一寸だけ前書き
   草木も眠る丑三つ時、突如3人の火消し役人が拙者の臥所に乱入するや有無を言わさず拙者を戸板に括り付け、唐丸籠に押し込めるや否や奉行所の収容所に収監されてしまいました。
 そこでは体中に紐を差し込まれメシも一切与えられず、連日血を抜かれたり、口から尻から焼け火箸のようなものを突っこまれた挙句、悪代官と思しき役人から、切腹を命ぜられました。切腹はしたものの!
 幸い介錯は免れることが出来たため、牢役人に大枚の袖の下を渡し我が家の座敷牢に移ることを許されました。未だ座敷牢番の監視の目が厳しく牢破りは成功しておりませんが、その内監視の目を盗んで脱走したいと思っております。・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・続く!


開腹手術による胆のう摘出

 胆石などによる、胆のう摘出は最近はそのほとんどが腹腔鏡カ下手術(開腹せずに内視鏡による摘出手術)となっており開腹による手術事例はあまり見られません。私の場合は開腹による胆のう摘出となりましたのでその経過について開腹手術をされる方の参考に紹介したいと思います。
 現在行われている胆のう摘出手術の95%以上は内視鏡による摘出で、生活復帰まで内視鏡手術の場合は約1週間、開腹手術の場合は約1ヶ月と言われております。手術跡も含めこの差は意外と大きいと思います。
  開腹手術と内視鏡による手術の分かれ道は何なんでしょうか?


内視鏡手術

内視鏡手術
@普通の胆石症による胆のう摘出
A急性胆のう炎を発症し、抗生剤による炎症を抑える治療をしていない場合


開腹手術

開腹手術
@急性胆のう炎を発症し、炎症を抑えるために抗生剤による治療を行った場合
 急性胆のう炎を発症し炎症で痛みがひどい場合は抗生剤による治療が選択肢の一つになります。抗生剤による治療を行った場合は炎症が治まった後に開腹手術となる場合が多くあります。抗生剤による治療を行うと、胆のうが硬くなり、癒着が進むためです。
A緊急を要する場合や以前なんらかの開腹手術を行っている場合
B内視鏡手術を行ったが、癒着などの状況により、急遽開腹手術に切り替えられる場合



救急搬送


急性胆のう炎の発症

忘れもしない3月5日
 午後10時過ぎには就寝のため布団の中に、横になった直後からミゾオチ付近に違和感が!
そのうち取れると思っていましたが、時間と共に痛みは増すばかり、ついには胸全体が苦しくなり、6日午前2時頃に救急車により、病院に搬送となりました。とても翌日の外来診療まで待てる状況ではありませんでした。
 胆のう炎は比較的軽く考えられがちですが、炎症が進むと腹膜炎を併発し重大な結果を招くことも多々あるので、軽く見てはいけないとのことです。
 結果的には急性胆のう炎と診断されるのですが、それは入院して暫くたった後のことです。本当に痛いときはホント声すら出すこともできません。「痛い痛い」と騒いでいるうちは「我慢できる範囲で、たいした大したことではない」とその時知りました。
 急性胆のう炎の予兆がなかったのかと言えば、今振り返ってみると、思い当たる事が多くありました。

 

予兆として思い当たる症状

 重大な病気には何らかの予兆があると言われております。そのときは気付かなくとも後で振り返って、あの時チャント検査しておれば・・・・!と後悔しないためにも思い当たる症状を挙げてみました。


胃の不調

胃部の不調
2年ほど前から胃の調子が良くないことが度々ありました。胆のう炎の所期症状として現れることがあります。
 掛かりつけの医院での検査や胃の集団検診でも特に異常は無く、取り敢えず胃薬の処方を受け服用していました。暫く薬を服用すると胃の調子も普通に戻っていたので、単なる胃炎と思っていました。  


食事など好みの変化

食事など好みの変化
 振り返って思うにその頃から、なんとなく脂っこい食べ物(ラーメン、ステーキなどの肉類、カレー・・・)を無意識のうちに避けていたし、間食もあまり食べなくなっていたように思います。

