『イン・ディス・ワールド』をめぐる往復書簡編集採録
イノセントさん
ヤマ(管理人)


  掲示板4171(2004/02/21 23:03)

(イノセントさん)
 最近、久々に心揺さぶられる映画に出会いました。
「イン・ディス・ワールド」

ヤマ(管理人)
 あ、これ、こちらでも25日に上映されるんですよ。

(イノセントさん)
 チラシの印象も薄く、どんな映画か皆目検討つかないまま観たのですが、映画のリアリティに圧倒され、映画館を出てしばらくは放心状態でした。途中何度も、これはドラマなのか?ドキュメントなのか?わからなくなります。中近東の文化や人柄は日本人にとって馴染みが薄く、それゆえ難民の苦悩は理解できなくても、違った意味で、未知の世界への不安が一層切実に伝わりました。
 少年特有の無邪気さや世間知らずゆえの度胸など、人本来の心も時折垣間見せてくれ、いつまでも心に引っかかる映画でした。今年は、これを越える映画にはもう出会えないかもしれないと思わせてくれる一本でした。

ヤマ(管理人)
 そんなに凄かったんですか。元々観に行くつもりをしていたんですけど、ますます観逃せないってとこですね。


・・・二週間あまりして(2004年3月9日 7:15)・・・

ヤマ(管理人)
 イノセントさん、こんにちは。
 前回の更新で、イノセントさんが早々と「今年は、これを越える映画にはもう出会えないかもしれない」と思われたとの『イン・ディス・ワールド』の日誌をアップしたので、ご来訪をお待ち申し上げておりましたが、もう次の更新日になったので、取り敢えず、前回未見なるままにレスを保留した分への返信みたいなもんです(笑)。

(イノセントさん)
 メールありがとうございました。ヤマさんの感想はすぐに拝読したのですが、仕事が忙しかったのと、ヤマさんの感想を読んで、核心を突いている!と思った瞬間、あえてもう僕が口を挟む部分もないなと思ってついつい、レスも付けずにいました。

ヤマ(管理人)
 恐れ入ります。
  >チラシの印象も薄く、どんな映画か皆目検討つかないまま観たのですが、
  >映画のリアリティに圧倒され、映画館を出てしばらくは放心状態でした。

 僕もウィンターボトムの作品というほかは、ろくに知らずに観たんですが、観終えた後は、がーんと食らわされた感じで半ば呆気にとられていましたよ。

(イノセントさん)
 そうでしょ。妙に印象に残る映画だったでしょ。

ヤマ(管理人)
 エンドクレジットのタイトルバックの色とりどりの壁のような映像を眺めながら、う〜む、なんとも大胆な映画を撮ったもんだと感心しながら反芻してました。

(イノセントさん)
 これって、僕は覚えていないんです(汗)。もう一度観てみたいですね。

ヤマ(管理人)
  >途中何度も、これはドラマなのか?ドキュメントなのか?
  >わからなくなります。

 ほんとにそうでしたね。それどころか訳が分からなくて動揺してました、僕(苦笑)。

(イノセントさん)
 僕は、もともと頭の回転が鈍いので、映画を観て訳がわからなくなるってことは日常茶飯事です。
 最近は、わからん映画は無理して理解しない、自分の理解できた範囲で映画を感じるようにしてます。結局自分の経験に照らし合わせて、共感するか、逆に驚きを感じるかの、その繰り返しによって、自分の感受性が少しずつ広がっていくような気がしています。

ヤマ(管理人)
 これは同感ですよ。僕も無理に解釈しようとは思いませんね。今回もそうでしたが、無理に解釈しようとしなかったことで結果的にイノセントさんに核心とおっしゃっていただいたような気づきが得られるわけで、ヘンに意図的に臨んだり、予断を持って臨むと、肝心の気づきの醍醐味から遠ざかってしまいますもんね。映画観ててイチバン愉しいのは、そこんとこの気づきやサプライズですからね。

