<惟神の旅・東北編>

 東北4県(山形・秋田・青森・宮城)を巡る旅は、98年7月に4泊5日の日程で実施しました。かなりハードなスケジュールでしたが、疲労感よりも心の充実感の方が勝り、様々な感動を貰った旅だったと記憶しています。広大な水田がどこまでも続く風景と、深い森が育む原生の自然。そこには日本の原風景がありました。快晴の東北路は澄んだ空気と心地よい風、そして思ったよりも穏やかな日差しで、私達を迎えてくれました。

         行               程
 1 日 目  仙台駅山寺駅 <立石寺>→ 山形駅→ 鶴岡駅→ 湯殿山ホテル (泊)
 2 日 目  湯殿山ホテル→ <湯殿山神社>→ <月山登山>→ <月山神社上宮> 月山中ノ宮→
 月山八合目バス停→ 羽黒センターバス停→ 羽黒山頂→ <三神合祭殿>→ 参道下山→
  羽黒センターバス停→ 鶴岡駅→ 秋田 (泊)
 3 日 目  秋田→ <唐松神社(天日宮)>→ 秋田駅→ 弘前駅→ <岩木山神社>→岩木山9合目→
 <岩木山山頂>→ 下山→ <森のイスキア>→ 十和田 (泊)
 4 日 目  十和田→ <キリストの墓>→ <大石神ピラミッド>→ <奥入瀬散策>→ <大湯ストーンサークル>
 十和田 I C→ 盛岡 I C→ 盛岡駅→ 仙台駅→ 石巻 (泊)
 5 日 目  石巻駅→ 女川駅→ 女川港→ 金華山→ <黄金山神社>→ 登山→ 金華山山頂→ <大海祗神社>

 仙台からの移動距離約1300kにわたるこの東北の旅行は紀行文風にまとめてみました。
さあ皆さんも私達と一緒にミステリーゾーン<みちのく>へと旅立ちましょう。

東北行程MAP

− 1日目−

立石寺奥の院 仙台を出発した列車は45分ほどで最初の目的地である山寺へと到着した。
芭蕉の句で有名な<宝珠山立石寺>は慈覚大師により開かれた名刹である。駅を出て橋を渡り5分ほど歩くと登山口があり、石段を少し登ると根本中堂。開山当時比叡山より移された不滅の法灯が、1100余年を経た今でも燃え続けているという。

 悠久の歴史に思いを馳せつつ参拝をすませ、道なりに進むと山門。ここより奥の院まで1015段の石段が私達を待っていた。深い杉木立の中に続く石段の脇には、笠石・お手掛け岩・弥陀洞・お休み石・竜吻石などの巨石が点在し、それぞれの由緒を拝観しながら登るため急な石段も苦にならなかった。山門から30分ほどで中間点である仁王門に着いた。ここまでは昼なお暗い鬱蒼とした大木の中の登山道だが、仁王門をくぐると一転して太陽が降り注ぎ、展望もひらけてきた。ここより性相院・金乗院などの堂宇が点在しているが、観光客が多く混雑していたため参拝もそこそこに奥の院へと急いだ。

 登り始めて45分ほどで奥の院へ到着。参拝後、五大堂へ降り、下界の眺望を楽しんだあと下山した。
切り立った断崖に建つお堂や奇岩を眺めると、古よりの名だたる霊場であると実感できた。また、胎内堂や地獄谷・釈迦堂など、他にも探訪してみたいスポットがあったが、残念ながら今は立入り禁止区域で入れなかった。平日にもかかわらず想像以上に人が多かったため、芭蕉の「閑かさや…」の境地は味わえなかったが、時代は変わっても人々を引きつける魅力は変わらず、これからも存在し続けるのだと思って、山寺をあとにした。山寺から鶴岡へと移動し、今日の宿泊地である湯殿山に着いたのは午後8時半だった。