ミゾオチ付近の違和感

ミゾオチ付近の違和感が続く
 朝方、起床前になんとなく、ミズオチ付近に違和感(胃が荒れているような感じ?)を覚えることが度々ありました。起床すると不思議にその症状は治まりました。ミズオチ付近の違和感も胆のう炎の症状の一つです。


胃痛

胃痛
 3〜6ヶ月ぐらい置きに胃痛(ミゾオチ付近のキリキリといった痛みで、その当時は胃の痛みと思っていました)に悩まされました。時には、発熱(37.5〜6度)を伴うこともありましたが、医師の診断はビールス性胃腸炎でした。(当時ノロビ−ルスによる胃腸炎が流行していました)ミズオチの痛み、発熱は胆のうの炎症を示す顕著は症状です。
 痛みを抑える薬と胃腸薬を処方してもらい、2、3日服用するとその症状は治まりました。


胆石の検査

胆石の検査を受ける
 念のために、エコーによる胆石の検査を受けましたが、胆石は見つかりませんでした。 胆石には色々なタイプがあり、エコーやCTスキャーンでも映らない胆石があります。胆石も石のように硬いものから寒天のようにやわらかいもの、大きさも砂のように小さいものから親指大のものまで様々です。私の場合は入院後エコーやCT検査では分からずMRI検査をして始めて小さい胆石であることが分かりました


発熱

発熱
 この間、2度ほど37.3〜5度の発熱があったことがありました。1日も寝ていれば平熱に戻っていたのであまり気にすることもありませんでした。発熱は体の何処かで炎症がある反応の現れの一つです。

肝機能検査数値の異常

基本検診で肝機能検査GPT数値に異常
 GPTの数値が41(正常範囲は5〜35)。早速かかりつけの医院で再検査を受けました。医師が言うには「41程度は異常の範囲に入らない」とのことです。正常範囲は医療機関により違いがあるようです。5〜40を正常範囲としている所も多いと聞きます。慢性胆のう炎などの場合この数値に異常が出ることが多いようです。

腹が張る

腹が張る
 腹が張ることはあり、かかりつけの医院ではお腹をポンポンとタタキ、「ん!ガスが溜まっているな」程度の感覚でした。お腹の張りも胆のう炎の症状の一つとして現れることが多いようです。


胆のう炎の症状

胆のう炎の症状
 胆のう炎の症状として顕著なのは、右わき腹や背中の痛みと言われていますが、あまり知られていない上記症状も胆のう炎の症状として現れることも多いのだそうです。やはりいつもと違う症状が出たときは、早目の検査が必要だと思います。しかし、なかなか開業医に「ミゾオチが痛い」と症状を訴えたとしても適切に診断できるとはとても思えないぐらい、胆のう炎の診断は難しいので、患者自身がその可能性を訴えることが大事だと思います。



消化器内科入院中の症状の推移


搬送先での処置

搬送先での処置
3月6日午前2時過ぎ救急搬送
@搬送先は割合スンナリと決まりました。痛みの症状が胸全体に及んでいたことから、救急隊員は心臓疾患の可能性も考え、循環器の医師が当直している救急病院に連絡、受け入れ可能とのことで直ぐに搬送されました。痛みが激しいときは、痛い場所を特定して「ここです」と示すことは容易ではありません。今回も炎症を起こしている胆のう付近ではなくミゾオチや胸に激しい痛みが現れました。
A検査&措置
 ・痛み止め注射と点滴が開始されましたが、痛みの具合は容易に収まりません。
 ・心電図測定、血液検査、胸のレントゲン撮影、CTスキャン、腹部エコー検査を実施しました。
 ・心電図検査の結果、心臓疾患ではなく、またその他の検査でも炎症反応はあるものの、これといった異常所見が見つからなかったことから、急性胃炎の可能性と診断され、痛みの除去と診断を確定させるためそのまま入院となりました。朝までは集中治療室で過ごし、10時過ぎに呼吸器内科病棟に移りました(消化器内科が満員のため)。


3月6日

検査項目
@3月6日午前10時過ぎ 消化器科内科の医師の診察がありました。
 治療方針としては、血液検査、胃カメラによる胃の内視鏡検査、CT・MRI検査、胸部・腹部レントゲン検査で、食事は絶食、栄養剤と抗生剤の点滴を続けることになりました。
Aこの頃より、少し発熱が見られるようになりました(37.2度)。午後には38度を越しました。
B熱が高く、腹部の痛みも続き最悪の気分でしたが、病院に入院しているという安心感があったように思います。 