(イノセントさん)
 だから、僕にとっては訳がわからなくても、あまり抵抗を感じなくなってきています。そのまま寝てしまうということもありますが(笑)。

ヤマ(管理人)
 そういう意味では、この作品から受けるインパクトは、訳のわからなさに困惑する僕のほうがより強烈に面白がらせてもらったとも言えますね(笑)。
 いったい何なんだ〜?、これは!ってな感じでしたよ(たは)。

(イノセントさん)
 たしかに、ストーリーがドラマティックに展開する映画じゃなかったですもんね。むしろ淡々としていましたもんね。

ヤマ(管理人)
 でも、「結局自分の経験に照らし合わせて、共感するか、逆に驚きを感じるかの繰り返しによって、自分の感受性が少しずつ広がっていくような気がする」というのは、まさしく同感でした。僕もこれまでに少なからずの映画を観ることで、知見も感受性も広げてもらったように感じています。

(イノセントさん)
 ヤマさん、たしかコラムのアップの中でも、映画によって世界各地の文化を知る(体験する)ことができるそんな意味合いのことを書いていらっしゃいましたよね。全く同感です。

ヤマ(管理人)
 お読みくださったんですね、国際交流協会の季刊誌に掲載した「映画上映と国際交流」
 ありがとうございます。

(イノセントさん)
 僕はヨーロッパの文化や映画が好きで、ヨーロッパに何度か旅行しましたが、映画を観て感じるフランスやイタリアなどの国民性は、実際にその国に行ってみると、なるほどなと納得できることがあります。といっても、大きくラテン系とゲルマン系の違いぐらいしか、まだわかりませんがね。

ヤマ(管理人)
 僕がヨーロッパに行ったのは、もう四半世紀も前になりますが、それは感じましたね。

(イノセントさん)
 この映画に関しては、自分の旅行の経験から、案外共感する部分が多かったのです。僕は時々一人でヨーロッパに行くことがあるのですが、言葉が通じなくて邪険に扱われて不快な思いをしたり、誰も頼ることが出来ない状況に不安を抱いたり、車窓から眺める景色に慰められたり、縁あって親しくなれた友達が出来た時の心強さなど。

ヤマ(管理人)
 なるほど、なるほど。イノセントさんのこの作品への抵抗感のなさは、きっとこちらのほうにより多く由来してるんでしょうね。

(イノセントさん)
 一応万全の準備はして出かけるのですが、いざ旅行が始まると、時たま、ここで殺されても仕方ないと開き直る瞬間もあります。

ヤマ(管理人)
 さいさいは御免こうむりたいですよね、こいつは(笑)。

(イノセントさん)
 亡命という過酷な状況であることの現実を、トラックに閉じ込められて「13時間後」とか、コンテナ船に閉じ込められて「40時間後」とか、さりげない字幕が、一瞬の間を置いて「おいおい、まじかよ!その間便所も行けないの?」なんて、妙なところで現実の厳しさをくり返しつきつけられ こっちまで窒息するような思いに駆られたものでした。

ヤマ(管理人)
 ある意味で、ここんとこの強烈さは、上記の次第による共感というか、うん、うん、わかるな〜ってのが生々しさと共に感じられている場合のほうが、より強烈に生々しく響いてくるってことになりますよね。イノセントさんにとっては、外国への一人旅の経験がうまく作用したってことなんですね。
 掲示板に書き込んでいただいた
  >中近東の文化や人柄は日本人にとって馴染みが薄く、
  >それゆえ難民の苦悩は理解できなくても、
  >違った意味で、未知の世界への不安が一層切実に伝わりました。

って、まさにそうなんですよ。ここんとこが肝のような作品でしたね。このメールを送るために、こうして改めてイノセントさんの書き込みを読み返してみて、あ、やっぱりここんとこに言及されてたんだなってちょっと感慨を覚えました。理解できない我々に伝えるべきものは何かを意識していたのかもしれませんよね。

