<惟神の旅 長野編>

ピラミッドの発祥地は日本で、海外のものはそれが伝播したものだという説があります。私達は今まで、尖山・位山・葦嶽山などピラミッド説がある山を探訪してきましたが、今回ご紹介するのは’96年9月に訪れた長野県の皆神山です。加えて、神話時代の神の息吹を強く伝える中部日本きっての聖地・諏訪、修験道の聖地・戸隠の神社を中心に探訪しましたので、ご紹介いたします。

行                   程
第1日目 皆神山〜熊野出速雄神社〜天地カゴメ之宮〜岩戸神社〜善光寺    <長野泊>
第2日目 戸隠神社 宝光社〜中社〜奥社                         <諏訪泊>
第3日目 諏訪大社 上社前宮〜本宮〜下社春宮〜万治の石仏〜秋宮


−皆神山ピラミッド−

皆神山 皆神山(海抜643m)は長野市松代町の南東、有名な川中島合戦場跡近くにあります。位山・尖山・葦嶽山など日本各地には、ピラミッドと推定される山が多いことは今まで紹介してきましたが、自然の山を利用したり、造形したにしろそのすべてが三角形の山です。でも皆神山(643m)に限っては、これがピラミッドかと疑いたくなるような形状をしています。

 この謎に挑戦したのが山田久延彦氏で、皆神山は円錐形をした未完成のピラミッドで、完成して頂上まであれば高さ350m、基底部が1450mになり、世界最大(エジプトのピラミッドは高さ146m、基底部230m)の人口ピラミッドであると説いています。また、一説には皆神山の地下には巨大な楕円空間があり、その空洞が崩壊し、山頂部が大きく陥没したとも言われています。

 頂上には「世界最大で最古の皆神山ピラミッド」「謎の皆神山ピラミッド物語」のタイトルで驚きの内容の看板が建てられていました。要約すると、「皆神山は今から2〜3万年前の超太古に、古事記に出てくる須左之男命により造られた。当時は現代科学とは全く異質ではるかに優れた高い知的能力を持つ人類で、造山方法も人の労力ではなく、土砂石を浮遊させ空間移動させるといった方法で、この盛土的山塊が自重により電磁波が生じ、電磁反発飛昇体(UFO?)が垂直に離着陸ができるという効果がある。造山の目的も、墳墓ではなく地球上の各地や、宇宙空間への航行基地として造られた。」 と書いてありました。現代科学では解明できない未知のパワーや異質の先史文明の存在は、各地に残る巨石群や古代遺跡を目の当りにすると、あながち荒唐無稽な話ではないと実感することができます。この一文も、現代の価値観を持って判断するのではなく、先入観抜きで直観で感じ取るべき性質のものではないかと思います。

<熊野出速雄神社(皆神神社)>

熊野出速雄神社頂上の看板には祭神についても記載してありましたので、内容をそのままご紹介します。
「超太古の宇宙航行基地である皆神山の祭神は、従って高度の知的能力集団で、みんな宇宙航行や宇宙基地に関係する次の四神です。
熊野出速男命…宇宙船(天の羅摩船)等の航行の技術、管理を引き継いだ最後の集団で、北信地方の開拓祖神。
少名毘古那神…宇宙船で皆神山航行基地を離着した大国主命の参謀集団。
泉津事解男神…皆神山航行基地をはじめ、全宇宙基地を管理した集団。
速玉男神…地球周回軌道の人工衛生(宇宙航行の中継基地)の技術者集団。
このように皆神山は、神々が活躍した基地であり、宇宙船で現れたり姿を消したりしたので自然人たちは、神聖な山=高天が原として崇め、後世に伝えたものです。」

<天地カゴメ之宮>

天地カゴメ之宮 社の右手には、建立由来を記した石碑が建っています。それによると「皆神山は古代より地球上において、神界で選ばれた唯一の聖地である」と書かれていました。なお、このお宮は個人的に祭祀されたもののようです。





<岩戸神社>

岩戸神社 内部岩戸神社 皆神山登山口から少し登ったところに、岩戸神社があります。看板には,皆神山ピラミッドの入口ではないかと言われ、その奥は謎とされていると書いてありました。入り口は神社と言うよりも古墳のようですが、中に入ると石を積み上げて造った明らかに人工的な建造で、未完成の人工ピラミッドであると言う説が、思わず頭に浮かんできました。