3月7日

激痛と発熱
@昨夜〜朝方に掛けては、痛みと発熱でほとんど眠ることができませんでした。朝一で血液を採取されました。
A体温が38.5度を越していたので、解熱鎮痛剤を服用しました。
BCT、胃カメラ、MRI検査の予定が決まりました。
C栄養剤と抗生剤の点滴は継続。解熱剤のお陰で体温は37度台に、胸・ミゾオチの痛みもやや治まってきました


3月8日

原因判明
@昨夜は多少眠ることができました。今日も朝一で血液採取。
A体温は39.5度に上昇。再び解熱鎮痛剤を服用しました。また、体温が高いことからインフルエンザの検査を行いました。(当時インフルエンザが流行していました)
 血液検査の結果や炎症反応の広がりが、腹の張った状況から腹部全体に炎症が広がってきていることが分かります。解熱剤のお陰で体温は37度台に、腹部の痛みも楽になっていましたが、大きく息を吸うと右わき腹の痛みが出ることに気付きました。
B午後、胃カメラによる胃内視鏡検査を受けるときに、右わき腹の痛みのことを医師に伝え、内視鏡検査終了後直ぐに、エコー検査をすることになりました。
Bエコー検査の結果、胆のうが腫れていることが分かり、急性胆のう炎の疑いが濃厚になってきました。
CCTスキャン撮影を受けた後、抗生剤も胆のう炎を抑えるものに切り替えられました。


3月9日

胆のうドレナージ処置
@原因らしきものが判明し安心したのか、比較的眠むることができました。
Aエコー検査、CTスキャンの結果胆のうが通常の3倍程度に腫れていることが分かり、急性胆のう炎と診断されました。しかし、CT検査でも胆石は発見されません。急性胆のう炎の原因が何であるかを特定することが治療する上で重要とのことです。
B胆のう炎の炎症を早く改善するために、胆のうに直接針を刺し膿や溜まった血液を対外に排出する胆のうドレナージをMRI検査後に施術することになりました。

CMRI検査と胆のうドレナージの施術を受けました。医師が胆のうから抜き取った組織片らしきものを看護婦に渡し、「精研・組織培養に廻すよう」指示しているのがなんとなく気になりました。まあ、そのときはその時だけどね。
胆のうに刺された針の先は写真のように渦巻状になっており、動いても針先が抜けたり深く刺さったりすることはないようです。
DCT検査は短時間ですがMRI検査は30分以上掛かります。普通はなんでも無い検査が、腹痛で満足に深呼吸もできない身にとって検査の中で一番苦痛の多い検査でしたが、お陰で小さい胆石が見つかりました。


3月10日

点滴治療の継続
@絶食が続いているので、毎日4本の栄養剤と抗生剤の点滴(24時間連続)のお陰で1時間〜2時間置きにトイレで、眠た気がしません。
A体温は37度前半で落ち着いてきました。治療効果が徐々に現れてきているようです。胸全体とミゾオチ付近の痛みはなくなりましたが、右わき腹の痛みはなかなか取れません。
B医師の話では、私の胆のうは胆のうとしてもはや機能していないので摘出してよく調べた方が良いとのことでした。
C週明けに外科の医師と面談し、手術の予定日を決めることになりました。おそらく手術は腹空鏡ではなく開腹になることはある程度分かっていましたが、まだ若いので?「ヒョットしたら」との期待もチョトばかりありました。 


3月11日

少し元気に
 栄養剤と抗生剤の点滴が続いてます。右わき腹に胆のうドレナージの管が入っており、寝るときは仰向けの姿勢では腰が痛いし、左側を下に寝ているので左側がみな痛い。どうにか起き上がれるようになってきたので、ベットを起こして過ごしました。日中はFMラジオの音楽を聞いて過ごせるようになってきました。テレビはなんとなくまだ見る気になりません。