(イノセントさん)
  この映画は、ドキュメント風を装いながらも、極めて積極的に作られたドラマなんじゃないかなと思ったりもしました。

ヤマ(管理人)
 ですよねー。で、こういうのに、「ヤラセ」だとか言って難癖つける者がいそうで、なんともお気の毒というか、損な観客だな〜って思ったりするんですよ。

(イノセントさん)
 確かに、本質を見誤る危険性を秘めた映画かもしれませんね。
 それにしても、1時間半の上映時間なのに、2時間半くらい経過したような感覚でした。普通なら、こういう場合退屈を意味するのですが、今回に限っては、短時間で知らず知らずのうちに思いのほか緊張感を味わっていたのかなと、妙に興奮していました。

ヤマ(管理人)
 確かに、長く感じましたよね〜(笑)。だってワケわかんないんですもんね〜(たは)。

(イノセントさん)
 ヤマさんも長く感じましたか(笑)。ほんとは退屈だったんじゃないですか?(爆)

ヤマ(管理人)
 日誌にも綴りましたが、けっこうスリリングでしたよ。あ、っと思ったときは、ちょっとニヤリでしたけどね(笑)。んで、なるほどな〜って感心しましたし、どこまでどういうふうに続けるんだろうかって思いが湧いたから、ドキュメンタルなスタイルを基本に置きながらも、肉眼では見えない夜の林越の高感度撮影やら、流れる光を収めた映像やらを取り入れることを厭わなかったことから窺える「スタイル的な意味での教条主義」に囚われていないことに興趣を覚えましたし、例のコンテナから開放されたときに、他のシーンにはない際立つ形でとても劇映画的に“駈けるジャマール少年”を捉えたショットなどに感興を覚えました。

(イノセントさん)
 この二つのシーンは、僕にも印象的でした。あの高感度撮影の映像は、主人公の心の不安を最もリアルに映像に置き換えたシーンだと思いました。あと、ドーバー海峡越えも。

ヤマ(管理人)
 んで、物語のワケわかんなさにもかかわらず、それを退屈ではなく、緊張感としての疲労を残し与えていたと感じてイノセントさんが興奮していたというのは、映画体験として非常に興味深いところですね。

(イノセントさん)
 こんな感覚は始めて味わいました。なんだろう? 僕は少しも退屈することはなかったんですよね。亡命の過酷さ。でも、最近は北朝鮮からの亡命の特番なども多く、想像を絶する場面はあまりなかったし、むしろニュースのほうが過激な場合も多いですよね。
 現実を体感したような興奮なんでしょうか?

ヤマ(管理人)
 このへんは、イノセントさんのなかに生じたことですから、僕には想像の及びにくいところですが、感覚的には、僕の感じていたものとは少しニュアンスが違っているようですね。

(イノセントさん)
 未知の世界への期待と不安。これって旅の本質と通じるものがあるような気がするんですが、どう思います?

ヤマ(管理人)
 そういう「期待と不安」っていうことなら、まさしく旅の本質と通じているでしょうね。でも、僕はそれよりも「訳の分からないまま身を委ねるしかない為す術のなさ」のほうをより強く、映画から受け取っていたましたから、それは、いわゆる旅行とは、必ずしも本質的に通じてくるってもんでもありませんでした。

(イノセントさん)
 旅ということに関しては、僕自身、自分の思い入れがあっての感想で、一般に通じる話ではありませんね。それは団体旅行の感覚とは程遠いものですが、僕にとって、行った先々でその土地の空気や生活を肌で感じようとしない団体旅行は、旅とは思っていませんからね。僕が映画を観て感じた興奮は、ある意味旅行スタイルの極限を体感した興奮なのかもしれません。

ヤマ(管理人)
 でも、ある意味、自由裁量の利かなさは、この団体旅行のほうにあるかもしれませんが(笑)。

(イノセントさん)
 うまいこといいますね(笑)。確かに、僕なんか団体旅行に参加すると窒息しそうになります。ちなみにわが社の職場旅行は、僕の計らいで廃止しました(笑)。
 まぁ映画で描かれた亡命というのは帰らないことを前提にしたものだから、旅行と一緒にするのも無謀ですけどね。