−2日目−

 午前6時半、ホテルの送迎バスにて<湯殿山神社>まで送っていただく。入口で裸足になりお祓いを受け入場する。写真撮影も禁止で、聖域に入るための戒律は今でも厳しく守られていた。祭神は大山祗神(オオヤマツミノカミ)他2柱で、古来より出羽三山の奥の院とされている。社殿はなく、ご神体は温泉の涌き出る茶褐色の巨岩で、自然崇拝の原形を今に留めていた。まずは出羽三山詣での安全をお祈りし、午前7時<月山>を目指し、沢沿いの登山道を進む。
風のささやきと水のせせらぎ、鳥のさえずりと人工的な音のない世界に身をおくと、体が自然の一部になったような気がした。さらに進むと月光坂と呼ばれる急登が待っていた。ほぼ直角に立てられたハシゴの連続を緊張して登り終えると、施薬小屋へと出た。こからしばらくは草原、灌木帯の中の緩やかな道となり、やがて姥沢ルートと合流し遠くに山頂が見えた。

月山登山MAP姥沢ルートとの合流地点















月山神社












 
 目標が確認できると力が湧いてきて、午前10時、険しい急登に喘ぎつつも頂上へと着いた。広々とした山頂の北端に、冬の厳しい風雪から社殿を守るように石垣に囲まれた<月山神社>が建っていた。入口でお祓いを受け、無事登頂のお礼の参拝をすませた。
高1980mの山頂からは日本海・鳥海山など雄大な景観が望まれた。晴れ渡った空と360度の展望は、3時間の険しい道のりに対する山からのご褒美のように思えた。


 十分山頂の“気”を充電した後、約20k離れた<羽黒山>を目指し、10時40分羽黒口ルートへ向けて山頂をあとにした。
下山途中は登山のピーク時間であったせいか多くの登山者とすれ違った。すれ違いざまに交わす短いやり取りの中に、東北特有の穏やかで暖かみのあるアクセントがうかがわれ気持ちが和んだ。12時30分月山神社中ノ宮に参拝し、湿原を抜け、12時45分月山8合目バス停到着。午後1時05分発のバスで<羽黒山>へ向かった。
羽黒山参道
 月山高原ラインを通り、市街地を抜け、午後2時羽黒センター到着。予定を変更して、バスで山頂まで行くことにした。羽黒センターから山頂まで約2kにわたる2446段の石段を登る体力は残っていなかったのである。
午後3時10分、標高414mの山頂到着。出羽三山神社<三神合祭殿>参拝。豪雪の冬は月山・湯殿山に参拝できないため、ここに三神を合わせて祀るようになったと伝えられている。丁度この日は例大祭(花祭り)で、多くの参拝者が山頂を賑わせていた。中には修験道の装束をまとった人もいて、前日の立石寺の賑わいとは全く違った雰囲気が漂っていた。
私達は今日1日の行程を振り返りながら、樹齢数百年の杉並木の中に続く参道を下って行った。

 この東北の旅での最優先の目的地は月山神社であった。祭神は月読命(つきよみのみこと)であるが、この神は古事記の神話において記述があまりにも少なく、とても謎めいた神である。出自はイザナギノミコトが黄泉の国の汚れを禊祓う時に生まれた神で、月(夜)の世界の統治を命じられ、同時に生まれたアマテラス・スサノオと共に「三貴子」として、八百万の神の中でも特異な神である。今と違い古人にとって闇の世界を照らす月の存在は重要であり、神と崇め祀ることは当然であるにもかかわらず、兄弟の二柱の神と比較できない描写は不自然であると、かねがね思っていた。また、全国に8万社を超える神社があるが、ツキヨミノミコトを祀る神社のなんと少ないことか。私達はこの不思議な神と面会を求めてその鎮まる地に立ち、聖地のパワーを全身で感じ取ろうと訪れた訳である。

 出羽三山は、月山・羽黒山・湯殿山の総称であるが、今日1日この三山を巡ってみて、修験道という共通点はあるものの、それぞれが持つカラーの違いに驚いた。
羽黒山は合祭殿・五重塔・随神門など、豪壮で迫力のある建造物がたたずむ歴史の深さが感じられる地である。一方湯殿山は湧出する温泉の成分が重積してできた自然巨石に山の神が降りるという、原始から受け継がれた自然崇拝の形態を保っている。また、月山は三山の主峰で、人里から隔絶された頂に自ら分け入ることにより、天(神)に近づき山の神気を得、下界で失われた生命力を取り戻す地のように感じた。山岳修験の出羽三山はそれぞれに独自の姿を持った修行の場であった。

