『約束の旅路』(Va,Vis Et Deviens)
監督 ラデュ・ミヘイレアニュ


 エチオピアと言えば、広大なアフリカ大陸に何十もある国々のなかで戦前から王国として独立を果たしていた数少ない国だと小学校時分に習った覚えがあるけれども、それ以外には、東京オリンピックで金メダルに輝いた裸足のマラソンランナーのアベベしか思いつかないくらい馴染みがない。エチオピア難民という言葉には聞き覚えがあるものの、スーダンを経てイスラエルへの脱出を1万人規模で試みた、ファラシャと呼ばれる肌の色の黒いユダヤ人たちがいたことは、初めて知った。冒頭、旧約聖書の「出エジプト記」からの言葉がクレジットされ、イスラエルによる1984年の“モーセ作戦”と名付けられた大規模移送計画の様子が示されるのだが、日本で言えば、バブル景気の始まる直前の時期で、僕にとっては、今年大学を卒業したばかりの次男が生まれた年だ。ミルチョ・マンチョフスキー監督のビフォア・ザ・レイン('94)を観たときに「同時代に同じ地球上にあるとはまるで思えないくらい掛け離れた空間と価値観を持つ世界を並べられると、同時代性とは言葉で言うはたやすいが、一体何なのだろうと考えさせられる。」と日誌に綴ったものだが、同じような思いを誘われる作品だった。

 イラク人監督サミールが、イスラエルに移住したアラブ生まれのユダヤ人と西欧系ユダヤ人の間にある隠然とした差別の問題を照射したドキュメンタリー映画を撮って、忘れがたい印象を残している忘却のバグダッド('02)を観たことで得ていたものからすれば、アフリカ系ユダヤ人がいることも、イスラエル政府によってユダヤ人として迎え入れられた彼らが入国に際して役人から一方的に名前を変えさせられるといった嘗て日本が行った創氏改名のようなことをされ、とても“隠然”とは言えない明白な差別を受けていたことも、驚くには値しないのだが、この作品が感銘深かったのは、ちょうどアグニエシュカ・ホランド監督の『僕の愛した二つの国/ヨーロッパ ヨーロッパ』('90)やユレク・ボガエヴィッチ監督の僕の神さまのソロモン少年やロメック少年が、ユダヤ人であることを隠してドイツ人を装ったのとは逆に、ハナ(ミミ・アボネッシュ・カバダァ)の教えでソロモンと名乗ったけれどもシュロモに名を変えさせられた少年(モシュ・アガザイ)が、出エチオピアの厳しい境遇を経ながらも、サラ(ロニ・ハダー)の言う「大勢のお母さんに愛されてるのね」そのものの幸運に恵まれるなかで、荒みではなく、誇りと志をきちんと得られる人生を歩んでいく物語が力強く、美しかったからだと思う。遂には“国境なき医師団”の一員として十五年ぶりに生母キダン(マスキィ・シュリブゥ・シーバン)と生き別れた難民キャンプに帰還し、奇跡的な再会を果たすというクライマックスは、キダンの咆哮とも言うべき万感の叫び声に打たれる印象深い場面だが、むしろおまけのようなものだ。ここに至るまでのシュロモの育ちを為し得たものが何かということの奇跡のほうが、僕には響いてきた。すなわち女性の持つ強さと育成力というものに圧倒されたということだ。とりわけ、母性の気高さと靭さというものに打たれる作品だったように思う。

