赤平鉱業所 第一立坑 探検: 北の細道 赤平立坑

赤平第一立坑で東洋一の速度制御技術に触れる




北海道赤平市

   立坑とは地下深部の採鉱場所と地上とを直結する垂直に掘られた坑道で、
いわば坑底と坑口を井戸のように一直線で結ぶ重要なパイプのような存在だ。
巻上櫓遠景 マウスon

地下深くで採掘した原炭や鉱石、ズリを短時間で効率良く運び出すための設備であり、
穴の直上に据え付けられた 「巻上櫓」まきあげやぐら を介して  「ケージ」(=鳥かご)人やトロッコを載せる1〜4階建ての箱と呼ばれる
箱をワイヤーロープで吊り下げ、それを昇降させて人員や鉱車(トロッコ)、石炭などを運搬する。

赤平立坑模式図
模式図

  番号    名称    備考 
 @  ヤード  外部から遮断された作業場(標高65m)
 A  川手巻室  深度-550L側機械室
 B  坑口信号室  川手-550L側操作室
 C  坑口信号室  山手-350L側操作室
 D  4段ゲージ(深度-550L側)  炭車4台または18名×4階(72名)
 E  4段ゲージ(深度-350L側)  炭車4台または18名×4階(72名)
 F  巻上機操作室  1サイクル自動運転
 G  山手巻室  深度-350L側機械室
 H  充填ズリポケット  ズリ積込施設
 I  ズリチップラー  ズリトロッコ転回装置
 J  炭チップラー  原炭トロッコ転回装置
 K  ケーペプーリ  動力滑車(直径5.5m)
 L  電動機  1,600Kwモータ
 M  ヘッドシープ  無動力滑車(深度-350L側)
 N  ヘッドシープ  無動力滑車(深度-550L側)
 O  H型巻上櫓  高さ43.8m/重量395t
 P  AC電動機及びDC発電機  ワードレオナード方式
 Q  ロジットSCR制御盤  トランジバック方式



立坑櫓の各構造
 深さ650m、内径φ6.6mの立坑坑口直上に、高さ43.8mの巻上櫓Oが配置されている。
 正面向かって左側を『川手側』A右側を『山手側』Gと呼ぶ。
 機構は左右対称同一仕様の巻上設備であるが、川手側は深度550L(615m)までの対応をし、
 山手側は350L(413m)までの運搬とそれぞれ異なったレベルからの、
 人員・原炭・ズリ・材料の運搬を司った。
 深度615mを-550L、深度413mを-350Lとそれぞれ呼んだのは、
 櫓設置個所の 「EL」(Elevation level)標高 が65mのため、 相対的な深度で表していることとなる。

 川手側(赤ライン)、山手側(青ライン)のワイヤー配置となり、
 電動機(モータ)Lにて 「ケーペプーリ」動力滑車 直径5.5m Kを回転させ、
 「ヘッドシーブ」無動力滑車 M(N)にワイヤーを押さえつける事によってスリップを防ぎつつ、
 「ケージ」(=鳥かご)人やトロッコを載せる1〜4階建ての箱 C(D)を上下させる。
 ケージ(L3,150×W1,090×H10,000mm)は4階建ての函で、中にはレールが敷設されており、
 炭車(トロッコ)なら1台/階×4段=4台、または人員は18名/階×4段=72名を一度に運搬することができた。
 つまり内径6.6mの立坑内に同一仕様4台のケージが上下動していたこととなる。

ケージ ケージ

 地上からは人員や充填用のズリを積載したトロッコを坑底に降ろし、
 坑底からは採掘した原炭を積載したトロッコや人員を揚程する。
 その最高速度は秒速12m(時速43.2Km)に達し、停止から加速、最高速から減速、停止と、
 最大12tにも及ぶケージを、約50秒間で制御・連絡する。
 現代に例えると東京スカイツリーの展望エレベーターが重量1,800sで秒速10m(時速36q)なので、
 その1.2倍の速度ということとなる。


上歌排気立坑 上歌排気立坑
写真提供は篠崎尊都様

立坑建設までの歴史的経緯
 赤平炭鉱は昭和13年(1938)開発着手、14〜19年にかけて一坑〜三坑を開坑し、
 昭和28年(1953)には上歌志内炭鉱を合併した。
 発達した炭層は23層にも及び、炭質は極めて優良、推定炭量は約4憶tとされた。

 しかしながら、地層は大きく 「褶曲」(しゅうきょく)堆積した地層が固まる前に圧縮力で波型に曲がったもの しており、 「背斜」(はいしゃ)地層が盛り上がった個所 部分は鉱区の両端部分に、
 「向斜」(こうしゃ)地層が沈んだ部分  部分が鉱区中央部に位置し、その炭層最深部は1,200mに及んでいた。

 炭層の大部分は地下350L上にあり、合併した上歌志内炭鉱部分が地下350〜550L部分を稼行していた。
 昭和30年以降、地下350L上の炭量減少が顕著となり、
 『深部』と呼ばれた地下350〜550L部分の経済的実収炭量の試算により、合理的開発計画が加速することとなる。
 その中で昭和34年(1959)9月、第一立坑は着工開削と相成ったのである。

マウスon(立坑完成当時)

立坑仕様
 巻上機械は地上設置、 「多索(二本索式)」ロープ複数(2本)による運転方式 「ケーペ式」ドラム式の巻胴を使用せず、ロープ溝のあるプーリを用いて両端の巻上箱を上下。名称は発明者の名前。 仕様で、
 巻上機に連動する運転調整器によりケージ位置を検出、プログラムに沿った速度指令を行う自動運転が計画された。
 ケージの積み降ろしにおいても、無接点継電器を使用しての日本初の自動化が予定された。