3月12〜14日

手術日が決まる
 栄養剤と抗生剤の点滴が続いてます。体温は36度台にようやく下がりました。外科医師との面談で開腹による胆のう摘出手術が30日と決まりました。大腸の内視鏡検査を行った後に一旦退院し、28日の外科再入院の予定となりました。できるだけ病棟は空けておき、新規入院患者の受け入れる準備をしておく方針のようです。明日から食事(半粥)がでます。これで点滴の本数が減って、夜間の点滴が無いとかなり楽になりそうです。この間に心電図と肺機能検査を受けました。この検査で「大きく息を吸って、強く吐いて」と言われてもわき腹が痛く言う通りにはなかなかできませんでしたが、なんとかOKが出ました。


3月15〜19日

普通食、シャワー、ドレナージを外す
 胆のうドレナージから出る液も黄色い胆汁液で出る量も少なくなってきました。(当初はどす黒い血液→赤い血液→胆汁と血液の混じったもの→濃い色の胆汁と日に日に改善してくるのが実感できる)痛みも日に日に感じなくなってきました。
 入院以来初めて、シャワーを浴びることができました。(胆のうドレナージ部分はテーピング)右わき腹の痛みはほとんど感じなくなってきました。通常の食事になり点滴がなくなりました。
  3月16日に胆のうドレナージを外しました。まだ止血用ガーゼの塊が貼ってあるので寝返りは無理。これで紐付き状態から開放されました。胆のうドレナージを外したことにより、少し、胆のう炎再発の不安がよぎります。医師の話によると「一時退院中に胆のう炎が再発し救急車で運ばれてくる人もいるよ」と冗談ぽく話していました。(後で現実のことになるのですが。) 


3月20日

大腸検査
 大腸カメラの検査を受けました。3mm程度のポリープが1個見つかりましたが、治療の必要はないとのことです。検査に当たって、前日の夕食は普通にとることができ、就寝前に下剤(錠剤)を服用しました。当日朝から大腸洗浄剤2ℓを2時間ほど掛けて飲みます。大腸洗浄剤は液状の飲み物なのに体に吸収されることはなく、全て排出されます。腸の中が空っぽな感じになります。胆のうと大腸と何の関係があるのだろうか?医療費の関係でただ飯を食わせておくのが駄目なのかも知れません。
 3月26日(月)に一旦退院し28日(水)に外科病棟に再入院と決まりました。


3月21〜22日

一時退院が無くなった
 胆のうドレナージを外したあとの止血用ガーゼが取られました。これで右を下にして寝れます。1週間ぶりにシャワーを浴びました。婦長さんから外科病棟への再入院は28日ではなく27日で、退院翌日入院は大変だからそのまま消化器内科病棟から外科病棟に移る事になりました。その間外泊でも良いとのことであったので土、日、月と外泊を考えていました。 


3月23日

胆のう炎再発
 3時過ぎに急にミゾオチ付近に痛みが!時間と共にドンドン増してきます、額には冷や汗。直ぐにナースコール。医師が駆けつけ、胆のう炎再発の可能性、直ぐに痛み止めと抗生剤の点滴が開始されました。痛みは30分もすると取れてきました。今日からまた絶食に、栄養剤の点滴が再開されました。血液検査とCT撮影が行われました。久しぶりの我が家が遠のいた瞬間でしたが、帰宅中に再発しなくて本当に良かったと思います。

3月24〜25日

胃カメラ検査
 血液検査の結果、胆のう炎の再発と確認されました。また、CT検査で十二指腸に異変が見られるので、念のため再度胃カメラ検査の予定が入れられました。日に4本の栄養剤と抗生剤の点滴は続いてます。毎朝血液検査のため採血がありました。


3月26日

 胃カメラ検査の結果、十二指腸には異常は無く、胆のう炎の発作で十二指腸が変形して映ったと思われます。外科病棟には、予定通り移ることに決まりました。手術日程は、胆のう炎の状況を見て決めることになりました。担当医師の一人が「だからあれだけ外さない方がいいって言ったのになあ」と独り言を言っていました。そんなことここで言わないで、担当医師同士で言って欲しいよ!と思います。

 

外科病棟入院中の症状の推移(手術前)


