車輪のある沢




茂尻のホッパー跡が本坑の入口となる。
2月に訪れたときは豪雪だったが、
今回は雪解けの時期に訪れた。 ホッパー

沢沿いの標高70m付近にはかつての軌道の分岐点があり、
その痕跡は無いものの、選炭所跡の廃祉が残る。
昭和9年の恵須取炭鉱時代にはこの選炭所から平岸駅土場まで
1.7マイル(約2.7km)の玉村式鉄索が建設された。 遺構


沢の傍とは言え、手積みされた石垣が立派に残存する。
レイルが行き違う、
山中の小駅のような場所だったに違いない。 石垣


見事にアーチ積みされた煉瓦の遺構があった。
炭鉱跡で時々目にする光景だ。
もしかすると扇風機室を兼ねていたかもしれない。 煉瓦


さて、少し移動してここが入口となる。
全く炭鉱跡の兆しは無く、
昭和32年の地形図上で推理した谷である。
その地形図では豊坑・水午坑・一号坑の3か所の坑口を物語る。 導入口


沢をまずは渡渉するところがスタート地点だ。
もちろん橋は無く、
雪解け水で水深は50cm程度ある。 渡渉


森に入ってすぐの第一の遺構。
腐食した箱のようだが用途はわからない。
熊笹の廃道にはすでにヤマダニが居る。 遺構


森に横たわるレイルを発見した。
やはりこの谷で間違いない。
レイル高は70mm程度なのでおそらく12kgf級だろうか。 レイル


レイルの発見で炭鉱跡の確証を得た後は、
沢の左岸を登る。
この辺りは砂防ダムにより地形の大変化があったようだ。 砂防ダム

少し遡上すると右岸の斜面上に廃墟があった。
積出の設備だろうか。
両壁しか残存していない。

水中に埋もれた架台があった。
次々見逃しそうな遺構が現れる。
これだけ点在すると、次への期待が広がる。 架台

沢沿いには炭塊が転がる。
やはり炭鉱跡で間違いない。
かなり大きな石炭だ。 炭塊

標高150mを超え、残雪が増えてきた。
この付近が坑口の一つのはずだが、
その遺構は埋没したのか、見られない。 積雪



足元の土砂に埋もれて、再びレイルだ。
この深い山中にまで軌道があったとは、
驚きだ。 レール

谷を変えて別の沢を遡る。
こちらにも旧地形図には坑口の記述がある。
相変わらず、エゾシカの足跡だらけだ。 遡上



左岸の斜面に白い鉱泉を流す沢があった。
斜面から突然湧き出ており硫黄臭が激しい。
どうやら埋没した坑口の一つのようだ。 硫黄


水没し腐食した150A程度の太い配管があった。
この谷にも産業があったのだ。
ここからは平場が一気に減少する。 配管


またもや斜面から突き出るレイル。
今度は二条だ。
在りし日の風景が少し想像できる。 レイル


レイルが崩れて折り重なり、
それが堰となって土留めとなった箇所を登る。
ここだけでも3本以上のレイルが積み重なる。 堰堤


とうとう枕木と共に現れたレイル。
炭鉱軌道跡だ。
約50回に及ぶ積雪と融雪でこんなにも埋没してしまったようだ。 枕木


枕木である。
犬釘が残る軌道の証人だ。
よく残存したものだ。 枕木


少しの平場に出た。
付近には配管や並ぶ坑木、フランジ付きのエルボなど、
数々の遺構が残る。しかしそれらを消し去る・・・ 平場


トロッコの車軸である。
沢に埋もれる遺構だ。
ずっしり重く、重厚な造りだ。 トロッコ


目を疑ったが、石炭ストーブが埋もれる。
最盛期には稼労者は134名にのぼった。
数々の遺構はそれぞれ印象的だ。 石炭ストーブ


今度は残雪に埋もれたトロッコの車軸だ。
この時期ならではの、
幸運な発見だった。 車軸







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