<惟神の旅 吉野・天河編>

 ’91年に天河を訪れてから、「この地には何度となく足を運ぶようになる」とある人から言われ、4年後の’95年9月、 2度目の訪問となりました。一説には天河は宇宙のへそとも、天地のエネルギーのコントロールタワーとも言われています。何年も前から宗教者や精神世界を語る人達の間で、パワースポット・サイキックスポットとして知られている天河ですが、柿坂宮司のお話しによりますと聖地に向かう時は何かを期待するよりも真っ白な心のままの方が良いそうです。そして、この地のパワーは目に見える場合もありますが、多くは後になって天河を訪れた意味がわかるというものです。探険隊にとっての2度目の天河は何も考えず、何も期待せず、真っ白な素直な心で探訪したと記憶しています。

行                  程
 第1日目 奈良 大神神社〜赤目四十八滝                        <吉野泊>     
 第2日目 吉野 勝手神社〜金峰山寺 蔵王堂金峰神社〜
丹生川上神社〜不動窟大台ヶ原                   <大台ヶ原泊>
 第3日目 弥山登山〜天河神社                              <天河泊>
 第4日目 竜泉寺

−大神神社−

大神神社 拝殿大神神社には神霊を祀る本殿がありません。背後にある三輪山を神が鎮まる山、つまり御神体として祀っているからで、原始信仰に起源を持つ日本最古の神社です。主祭神の大物主大神は、出雲大社の祭神である大国主神と同一神と言われています。拝殿と三輪山の間には珍しい三ツ鳥居が建っており、山中には磐座(いわくら)があって古代の祭祀遺跡が残っているそうです。境内には、「三輪の神杉」が数多くそびえ、歴史の重みを感じさせる神社です。

【JR桜井線 三輪駅より徒歩5分】


−赤目四十八滝−

不動滝赤目という名は昔、役の行者がこの山を開いた時、不動明王が赤い目の牛に乗って現われた事からつけたとの言い伝えがあり、四十八滝と言っても、必ずしも滝が48あるわけではなく、その数の多さを意味しています。中には滝とは呼べないようなものもありますが、滝入口より行者、銚子、霊蛇の滝を通り遊歩道を進むと、瀑音を岩壁に響かせ水しぶきが木漏れ日を受けて散る、前潤の中心である不動滝が現われます。肌に冷たい滝川の流れに沿い、白泡飛び散る渓流を横切り、断崖の岩肌を登る遊歩道は、進むにつれて冷気が増して残暑を忘れさせてくれました。

 不動滝から千手滝、竜ヶ壷、さらに陰陽滝へと進むと、四十八滝探索コースの中間点である百畳岩へと着きます。滝入口より約50分、ここで小休止をし、滝、岩、樹木が織り成す自然の造形美を堪能しました。荷担滝遊歩道はさらに続き、姉妹滝、柿窪滝、雨降滝、骸骨滝、斜滝など、命名の妙を楽しみながら20分程進むと、四十八滝のクライマックスである荷担滝へと到着します。高さ8mの滝が岩を挟んで2つに流れ落ち、その上部にも滝壷と滝があって、三滝二淵の構成となっています。

 それから雛壇滝、琴滝、琵琶滝を観賞して、いよいよ赤目四十八滝最後の滝、岩窟滝へと着きました。滝の中腹に深い石穴があるので、この名が付いたそうです。ここまで全長約4km、約1時間30分の滝観賞です。赤目の滝は、それぞれに個性的で、白く岩を噛む渓流に、樹木の緑が映えて私達の目を楽しませてくれ、流水の音のハーモニーも加わって、自然の芸術の調和のすばらしさを満喫出来ました。

【近鉄 上本町―急行70分―赤目口―三重交通バス10分―赤目滝バス停下車】


−吉野−

吉野は、大海人皇子(後の天武天皇)、源義経、南朝の後醍醐天皇などが捲土重来を願って身を寄せるなど、歴史の大きな転換点に姿をあらわしてきました。いにしえのドラマの舞台となった多くの史跡があり、古来より桜の名所として知られています。大峰山脈の北端から南に約8km続く尾根が吉野山で、文禄3年(1594)には、豊臣秀吉もこの地で花見を行ったそうです。今回訪れたのは桜の季節ではありませんでしたが、山全体が桜に彩られ下千本、中千本、上千本、奥千本と約1ヵ月にわたり、花期をずらして谷から山頂にむかって、順に咲き登っていく様は圧巻でしょう。西行や芭蕉をはじめ、多くの文人墨客にも愛された地で、古来より山岳信仰の聖地でもあります。