【長野市松代から地蔵峠へ向かう途中、左手に看板あり 長野駅前より車で30分程】

 大正4年発行の「信濃国皆神山御山陵付近説明地図」の説明書に、皆神山にある小丸山御陵がアマテラスオオミカミの御陵であったと言う説が、記載されています。その真偽のほどはさておき、皆神山が本州の中央、ヘソの位置に相当することから、特別の意味を持つ山として多くの人々から崇め奉られてきたのは事実です。以前にご紹介したことのある、大本の出口王仁三郎も、皆神山を聖地として訪れ、山頂には大本の碑が建っていました。

 また、多くの人を引きつける要因として熊野出速雄神社の宮司は次のように語っています。「最近では、ドイツ、フランス、スイスといった外国からも、神道や仏教関係の信者がわざわざ皆神山にやってくるので驚きですよ。−中略−各宗派の一致した意見では、山の霊気がとくに強いといいます。」(サンデー毎日)山の霊気とは、山が発するエネルギーのことではないかと思います。皆神山が人工造山であるか、太古に現代とは異質の先史文明があったかどうかを、現代の価値観で論じることは無意味で、大地からエネルギーが強く噴出しているところは聖地であり、人々を引きつける、ただそれだけで充分なのではないでしょうか。


−善光寺−

善光寺 「一生に一度は善光寺参りを…」と言われ、全国から参拝者が集まる善光寺。その創建は7世紀末頃で、一宗一派に偏せず参詣した人すべてを極楽へ導くと説いているところが、人々の崇敬を集めてきた点でしょう。本尊の一光三尊阿弥陀如来立像は日本最古の仏像とも言われ秘仏ですが、ご分身である前立本尊は7年に1度開帳されます。高さ20mの檜皮葺きの山門の最奥に、間口約24m、奥行き約53m、高さ約27m本堂がどっしりと構えています。入母屋二重造りの大屋根を支える柱の数は108本で、仏教で説く人間の煩悩の数に合わせているそうです。本尊が祭られている厨子の下に真暗な回廊があり、これを手探りで一巡しながら本尊の真下にかかる鍵に触れると極楽往生が約束されると言う、お戒壇めぐりは一驚です。

【JR長野駅から約2k、バス10分】


−戸隠神社−

 戸隠神社は奥社・九頭龍社・中社・日之御子社・宝光社の5つの社の総称で、創建は不明ですが平安時代に山岳仏教の影響で開かれたとの説もあり、修験道との関わりも深い神社です。それぞれの社殿は、樹齢数百年を経た老杉が鬱蒼と繁る林の中に、ほぼ1.5kから2kの距離を隔てて孤立して建っており、岩戸開き神話にゆかりのある神々を祭っています。

岩戸神話:アマテラスオオミカミが弟スサノヲノミコトの起こした騒動に怒り、天の岩屋に身を隠しこの世は闇に包まれた。知恵者のアメノオモイカネのミコト(中社の祭神)の一計で宴を岩屋の前で開き、アメノウズメノミコト(日之御子社祭神)が神楽を舞っていた。アマテラスが戸を開けて覗こうとしたところ、優れた神力を誇るアメノタジカラオノミコト(奥社の祭神)が岩戸を投げ飛ばしてしまった。岩戸は信濃の国の山深くに達し戸隠山となり、その地を戸隠と呼ぶようになった。

<宝光社>

宝光社 長野市内から戸隠バードラインを通り、戸隠村へ入るとまず最初にあるのが宝光社で、杉の古木が両側に繁る石段を200段ほど登ると境内に出ます。祭神はアメノウワハルノミコトでオモイカネノミコトの御子にあたり、父神とともに岩戸神楽の奏楽を考案した神です。本殿は神殿造で、その前の拝殿の屋根は寺院を思わせる柔らかな弧を描いていて、神仏混淆(しんぶつこんこう)時代の名残を留めていました。江戸末期の建造で、特に目をひくのは、拝殿の棟木や柱にびっしり彫られた龍や天馬、獅子、鶴、亀などの彫刻で、その見事な透かし彫りを拝観するだけでも歴史の深さが偲ばれます。