 羽黒センター発午後4時45分のバスで鶴岡へ、さらにJRで秋田まで移動し、ホテルへの到着は午後8時過ぎとなり、長い1日は終わった。

−3日目−

唐松神社天日宮 午前8時、この日第1の目的地である<唐松神社>へと向かう。祭神は饒速日命(ニギハヤヒノミコト)で、神社内にある<天日宮>が探険ポイントである。社殿そのものには特異性はないが、基礎部分は全国にも例の無い独特の建築様式を備えている。自然石約10万個を用いて3段の円形ピラミッドを築き、その上に社殿があり周囲には堀を巡らしている。ピラミッド基底部の直径は約20mで、表面には玉石が敷き詰められている。築造は明治時代だが様式はたぶん太古からのもので、なぜこの神社だけに伝承されているのか宮司にお伺いしたかったが、時間的余裕がなく断念した。後ろ髪をひかれる思いで秋田を後にし、弘前へと移動した。


岩木山
 弘前でレンタカーを借りて、<岩木山神社>参拝の後、津軽岩木スカイラインを経て、午後3時<岩木山>8合目ターミナル到着。駐車場より9合目の鳥ノ海噴火口までリフトを利用し、さらに頂上まで30分ほどのヒルクライミングを楽しんだ。登山道は火山岩が散らばり、かつての噴火の形跡が生々しく残っていた。標高1625mの岩木山は、山そのものが岩木山神社の御神体である。古代、人々は荒々しく噴火する岩木山に神の姿を見出し、神聖な山として崇めたであろうことを思い、また眼下に広がるパノラマを堪能しながら下山した。



森のイスキア 次に向かった場所は、岩木山を下り車で10ほど行った麓の森の中にある<森のイスキア>と呼ばれる施設である。映画『地球交響曲第二番』に登場する佐藤初女さんにお会いするため訪問することにした。森のイスキアは全国から社会生活や人間関係に悩み疲れた人々が訪れ、滞在することで生きる喜びを再び獲得し帰って行く癒しのための施設である。主宰する佐藤初女さんはカトリック信者であるが、キリスト教の説教などは一切せず、ただ大地の恵みを受けた作物を使ったおいしい料理を食べさせ、傍らに座り黙って話を聞いてあげるだけで人を癒すのである。

 午後4時到着。あいにく彼女は不在であったが、奉仕の手伝いをしておられる方が私達を案内して下さり、中を拝見させていただく。まず最初に目に入ったのは、華美な装飾などなくそれでいて手作りの暖かさが感じられる祭壇である。脇には不思議な縁で到来した宗教画とパイプオルガンが古の趣をかもし出している。映画で紹介された「鐘」と共に癒しの手伝いをしたいと、自らの意思でここを選んで来たと言っているように存在していた。私はお祈りを捧げながら、時代を越え空間を越える巧妙な縁・運命について感慨を深めていた。

 1時間ほどお待ちした後佐藤初女さんが帰宅された。連日の取材でお疲れのようにお見受けしたが、快くお会いして下さった。移動の時間が迫っていたため20分ほどの会話であったが、その悠揚な物腰の内にある確固たる信念のようなものが感じられた。今後の活躍をお祈りしながら、森のイスキアを後にした。晴れ渡る空に見送りの鐘の音が鳴り響いていた。
 私達は様々な感動を胸に次の目的地<十和田湖>へと向かい、午後8時到着したホテルにて、おみやげにいただいた“おむすび”を頂戴した。映画の中で語られていた「自然界に満ちている生命エネルギーを食べ物に移し換えて人を癒す」ことを体験できて、またそのおいしさに歓喜の声を上げ、3日目が終わった。

 

−4日目−

キリストの墓 午前8時、十和田湖のホテルを出発。目指すは新郷村にある<キリストの墓>である。8時40分到着。きれいに整備された道を辿ると、小高い丘の上に十字架が立てられた小さな盛土塚が2つあった。<十来(トライ)塚>はキリストの墓、<十代墓>はイスキリの髪と耳を葬ったものだと書かれている。早朝のためか辺りは鎮まりかえり相対する塚の間に立っていると異空間に佇んでいるような気がした。

