美術館冬の定期上映会“空想のシネマテーク”
   第1回:「ドキュメンタリーとアバンギャルド」

①英国ドキュメンタリー映画傑作選
『流網船』('29)
『夜行郵便』('36)
『石炭の顔』('36)
『英国に聞け』('42)

『ティモシーのための日記』('44~45)
監督 ジョン・グリアスン
監督 ベイジル・ライト/ハリー・ワット
監督 アルベルト・カヴァルカンティ
監督 ハンフリー・ジェニングス
    スチュアート・マカリスター
監督 ハンフリー・ジェニングス
②『アラン』('34) 監督 ロバート・フラハティ
③レクチャー:西嶋憲生  
④『日没の印象』('75)
  『SELF AND OTHERS 』('00)
監督 鈴木志郎康
監督 佐藤真
⑤『セントラル・ヴァレー』('99) 監督 ジェイムズ・ベニング
 94年に綴ったアッバス・キアロスタミ監督の『友だちのうちはどこ?』やキドラッド・タヒミック監督の『僕は怒れる黄色』の日誌のなかで、劇映画とドキュメンタリー映画の相互接近や乗り入れを90年代の映画状況のなかの特徴的な現象と観ていた僕にとっては、非常に刺激的なプログラムで、レクチャーもたいへん面白かった。いわゆるドキュメンタリー映画というものに僕が持っていたイメージは、そこに装われているものが客観性であれ、作家的主体性であれ、対象との距離感を問題意識として顕著に窺わせるジャンルの映画というものだった。その多くは、淡々と映し出される映像に重ねられたナレーションだとか、二年半前の“フレデリック・ワイズマン映画祭”で、この美術館でも特集上映されたワイズマン監督作品のような長回し・同時録音による、いわゆるダイレクト・シネマであるとか、あるいはクロード・ランズマン監督による『ショア』のような証言を引き出す形式のインタビューであった。それらは、いずれもあらかじめ準備されたシナリオに沿ってストーリーを語るものではなく、結果的に物語性が浮かび上がってきたとしても、それはカメラが対象とし、捉えたものが生み出した物語だった。

 ところが、今回ドキュメンタリー映画という名のもとに上映された、今世紀前半のイギリス作品は、どれもがシナリオの存在を窺わせ、明らかに演出が施され、映像作品としての視覚効果にも工夫の凝らされた、いわば劇映画と全く同じような手法で撮られた作品で、たまたま素材が実在する場所や物、人物であるというだけであった。つまり、対象としての興味はあっても、その対象との距離感を問題意識として顕著に窺わせるというところが驚くほどに希薄な気がした。素材に対する存在感や臨場感といった点からの関心は顕著に窺えるのだが、それは、作り手との距離感といった問題意識とは性質が異なる。それでいて、近年ドキュメンタリー映画という範疇のなかで再現ドラマが多用されていることにも通じるような、作り上げられたドラマ性というのが初期のドキュメンタリー映画にあったことを知らされた。だからこそ、例えば『流網船』では、北海でのニシン漁を映画として捉えているはずなのに、肝心の魚群が海に泳いでいるものではなかったりするのだろう。

 これはおそらく、初期においては、ドキュメンタリー映画とか劇映画といったジャンル的な概念が確立していなくて、いわば両者ともに単に映画として撮られていたことを示しているのだろうと思っていたら、続くレクチャーで西嶋氏から、ドキュメンタリーという言葉は、この日の上映会でも『流網船』が上映されたジョン・グリアスンが1926年にフラハティの『モアナ』に対して使った造語だとの説明があり、当時、このジャンルは「現実のアクチュアリティをクリエイティヴにドラマ化する映画」のことを意味していたとも語っていた。

 そもそもがドラマ化を出自とするジャンルであったというのは、僕には非常に刺激的なイメージだ。であれば、八年前の日誌に綴った「劇映画とドキュメンタリー映画の相互接近や乗り入れ」というのは、そもそも原点回帰であり、当時は希薄だった「対象との距離感を問題意識として顕著に窺わせるジャンルの映画」というものをダイレクト・シネマを経てのち、何らかの形で踏まえたうえでのドラマ化への模索だということになると気づいた。


