<惟神の旅 京都編>
’93年3月に2泊3日の日程で実施した京都への旅は、天候に恵まれず移動も徒歩が多く、その上道を間違えたりと大変な旅だったと記憶しています。旅の始まりは、ある書物で知った出口王仁三郎(でぐちおにざぶろう)という人物に興味を持った事からでした。王仁三郎は1948年に他界していますが、彼の活動の拠点だった京都の亀岡・綾部を訪れる事がこの旅の目的だったのです。ついでに…といっては何ですが鞍馬と元伊勢にも足をのばそうと計画した為、下記のような一風変わった行程となりました。
行 程 1日目 京都駅 10:00 ⇒ 11:40 鞍馬駅 ⇒ 仁王門 ⇒ 由岐神社 ⇒ 12:40 本殿 ⇒ 13:20 魔王殿 ⇒ 14:00 貴船神社 ⇒15:00 貴船口駅 ⇒ 16:15 京都駅 2日目 京都駅 09:00 ⇒ 09:20 亀岡 大本・天恩郷 ⇒ 苑内見学 ⇒ 13:20 高熊山 ⇒ 亀岡駅 15:20 ⇒ 16:30 綾部 大本・梅松苑 ⇒ 苑内見学 ⇒ 綾部駅 19:35 ⇒ 19:45 福知山 3日目 福知山駅 09:00 ⇒ 大江高校駅 ⇒ 10:00 元伊勢豊受神社 ⇒ 11:00 元伊勢皇大神社 12:00 ⇒ 大江山口内宮駅 ⇒ 宮津 ⇒ 13:45 天橋立 ⇒ 一の宮 ⇒ 14:20 籠神社 ⇒ 14:40 眞名井神社 ― 鞍馬山 ―
今から650万年前、人類救済の使命をおびた魔王サナート・クマラが、金星から地球(鞍馬)に降り立ちました。人類発生以前の太古より魔王尊の霊波が鞍馬山から発信され続け、それをキャッチした鑑禎上人により草庵が結ばれ、毘沙門天を祀ったのが鞍馬寺の開創で、いまから約1200年前の事です。さらにその26年後、千手観世音菩薩を祀る地を探し求めて、鞍馬山に辿り着いた別の僧がいました。しかしすでに毘沙門天が祀られているのを知り思案にくれていると、夢でお告げがありました。「観音も毘沙門も、もとは一体のものである。」こう教えられた僧は、喜んで山上に二体を合わせ祀りました。こうしてここ鞍馬山には三尊が出現し、この三身を一体として「尊天」と称し鞍馬寺の本尊として祀っているのです。
さらに寺伝によると、「魔王尊は[地球]毘沙門は[太陽]観音は[月]の聖霊で、力と光と愛の象徴でもあり、この三者が融合して万物生命の根源となる」と記載されていました。この太陽・月・地球の三位一体の構図はまさに天河神社の神宝「五十鈴」が象徴するものと同一です。極めて特異な宇宙的縁起を持ち、歴史上有名な人物の史跡も数多く存在する鞍馬…京都の中心部から僅か30分程で鞍馬山の大自然の中に身をおくことができます。老杉がひしめく参道を歩くと、いつのまにか数百年の歴史の彼方に連れ戻されたような感覚を覚えます。特に奥の院<魔王殿>を経て鞍馬山西門へと下り、龍神を祀る<貴船神社>へと至るコースはおすすめです。(徒歩3時間20分)
なお、これは後日ある書物で判明したのですが、謎の金星人サナート・クマラの正体は、ヒマラヤの地下都市シャンバラに居住するハイラーキーと呼ばれる超人組織の主催者で、このグループはアトランティスの叡智を伝えてきたグループでもあり、時代の節目には世界に使者が送られて、人類を方向づける働きをするのだといいます。本殿 金堂 奥の院へと続く木の根道 奥の院 魔王殿
【叡山電車鞍馬駅―(1K・50分)―本殿金堂―(860m・50分)―奥の院魔王殿―(570m・25分)―貴船神社―(2K・40分)―貴船口駅】
― 大本教 ―大本教(現在は宗教法人大本)は宗教団体ですが、紹介にあたって私達は信徒ではないことと、大本とは何ら利害関係がないことを始めにお伝えしておきます。さて、この旅行の1番の目的地である亀岡・綾部を紹介する前に、出口王仁三郎と大本について簡単に説明したいと思います。
明治25年に大本教開祖出口ナオに艮の金神(うしとらのこんじん)と名乗る神が懸かり、文盲であったナオを通して神のお告げの自動書記が始まりました。 その難解な文章を解き明かすために神から呼び寄せられるように現われるのが王仁三郎です。明治31年、高熊山での修行により宇宙創造の原初から数十万年未来までを透視する神通力を受け、翌32年、大本に入り教義の体系化と教団組織を確立しました。その後教団が巨大化したため、脅威を感じた国家警察により2度の壮絶な宗教弾圧を受けますが、信者の信仰の芽を完全に摘み取ることはできませんでした。当時の神殿は特高警察により完全に破壊され、土地は没収、信者も逮捕され厳しい拷問を受けましたが、全員非転向を貫徹したそうです。終戦直後、敗戦に伴ない無実となり、その後教団も再興され現在に至っています。
私は宗教に関しては門外漢ですが、大本の教義で異色性を感じた点は次の2点です。
@「万教同根」…どの宗教の神(仏)も根本は同じ神であるという教え。
