万字炭鉱跡  探検: 北の細道 万字炭鉱跡

万字炭鉱跡で選炭工程を見る




北海道岩見沢市(栗沢町)

   坑内から搬出されたままの石炭(原炭)には炭層の中にある岩石や不純物も混じり、大きさもまちまちである。
原炭の中の不純物を取り除き、岩石(ズリ)を回収し、
また原炭を使用目的に適した粒度(大きさ)に分ける作業が選炭である。

坑口から搬出された原炭は、ローラースクリーン(ふるい)やブラッドフォードブレーカー(回転粉砕機)を介して、
未選壜や原炭ポケット(漏斗)に入れられ、その下で更に振動するふるい(スクリーン)に掛けられる。
このスクリーン上に残るのが「塊炭」で下に落ちたものが「中塊」と「粉炭」である。

「塊炭」は更にコンベヤー上で手選され廃石やズリと選別される。、
「中塊」と「粉炭」は水選機に掛けられ、撹拌沈殿により比重差を利用して分離される。

また水よりも比重の大きな重液を利用する重液選炭や、
微粉炭を油と共に撹拌し泡に石炭を付着させる浮遊選炭がある。

このようにスクリーンやインペリアルフィルターなどを何度も通して、
「塊炭」「中塊」「粉炭」「微粉炭」に分離された石炭は精炭ポケットに送られ出荷される。

ズリは再度坑内に搬入され、採掘跡の埋め戻しに使用するか、
坑外に棄てられ、これでできたズリ山は炭鉱町の象徴となる。



本坑は当初、個人所有の炭鉱であったが明治36年(1903)資本により経営されるに至った。
開発当初の個人の家紋「卍」にちなんで万字坑と命名され開発が進むこととなる。
往時は葵坑・牡丹坑・五月坑・桜坑・橘坑・万字本坑・紅葉坑・福寿坑が開坑されたが、
最終的には大坑道南部の新斜坑を中心に採炭されることとなった。

大正3年(1914)には志文-万字炭山間の鉄道が開通し、夕張第一坑から独立する。
その後、昭和35年(1960)まで58年間幌内鉱業所万字坑として操業したが、
一連のエネルギー革命の余波を受け、昭和51年(1976)閉山を迎える。


駅の跡から炭住街、選炭場は森林公園に。
坑口まで遡り、かつての遺構を探索してみよう。












万字炭山駅跡・バケットエレベータ・積込ビン・・・


万字坑
( ̄u ̄;)万字坑



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