3月27日

外科病棟に転院
 採血後の10時過ぎに消化器内科病棟から外科病棟に移りました。手術予定は一応30日、ただし胆のう炎のそのときの状況により延期の可能性があるとのことです。痛みなどは無くなり、経過は順調のように思えるのですが。


3月28日

手術に向けた準備
 看護婦さんから30日手術を前提に説明をうけました。
@手術まで準備するものとして、腹帯、浴衣、T字帯(何のことは無いフンドシである)、ストッキング(エコノミー症候群防止用らしい、そのような趣味は無いんだけど!) 
A手術後にタンの排出をスムースにするための肺機能を向上させる器具(ピンポン玉を吸い上げる)で練習するように指示されました。
B手術直前〜退院までのスケジュールを回復状況や注意事項が書かれたパンフレットを基に説明されました。


3月29日

医師による手術方法の説明
@予定通り30日、時間は午後3時ごろからと決まりました。
 胆のう炎治療のため手術を先に伸ばした場合と予定通り実施した場合のリスクを考え、予定通り実施することになりました。また胆のう炎が再発した場合、肝臓に対するダメージがかなり大きくなることが考えられたためです。
A開腹は10〜15センチ程度とのこと(私の場合、実際は特別サービスで大きく切られ24センチ近く)。手術予定時間は2時間。術後の痛みコントロール方法や痛みは我慢する必要が無いように治療する旨の説明がありました。
B説明は慨して親切丁寧で、全てお任せ気分の小生にとっても、説明を聞いて安心できる部分が多くありました。
C麻酔医からも手術時の麻酔方法や痛みコントロール、副作用について説明がありました。
D救命救急士の気管送管実習のため医師の立会いのもと、気管送管実施の承諾を求められました。
Eヘソのクリーニングと下腹部の毛が剃られ、いよいよ手術が本当のことになったと実感したところです。
Fシャワーを浴びました。
G下剤を飲んで早めに寝ました。


3月30日

手術までの準備
@睡眠薬は飲みませんでしたが昨夜は普通に眠ることができました。朝一で血液採取。
A下剤を飲んだものの便通はありません。便通は胆のう炎再発以来1週間近くありません。手術前に便通が無い場合は、通常浣腸を掛けることになるようですが、食事をしていないので出ないのだろうということで浣腸は免れました。
B午後から手術に備え、例のストッキングを履き浴衣に着替えました。
C3時30分過ぎ看護婦が呼びに来ました。

 

外科病棟入院中の症状の推移(手術〜退院まで)





3月30日

3時30分過ぎ手術室に
 看護師さんに付き添われて、手術室まで自分で歩いて行きまし。ここから先は家族は入れません、家族に別れを告げて、不安げな顔で見送られて手術室に入りました。ドキドキしながらもあちこちの部屋の中をきょろきょろ見回しながら手術室へ向いました。ひえ〜!手術室がたくさん並んでる!さすが国立病院!一度にこんなにいっぱい手術が出来るようになってるんだ〜!これじゃ手術患者の取り違えが起こるかも!
手術台に
 手術室についたら、今度は手術室の看護師さんにバトンタッチ。手術台に上がるように言われました。医師・看護師・研修医・救急救命士が待機していました。気管送管は麻酔で何も分からなくなってからなのでどうでも良いことなのですが、この救急救命士さんが気管送管を担当します。気管送管実習の実験台です。
私は浴衣に着替えていたものの下着はそのままだったから、このままでいいのかなぁ?と不安になったが黙って横になっていました。気が付いた時にはパンツからT字帯に穿き変えられていました。
麻酔の処置
 脊椎に痛み止めを注入するための管が差し込まれました。手術後の痛みを抑えるためです。ここまでは覚えていますがその後のことは全く分かりません。おそらく全身麻酔のマスクを口に乗せられたからだと思いますが!
私は注射や点滴で少しずつ意識がなくなると思っていました。マスクで意識がなくなるなら、あらかじめそう言って欲しかった。ホント!
手術が無事終了
 「○○さん、○○さん終わりましたよ」との声で意識が戻りました。遠くの方で大きな声で私に叫んでいる様に思えたが、本当は耳もとだったんだけど・・・意識が朦朧としていたが、看護婦がニッコリ微笑んで回復室(回復室といっても外科病棟のナースステーションの向かいの部屋)にストレッチャーで移動してくれました。ストレッチャーがら病棟のベットにどのようにして移ったかは記憶に有りません。痛みはほとんど感じませんでした。病棟の時計は午後6時過ぎを指していました。
 しばらくして看護婦さんが状態の確認に来てくれて、「できるだけ体を動かすように」と言って行きました。動かせと言われても、正直動けません。ジットしている分は痛みはあまり感じませんが、痛くて動かせません。うつらうつらしながら・・・・夜明けを待ちました。


