<惟神の旅 伊勢・熊野編>

’97年5月、4年前に式年遷宮を終えた伊勢神宮をはじめ、大本に関連のある活動を続ける至恩郷・錦之宮、そして浄土信仰の地、熊野を訪れました。

行           程
1日目 伊勢神宮外宮〜内宮〜月読宮
2日目 阿須賀神社〜熊野本宮大社〜玉置神社〜花の窟神社〜熊野那智大社
3日目 至恩郷〜錦之宮〜熱田神宮


−伊勢神宮−

[祭神と由緒] 伊勢神宮は、皇大神宮(内宮)・豊受大神宮(外宮)の2つの正宮を中心として、別宮・摂社・末社・所管社125社を含めての総称で、20年に1度の式年遷宮をはじめ、今も多くの古代の儀式を伝承する神秘の聖地です。内宮の祭神はアマテラスオオミカミで、御神体は三種の神器のひとつ八咫鏡(やたのかがみ)です。皇室の祖神であるアマテラスは、その昔皇居内に祀られていましたが、崇神天皇の御代に宮中を離れ各地を巡幸した後、ここ伊勢の五十鈴川川上に鎮座されました。外宮は食物神であるトヨウケオオミカミを祀り、その由緒は、雄略天皇の夢に「トヨウケオオカミを近くによんでほしい。1人では食事も安心して食べられない」とアマテラスのお告げがあり、内宮より6km離れたところにある山田の原に祀られることとなったそうです。

[式年遷宮] 正殿をはじめ御垣の中の建物すべてが新しく建て直される式年遷宮は、天武天皇の御代に制度化され、第1回が内宮で行われたのは690年のことです。以来、戦国時代に中絶するという事態に見まわれながらも、1300年にわたって続けられ、1993年秋には第61回の遷宮が行われ、次回は2013年とのことです。

[社殿] 掘立柱に萱の屋根が特徴の神宮の建築様式は、唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と呼ばれ、弥生時代にまで遡る高床式穀倉の姿を今に伝えています。正殿の造営の際まず最初に建てられる柱が「心の御柱」(しんのみはしら)で、正殿中央の床下にあり用材の神事の時から秘祭として執行し、建てられた後も覆屋で隠され、見ることも触れることも語ることもできない神聖な柱なのだそうです。

−外宮−

外宮 トヨウケオオミカミは内宮のアマテラスオオミカミの食事を司る神様で、ここ外宮では御鎮座以来絶えることなく毎日朝夕、オオミカミに神饌を奉る祭りが行われています。このことからトヨウケは、お米をはじめ衣食住の恵みを与えてくれる農・産業の守護神といわれています。内宮鎮座より遅れること481年、雄略天皇の御代の創建です。

 外宮前のバス停から火除橋(ひよけばし)を渡り神域に入るとすぐ手水舎があり、向かいに立つ樹齢800年の大クスノキは平清盛が参拝時に冠に当たる枝を切らせたといういわくつきで、「清盛楠」と呼ばれているそうです。正宮は、外から板垣、外玉垣、内玉垣、瑞垣の4重の垣に囲まれて、正殿と東宝殿、西宝殿が建っています。ほぼ内宮の正宮と規模や造りは変わりませんが、鰹木が内宮より1本少なく、千木が外削(先端が垂直に切られている)になってます。外宮には宮域内に3所、宮域外に1所の別宮があります。以下、外宮の別宮を紹介します。

【JR・近鉄 伊勢市駅から徒歩5分 】

●土宮 ●

土宮 豊受大神宮大前の御池にかけられている亀石を渡ると右手に、オオツチノミオヤノカミを祀る土宮があります。祭神は往古より山田の原の守護神として崇敬されていて、宮川の堤防を守って洪水を防ぐ神としてとして末社から摂社を飛び越えて正宮に次ぐ別宮に加列されたそうです。


●風宮●

風宮 土宮の反対側にシナツヒコノミコト・シナトベノミコトを祀る風宮があります。風雨を司る神で、元寇の時に神風を起こしたとして、別宮に昇格したそうです。元来風宮は風雨の災害なく農作物が順調に成育するようにと祈りが捧げられる社であったのに加えて、元冦以来国難に際しても風宮にて平安祈願が行なわれるようになったとのことです。