【近鉄吉野線 吉野駅−ロープウェイ(5分)−山上駅】


−勝手神社−

勝手神社1185年、義経と雪の吉野山で涙ながらに別れた静御前が、山中をさ迷っている処を追っ手に捕らえられ、法楽の舞を舞ったのがここ勝手神社で、ご祭神は、大山祇神、木花咲耶姫命ほか三神です。社殿は1604年の改修後、1767年に2度目の焼失を受け、現在の社殿はその後1776年に再建された物です。昔、境内で、大海人皇子が琴を奏でていると、天女が後ろの山(袖振山)の上から袖をひるがえしながら舞い降りて、彼に吉兆を啓示しました。この故事が今も宮中で舞われる「五節の舞」の起源との事です。


【山上駅より徒歩25分】


−金峰山寺 蔵王堂−

金峰山寺 仁王門本堂 蔵王堂

吉野の下の千本から中の千本に向かってたどると、正面に金峰山寺の仁王門がどっしりとした構えを見せて建っています。金峰山とは吉野山から大峰山に至る峰続きを指し、仁王門の奥にそびえ立つ蔵王堂(本堂)は、峰入りする修験者にとって根本道場にふさわしい威容を放っています。室町時代末期の創建で、東大寺大仏殿につぐ大きさを誇る木造建築物で、吉野山のシンボルです。修験道の開祖役小角の創建と云われ、平安、鎌倉時代に隆盛を極めたそうです。相次ぐ焼失で今の建物は1591年の再建です。大きさは、棟の高さが34mで、重層入母屋造、桧皮(ひわだ)葺です。内部は内陣と礼堂からなり松や杉など、自然木のままの柱68本が林立するさまは豪壮で、内陣の2本の金箔張り化粧柱や須弥檀(しゅみだん)は、桃山時代に太閤秀吉が寄進したものといわれています。蔵王権現像(重文)3体がまつられ、本尊は高さ7mにもおよぶそうです。

【山上駅より徒歩10分】


−金峰神社−

金峰神社祭神に吉野山の総地主神の金山彦命を祀って、一名金精明神とも云い吉野八社明神の1つですが、創立は明らかではないそうです。藤原道長も祈願したと『栄華物語』に記されており、道長の経筒(きょうづつ)(国宝、京都国立博物館に寄託)が残っているそうです。吉野山は日本一の桜の名所として全国に有名ですが、役行者を開祖とする修験道の聖地でもあり、金峰神社も修験者の行場です。そもそも吉野山が桜の名所になったのは、役行者が桜の木に蔵王権現像を刻んだことが起こりと言われ、以来「一枝を切る者は一指を切る」といわれたほど大切にされ保護されてきたからでもあります。

【山上駅より徒歩120分】


−丹生川上神社 上社−

丹生川上神社 上社天武天皇の白鳳四年に「吉野丹生川上に我宮柱を立て敬祀せば、天下のため雨を降らし霖雨を止めん」との神託により創立された古社です。京都の貴船神社と同じタカオカミが主祭神で、配神にオオヤマツミ・オオイカヅチノカミを祭っています。平安時代の記録には、祈雨止雨の際には必ず朝廷から奉幣が行なわれたとあります。また、「丹生の川上ほど近し祈らば晴れよ五月雨の空」と後醍醐天皇が歌に詠んだ由緒ある神社です。社殿は大正6年の修築で、吉野川に面し、桧皮、流れ造りの本殿は美しく見る者を魅了する趣があったのですが、今はその姿を見ることはできません。

