしょ? あれが地みたいです。だから柏木の役は、楽しかったんじゃないですかね?

 “達成感を得られるための、得難い同志”というのは、納得です。小夜子が生きていたとわかったときの、柏木の笑顔は絶品でしたもん。普通はあそこで笑顔は出ません(笑)。小夜子を思っての喜びじゃなく、小夜子を失わずに済んだ、自分に対しての笑顔だと思います。息子は茫然としているのにね(笑)。
 原作はもしかしたら、こんなにユーモアに溢れていないのかも、しれませんね。それなら洒落にならないわ(笑)。


ヤマ(管理人)
 意外な純情
 安い純情
 ケイケイさんにもわかっていただけて一安心(笑)。いずれにしても、柏木に対してはサービスなどという優位意識では臨んでなくて、ある意味、理想的とさえ言える“五分の関係”だったような気がします。

 「男にはあくまでもピカレスクでいて欲しかった」というケイケイさんの小夜子への願望は、日記にそらやっている事はあかんで。でもな、受け身ばっかりで生きてきた私は、あんなに奔放に生きるあの人(小夜子)が、羨ましいねんとの中瀬の長女・尚子(長谷川京子)の台詞を引いて書いておいでのように、本作に企図されていた部分でもあるので、よくわかるんですけどね~(笑)。

 豊川悦司のそのCM、すぐに思い浮かばないんですが、着ぐるみかなんか着てたやつですかね? 今回の役柄は、僕的にはイメージ違いどころか、むしろいかにも感が強かったです。『娚の一生』の海江田も、今度は愛妻家の北見も、なんかこんな感じやったような…(笑)。楽しんで演じている感じは、めっちゃ、ありましたね。若いホステス理紗を演じた樋井明日香ともイイことしてたし(笑)。

 小夜子を思っての喜びじゃなく、小夜子を失わずに済んだ、自分に対しての笑顔
 息子は呆然(?)
 この対照はご指摘の通りで、とってもナイスでしたねー。原作には、きっとユーモアの味はないと思いますよ、題材からして。映画化作品の狙いは、だから大いに買いだと思うわけです。TAOさんも「ぜったい映画のほうがいい」とおっしゃってますね。この点に関しては、三人とも一致。誰ひとり原作読んでないくせに(笑)。


(TAOさん)
 いやほんと、読んでないくせにめったなことは言えませんが(笑)、原作の因果応報なエンディングは、いかにも善良なる男性読者を安心させるためみたいに思えてつまんないです。桐野夏生の『アウト』は男性の文芸評論家を震撼とさせたらしいですが、やっぱり多くの男性は、たとえフィクションでも”悪い女”を懲らしめないと落ち着かないんでしょうね。


ヤマ(管理人)
 『OUT』で震撼するようじゃ、アウトですね。って、映画化作品を観賞しただけで、原作を読んでませんが(笑)。

 悪い女でなくても、女性を懲らしめたがる男はたくさんいますから、「善女なほもて…、いはんや悪女をや」ってことなんでしょうかね?(苦笑) 根っこで敵わないと感じていることの裏返しなんでしょうな。


(ケイケイさん)
 『OUT』の原作はいいですよー。女性もののピカレスク作の金字塔です(笑)。映画にあったユーモアは、原作はありませんが、とにかく主人公がクール! そのクールさのなかに、女性ならではの哀愁が、絶妙に滲んでいるんです。お時間あれば、是非お読みくださいね。


ヤマ(管理人)
 そうそう、その原作小説、TAOさんからも勧められた覚えがあります。映画を観た当時だったと思うから、数年来どころじゃない宿題だ!(笑)

 悪女映画って昔はいろいろあったような気がしますね。岸田今日子とか、いかにもな感じだし(笑)。




推薦テクスト:「ケイケイさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1955135379&owner_id=1095496
推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1955287370&owner_id=3700229
編集採録 by ヤマ

'16. 9.14. TOHOシネマズ2



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