<中社>

中社 宝光社から約1.5kのところにある中社周辺はみやげ物店や旅館が建ち並び、観光地の様相を呈しています。境内へ上がると、広場の大鳥居を囲むように正三角形に植えられた3本の杉の大木がまず目をひきます。1078年に分祀された神社で、戸隠神社の社務所がおかれていて、請願祈祷やお神楽の奉納が行われます。岩戸伝説を取り入れた太々神楽は、最古の様式を残す神楽として有名で、春夏秋の例祭の他随時奉納されるそうです。3本杉は、祭神の子孫が植えたという説と、人魚を殺した若狭の八百比丘が戸隠の象徴と、失った3人の子供の供養を兼ねて植えたという2説があります。いずれにせよ樹齢900年とも言われ、戸隠の古き時代を偲ばせる御神木です。


<奥社>

              

 中社から2kほど行ったところに奥社参道入口があります。奥社の社殿は、ブナの大木が繁る林の参道をここからさらに2kほど歩いた先にあります。ほぼ中間にある茅葺き屋根に朱塗りの随神門をくぐり進むと緩い登りになり、真っ直ぐに延びる参道の両側には樹齢約400年と言われる杉並木が続き、かつての修験道の大講堂屋敷跡や院坊跡の礎石が苔蒸して、神秘的な雰囲気が漂っていました。

 入口より約30分、最後の石段を上がりきると奥社に着きます。社殿の背後には険しい戸隠連峰がそびえ、神話伝説と自然が融合する荘厳な眺めです。奥社は戸隠信仰の原点と言える神社で、境内には天の岩戸を開けたアメノタジカラオノミコトを祀っている奥社と、それより古い時代からこの土地の地主神であるクズリュウオオカミを祀る、九頭龍社の2つの社殿があります。数百mも切り立った断崖の中段に建つ社殿は、厳しい風雪に晒され何度も建て替えられてきたそうです。現在の社殿は昭和39年の再建で、木立に囲まれ佇む重厚な風情は、神話や修験道の昔を彷彿とさせます。

【長野市街から戸隠バードライン経由で約26k】


−諏訪大社−

 奇祭、御柱(おんばしら)祭で知られる諏訪大社は諏訪湖の南に上社、北に下社があり、上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮に分かれていて、計4ヶ所に鎮座するという特殊な形態を持つ神社です。地勢が諏訪湖によって南北に分断されていることや、先住勢力と後続の勢力との間の対立が影響していることが、その理由とも言われています。創建の年代は定かではなく、伝えられるところでは1500〜2000年ほど前ということで、「延喜式神名帳」には信濃国の第一座に記されているので、かなり古くから格式の高い神社だったことは確かなようです。そして、「古事記」の国譲り神話に、諏訪大社建立の起源が記されています。

国譲り神話:諏訪大社の祭神であるタケミナカタノミコトはオオクニヌシノミコト(出雲大社の祭神)の二男で、父と兄であるコトシロヌシノミコトと共に中つ国の国造りに励んでいた。そこへ高天原を治めるアマテラスオオミカミが中つ国を自らの傘下に入れようと、タケミカズチノミコトとアメノトリフネノミコトを遣わし国譲りを迫った。コトシロヌシはおとなしく引き下がってしまうが、タケミナカタは使いの神に力競べを挑んだ。しかし手もなく負かされて諏訪まで逃げ、この地より外へ出ないことを誓い降参した。以来ここに居を定め、やがてヤサカトメノカミを娶り、両神共に諏訪大社に祀られるようになった。

<上社本宮>

上社本宮 4社の中で最も規模が大きく、参拝者も多い社です。本殿はなく、御神体は背後の守屋山で、原生林が生い繁り神社の荘厳さを増しています。四隅には御柱が建てられていて、社殿は幣殿の左右に片拝殿が並ぶ形になっていて、諏訪造りの代表的なもので、一種独特の形式を備えています。祭神はタケミナカタノミコトで、現在の社殿は1831〜38年に8年をかけて再建したもので、波のすかし彫りに千鳥を配した木鼻や、片拝殿の正面欄干の鶏の彫刻などが見事です。