 そして総工費20憶円 (現在の価値で95.8憶円)昭和35年のCPIとGDPの平均値から試算 をかけ、3年余りの期間を経て、
 第一立坑は昭和38年(1963)2月に完成に至る。

 立坑櫓をはじめとする機構関係は三菱造船株式会社 広島造船所により製作され、
 電装設備に関しては株式会社 安川電機製作所による施工だ。

立坑比較
  立坑名   竣工/完成年   形式/深度/櫓高   制御方式/速度   メーカー
 羽幌運搬立坑  S36/S40  タワーマシン型/512m/39.34m  DC直結式ワードレオナード(11m/sec)  富士電機株式会社
 奔別立坑ケージ側  S31/S35  グランドマシンH型/750m/50.52  ACギヤ減速式 低周波制御方式(12m/sec)  富士電機株式会社
 奔別立坑スキップ側  S31/S35  グランドマシンH型/750m/50.52  DC直結式ワードレオナード方式(12m/sec)  ブラウン・ボベリ社
 赤平第一立坑  S34/S38  グランドマシンH型/550m/43.8m  DC直結式ワードレオナード方式(12m/sec)  株式会社安川電機製作所

 形式及び制御方法については別項で解説するが、
 赤平第一立坑は羽幌運搬立坑 の2年前に完成し、 奔別立坑 の3年後に完成している。

 奔別立坑「スキップ」石炭/ズリを運搬する専用箱 側のDCモータによるワードレオナード制御は
 「スイス製の機器」ブラウン・ボベリ (Brown, Boveri & Cie. 略称: BBC社  を使用した株式会社安川電機製作所による施工であった。
 つまり奔別スキップ側→赤平第一立坑へと3年間で進化するにあたり、国産化と更なる自動化がどれほど進んだのか、
 これが今回注目したい内容の一つである。

 また、立坑完成の半年後にはこれまで運用していた 「スキップ」石炭/ズリを運搬する専用箱 斜坑をベルト(コンベヤー)斜坑に改装し、
 立坑と共に同時運用したのである。
 これには大きな理由があり、完成後の生産規模は大幅に拡大され、
 昭和34年の生産能率は20t/人/ 月から昭和38年には51.6t/人/月と258%の増加となった。

ベルト斜坑 風洞

閉山への道
 昭和30年(1955)からの『神武景気』と呼ばれる好景気は、石炭産業にも恩恵をもたらすこととなる。
 そしてこの時期は『石炭鉱業合理化5か年計画』の渦中であり、
 立坑開削が推進された時期とも重なり、昭和38年(1963)までに全国で実に63本の立坑が建設された。

 ところが神武景気が終了すると、炭価は一気に軟調に転じて、
 なべ底景気からの脱却に拡大してゆく日本経済に、石炭業界は乗り遅れることとなる。
 この間の産業界の技術革新は目覚ましく、エネルギーの流体化と共に、
 石炭消費率の減少という傾向を生み出し、石炭と石油の消費構成は昭和34年(1959)を境に転じていく。

 炭価引下げ、高能率炭鉱への生産集中と非能率炭鉱の閉山推進など合理化の波は次第に大きくなり、
 やがて『三山分離』( 万字炭鉱美流渡炭鉱、赤間炭鉱) の方針を打ち出した会社側と組合闘争に発展、
 希望退職者の募集など、炭鉱の縮小化はさらに加速、
 付近の 豊里炭鉱は昭和42年(1967)、 茂尻炭鉱は昭和44年(1969)など閉山が相次ぎ、
 赤平炭鉱に至っても平成6年(1994)2月25日をもって石炭採掘を終了、
 55年の歴史に幕を降ろし、立坑完成から31年、5月には鉱区が消滅した。


北部排気立坑 北部排気立坑

 斜坑で掘り進めた鉱区内、褶曲地層窪地の深部採炭を進めるべく建設した第一立坑。
 最大の特徴と疑問、これは『東洋一』と謳われた所以である。
 深度、櫓高さ共に東洋一ではない。
 制御についても形式だけを見るとこれまでのプリンシプルと何ら変わらない。

 ところが『東洋一』と呼び声が高かったのはどうしてだろう。

 以下の機構や制御、形式などのヒントを紐解くことで、その謎が解明できるかもしれない。

 @『温存された斜坑群』
  立坑建設後も運用され続けた斜坑とのハイブリッド化
 A『A型櫓 4本索の夢』
  A型櫓ではなくH型櫓を採用した経緯
 B『オールケージ』
  スキップを使用せず(ケージ+ケージ)とした理由
 C『自動化への道』
  「AVR」オートヴォルテージレギュレータ「NSL」無接点継電器を利用した 「ロジット」演算時に利用する関数 「SCR」サイリスタ=シリコン制御整流子 ある信号で スイッチとなりonになり続けたり、双方向の電流を制御できる半導体素子 制御
 D『自動デッキチェンジ』
  ケージの入替自動化への挑戦
 E『湧出量300立米/minのCH4』
  余剰メタンガスの利用

今回は、上記の疑問を解析しつつ、現状の各機器を確認していきたいと思う。


立坑全景操業時立坑全景


今回、株式会社 安川電機御中 のご厚意により
著作物の引用転載許諾等頂きましたことを含めて、この場を借りてお礼申し上げます。


出典

著作物:技報 安川電機
タイトル:大型立坑巻上機用 1600kWワードレオナード電機品
      (第27巻 第102号 昭和38年4月)
          P、67〜74,各図表
   


※なお、本調査は一般見学範囲での内容となっています。




prayfor3104立坑櫓 その構造と制御 prayfor3104立坑櫓メイン





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