●多賀宮 ●

多賀宮 土宮・風宮を過ぎ、正面の98段の石段を上がると、トヨウケオオミカミノアラミタマを祀る多賀宮があります。小高い丘の上に鎮座していることから、古来高宮とも呼ばれていて、荒ぶる魂は活発なエネルギーの象徴で、何か事を始める時にお参りするといわれています。他の3宮が後年別宮に列せられたのに比べ、多賀宮は外宮の第一別宮として古くより特別な待遇を受けてきた古社です。外宮・内宮の14の別宮の中でも、内宮の荒祭宮とともに重きが置かれ、式年遷宮の際この2宮だけは正宮に引き続き真っ先に斎行されるそうです。

●月夜見宮 ●

月夜見宮 JR伊勢市駅前から南に10分、また、外宮から北に徒歩で10分で、木々の生い茂った月夜見宮があります。外宮の宮域外にある別宮で、ツキヨミノミコト・ツキヨミノミコトノアラミタマを祀り、一歩神域に入ると町中のお宮とは思えない清らかな静けさが感じられます。祭神のツキヨミはアマテラスの弟神で、父神イザナギより夜の世界の統治を命ぜられた神です。古くは高河原(たかがわら)と呼ばれ農耕と深いつながりのある社で、鎌倉時代はじめ摂社から別宮に昇格されたそうです。


−内宮−

内宮 内宮への入口、五十鈴川にかかる宇治橋は、日常の世界から神聖な世界へのかけ橋といわれています。宇治橋外側の正面から見る大鳥居の姿は感動的です。橋の両たもとに建つ高さ7mの大鳥居は、式年遷宮の度に内側は内宮の、外側は外宮の棟持柱を使って建造するそうです。宇治橋を渡ると玉砂利が敷きつめられた参道が広がり、途中神聖な川、清浄な川として知られる五十鈴川の御手洗場に下りて、心身ともに清めてから参拝するのが慣わしです。

 ’96年で鎮座2000年を迎えた内宮の正宮は、外宮と同じく4重の垣に囲まれて屋根だけが見えます。その屋根に乗った千木が内削ぎ(切り口が水平)で、鰹木が10本なのが外宮との違いです。

内宮には宮域内に2所、宮域外に8所の別宮があります以下、内宮の別宮を紹介します。

【近鉄 宇治山田駅からバス15分】

●荒祭宮●

荒祭宮 荒祭宮は正宮の北方、やや小高い所にあって、アマテラスオオミカミノアラミタマを祀っています。正宮参拝を終え参道を戻ると、旧正宮のあった古殿地の西南の隅に苔むした籾種石(もみだねいし)という大きな岩が目を引きます。その岩組みを見ながら右へ進むと、御稲御倉(みしねのみくら)があり、つきあたりの外幣殿(げへいでん)を過ぎると、正宮の裏側(北側)に出ます。さらに進むと左手に下りの石段があり、「踏まぬ石」(これを踏まずに歩くのが慣わしとされている)を捜しながらここを降りると、前方やや小高い場所に荒祭宮を仰ぎ見ることができます。荒祭宮は、内宮に所属する10別宮のうち、第一に位していて、社殿の規模も他の別宮よりも大きく、第一別宮として正宮に次ぐものです。

●風日祈宮●

風日祈宮 内宮神楽殿授与所の向い側、奥の方に鳥居と宇治橋に似た橋が見えます。この橋は風日祈宮御橋(かざひのみのみやみはし)とも五十鈴川橋ともいわれており、その橋を渡ると右手に風日祈宮があって、祭神はシナツヒコノミコト・シナトベノミコトです。雨風は農作物に大きな影響を与えますので、古より正宮に準じてお祭りしているそうです。



●月読宮●

月読宮 外宮と内宮を結ぶ県道(御幸道路)の中間、道路沿いのこんもりと茂った森の中に内宮別宮の月読宮があります。向かって右に月読荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)、左に月読宮(つきよみのみや)、伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、伊佐奈弥宮(いざなみのみや)の4宮が並立していて、祭神は順にツキヨミノミコトノアラミタマ、ツキヨミノミコト、イザナギノミコト、イザナミノミコトです。

 外宮の別宮月夜見宮のご祭神とご同神ですが、月夜見宮では「月夜見尊」の文字が、ここでは月読尊の文字が用いられています。また、外宮の月夜見宮は、ツキヨミとアラミタマが1つの社殿に合わせてお祀りされていますが、月読宮ではそれぞれご殿を分けて祀られています。

