『GO NOW』(GO NOW)
『世界の涯てに』(天涯海角)
監督 マイケル・ウィンターボトム
監督 李志毅[リー・チーガイ]


 いわゆる難病ものと呼ばれる映画作品が昔から数多く製作されてきたのは多くの人を感動させるドラマがそこに生まれやすいからだろうが、それゆえに過去に名作も多く、また、ある種のパターン化に陥りやすいものである。ことにそれがラブ・ロマンスを含んでいるとなれば、よけいに陳腐な類型的な作品に留まっていることの不安に見舞われて、あまり食指が動かない。今回『ゴウ・ナウ』と『世界の涯てに』を続けて観ることができたのは自主上映会だったからこそのことだ。  ほとんど全く期待を抱いてなかったことが幸いしたという面もあろうが、思いのほか面白く観ることができた。二作品ともいわゆる類型的な作品の枠に留まらない個性とインパクトを持っていたのだが、そのありようが全く正反対であったというのも興味深いところだ。

 『ゴウ・ナウ』は、脚本家の実体験をもとにしているとのことだが、ありがちな美談ものの、澄んだというよりは澄ました空気とは対極にある生々しさが総てにわたって支配的であった。労働者階級によるサッカーのクラブチームという若い男ばかりの集団のいかにも下品なもの言いや態度ばかりを見せつけられるオープニングの十数分間に、おそらくは、耐えがたい不快感に見舞われたのであろう、若い女性客が退席して戻ってこなかった。惜しいことをしたものだ。そのくらい感受性豊かな彼女であれば、最後まで観るときっと強い感動に浸ることができただろう。そのくらい細部にまでいたる生々しいリアリティの積み重ねがドラマに宿っているからこそ、カレンとニックの窓越しの眼差しとその後の雨のなかの抱擁や二人の思いが、単に劇的な高揚を見せるだけに終わらずに互いにとっての切実さを伝えてきてくれる。このドラマは、愛の力を信じ、愛こそ総てといった人間観を前提としてできあがっているわけではない。そこが見飽きた凡庸な作品の枠を越えさせたのだと思う。類型的な作品ではほとんどの場合、愛あふれる二人の至上の愛の物語となってしまう。しかし、この作品では、カレンもニックもまずそこのところを疑い、不安を覚え、模索している。性的に絆を確かめ合えないことへのニックの苛立ちや猜疑心、性的に満たされないことに対するカレンの欲求不満や彼女がそれをほかの男で解消しようとすることも含めて、二人の間での愛への模索には美談的な奇麗事では済まないリアリティがあった。だからこそ、ようやく確信をもって到達した愛の絆というものが胸を打つのである。同情や妥協や役割意識で誤魔化さずに真っすぐに自身の内に愛を問い掛けるカレンの姿が凛々しくも清々しい。また、難病に見舞われたために、ニックが誇り高き強がりでは切り抜けられない惨めさや自負心の脆さを自覚させられたのちに、誇りと自負を取り戻そうとする勇気を得ることの喜びや自身の内にその力を宿らせるものが何であるのかを悟っていく姿が切なくも美しい。

 一方、『世界の涯てに』は、およそリアリティには無縁の映画である。思い返せば、一体どこがよかったのだろうと疑念が湧くくらい、類型的な設定と御都合主義に満ちた展開で押し切っている。『ゴウ・ナウ』の難病があまり聞いたことのない病名だったのに対して、こちらは「あぁ、またか」の白血病。普通の娘に見えて大金持ちの令嬢で、短い命のときを身分違いの貧しくも清廉な青年との出会いと恋の成就によって輝かせるという言わば、うんざりするようなお話なのである。全ての出来事、全ての人物、全ての展開が、香港の人気歌手ケリー・チャン演ずる主人公のためにあるというような作りで、白血病さえもがその道具立てであるかのようだ。そういう意味からは、難病もの以上にアイドル映画なのである。しかしながら、観ているときには、そういう違和感よりも全編に通奏低音のように漂っている不思議な感じの無常感に惹かれて、その味わいに満足していたように思う。
 天啓のようにしてその存在を知る“世界の涯ての島”のエピソードにしても、劇中に披露されるケリー・チャンと金城武のデュエットにしても、スコットランド沖の島にロケーションを敢行したハイライトシーンにしても、大仰なカメラ廻しや空撮、あるいは疾走感あふれるカメラの動きや凝ったアングルからの撮影、プライベート・ムービー風の映像の提示など、さまざまに意匠を凝らした観せ方をしても、仕掛けほどには盛り上がりに繋がらないことは作り手の側の本意ではないのだろうが、おかげでこの作品の魅力である不思議な無常感が損なわれなかった。そのためにこの無常感が結果的に通奏低音として漂うことになったのだと思う。
 また、リアリティがないなら、ないで、いっそここまで御都合主義に徹すれば、ある種メルヘンにも通じるかという爽快感さえ生じてくる。アクション娯楽映画にしてもそうだが、香港映画のなりふりかまわない徹底ぶりには、スタイルとも言えるほどの潔さがある。そうしたなかに不思議な無常感を漂わせていることに新鮮な驚きと奇妙な味わいを感じて印象深かった。この作品を酷評するのはたやすいことだが、これらの点で、いわゆる類型的な作品の枠に留まらない個性とインパクトを持っているように思った。


*『GO NOW』
推薦テクスト:「シネマの孤独」より
http://homepage1.nifty.com/sudara/kansou2.htm#gonow
by ヤマ

'98. 1.31. & '98. 2.20. 県民文化ホール・グリーン



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