『イン・ディス・ワールド』(In This World)
監督 マイケル・ウィンターボトム


 観るたびに異なった文体の作品を提示してくる器用さがけっして技術や芸にとどまらず人間に深く迫る才能を備えた監督の意欲的で実験的な野心作だった。ドキュメントな肌触りのなかでドラマ的な説明がされないスタイルの作品は、今やそう珍しいものではない。それでも、そこに自ずとドラマが生まれていくなかで次第に脈絡が繋がってくるとしたものだ。しかし、この作品ではパキスタンの難民キャンプ生まれのアフガン人少年ジャマール(ジャマール・ウディン・トラビ)のパキスタン脱出の旅が進み、何がどうなって進行しているのかまるで訳が分からないままに、ロンドンにまで辿り着いて映画が終わってしまう。
 最初のほうこそ、説明を施さないドキュメンタルなスタイルの映画の約束事に乗っかって、次第に脈絡がついてくるはずの事情を掴み損なわないよう注意深く観ていたが、いつまでたっても訳が分からないまま進んでいくことに呆れつつ、イランから強制送還されても再びすぐさまパキスタン脱出を試みることになってしまう顛末の訳の分からなさのあたりからは、僕ももう諦めてしまった。これはもう画面の進行の成り行きに身を委ねるしかないという心境になったのだ。結局「ジャマールとエナヤット(エナヤトゥーラ・ジュマディン)がパキスタンの難民キャンプを抜け出しロンドンに行こうとしていることの他は、何がどうなっているのか、さっぱり判らない。」と、すっかり匙を投げだした格好になったわけだ。
 だが、驚くのは、それでも一向に映画を観ていて倦んでこないということだった。スクリーンに映し出される光景の持つ力とでも言うほかないが、TVドキュメンタリーでも、通常の劇映画でも、一ヶ月ほど前に観たマジッド・マジディ監督の『少女の髪どめ』('01)のようなアフガン難民を扱ったイランの劇映画でも、三年前に観たモフセン・マフマルバフ監督の『サイクリスト』('89)のようにイランのアフガン難民の状況を巧妙に映画に取り込んだ作品でも、けっして目にすることのできなかったような裏世界の危険な息づきの生々しさの立ち込めた光景が続いて圧倒される。と同時に、フィクションと観てもドキュメンタリーと観ても腑に落ちない訳の分からなさに包まれる。
 本当にさまざまな訳の分からなさだらけで僕にはどうにもしようがないと思ったときにふと、これはまさしくジャマール少年がロンドンに至る旅の過程で常に晒されていた状況と同じだと気づいた。目にするものの何を信じ何を疑い、何がどうなっているのかを探ることさえも甲斐ないほどに、訳の分からないまま身を委ねるしかない状況というものに耐えられないとロンドンにまで辿り着けないのが、パキスタンの難民キャンプを闇のルートで抜け出す旅の現実なのだ。この作品は、ジャマール少年の旅のドラマを見せているのではなく、ジャマール少年の置かれていた状況を映画にしているわけだ。そして、観客にも彼の置かれていた「為す術のなさ」を強いているのだろう。そう言えばと、映画の冒頭で監督からの要請によりジャマール少年の解する言葉しか字幕にしていないとの断り書きがクレジットされていたことに思い当たった。
 そういうことになれば、これはもうドキュメンタリーとフィクションの境界を超えるなどといった形容の次元には留まっていない作品とも言うべきものである。そういう形容は、キアロスタミあたりのイラン映画が脚光を浴びるなかで、十年くらい前から人口に膾炙されるようになってきたものだが、その一方で、今だに“やらせドキュメンタリー”などという笑止千万な言葉で、映像表現に主張も演出も一切ないことがあり得るかのようなお門違いの非難がなされたりもしている。そんななか、それらの次元を遥か後景に追いやったところでウィンターボトムが映画を撮っているということが強烈に伝わってきた。そういう意味で、非常に意欲的で実験的な野心作だと感じたのである。
 そして、現代美術のテイストを想起させるようなエンドクレジットのバック映像や『ひかりのまちで』などにも用いていた、肉眼では目視できない性質の光の流れる映像の使用など、ドキュメンタルな肌触りとは抵触する要素を敢えて取り入れて効果を挙げているところにも、意欲的で実験的な野心作だという感じを受けた。そういう面では非常に刺激的で興味深く、実に面白かったのだが、必ずしも映画として楽しめたわけではない。その点では翌日観た香港映画『インファナル・アフェア』のほうが遥かに楽しめた。


参照テクスト:イノセントさんとの往復書簡編集採録

推薦テクスト:「FILM PLANET」より
http://homepage3.nifty.com/filmplanet/recordI.htm#inthisworld
by ヤマ

'04. 2.25. 美術館ホール



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>