ヤマ(管理人)
 帰る帰らないという旅の後の状態の違いよりも、まさしく旅の過程そのものにおける不如意の大きさみたいなとこに、この作品のポイントがあったような気がするんですよね、僕にとっては。
 そして、それは彼の旅のみならず、時流や世情、情勢にも通じるところがありますね。そのくせ、それに我が命運を握られているツラサってことには、直接的に火の粉が降りかかってこないと普段は誰しも目を向けないようにしてるんですけど、考えてみれば、堪えがたいことですよね。んで、彼の旅というのは、まさにそのツラサが目に見える形のものだったわけです。

(イノセントさん)
 そうですね。トラックに閉じ込められ船に閉じ込められ、何時間後に出れるかもわからない状態、無事に出られる保証もないという状態は計り知れない不安があるでしょうね。

ヤマ(管理人)
 で、そこんところには、イノセントさんが掲示板にお書きくださっていた「少年特有の無邪気さや世間知らずゆえの度胸など」ってゆうか、僕は、やけくその開き直りで身を任せるしかないってことのような気がしました。ある意味、少年だったからこそ、そんな状況に耐え得たという面はありますよね。

(イノセントさん)
 まさにそうかもしれません。少年のみが耐えられる状況。コンテナ船から出たときに少年と子どもだけが助かったという逸話もそういうことなのでしょうね。自分の思考に自分が殺されてしまう。

ヤマ(管理人)
 あ、確かに。まさに明確に映画ではそう示されていたわけですね。赤ん坊は、そのために登場させる必要があったのか! なるほど! ワケのわからなさ、為す術のなさがより強いストレスになる者のほうがリスキーなわけですよね。なるほどねぇ。

(イノセントさん)
 ほんと、この映画ではそうでしたね。なんだか、「トーク・トゥー・ハー」以来、精神破綻の話題が多いですね(笑)。

ヤマ(管理人)
  破綻への怯えみたいなのがあるんでしょうかね(笑)。「自分の思考に自分が殺されてしまう」っていうのも面白いですね。コンテナ船の場面は、確かにそういう意味が込められていたように思います。

(イノセントさん)
 本当にさまざまな訳の分からなさだらけで僕にはどうにもしようがないと思ったときにふと、これはまさしくジャマール少年がロンドンに至る旅の過程で常に晒されていた状況と同じだと気づいた。目にするものの何を信じ何を疑い、何がどうなっているのかを探ることさえも甲斐ないほどに、訳の分からないまま身を委ねるしかない状況というものに耐えられないとロンドンにまで辿り着けないのが、パキスタンの難民キャンプを闇のルートで抜け出す旅の現実なのだ。この作品は、ジャマール少年の旅のドラマを見せているのではなく、ジャマール少年の置かれていた状況を映画にしているわけだ。そして、観客にも彼の置かれていた「為す術のなさ」を強いているのだろう。
 これは、まさに映画の核心を突く言葉ですね。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございます。

(イノセントさん)
 ところで、「キアロスタミあたりのイラン映画が脚光を浴びるなかで、十年くらい前から人口に膾炙されるようになってきたものだが、その一方で、今だに“やらせドキュメンタリー”などという笑止千万な言葉で、映像表現に主張も演出も一切ないことがあり得るかのようなお門違いの非難がなされたりもしている。」このあたりの感想、今ひとつヤマさんのおっしゃりたい意味がわかるようで、良くわからないんですが、もう少しわかりやすく話してくださいませんか?