3月31日

ベットに起き上がる
 朝9時頃執刀医の回診がありました。傷口の確認と鼻の管およびエコノミー症候群防止用のマッサージ器が外されたので、大変楽になりました。氷を口に含んでも良い旨の許可がありました。もう口の中がカラカラで、唾液をだそうと舌で舐めてもでなかったので、これには助かりました。手術後に口の中がカラカラになるのはみんならしい。
 午後に看護婦の助けを借りて、一人でベットに起き上がってみました。猛烈に傷口が痛い。なんとなくフラフラする感じだったので歩行は明日以降にしました。少し熱が出てきたので氷枕のサービスがありました。
 手術後タンが出ると聞いていましたが、タンはほとんど出ません。咳払いをせずに済んでいるので腹に響かず楽です。タバコを吸っていなかったからだと思います。タンが出る人は大変のようです。
 夜10時過ぎ、痛みに耐えかねてナースコール、男性の看護士に痛み止めの注射をしてもらいました。お陰でこの夜は比較的眠ることができました。


4月1日

食事が開始される
 
朝から5部粥がでました。約半分ぐらい食べることができました。「はい、食事です」って置かれても、食事の置かれたテーブルまで手が届きません。痛みを堪えてテーブルを手前に手繰り寄せました。昼食、夕食は半分も食べられませんでしたが、夜間の点滴はなくなりました。
 午前中は比較的痛みは治まっていますが、午後からは発熱と共に痛みが倍増してきます。体温が38.8度になりましたで、氷枕で頭を冷やし、座薬の解熱剤を入れてもらいました。38.5度以上になると解熱剤が使えるらしい。解熱剤のお陰で体温も37度台に下がり痛みも楽になりました。


4月2日

術後はじめて歩く
 
朝方の体温は36度台に下がっていました。回診で傷口の消毒と脊椎から注入する痛み止めが空になっていたので、薬剤が追加されました。
 午後から、看護婦に付き添われ手術後初めて歩きました。さらに、オシッコの管(フォリーカテーテル)が抜かれました。夕食の食器類は自ら歩いて配膳ワゴンに片付けました。歩く度に傷が痛みます。
 やはり、午後になると体温が38度ぐらいに高くなります。氷枕の氷が直ぐ解けてしまいます。寝る前に氷枕を交換してもらいました。
 ある看護婦は「痛みがあるときは我慢しないでね、痛み止めあげますから」と言います。別の看護婦に「痛い」と言うと、「大きく切ったんだもの痛いのは当たり前でしょ」「今、体が戦っているんだから、少しは我慢ね」と言います。どっちが本当なのか。挙句の果てに退院時に「○○さん、痛み止めほとんど使わずに良く我慢したね」だって。他の人のことを聞くと「使う人は3、4時間おき使う人もいる」だって。そんならもっと早く教えろよ!でも痛み止めの薬はは結構体には負担になるらしい。