 『竹内文書』によるキリスト伝説−新郷村はかつて戸来(ヘライ)村と呼ばれ‘へライ’とはヘブライ語が訛ったもので、ゴルゴダの丘で処刑されたのは弟のイスキリで、キリスト本人は名を「十来天空太郎」と名乗り戸来村に定住しそこで果てたと言われる。村に伝わる古くからの風習や習慣の中にキリスト教的要素がみられる事が裏付け事実とされ、山根キク著『キリストは日本で死んでいる』では、キリストは霊能力を磨き独自の境地を開くため来日し、それは『新約聖書』の12才から30才までの空白の17年間にあたると断定している。

 基督教団や学者の立場からみると神を冒涜するような伝説であることは理解できるが、一方で偽書として学会から放遂された文献や、遠い祖先から受け継いできた文化に目を向けることも不可欠なことではないかと思う。何れにしろ真偽のほどは、この地を訪れる人それぞれの感性から受ける判断に任せれば
よいことであろう。

大石神ピラミッド  9時30分キリストの里を出発した私達は車で山中の農道を走り、15分程で<大石神ピラミッド>に到着した。鳥居をくぐり山中に分け入ると「鏡石」と書かれてある看板が目に入った。大半は地中に埋没しているが表面をびっしりと苔で覆われた直径10m以上はある巨石である。さらに奥に進むと「太陽石」「方位石」があった。資料によると「鏡石」は当時直立し表面(現在地中にある面)には古代文字が刻まれており、また「方位石」にある割れ目は正しく東西を示し、他に「星座石」も見られることから、太古この場所は太陽を礼拝するための祭壇であったであろうと判定している。私達はこれまで日本各地の巨石遺構やピラミッドと推定される地を訪れたが、どれも桁違いのスケールで、その運搬方法や加工・構築技術などを見ると、現代の物理学の概念では解明することができない別のパワーを持った文明が存在していたと思わざるを得ない。

 午後12時、十和田湖に戻った私達は十和田の自然にふれるため、奥入瀬を散策することにした。奥入瀬渓流は十和田湖から流れ出る唯一の川で、下流の白糸の滝までバスで移動し川沿いの遊歩道を約1時間ゆっくり歩いた。両側にある大小の滝や苔むす岩間を滑るように水が流れる風景を満喫してリフレッシュすることができた。午後2時、十和田に別れを告げ、南約20kにある秋田県鹿角へ向かった。

大湯ストーンサークル 午後2時30分、<大湯ストーンサークル>到着。野中堂・万座遺跡にある2つの環状列石は、縄文時代後期に造られたものといわれる。フェンスが張ってあったため、間近で見ることはできなかったが、重さ数10kgほどの石がおよそ1000個、直径40mあまりの円形に並べられている。その中に「日時計状組石」と呼ばれるストーンサークルがある。中心に直立する石柱を囲むように環状に石が配置され、その内の4個の丸い石は東西南北を示すように置かれているという。

 造られた目的は、祭壇説・墓地説・天文台説など見解は分かれているようだが、何か計り知れない4000年前の縄文人の叡智が潜んでいるような気がする。また、ストーンサークルを見下ろすようにピラミッドといわれる美しい三角形の山、黒又山がそびえていた。この2つは大地のエネルギーによって連動しているともいわれ、それに呼応するかのように、この付近ではUFOの目撃も多いとのことである。
 午後3時、私達は古代ロマンに満ちた青森から、途中噴煙をあげる岩手山を望み盛岡へ、さらに仙台へと移動し、午後9時前に石巻のホテルへ到着し4日目も無事終了した。


5日目−

金華山山頂 午前8時ホテルを出て、いよいよ最後の目的地である<金華山>へ向け女川港よりフェリーに乗船し、9時30分到着した。港より参道を登り5分ほどで五大弁財天の一つである<黄金山神社>に着き、参拝のあと頂上奥宮を目指し登頂を始めた。登り始めてすぐに滑石神社があり、原生林の生い茂る中さらに30分ほど進むと水神社があった。急斜面をしばらく登り、ふと降り返ると眼下に広々とした太平洋が望め爽快感を味わった。登山口より40分ついに標高445mの山頂へと着き、<大海祗神社>の航海の守り神に、この5日間の旅のお礼と導きへの感謝を申し上げた。

