水

●惟神旅行記●

 いけいけ日本探険隊の海夢です。こちらのコーナーでは、探険隊の旅行記を掲載していきます。’91年の結成から今日まで私達は日本各地に残る聖地を探訪し、そこで得た体験は私自身の意識に大きな影響を与えるものでした。回を重ねるごとに考え方や物事の捉え方が変化していきました。当初は旅先で味わう充実感と実生活とのギャップに悩んだものですが、最近ではすんなりと移行できるようになりました。そこが聖地であろうと生活の場であろうと、自分が体験することすべてが成長の為に起きていると信じる様になったからです。今振りかえると私達の旅は、古代遺跡やミステリーゾーンを探険することを通して、人生の意味や生きる目的を探る旅でもあったと確信しています。今回は何故私達がこのような自分探しの旅に出ることになったのかをお話ししたいと思います。

<惟神旅行記−CONTENTS & UPDATE>

惟神の旅−プロローグ(’99.10.16)  京都編(’99.11.12)

東北編(’00.01.15)
  富山・岐阜編(’00.04.08  吉野・天河編(’00.09.16)

長野編(’00.11.19)  出雲編(’01.01.26)

伊勢・熊野編(’01.04.27)  至恩郷(’01.05.26)  錦之宮(’01.05.26)


<惟神の旅 プロローグ>

 21世紀も目前に迫った現在の状況を見渡せば、地球環境の悪化は頂点に達し、社会情勢も混迷を極め精神的荒廃に拍車をかけています。この現代社会の普遍的価値観は物質、拝金主義・競争・合理性の追求などですが、その根底にあるものは<強>・<弱>や<善>・<悪>など物事を二元的に捉えて、そのどちらかに当てはめるという思想です。この区別し片方を抹殺するという考え方では、抑圧された方は反発が生じマイナスのエネルギーが蓄積される一方で全体の調和は生まれません。この状態のまま進んでいくと、文明の崩壊があるのではと危惧している方も多いと思います。

 私自身、この危機的状況を招いた人類が悲惨な試練を受けることは当然の義務であり、また大きな被害を受けなければ、価値観を転換することは不可能で、人類の滅亡はないまでも、自然の浄化作用で現代文明は終わりを告げ、新しい時代を迎えることができると思っていました。しかし、その考え方も<罪>と<罰>という二元的な思考であることに気づかせてくれたのが、「いけいけ日本探険隊」の旅だったのです。


 旅を続ける過程において古事記という書物に出会いましたが、その古事記の神話には、天地開闢の後出現したアメノミナカヌシを始めとする造化五神(宇宙を創造した神々)から始まり、イザナギ・イザナミから生まれた八百万の神々の出自や神徳が描かれています。そして、その神は二つの側面を持っていて、荒ぶる面は「荒魂(あらみたま)」と言い「怒り」(天変地異)や「祟り」を及ぼす面で、一方の「和魂(にぎみたま)」は神の優しく愛情に満ちた面を表わしています。

 たとえばスサノオノミコトは、高天原(天上界)で乱暴を働き追放されますが、その後出雲に降り立ちヤマタノオロチを退治し、出雲の国固めをしました。キリスト教のように神=善・サタン=悪と二分するのではなく、一神が持っている二つの側面として捉え、荒ぶる神も崇敬する「神道」に興味を持ちました。そして、日本の神々を探究し、絶対神に囚われない日本人の宗教観の背景にあるものを知りたいということが、私達の活動の起因となりました。


 私達の旅は日本各地の神社を訪れ、その祭神や縁起を調べることから始まったわけですが、すっかり観光地された有名な神社から、村の片隅にひっそりと鎮座する社まで、それぞれに古くから伝わる伝承や歴史があり、鳥居をくぐり神域に足を踏み入れると、辺りに漂う清浄な空気から、そこが祈りを捧げ祭りを行なう場であることが窺い知れます。
花窟神社

 多くの神社には御神体(神が降臨する時に媒体となるもの…鏡・剣・石など)を祀る本殿、参拝するための拝殿などがありますが、神社探訪を続けるうちに本殿を設けない神社があることを知りました。たとえば奈良の大神神社は、背後にある三輪山が御神体であり、三重の花窟(はなのいわや)神社は高さ70mの巨岩が御神体で、山または巨石そのものを神として祀っているのです。

 神社の変遷を調べていくと、古代において神の座所は、山や滝、巨石など自然そのもので、祭祀はその都度祭場を設けて執り行われていましたが、恒常的なカミマツリのための施設として、社殿などが造営されたのです。そして、垣を巡らせて聖別することにより、イヤシロ地(プラスの気が満ちた場所)を開発から守り、現在まで保存されていることを考えると賢明だったのかも知れません。また神社にはほとんど神像が存在しません。これは、偶像崇拝の必要性がないほど、霊的に神を感知し交信することができたからではないでしょうか。
熊野那智大社の御神体・那智の滝
 古来日本においては、人間のような姿をした神像が神ではなく山や川、森、滝、雨や雷など至る所に神は存在していました。つまり、“世の中の生きとし生けるもの、自然の織り成す森羅万象すべてを神として称え、崇め祀る”という宗教観を持っていたのです。自然は人間生活に欠くことのできない水や火、草や木、土の恵みを与えてくれる源であり、自然により自分達が生かされていることを熟知しており、自然のルールを乱すことは生命の危機につながることを、古代人達は感覚的に認識していたのでしょう。

 また、西欧のように「神は人間より高い位置に存在するもの」という考え方に比べると、身の回りのどこにでも存在するものとして捉えることは、神との距離感がなかったと言えます。神社とは、命の糧である豊穣や大漁を祈願し、その恵みに感謝する場所であり、神からの啓示を受け、神とつながり共に生きていくことを再認識する場所であったのだと思います。


 物質的に恵まれている現代では、神を意識しなくても人間は容易に生きてはいけます。しかし、科学の限界が見えた今、方向を転換しなければ至福の21世紀を迎えることができないのではないのでしょうか。私達は自然と人間を一体のものとして考え、畏敬の念を持って接し、自然の恩恵に素直に感謝していた古代日本人の純粋な精神性を呼び覚まし、物質本位・人間至上主義の考えを改めなければならないと思います。

 相反するもの<強>と<弱>・<善>と<悪>など、すべて対極にあるものは片方だけでは存在できないのです。言いかえれば強者や弱者があるからこそ強者として存在できるのであり、それぞれを独立した存在として見るのではなく、一つの側面として捉えるべきではないのでしょうか。地球環境問題も一元論的な思考への転換、つまり今まで別々に扱ってきた人間(物質)と自然(精神・神)とを融和させ、共存しバランスを保っていくべきものであるという見解へと、私達が意識改革することで解決できると思います。古代からの教えは、神は私達の身の回りに存在するもので、神と共にあることを「惟神=カンナガラ」と言い、人間も自然の一部であることから、生命は神の「分魂=ワケミタマ」であることを示唆しています。

 ’91年から始まった「いけいけ日本探険隊」の旅は、古来より日本にある聖地を訪れ、古代と現代の価値観を比較検討することで、「生きる」ことのヒントが得られるのでは、という観点から始まり、いつからか「惟神の旅」と呼ぶようになりました。「惟神」とは、<神と共に>または<神の意のままに>という意味で、私達にとって多くのことを学ばせていただく旅となっており、それは現在でも続いています。そして、一人一人の人生そのものが、それぞれの「惟神の旅」であると思います。

∞ 海夢 ∞

 ホーム           ネクスト

水