4月3日

トホホ!オシッコが出ない!外科一般病棟に移る・シャワーを浴びる 
 
朝、トイレにいったが、出る感じがしないし、力んでもオシッコが出ません。力むと結構傷が痛い。麻酔の影響で出なくなる人もたまにあると事前に説明を受けていたので、直ぐに看護婦さんに連絡しました。管を挿してオシッコを出すのですが、小生の物が極端に小さい?せいか最初は中々膀胱まで管が入っていきません、ベテランの看護婦さんによって管を何とか差し込んで無事開通に漕ぎ付けました。一度オシッコの道ができると大丈夫らしい。その後は自力でオシッコが出るまでの時間が20分、10分、5分、1分・・・と短くなっていきようやく普通の状態に戻りました。
 朝の回診で、背中に刺さっていた麻酔の針が抜かれました。傷口に防水フィルムが貼られ医師からシャワーの許可が下りました。回診の後、外科一般病棟に移りました。午後になると体温が上がってくるので、昼前にシャワーを浴びました、その時初めて手術跡を見ました。ずいぶん思い切って大きく切ったもんだ!しかも糸で縫っているのではなく、ホッチキスの針で止めてるではないか。これはチョットした驚きです。
 午後1時過ぎ頃から、37.8度に熱が上がりましたが、以前のように38度を越えることはなくなりまし。発熱に伴い傷がズキズキと痛みます。しかし、多少からだの向きを変えて寝れる様になってきました。


4月4日

 朝方にか体温は36.4度に下がっていました。朝一で採血がありました。午後の体温は37.2度で大分楽になってきました。手術後一度も便通がないので、座薬の下剤を入れてもらいました。これで便通が無いときは浣腸です。もうここまでくれば、何をされても恥ずかしいという感じは不思議とありません。約30分後にお腹がグルグルした感じになり目出度く便通がありました。明日、明後日に分けて半分づつ抜糸し9日(月)の退院が決まりました。


4月5日

抜糸
 半分抜糸しました。ペンチみたいな器具でホッチキスを引き抜くのですが、あまり痛みは感じませんでした。午後からも体温が37度を超えることは無くなりました。順調な回復が実感できます。手術の状況と退院後の治療計画について説明がありました。摘出した胆のうの状況はかなりひどい状態だったようです。また胆のう炎の症状も慢性的に以前からあったようです(「アアそなだったのか」と自分としても納得です)。医師が「これでは痛い訳だよ」と言ってましたが、小生にとっては痛いどころではありませんでした。退院後、特に発熱や腹痛がなければ外来診察は必要がないとのことです。


4月6日

抜糸
 
残り分の抜糸をしました。抜糸は昨日よりも結構痛く感じました。抜糸をしたことにより大分腹部の重しが取れた感じになりかなり楽になりまし。体温は36.6度で体調も良くなった感じです。横になっている分には傷が痛むことは無くなりました。ベットから起き上がるときや歩くときはまだまだ痛いので、腹を抑えての歩行となっていました。

4月7〜8日

 主治医から胆のうの組織検査の結果、ガンなどの悪性所見は無かった旨の説明がありました。これで一安心、早速家族に伝えました。入院最後の夜は久しぶりにNHKテレビ大河ドラマ「風林火山」を見ました。


4月9日

無事退院
 
特別サービスで朝一で採血がありました。また、退院後に備え、解熱剤、痛み止め、下剤を渡されました。(結局これらの薬は服用しないで済みました。)
 医療費の支払いをすませた11時過ぎにお世話になった外科と消化器内科のナースステーションに挨拶をして無事退院しました。よく、別の診療科から外科に転院し外科のみの挨拶で、そのまま退院していく患者さんが意外と多いそうです。

4月10日以降

 普通、退院後1週間ぐらいは自宅療養し、その後仕事に戻るというイメージだと思います。ところがドッコイ!1週間過ぎても、傷の痛みは取れないし、退院後2週間ほど半日は布団の中日中起きていられる状態になったのは退院後3週目に入ってからです。会社員のように仕事を持っていたら「退院して何週間にもなるのに出勤しないとは何事だ」となるかもしれません。手術後、退院が早いのも考え物かもしれません。病院も医療費点数の稼げない「食っちゃ寝の患者」は早く退院させるのが、今の仕組みらしい。開腹手術の場合はやはり生活復帰までは、術後1か月は必要のようです。以前は開腹手術の場合、退院の目処は術後3週間前後だったようです。
 普通にお風呂に入れるようになったのも退院後1週間過ぎてからで、それまでは2〜3日おきのシャワーで我慢しました。

搬送してくれた救急隊員、病院の医師、看護士、スタッフ、および、なんといても妻、家族には感謝感謝です。

下のイラストをクリックするとそのページを表示します。


home

プロフィール

真空管受信機ラジオ

製作・実験

シャック

アンテナ

QSLカード

SSTV・衛星

パソコン

オーディオ

ブンちゃん

健康