 なかでも義母ヤエル(ヤエル・アベカシス)の存在が素晴らしい。生母と生き別れ、息子と呼んでくれた黒人の養母ハナと死別し、イスラエルの寄宿学校では「勉強熱心だが、粗暴」と評され、拒食症状を見せていた9歳のシュロモを引き取ってからは、拒食には愛情深く気長に受け入れ、学校で子供たちが見せる差別の元を作っている父母たちには、敢然と立ち向かう。そのときにシュロモの顔を舐め回したヤエルの姿は強い印象を残すが、それ以上に、その話を就寝時に夫ヨラム(ロシュディ・ゼム)にベッドのなかでして、「僕もなめてくれ」と言われ「バカ」と返すときのヤエルや、二度息を吸って頷くエチオピア式の“yes”をシュロモに見せた晩、じっと待っても叱ってもダメだったシュロモがとうとう彼女の作った料理を食べ始めるのを見て涙ぐむヤエルの姿が、とても素敵だった。人を受け入れるということがどういうことなのかを、このようにして教えてもらえることが子供にとってどれだけ大切かは、その後のシュロモの育ち方に見事に反映されていて、彼の誇りと志を失わない人生の出発点はヤエルから得たものに他ならない。14歳になったシュロモ(モシュ・アベベ)のユダヤ教の律法討論会での弁論はこのうえもなく見事だった。しかし、最も忘れがたいのは、18歳になったシュロモ(シラク・M・サバハ)が医師になるべくパリに旅立つ際に打ち明けた「本当は、あなたが欲しくはなかった。養子を取ることの家族への影響が怖くて反対し続けていたの。」というヤエルの言葉だった。それでも、引き取ることになった以上は、かように愛し育て上げ、いつまで経っても“ママ”とは呼べず“ヤエル”と呼ぶ息子に「一度も後悔してない、おかげで家族になれたの。」と言って送り出すことができるというのはもう、女性が“本能的に有する母性愛”などという代物ではない。

 そもそも愛というのは、母性愛であれ、異性愛であれ、本能などではなく、意志だと僕はかねてより思っている。そして、愛する意志というものを本当に固めれば、このヤエルのように、実子のしかも弟のダニーに嫉妬を起こさせるほどに、肌の色も違う養子を深く愛せるのが女性のなかにある母性というものだという気がしている。妻の強い反対にもかかわらず二ヶ月間言い続けてファラシャを養子にしたがったらしい養父ヨラムもなかなかの人物ではあったが、その愛の深さにおいて、到底ヤエルには敵わないように見えた。そして、母性愛ではないけれど、サラのシュロモへの愛もまた“愛とは意志である”ということを強く印象づけるものだったように思う。

 もしかしたら僕の穿ちすぎなのかもしれないが、“愛とは意志である”ことを強く訴えている作り手の思いの延長線上には“隣人愛”があるのかもしれないとも思った。ヤエルほどの養母であっても“ママ”とは呼べないシュロモが、誇らしげに「祖父だ」と語り、「おじいちゃん」と呼べるのは、それだけ母という存在は特別なものだということなのだろうが、キブツ創設者として顕彰されている祖父(ラミ・ダノン)は、シュロモがそう呼ぶに足るだけの実に魅力的な人物であった。その祖父が、反抗期になってヨラムと諍いを起こすシュロモの送り出されたキブツを訪ね、孫から「土地は返すべきか?」と問われて「土地は分かち合うべきだ、太陽や日陰のように。互いに愛が学べるように。」と答える場面があった。90年の湾岸戦争、93年のオスロ合意、00年のインティファーダの映像を差し込みながら年数経過を示していた本作なれば、あながち穿ちすぎとも言えないのではないかという気がしている。

 また、イスラエルという国についても、改めていろいろと思わせてくれる触発力に富んだ作品で、左派と右派の問題だけでなく、オスロ合意を支持する左派のヨラムも、国防については軍隊支持の愛国主義者であることを明確にしており、89年当時に、男じゃないから父親の会社の後継者にはしてもらえないと嘆いていた義姉タリが、00年には父親との共同事業でコンピューター会社を興すようになっている様子なども伝えていた。140分の長尺ドラマなのに、いささかも長いとは感じさせず、ベルリン国際映画祭パノラマ部門で観客賞を受賞しているのは、コンペ部門に出ての受賞以上に立派なことだと思った。




参照テクスト:掲示板談義の編集採録


推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=384895492&owner_id=3700229
推薦テクスト:「銀の森のゴブリン」より
https://goblin.tea-nifty.com/blog/2008/01/post_c0e8.html
推薦テクスト:「ツッティーさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1610517272&owner_id=1797462
by ヤマ

'07.10.24. 美術館ホール



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