ヤマ(管理人)
 キアロスタミの『友だちのうちはどこ?』の日誌をご覧いただければ、分かりやすいかと思いますが、あの頃、劇映画とドキュメンタリーの境界をやすやすと超えている作風の映画が注目されたんですよ。僕の日誌で言えば、『マニファクチャリング・コンセント』とか『美術館冬の定期上映会“空想のシネマテーク”』の日誌とかもご覧くださるとよろしいかもしれません。
 要は、フィクショナルな劇映画であれ、フィクショナルなドキュメンタリーであれ、ジャーナリスティックなドキュメンタリーであれ、映像表現たるものには作り手の主張や演出演技というものが必ず備わっているということです。無色透明の客観性の担保された表現なんて、あるわけないってことです。

(イノセントさん)
 なるほど、もっともな意見です。ドキュメント風というのは、観客に現実味を実感させるのには効果的だと思うのですが、ただ、微妙な演出の違いで、監督のメッセージが全く感じられないってこともあるように思います。観客のキャパの問題も大きいですよね。良し悪しとは別にして。

ヤマ(管理人)
 退屈するかどうかは、キャパの問題というよりはリテラシーの獲得という問題でしょうね。喩えとして適切かどうか疑問もありますが、小説は好きだけど、詩はピンとこないって方もいますよね。詩を楽しむときに小説のような読み方しても詮無いんですが、これと似たようなことが言えるように思うんですよ。

(イノセントさん)
 その差は大きいですね。僕が思ったのは、ドキュメントあるいはドキュメント風というのは、事実であるということを強調するものだと思うのですが、淡々とした展開が多く、そうなると扱われたテーマに対する観客の関心度が大きく左右すると思ったんです。例えばジャズをテーマにした映画は、どんなに素晴らしい映画といわれても、僕はあんまり興味ないんで退屈してしまいます。
 表現スタイルという点では、僕は、ドキュメントは、あまり好みではありません。キアロスタミの映画は、ドキュメントではありませんが、全然駄目なんですよね。彼の映画からは、僕は何も感じ取ることが出来ません。でも、今回のウィンターボトム監督の底知れぬ表現力には、ただただ感服するばかりでした。

ヤマ(管理人)
 僕はキアロスタミにも心惹かれるんですけど、ウィンターボトムもほんとに大したもんですねぇ。

(イノセントさん)
 同監督の『ひかりのまち』は未見なのですが、ぜひ観てみたいと思います。

ヤマ(管理人)
 『遥かなる大地』(だっけな?)以外は、どれも僕、脱帽してます。『バタフライ・キス』『GO NOW』などイノセントさんはどのようにご覧になるのでしょう。

(イノセントさん)
 僕は、まだこの監督の他作品は、一本も観たことがないんです。凄く気になる監督ですね。ぜひ観てみたいものです。

ヤマ(管理人)
 ぜひぜひご覧になってみてくださいな。

(イノセントさん)
 ちょっとニュアンスは違うかもしれませんが、『活きる』という映画を観たとき、中国という国家に振り回され続けながらも、柔軟に活きていく姿に感動を覚え、一方で国家って一体何なんだろう? と思い、さらに、個々人の人生って一体何なんだろうか? と神妙な気持ちにもなりました。そして、十年後の予測も困難な日本国に不安を覚えました。
 『イン・ディス・ワールド』では、可能性の閉ざされた世界に生まれ育った少年のそれを打破する旅に同伴しながら、国籍も人権もない人間が味わう苦渋を生々しく感じ取り、国家に不信感を抱きながらも無頓着に生きている自分を振り返ってしまいました。
 本当は、映画を観てないうちに感想を送るなんて、ペナルティかとも思ったのですが、あの時は、興奮醒めやまず、つい送ってしまいました。

ヤマ(管理人)
 いえいえ、ありがとうございました。こちらこそ、改めて書き込みを読み直すことで大いに触発が得られ、嬉しかったです。
  >人本来の心も時折垣間見せてくれ、いつまでも心に引っかかる映画
 人にはどうしようもなく同伴者というか、仲間というか、そういう存在が必要だということが不思議と切実に伝わってきましたね。
  >今年は、これを越える映画にはもう出会えないかもしれないと
  >思わせてくれる一本でした。

 僕は、そこまでの断言には至らないのですが、端倪すべからざる作品だとは確信しています。

(イノセントさん)
 また盛りあがってきましたね。この映画、他にも観た方いらっしゃるんでしょうか?