A「ひな型経綸」…大本に起こることは日本に、日本に起こることは世界に起こるという思想。つまり大本は日本の縮図、日本は世界の縮図であるという考え方。特に「ひな型」に関しては、弾圧事件と2度の世界大戦との符合は見事です。(詳細は武田崇元著「出口王仁三郎霊界からの警告」や中矢伸一著「日月神示」に記載されています。)
― 大本・天恩郷 ―私達は宗教的にたぐい稀な大本と、時代の申し子のような王仁三郎に心誘われるまま、亀岡の天恩郷を訪れました。受付のM氏に突然の来訪の意を説明し、案内を乞うと快諾いただき、明智光秀の居城(亀山城址)であった広大な苑内を見学しました。さらにちょうどこの日は[高熊山での鎮魂の修行]が開催されるので体験してみてはと勧められ、参加することにしました。高熊山は王仁三郎が神人合一に達する神秘体験をした場所で、頂上付近の岩窟前に正座し印を結んで、道場の出口眞人氏が朗読される「霊界物語」(王仁三郎の著書)を聞きながら精神を集中すると、神気が体全体の細胞に浸透していくような不思議な感覚を体験しました。
【JR京都駅から嵯峨野線 亀岡駅下車 徒歩5分】
― 大本・梅松苑 ―大本には聖地が2つあります。亀岡は王仁三郎ゆかりの地で修行の場であり、綾部は開祖の出身地で大本発祥の地でもあり祭祀の場です。ここ梅松苑には、祭典が行なわれる長生殿(延床面積2361坪)が'92年に造営され、ヒーリングミュージックの宮下富実夫氏もこの神殿で曲を奉納したそうです。天恩郷のM氏より紹介されたA氏を訪ね、開祖ナオが水行をした井戸、元屋敷跡、みろく殿など歴史を感じさせる建物を拝見し、長生殿内部を見学しました。計画では15年かかるとされた工期を7年も短縮させ、開教100年にあたる年に完成させた経緯をうかがい、神意の働きを実感することができました。
【JR亀岡駅から嵯峨野線 綾部駅下車 徒歩10分】
― 元伊勢伝説 ―「日本書記」によると伊勢神宮に祀られているアマテラス大神は、古くは宮中で天皇と同床共殿で祀られていました。それが、第10代崇神天皇の代に疫病で多数の死者を出し、反乱なども発生したため、アマテラスの御神体を宮中から大和の衣縫邑に移し奉祀することにしました。その後最適の地を求めて各地を転々とし、現在の伊勢神宮に至ったという伝説です。その遷座地である神社はアマテラスが奉斎されたことで「元伊勢」と呼ばれ、特別な神社として崇敬を集めています。
― 元伊勢 皇大神社 ―伊勢神宮より54年も前に祀られたという格式高い神社で、この地で4年間アマテラスを祀ったと伝えられています。周辺には五十鈴川、宇治橋、天岩戸も伊勢そのままにあり、神明造りの社殿は厳かなたたずまいです。霊能者の参詣が多いとのことです。
【北近畿タンゴ鉄道 大江駅から大江山口内宮駅下車 徒歩20分】
― 元伊勢 籠神社 ―自然の営みによりできた天橋立の絶景を眺めながら遊覧船にて一の宮へ。桟橋より徒歩1分で籠(この)神社本宮に着きます。ここは奈良時代に遷されたもので、さらに徒歩10分のところにある奥宮の<真名井神社>が本来の鎮座地といわれています。イザナギ・イザナミ2神がアマテラスを生んだ場所とされる磐座と、アメノミナカヌシの磐座があり、辺りには神聖な空気が漂っていました。また、入口にある石柱には伊勢神宮にもあるダビデの紋章「六芒星」が刻まれていました。
【北近畿タンゴ鉄道 天橋立駅より徒歩15分で桟橋−遊覧船15分−徒歩1分】
― 旅の思い出 ―
冒頭に述べた通り、この京都の旅は肉体的にかなりハードな旅でした。鞍馬山では降っていた雨が途中雪に変わり、全身ずぶ濡れになり、立ち止まると寒さで凍りつきそうで休憩もとらず歩き続け、皇大神社では道に迷い、旅行の荷物に加え前日大本で購入した分厚い本を3冊も抱えて、二つ手前の駅まで延々と歩くこととなりました。ある程度下調べはして行くのですが、何分私達の旅は有名な観光地には目もくれず心の赴くままの旅なのですから、交通の便に恵まれている場所は少ないのです。
今回の京都の旅でその後に続くもっとハードな旅や、その先々で起こるハプニングにも動じない自信を持つことができたような気がします。そして人生においてその時の自分が体験しなければならないことしか起きないと確信した時に、不遇を嘆くことなく創造的な生き方ができるのではないかと思うようになりました。大本に関して言えば、宗教団体を訪れるということで入信を強要されたらどうしようという多少の躊躇がありましたが、そのような危惧は取り越し苦労でした。勧誘の言葉一つもなく、神苑内を丁寧に案内して下さり、高熊山での修行も本来は2日間の修行の一環として開催されているものなのですが、何の違和感もなく参加させていただきました。最後に大本を訪れた際にお世話になった方々の懇切丁寧な姿勢に感銘を受け、その出逢いから多くの学びをいただき、さらに出口眞人氏とは現在まで交流を持つことができていることに感謝の言葉を申し上げたいと思います。∞ 海夢 ∞