 神社の脇に石を積み上げて造られた高さ1m位、広さ1畳ほどのステージがあった。山頂は風が強く肌寒かったが、その上だけは何故か無風状態で、燦々と降り注ぐ陽の光を浴び、静寂に包まれた、ここがまさに金華山のエネルギースポットであると思った。私達は終わりに近づいた
旅を惜しむかのように、しばらくそこに佇んでいた。

 午前11時30分、往路を辿り下山した私達は、金華山港発午後1時20分のフェリーにて女川港までさらに仙台空港まで戻った。
万感の思いを胸に私達は帰路についた。いつかまた再び訪れることを夢見て…。


−終わりに−

 東北は古代遺跡の宝庫です。今回行けなかったスポットも数多くあります。たとえば、有名な縄文遺跡「三内丸山」・下北半島の付け根にある「日本中央の碑」・エデンの園だったといわれる「迷ヶ平」・遮光器土偶で有名な「亀ヶ岡遺跡」・「五葉山」「早池峰山」「姫神山」「モヤ山」「十和利山」などピラミッドと見られる山々など、古代この地方には一大文明が築かれていたと思います。
先人が残した文化遺産や今日まで受け継がれる伝統、目に見えない自然のエネルギーを活かす知恵、キリスト伝説を含め超古代文明の痕跡が色濃く残る東北への興味は尽きません。始めて訪れた場所なのになぜか、「ただいま」と言いたくなる所。私にとって東北とはふるさとのような懐かしさを感じる地であることを発見した旅でした。

∞ 海夢 ∞

 
 東北の旅を計画している時に、私達は龍村仁監督「地球交響曲−ガイアシンフォニー 第三番」という映画を観ました。第一番・第二番はすでに観ており、探険隊の精神的な方向性にも大変良い刺激を受け、とても感動した映画です。今回の旅の途中で立ち寄った<森のイスキア>の主宰者である佐藤初女さんは「地球交響曲 第二番」に登場され、探険隊の心に印象深く残っている方でした。「第三番」を観た時に第一番から第三番までを紹介した1枚のリーフレットをいただいたのですが、じっくりと見ないままだったのです。青森の行程を考えている時に、何故かふとそのリーフレットが目に留まり、よく目を通していなかったことを思い出しました。佐藤初女さんのところまで読んでハッとしました…<森のイスキア>は青森県の岩木山麓にあったのです。私は感動した映画の中のあのおばさまにとても逢いたくなり、この旅でそれは実現しました。

 映画の中のように雪景色ではありませんでしたが、<森のイスキア>は陽だまりの中のように暖かくて柔らかい…そしてゆっくりと静かに時が流れているような空間でした。映画にも登場するあのおにぎりを思いがけずにお土産にいただいた時は、短時間に多くの言葉を交わしたわけではないのに、言葉を必要としない何かとてつもなく大きくて大切なものを受け取ったような気がしました。初女さんの魂からの愛が、おにぎりを受け取った両手を伝わって私の心の奥深いところを満たしていくのです。それを感じた瞬間に私の瞳から感動の涙がポロポロと溢れ出しました。感謝の言葉も言えないほどに泣いてしまって…そんな私達を黙って笑顔で見送ってくださる初女さんには、ただただ頭を深々と何度もさげることだけが精一杯でした。

 おにぎりの中の梅干は、できあがるまでに太陽の光を存分に受けるために1日に何度も初女さんの手によって場所を変え、太陽と初女さんの愛によってできあがるのです。その愛に満ちた梅干の入ったおにぎりを食べて自殺を思いとどまった方さえいます。心を病んだ人々に自宅を30年にわたり開放し、愛のこもった<食物>を通して心を癒していく…<森のイスキア>は映画どおりのすばらしい聖地でした。私達が見えなくなるまで鐘の音は続き、その響きを背中に感じながらいつまでも止まらない涙を拭うこともせずに、探検隊は<森のイスキア>を後にしたのです。

∞ 月ノ宮沙季 ∞

 ※ 映画「地球交響曲−ガイアシンフォニー」については、今回リンク集にて紹介しております。


          
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