『チョムスキー 9.11 Power and Terror』
監督 ジャン・ユンカーマン


 2001年9月の対米テロから半年後になる3月と5月に、MIT教授の言語学者ノーム・チョムスキーがアメリカで行った講演での発言とインタビューを編集した、外国人監督によるドキュメンタリー作品である。これが、なぜ日本映画なのかということだが、企画・製作がシグロの山上徹二郎で、音楽に“君が代”のロック・ヴァージョンが話題にもなった忌野清志郎が起用され、その歌声が前面に押し出されているところには、やはり日本が足場にあっての作品だという印象が強い。日本映画と外国映画を何によって区別するのか、そもそも日本映画とはいかなる映画をもってそう呼ぶのかということを厳密に考え始めると、ほとんど意味を持たなくなってくることは今に始まった話でもないのだが、この作品については、敢えて日本映画として存在することに意味があるという気がする。それだけ 9.11 対米テロは、以後の全世界に対して大きな影響を与えているということであり、平和憲法を擁しながらアメリカと同盟関係にあるという捩じれた外交政策を戦後一貫して続けている日本にとっては取り分け、その主権問題にさえ影響の及ぶ重要な試金石を目の前に投じられた状況にもなっているからだ。

 僕がノーム・チョムスキーという反骨の知識人の存在を知ったのは、十年前の山形国際ドキュメンタリー映画祭'93 で観たマニファクチャリング・コンセント~ノーム・チョムスキーとメディア~という作品によってだった。今回の作品でも少し言及のあった東ティモールの問題についてアメリカ批判を展開している姿を目にしたのだが、65年のベトナム北爆以前からアメリカの外交政策を批判し続けてきたという活動歴からすれば、極最近になって知ったということになる。名前くらいは耳にした覚えもあったのだが、ほとんど白紙に近く、映画を観て何とも凄い学者だと驚いたものだった。その活動歴については、今回の作品のなかで本人が「十歳のときにスペイン内乱について書いたのが最初だ」とユーモアたっぷりに語っていたが、ケン・ローチ監督の大地と自由にも描かれた“スペイン内乱”を持ち出してくるところが彼の面目で、何とも愉快だった。

 この映画に映っている時点で、チョムスキーは七十三歳とのことだ。実に柔和な笑顔で辛辣なアメリカ批判を展開するのだが、僕にとってはその知識や見識以上に、“飽くなき反抗者”を続けてきて、この柔和さとユーモアを備えている姿が圧倒的だった。迫害や弾圧によって負ったような傷や陰りが微塵も窺えない。これは凄いことだし、だからこそ、辛辣な批判は加えつつも、現状に対する悲観を排して、この2~30年でアメリカは確実によくなってきているのだと語る言葉に希望を感じさせる力が宿るのだろう。


 チラシにも抜き書きされていた“対テロ戦争”という言葉は眉つばです。第一の理由は、それが世界で最悪のテロ国家アメリカに率いられているからですという言葉にアメリカ批判のみを受け取るのは不十分で、僕はそれ以上に、なぜアメリカ批判を続けるのかという問い掛けに対してアメリカのやっていることは、古今東西どこの国もがやっていることです。でも、アメリカは、最も厳しく批判されなければなりません。それは、アメリカが最強国だからですという言葉のほうが印象深かった。強大な権力であればあるほどに、厳しく監視され、批判に晒されなければならないという極めて健全かつ明快な視座に、思わず快哉を挙げたい気分になった。

 こういう集会に人がたくさん集まり、メディアも報じ始めているのだから、状況は確実によくなってきているとの言葉には、引用された公民権運動の歴史などの時代との状況の差を意味する部分も言葉どおりにあろうが、僕には、対米テロ直後の米国マスコミのテロ報道の異常さや批判的主張を自己規制した米言論界に対するダブルミーニングがあるようにも感じられた。当時、日本の新聞でも伝えられた「市民とプレスのための調査センター」がまとめた、テロ報道による心理的影響の調査結果において、全米各地の市民の63%がテレビを見るのをやめられないと回答している状況に“テロ報道中毒”という位置づけがされていたが、そのような情況下で、視聴者たる国民のその時点での感情と一体化した愛国的な論調や番組の仕立てが視聴者の評価を得るためにやめられないでいるという指摘が、「メディアと公共政策センター」のメディア部部長の「現段階では、リポーターたちも自分が批判的論評をする最初の人間になりたくないんでしょうね」という辛辣な発言と共に報じられていた。その相乗効果にさらに政府キャンペーンが重なって米国の世論が“テロ撲滅のための武力行使”という形に集約されていったなかでは、批判的とされる左派が沈黙を余儀なくされ、反テロ世論に対して自己規制するだけでなく、チョムスキー教授の主張に対しては、左派内部からも強い反発が出ていることも新聞報道で目にした覚えがある。チョムスキーと並んで挙げられたスーザン・ソンタグとエドワード・サイード教授については「もっともこの3人ほどの“超”大物は、どう非難されようと地位が揺るがない」という見方も併せて報じられていた。

 確かにそのような状況と比較すれば、数か月を経てチョムスキー教授が状況は確実によくなってきていると言っているのも合点が行く。その後、国連安保理は米英の武力行使強硬案を否決したし、米英修正決議案の表決を前に日本の各地でも攻撃反対集会が開催され、東京の集会には4万人が参加したと報じられた。現実的には、米英は国連決議がなくても攻撃をすると言っているのだから、イラクが武装解除し、フセインが亡命しなければ、イラクの人民と国土に犠牲を強いるということになるのだろう。それでも、今の日本で、若者を中心にしてこういう上映会が開催され、通常の自主上映会では見られない多数の動員を果たしていたり、全国各地での抗議集会に万単位の動員を果たしたことの持つ意味は大きいと思う。

 それにしても“メディア”の力と責務と困難さに改めて思いの及ぶ出来事ではある。僕がチョムスキーを知った十年前の映画の副題が「ノーム・チョムスキーとメディア」であったことが今更ながらに偲ばれるとともに、メインタイトルが“同意の製造”であることの意味深長さにも改めて思いが及ぶ。同じくチョムスキーに焦点を当てた作品であっても、映画としては今回の作品が十年前のカナダ作品には及ぶべくもないのは明らかなのだが、そこには、いわゆるメディア・リテラシー教育の蓄積の差というものを感じないではいられない。さすがにカナダは、斯界における世界の先進国であるということも、今回改めて痛感した。





参照テクスト:鶴見俊輔 監修 『Noam Chomsky ノーム・チョムスキー』読書感想



推薦 テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0303-4chom.html
推薦テクスト:「Fifteen Hours」より
http://www7b.biglobe.ne.jp/~fifteen_hours/Chomsky.html
by ヤマ

'03. 3. 7. 県民文化ホール・グリーン



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