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『亀も空を飛ぶ』(Lakposhtha Ham Parvaz Mikonand) | |||||
監督 バフマン・ゴバディ | |||||
口で信管を外して地雷を回収する両腕のない少年ヘンゴウ(ヒラシュ・ファシル・ラーマン)やおそらくは地雷で損傷を受けつつもきちんと処置されずに残っているのであろう足をぶら下げながら松葉杖で軽やかに疾走する少年パショー(サダムホセイン・ファイサル)の姿が、史上最も悪辣な兵器とされる地雷の存在を強烈にアピールしていた。そして、その地雷の存在が既に日常的になっているどころか、戦災孤児の彼らにとっては糊口の途でもあるという状況を突きつけられ、思わず絶句させられるような作品だった。 子どもたちが積み荷作業に雇われていた夥しい量の砲弾の空薬莢を観たとき、先頃観たばかりの『ロード・オブ・ウォー』で、町並みの路面に寸分の隙間もなく敷き詰められた、夥しい量の弾丸のもたらすイメージに圧倒されたことを想起したが、そのヴィジュアル的にも優れたレトリックで提起された『ロード・オブ・ウォー』のイメージを凌駕する生々しさが衝撃的だった。同じく武器を売ってはいても、ユーリーの負うものとクルド人の子どもたちが負っているものとでは比較にならない。ユーリーのほうの武器売買については、絶対的に悪だと珍しくも断じることのできる僕が、サテライト(ソラン・エブラヒム)たちの地雷掘りとその売渡しについては、とてもそういう気にはなれず、嘆息するばかりだ。そして、サテライトが闇市場でレンタルしてきた機関銃は、やはりロシア製だった。 だが、そういったことよりも僕にとって痛烈だったのは、地雷にまつわる少年たちのエピソードに加え、イラク兵の強姦によってローティーンで子持ちになっていた孤児アグリン(アワズ・ラティフ)の幼児たる我が子殺しと自身の崖からの身投げという顛末に対し、自分がもはや現実感を汲み取れないほどの乖離を感じていたことだった。前作『わが故郷の歌』の日誌にも綴った「何から何まで自分の馴染んでいる社会とあまりにも違い過ぎていて、半ば呆気にとられているしかないというくらい飛び抜けている」ことから僕の想像力が及ばず、やりきれなさが募るばかりだった。幸いにもというかピンと来ようがないくらいの隔絶を知らされたように思う。 つい先日TVでホストクラブの男たちを追ったルポ番組を観たのだが、ボトル1本が数万円から数百万円という法外な値の高級酒をとてもそれに相応しいとは思えぬラッパ飲みや回し飲みで“処分”していく乱痴気騒ぎの対価を、まだ若い女性たちが現金払いをしていた。そのときも現実感を汲み取れないほどの乖離を感じ、やりきれなさが募るばかりで、幸いにもというかピンと来ようがないくらいの隔絶を覚えたのだが、イラクのような圧政や戦渦の元にあろうがなかろうが、人間社会というのは、それ自体が狂気の沙汰なのかもしれない。サービス業の名の下に堂々と“たかりの技”を競い合っているホストたちのそれなりに真摯な生き様を報じていたのだが、職業に貴賤なしとの名目で積極的に肯定しているフリをしつつ、実に興味本位な煽り方をしている商業メディアには、武器商人ユーリーのそれなりに真摯な生き様を描いていた『ロード・オブ・ウォー』に窺われたような志が凡そ見られない。昨今のTVの質の悪さは、若者にホスト稼業やデイ・トレーダーについて職業としての憧れを誘ったり、大金持ちをもて囃して手放しに勝ち組礼賛やセレブ志向を促す弊害をもたらしていることに無自覚どころか、半ば確信的に煽っているところに顕著に窺える。まるで、イラクのクルド人の子どもが無責任に大人たちから放置され使い回されているのと同じようなもので、僕は、前作の日誌に「何から何まで自分の馴染んでいる社会とあまりにも違い過ぎていて、半ば呆気にとられているしかないというくらい飛び抜けている」と綴ったけれども、自分の馴染んでいる社会とは違っていても、案外イラクと日本は、常軌を逸して狂っているという点では似たようなものなのかもしれない。いや、ひどい状況のなかでも子どもたちが備えている逞しさや明るさという生命力では、日本は、イラクのクルディスタンよりも劣悪な状況下にあるのかもしれない。 それにしても、作り手は、何故にアグリンの息子リガー(アブドルラーマン・キャリム)を殺し、アグリンに自死させる物語にしたのだろう。イラク兵に犯され傷つけられたアグリンは、すなわちイラクに迫害されたクルドの人々を示しているのだろうが、タイトルにもある“空を飛ぶ”ことを選びもしたアグリンに対し、単純にもがく亀の姿を以て重ねて事足れりと済ませるわけにはいかないような後味が残りつつも、僕には受け止めきれなかった。 | |||||
by ヤマ '06. 1.20. 美術館ホール | |||||
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