【JR伊勢市駅からバス15分 中村町下車】

●倭姫宮●

倭姫宮 御幸道路の中ほどに松の緑もあざやかな丘があり、倉田山と呼ばれています。ここには神宮徴古館・農業館・美術館・神宮文庫・皇学館大学等があり、これに接する森が倭姫宮の宮域です。祭神はヤマトヒメノミコトで、第11代垂仁天皇の皇女です。2代目の斎王(斎宮)としてアマテラスに奉仕し、諸国を巡幸した後、伊勢の国に入り現在の地に神宮を創建され、その功績を称え大正12年内宮別宮として、宮が創立されたそうです。神宮には諸宮社が125社ありその由緒は極めて古く、奈良時代以前に遡るものが多いのですが、倭姫宮は創立が極めて新しいのです。

【JR伊勢市駅・近鉄宇治山田駅から三重交通外宮・内宮循環バス 倉田山下車すぐ】

●瀧原宮●

瀧原宮 宮川をさかのぼること約40km、その支流大内山川が深い渓谷をなして流れる山間に瀧原宮はあります。昔から「大神の遙宮(とおのみや)」と呼ばれていて、瀧原宮と瀧原竝宮(たきはらならびのみや)の2社が建っていて、祭神は共にアマテラスオオミカミノミタマです。
倭姫命が巡幸の途中、「大河の瀧原の国」という美わしい土地があったので、この地に草木を刈り払って新宮を建てられたのが、瀧原宮の起源です。

【JR滝原駅で下車、約1.5km】

●伊雑宮●

伊雑宮 三重県志摩郡磯辺町上之郷に鎮座する伊雑宮の祭神はアマテラスオオミカミノミタマで、一般には「イゾウグウ」とか「イソベさん」と呼ばれていて、古くから内宮の遙宮(とおのみや)と称せられています。創立は、約2000年前の第11代垂仁天皇の御代のことで、伊勢神宮鎮座の後、倭姫命が神宮へ奉る御供物を採る所を定めるため志摩国を巡行の際に、イザワトミノミコトが奉迎して、この地に伊雑宮を創建して、アマテラスの御魂をお祀りしたと伝えられています。志摩地方第1の大祭で有名な御田植式は、一般に「御神田(おみた)」と言われ、国の重要無形民俗文化財です。宮域の南に隣接するご料田で毎年6月24日に行われるそうです。

【近鉄志摩線上之郷駅下車徒歩約3分】


−阿須賀神社−

阿須賀神社 熊野発祥の地と伝えられる古社で、社伝によれば紀元前423年に創建され熊野三所権現を祭神とし、熊野三山に準じて尊崇を集めたそうです。広い境内には朱塗りの社殿をはじめ、稲荷神社、徐福の宮、無学祖元の詩碑などが立ち並んでいます。後者2つは不老長寿の薬を求めて秦から渡来したといわれる徐福ゆかりのもので、境内には徐福が求めていたという天台烏薬が茂り、社殿の背後には薬草を採取したとも麓にすんでいたとも伝えられる阿須賀神社の神体山、蓬莱山があります。除福の宮は、徐福を祭った石造りの祠で、現在のものは1985年に建立されたそうですが、幕末の「新宮本社末社図」にも同所に「徐福宮」とあることから、古くから徐福が祭られていたそうです。

【新宮駅から徒歩10分】


−熊野本宮大社−

熊野本宮大社 熊野本宮大社は、全国に3000以上ある熊野神社の総本山であり、那智大社・速玉大社を合わせた三山を参詣する熊野詣の成就する場所でもあります。平安中期、熊野は阿弥陀の浄土とされ、この地に行けば極楽往生ができると信じられ、宇多法皇をはじめ歴代の天皇や貴族たちが相次いで訪れ、その様子は"蟻の熊野詣"にたとえられるほど熊野へ参拝する人は後をたたなかったそうです。本殿へと続く参道の両脇には幟がなびき、生い茂る杉木立が幽玄の世界へと誘います。石段を登りつめた正面に神門、左手に拝殿、奥に14柱の神々を祭る社殿があります。主祭神はケツミノミコノオオカミ(スサノオ)で、創建は神武東征以前と伝わり、明治22年に大水害で流失するまでは近くの大斎原(おおゆのはら)に鎮座していて、翌々年現在地に移転再建されたそうですが、檜皮葺の社殿は古色蒼然とした落ち着きがあり、厳粛な趣がありました。