 もうひとつ興味深かったのは、グリアスンらの英国ドキュメンタリー運動が、1920年代にパリを中心として展開したアヴァンギャルド映画の影響の顕著な一例として始まったものだという指摘だった。確かに『流網船』で多用されたオーバーラッピングや『アラン』での岩石を砕くために振り降ろすハンマーの動きと音楽のシンクロや細かいカット割りによる編集の生み出すリズムは、その反復の仕方や繋ぎ方を含め、ダイナミックでアグレッシヴな印象を残してくれる。アヴァンギャルド的な映像手法についての問題意識や創意工夫が常に関心として保たれていたのだろう。噂に聞くのみで、実際に観る機会を得ていなかった『アラン』を今回ようやく鑑賞することができたのは大きな収穫だった。

 レクチャー後に上映された作品には、社会性に注目されがちなドキュメンタリーにあって、個のまなざしとしてのドキュメンタリーにアヴァンギャルドからの系譜を重ねてセレクトされた日本の映像作家の二作品があり、それらもなかなか面白かったが、そういう作品はこれまでにいくつか観ていたせいか、『セントラル・ヴァレー』の残してくれた強い印象には及ばなかった。


 ジェイムズ・ベニングの作品は、1シーンを16mmフィルム1巻2分半の間とし、まるまる固定カメラで撮影し続けて、音楽も添えずに生音と視界のみで時間と空間を切り取った、まるで風景画ともいうべき映像を36シーン繋いだ90分の映画だ。一見、何の変哲もないように見えるが、非常に堅実で安定感のある構図と解像度の素晴らしい映像をゆったりした時間のなかで眺めていると、このアングルでこの時間を切り取ることの必然性がじんわりと伝わってきて気持ちがいい。いずれの風景にも選択されるにふさわしい魅力が形象や動きとして備わっており、納得がいく。構図でも動きでも基本軸となっているのは、中央部に位置する縦横のラインと右肩上がりの斜めのラインだ。オーソドックスな安定感はそれらによってもたらされる。それとともに、切り取られた風景のなかでの作業車や飛行機、貨物列車、船などの動きが、きっちりと計算された2分半のなかで最も美しい軌跡を描く形で捉えられている。

 絵画としての風景画には取り込めなかった時間というものを、2分半という定式のもとに眼に見える動きとしてアーティスティックに形象化できるのは、映画ならではのものだ。時間に対する芸術性というものが2分半という定型によって構築されており、非常に新鮮に感じられる。それとともに、風景や光景を前にして佇み、視界に映る動きを捉え、格別の意味を求めることもなく眺める視線と時間の記憶を回復してもらったような気分になった。幼い頃に覚えのあるそういう時間を持つことの豊かさを随分長い間置き去りにしてきたような気がした。

 そうしてイメージとして残ったセントラル・ヴァレーとは、大規模経営による農業が主体で、原子力発電や油田のようなプラントが点在し、砂漠化した荒野すら抱える実に広大な田舎であることだった。一点一点に絵画のような風景画としてのタイトルを冠するべきではないかと思っていたら、最後にエンドロールで一覧できた。印象深い風景は、冒頭のダムの取水孔、野焼きの映像の変化の美しさ、画面を横切る長い長い貨物列車、巨大な船と行き交うヨット、荒野を強風に晒されて転がり育つ草の群生、巨大な池に排出される汚水のたてる湯気、カウガールたちのロデオ練習、霧に包まれた高速道路、大きな風鈴のような金属音と犬の吠え声が途切れることのない廃屋の看板、赤信号が際立って大きな交差点での夜景、巨大な鳥の骸骨にも見える機械が採掘している鉱山らしき光景など…。自宅でのビデオ鑑賞では到底味わえない、いかにも美術館で鑑賞するにふさわしい作品だった。



参照サイト:「高知県立美術館公式サイト」より
https://moak.jp/event/performing_arts/post_170.html


参照テクスト:「第11回高知アジア映画祭“素顔のイランの子供たち”
by ヤマ

'02. 2. 9. 県立美術館ホール



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