【JR上諏訪駅から諏訪バスで20分】

<上社前宮>

上社前宮 本宮から1.5kほど南東にあります。祭神はヤサカトメノカミで現在では4社の中で最も小さいのですが、上社の大祝(おおほうり 役職名)を務めた神氏(後の諏訪氏)の居館があった場所で、祭祀の中心地だったそうです。タケミナカタが最初に住んだところと伝えられ、豊富な水と日照が得られる良き地であり、諏訪信仰発祥の地と言われています。現在の社殿は昭和7年、伊勢神宮の御用材で造営されたものです。社殿左後方の小高いところはタケミナカタの御神陵だと伝えられているそうです。


【JR茅野駅から諏訪バスで8分】

<下社春宮>

下社春宮 下社の祭事は春・夏は春宮、秋・冬は秋宮で行なわれます。春宮は交通の便があまり良くないせいか、閑静な佇まいでした。祭神はタケミナカタ・ヤサカトメノカミで、2月1日から7月31日までは春宮に、8月1日から1月31日までが秋宮へと、交互に鎮座するそうです。正面の神楽殿は1680年代のものに、最近では昭和元年に大改修が行なわれています。幣拝殿と左右の片拝殿は1778年の竣工で、本殿はなく御神体は御神木である杉の木です。社殿の西方境内の脇を流れる砥川の中州にある浮島神社は、どんなに大水が出ても流れず、下社の不思議の1つになっているそうです。

【JR下諏訪駅から徒歩20分】

<下社秋宮>

下社秋宮 境内には“根入りの杉”と呼ばれる大杉が立っていて、奥に神楽殿と幣拝殿と左右片拝殿があり、春宮と同じ構造・配置で、祭神も同じです。春宮同様本殿はなく、拝殿の奥の神明造りの建物は御宝殿と呼び、その奥の林にある一位の木が御神体です。現在の拝殿は1781年、神楽殿は1835年の創建で、神楽殿の大きな注連縄は出雲大社型の注連縄では、日本1長いと言われ重さは約500kもあるそうです。




【JR下諏訪駅から徒歩10分】

 諏訪大社は、本殿を持たない神社としても有名です。現在日本の神社は本殿祭祀の形態がほとんどですが、数少ない太古の自然崇拝を守る神社は、その意味においても重要な位置を占めているのではないかと思います。
また、すべての社の四隅には神域を守るように御柱が建っていて、山から大木を伐採し、木落とし、建て替えの一連の御柱祭は寅と申の年、6年に1度開催される盛大で勇壮なお祭で有名です。


−万治の石仏−

万治の石仏 下社春宮の境内から浮島神社を越して対岸に渡り、畑の中の小道を抜けると、万治の石仏があります。田んぼの中にどっしり座るこの石仏は、高さ2mほどの半球の自然石に仏頭を乗せた何とも奇妙な仏様です。かつて諏訪大社の鳥居を造った石工がこの石にノミを入れるとそこから血が流れたので、仏頭を乗せて乗せて祭ったという伝説が残っているそうです。胴体に万治3年(1660年)11月1日と刻まれているのがその名の由来ですが、一説には、昔船で漂着したイースター島人が天竜川をさかのぼって諏訪湖にやって来て、この像を刻んだとも言われています。どこか日本離れした姿が、見る者の想像を膨らませてくれる石仏です。かの岡本太郎画伯も絶賛し、新田次郎氏も南米イースター島から渡来した首というモチーフで小説を書いたそうです。

【下社春宮から徒歩5分】


−終わりに−

 大地のエネルギースポットには、必ずと言っていいほど神社や古代遺跡があります。太古のままの遺構が現存していたり、色々な要因が影響して神社に姿を変えたり様々ですが、そこが聖地であることには変わりありません。諏訪独特の4本の柱に守られた神社や、天河の裏だと言われる戸隠を巡り、日本は本当に不思議の国だと実感しました。諏訪大社本宮の拝殿前で、相棒の月ノ宮はなぜか懐かしい感覚が溢れ出し、感慨深く涙したそうです。聖地という空間に身を置いた時に湧き起こる特別な感覚は、自分自身の内なるどこかに覆い隠されている遠い過去の記憶を、目覚めさせようとしているのかのようです。私達の旅は、忘れられた何かを思い出す旅なのかも知れません。

∞ 海夢 ∞

        
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