【JR新宮駅から熊野本宮方面行バス80分 本宮大社前下車すぐ】


−玉置神社−

玉置神社 お札 玉置神社は大峰・金峯と熊野とを結ぶ大峰山脈最南端の玉置山(1077m)の9合目に位置し、祭神はクニトコタチノミコト・イザナギノミコト・イザナミノミコト・アマテラスオオミカミ・カムヤマトイワレヒコノミコト(神武天皇)です。熊野本宮には玉置神社の遥拝所があるように、熊野三山の奥の院として信仰されていて、神仏習合の時代には境内に7坊15寺の神宮寺があったといわれ、大峰修験の一大聖地だったそうです。

 社伝によれば、創建は崇神天皇の頃というから今から約2000年も前になります。本殿の裏手にはさらに古い樹齢3000年の巨杉が枝を広げており、他にも夫婦杉・大杉・常立杉・磐余杉・浦杉と名づけられた巨木が境内を取り巻いています。本殿は豪壮な入母屋造りで、神武東征の際、十種の神宝(とぐさのかんだから)を鎮めた地とか、平資盛が安徳天皇を擁し三種の神器の剣と鏡を奉持して玉置山中に隠れ、その子孫が玉置神社の社掌となったというような伝説もあるそうです。不便な立地ゆえ熊野三山に比べると訪れる人も少なく、あまり知られてはいませんが、近くの天河神社とともに一部の神道関係者からとても重要視されている神社です。

【本宮大社から国道168号線を北上 20k約80分 駐車場より徒歩20分 】


−花の窟神社−

花の窟神社 イザナミノミコトとカグツチノカミを祀っている神社で、鳥居脇の石塔には「日本最古 花の窟神社」と記されています。『記紀』には、イザナミが火の神であるカグツチを生んだことから死んでしまうという国生み神話がありますが、その遺跡の神社で、亡くなったイザナミを葬った場所、すなわち墓がこの神社ということです。花の窟神社には社殿がなく、幅60m高さ70mもある巨岩がご神体で、太古の自然崇拝の形態を残す神社です。また、この巨岩の向こうは黄泉の国へ通じる場所とも云い伝えられているそうです。



【JR熊野市駅からバス5分 花の窟下車】


−熊野那智大社−

熊野那智大社 駐車場からみやげ物店が軒を連ねる石段の参道を登る途中、那智の滝の巨大な瀑布が目に入ります。滝壷と飛瀧(ひろう)神社(那智大社の別宮)へは時間の関係上行けなかったのですが、遠く熊野灘からも遠望できる高さ133mの大滝は那智大社の起源でもあり、機会があれば目前でその水量の偉観を体感したいものです。

 石段を10分ほど登り鳥居をくぐると、白砂を敷きつめた境内に出ます。右手に朱塗りの拝殿があって、その背後に熊野造りの社殿5棟が立ち並んでいます。仁徳朝の創建で、熊野三山の中でも最もよく昔の姿を残しているといわれていて、主祭神はクマノフスミノオオカミ(イザナミと同神)です。 社伝には「神武天皇が熊野灘から那智の海岸に上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ神として祀り、その守護のもと八咫烏(やたがらす)の導きによって無事大和へ入った」と記録されています。 命の根源である水が豊富にあふれ落ちる那智大滝を、原住民の人々も神武東征以前からすでに神として奉祀していたとも伝えられています。

【JR那智駅から那智山行バス約30分 神社・お寺前下車徒歩10分】


至恩郷と錦之宮の創設の背景や沿革はタイトルをクリックしてください。

至恩郷

 三重県鈴鹿山脈の御在所岳のふもと菰野の地に至恩郷はあります。「日月神示」を自動書記により記した岡本天明氏の妻の三典(みのり)氏が主宰し、1963年天明氏亡き後も暗号のような神示の解読を続け、夫の遺作である神典類や美術品を護ってこられたそうです。近鉄四日市から湯の山線の終点湯の山温泉駅で降り、左手の酒店で道を尋ね、看板をたよりに歩くこと10分ほどで至恩郷に到着しました。庭を抜け、住居のような建物の先に道場があり、声をかけると品の良い夫人が出てこられ、すぐに応対して下さいました。まずは、月の宮に案内していただき、中にある天明氏の筆による見事な三貴神像を拝見しました。向かって右が日神、左が月神、中央が国常立大神が人類を抱いておられる図で、自動書記の最中にわずか30分で描いたそうです。次に美術品の数々が無造作に飾ってある道場を拝見し、三典さんは、これら貴重な美術品を展示する美術館を建設することが目標ですとおしゃっていました。最後に神殿に上がり、世の中の事象を数霊的に解釈するお話をうかがい、2ヵ月に1回発行されている「至恩通信」を頂戴し、至恩郷を後にしました。

