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『マニファクチャリング・コンセント-ノーム・チョムスキーとメディア-』 (Manufacturing Consent:Noam Chomsky & the Media) | |||||
監督 マーク・アクバー & ピーター・ウィントニック | |||||
山形国際ドキュメンタリー映画祭の正式出品作品として観た映画だが、マスメディア報道は、公正で中立だという幻想を名目にした文脈のなかで、ヤラセ問題にかこつけて臆面もなく国会証人喚問をしてしまう今日の日本の有様にしても、この作品で示された思想統制の存在を隠蔽しようとするアメリカの有様にしても、権力とマスメディアとの関係ならびにマスメディア自身の持つ権力構造の問題は、情報化社会という言葉が既に古めかしい響きを持ち始めているなかで、放置できない現実的な課題だ。 だからこそ、この作品は、単なるマスメディア批判や権力批判あるいは勇敢な告発者チョムスキー礼賛とは異なり、情報受信者個々人の覚醒を促すことに最も力点を置いている。そのために採られたテンポの小気味よさやユーモラスで分かりやすいイメージの提出によって、作品の長尺さをほとんど意識させないところが見事だ。そして、さまざまのメディアにおける膨大な過去の記録に対して試みた縦横無尽の編集と新たな映像による加工は、強烈なインパクトと説得力をもたらしながらも、それ自身のなかで“マニュファクチャリング”を実践することで、情報処理の持つコワサというものも同時に感じさせる作品となっている。それを確信的にやっていることをほぼあからさまに伝えてくるというのは、かなり凄いことではなかろうか。 今回の映画祭のシンポジウムで映画監督の佐藤真氏が、日本のドキュメンタリー・フィルムの系譜のなかで、60年代とは違って、今や天下国家を背負って撮れる時代ではなくなったというような趣旨の発言をおこなっていた。ある面で非常に的確な指摘をしたようにも思えながらも、このような作品を観ると、彼の発言は、作家の問題を時代の問題にすり替えて逃げているような気がしてくる。この作品には、それだけ強烈でアクチュアルな問題意識が窺えるように思った。 | |||||
by ヤマ | |||||
'93.10. 9. 山形市中央公民館(アズ七日町6Fホール) | |||||
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