ヤマ(管理人)
 誰からも書き込みはありませんでしたが、いずれ直リンクテクストを探してみたいと思っています(笑)。

(イノセントさん)
 熊本では、わずか一週間、レイトショーだけの上映でした。ちょうど、仕事の山場でアップアップしていたのですが、息抜きも兼ねて、観た映画でした。ベルリン映画祭金熊賞を取ったというのも気になっていました。地味そうな映画なのになんで??って感じ。

ヤマ(管理人)
 傾向的にベルリンにはそういうムードがありますけどね(笑)。三大映画祭では最も硬派というか、地味な気がしますよ。

(イノセントさん)
 確かに華やかさはありませんよね。というより、むしろ名前も知らない映画が多いです。あるいは、観たけど、哲学的というか小難しいというか、訳分からん映画が多いというイメージが強いです。『イン・ディス・ワールド』って、何となく『裸足の1500マイル』みたいな映画かなとも思ったのですが、それだったらベルリンで賞取らないだろうしなー、で、何で賞取ったんだろう??という感じでした。でも、本当に観て良かったと思いました。
 余談ですが、旅行体験ということでは、以前イタリア旅行で、ナポリ、ベローナ、ローマに行った時、イタリアってヨーロッパの縮図みたいだと感じました。ナポリは開放的で人情味が厚く、貧乏旅行者にも親切。でもちょっぴり怖い。ベローナは、観光都市で、格調高く、治安も良さそうなんですが、言葉もしゃべれない僕には無愛想で、入りこむ余地がない。ローマはその中間って感じでしょうか。でも、ローマでは、ひょんなきっかけでフィリピン人と友達になりました。

ヤマ(管理人)
 特にイタリアは、北と南で風景や空気からして違いますものね。日本でも南国と雪国とでは違うって言われますよね。

(イノセントさん)
 それから、数年して、たまたまテレビで『昨日・今日・明日』というマストロヤンニとソフィア・ローレン主演のオムニバス映画を観ました。

ヤマ(管理人)
 確か小中学生の時分に「月曜ロードショー」で観たはずですが、もうよく覚えてませんねぇ(苦笑)。

(イノセントさん)
 そんな昔に観た映画、覚えているほうがびっくりしますよ。僕なんか、感動したことだけ覚えてて、肝心の映画についてはすぐに忘れてしまうことが多いですよ。
 『昨日・今日・明日』は、観てみると、ナポリの「何とかなるさいい加減」夫婦、ミラノの「金持ち鼻持ちならない」夫婦、ローマの「人情」夫婦と三部作コメディーだったのです。映画自体は、そこそこに楽しめた程度でしたが、イタリアの北部・中部・南部3都市に住む夫婦の性格描写が、自分が体感した印象とあまりにも一致していたので、「俺の感覚もまんざらじゃないな!」なんて、ついつい一人笑いしていました。

ヤマ(管理人)
 わかります、わかります(笑)。ちょっといい気分ですよね。

(イノセントさん)
 先に「ここで殺されても仕方ないと開き直る瞬間もあります」と書きましたが、こんなこともありました。イタリアから帰国して、友人に「イタリアも随分治安良くなったんだね。スリに会うこともなかったし、ナポリでは夜の街を歩いたよ」と話したら、「あんた よっぽど汚い格好で行ったんじゃない? イタリアは最近ますます治安悪いよ! ナポリはメチャ危険な街で、ツアーだと夜は外出禁止だよ」と言われて、冷や汗かきました。やっぱり鈍感なのかしら?

ヤマ(管理人)
 四半世紀前のことになるんですけどね、僕はローマのベネテ通りで出会ったストリートガールについて行った事があるんですが、後でよくぞ無事に帰ってきたと呆れられるやら感心されるやらでしたね(苦笑)。ま、若気の至りということで。

(イノセントさん)
 ヤマさんの方が大胆ですね(笑)。
by ヤマ(編集採録)




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