参考:「日月神示はなぜ岡本天明に降りたか」 岡本三典著
【三重郡菰野町5833−2】


錦之宮

 至恩郷の1つ手前の駅、菰野駅よりタクシーで10分ほど行った、山のふもとに錦之宮はあります。大本裏神業(神の意志を実現するために、人間が代行して行なうという大本教系の秘教的神業。大本に関しては惟神の旅京都編参照)を担う団体で、創始者の辻天水氏が出口王仁三郎に命じられ第二次弾圧事件後より、活動を開始されたそうです。

 前もって来訪の意を伝えてあったため、辻恵子氏(天水氏ご子息の妻)は快く出迎えて下さり、オオクニトコタチノミコトを祀る祭壇に通され、お話をうかがうことができました。辻天水氏が逝去後、妻の登美古氏が神示を取り次ぎ、息子の辻公壽、恵子夫妻が秘儀を行なっていたが、諸事情により公壽氏は錦之宮を離れ、今は恵子氏が1人で宮を護っていること。正式参拝の仕方。言霊の発声方法などを語られ、特にパワフルな恵子氏の言霊には圧倒されました。

 ’95年の阪神淡路大震災は起こるべきして起きたそうで、これにより神戸すなわち神の戸が開かれたのだそうです。また、四国は重要な地で、4県の県庁所在地「うち」「くしま」「かまつ」「つやま」の初音をつなぐと「ことたま」になり、言霊の幸わう国で、剣山を動かさなければならないなど、貴重なお話しをうかがいました。今後も王仁三郎の霊示を受け、お役目を遂行されることと思います。

[錦之宮その後] 住所は下記に移転し、辻恵子氏が中心となり活動を再開。「錦之宮を守る会」を設立し、只今会員募集中とのことです。

【三重郡菰野町福村243−6 (0593)94−5307】


−熱田神宮−

熱田神宮 三種の神器の1つ草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀り、主祭神のアツタオオカミとは草薙剣を御霊代として憑るアマテラスオオミカミのことと考えられています。草薙剣は八咫鏡、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)と合わせて皇位継承の象徴とされる神器で、このため古来より伊勢神宮に次ぐ由緒ある大社とされ、皇室から厚い崇敬を受けているそうです。起源はヤマトタケルノミコトが伊勢の国で逝去したことを悲しんだ妃のミヤスヒメノミコトが、一族の斎場だった熱田の地に草薙剣を奉安したことに始まります。

 この剣は出雲でスサノオがヤマタノオロチを退治した時その体内から出た剣で、伝承によれば数奇な流転を繰り返し、最終的にこの地に祀られることとなったそうですが、詳細は<不思議の空間−神社>のページに掲載する予定です。玉砂利を踏んで巨木が覆う参道を行くと、伊勢神宮にならった壮大な社殿があります。6万坪の境内は、古来「蓬莱島(ほうらいじま)」の名で知られ、都会の中心地にありながら静寂がただよっていました。境内、境外には本宮・別宮他43社が祀られ、年間約60の祭典、10余の特殊神事が行なわれているそうです。

【名鉄 神宮前駅から徒歩5分】


−終わりに−

燈篭の六芒星 ’91年奈良・天河を訪れた際に撮った写真に、白い六芒星が点々と写っていました。ある人にお見せしたところ、伊勢神宮に行って見なさいと進言され、やっと念願かなって伊勢の地を踏むことができました。噂には聞いていた神宮へと向かう国道の両側に建つ燈篭に刻まれた六芒星を見た時、やはり不思議な感覚を覚えました。六芒星はダビデ紋とも言われユダヤのシンボルです。なぜその紋章が日本人の心のふるさとと言われる伊勢に刻まれたのか、聞くところによるとこの燈篭に関して伊勢神宮は何ら関知していないそうですし、実際神宮の苑内には存在しないのですが、明解な解答はないのが実情のようです。また、内宮の別宮、伊雑宮の御紋が六芒星であるという噂もあるそうで、宮中で祀られていたアマテラスが各地を転々とした後、なぜ伊勢に鎮座したのかという謎とともに、興味深いところです。写真に写った六芒星の意味は、私自身未だわからないのですが、今後何年かの間にすべてが明白になるような気がしてなりません。

∞ 海夢 ∞


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