ダム建設に伴ない’98年に社殿が移築されたため、アクセスは省きます


−不動窟−

不動窟不動窟 入口吉野から大台ヶ原へと向かう国道沿いにある鍾乳洞でスケールは小さいですが、吉野川の川底に、滝あり川ありの変化を楽しむ事ができます。川を見下ろす崖の中ほどに鍾乳洞の入口があり、入口までは道路から階段で下ります。約2億年前の石灰石の中にできた鍾乳洞で、洞窟中にある滝の水量は多く、地下水がゴーゴーという音をたてて流れていて、流れ落ちる水はあくまで透き通り、鍾乳洞と相まって神秘的な雰囲気を醸し出しています。ひんやりとした洞内は外の暑さを忘れさせ、長い年月をかけて作り上げる自然の創造力の無限性を味わう事ができました。



【近鉄吉野線「大和上市」駅からバス「柏木」下車 】


−大台ヶ原−

大台ヶ原大台ヶ原は標高1,500mにおよぶ隆起準平原でブナ、トウヒなどの天然林を残しており、近畿の屋根と呼ばれています。稜線をたどる大台ヶ原ドライブウェイは、山また山を重ねた雄大な展望が広がり、その層の厚さに目を見張ってしまいました。落ちゆく太陽が山の稜線に映えて、車窓からは心地よい冷気が吹き込み、とても1000m級の山岳を走っているとは思えない快走を楽しめます。

 21kmのドライブウェイの終点、山上の広い駐車場付近にある宿舎で1泊し、翌日山上回遊(1周約4時間)をする予定でしたが、前日に起こったレンタカーのトラブルにより大台ヶ原には宿泊したものの、山上回遊は出来ませんでした。ここに予定していたポイントをご紹介したいと思います。

[牛石ヶ原] 広大な高層湿原。地面には苔が生え、緑のじゅうたんを敷きつめたように見える様子は美しい。
[正木ヶ原] 本州では珍しいトウヒの原生林が見られ、また、牛石ヶ原へかけての台地は一面のイトザサがひろがっている。
[大蛇ぐら] 眼下1000mともいわれる大断崖からは大峰連山が目前に迫り、特に新緑・紅葉の季節には大自然のパノラマを満喫することができる。
[日出ヶ岳] 標高1695mの大台ヶ原最高峰で、天候の良い日には熊野灘が眺望でき、年に一度は富士山を遠望することができるという。

【奈良県橿原から国道169号を南下 新伯母峰トンネル入口より大台ヶ原ドライブウェイへ 橿原より2時間30分】


−弥山登山−

初日のハプニングのため、3日目の早朝予定を変更して大台ヶ原を出発しました。天河へと向かう途中、行者還トンネルを抜けたところで思わず急停車。「弥山登山口」という看板が目に入ったからです。2人同時に看板を見つけ2人同時に叫んで、次の瞬間には駐車場に車を止めていました。弥山登山はもちろん当初の予定にはなく、それなりの準備も必要ですので看板を確認すると、山頂まで3時間15分とあります。私達の旅は予定通り行動する事よりも、「惟神」の意の通り、成り行きやひらめきを大切にしたいと思っています。弥山山頂(標高1895m)には天河神社の奥宮があり、いつかは参拝したいと思っていましたので、これはまさに偶然(必然)の一致だと受け取り、身支度を整え午前10時、登山口を出発したのです。

 川沿いの道を少し歩き、沢に架る立派な木の橋を渡ると急斜面が待ち受けています。ブナやヒメシャラの繁る根っこの多い坂ですが、日差しは穏やかで気温もあまり高くなかったため、登り易く感じました。登り始めて1時間程で奥駆道出合に着きました。奥駆道とは山上ヶ岳からの縦走路の事で、いくつもの山を縦走する大峰山修験者にとっての行場です。ブナの大木が茂りあまり眺望は開けていませんが、一息つくにはもってこいの場所です。登山道を右にとると、ここからは緩やかな登りで快適な山歩きを楽しめ、ブナの原生林の緩やかな登りを行くと弁天の森に着きました。標高1600mの標識があります。弁天の森を過ぎたところで弥山が姿を現し、思わぬ出会いに嬉しさが胸に込み上げました。

 さらに進むと、道は緩やかなアップダウンを繰返しながら、やがて聖宝ノ宿跡へと着きました。理源大師像が建っていて、信仰の山らしさを思わせます。その後再び急登が待っていました。トンネル西口から奥駆け道までの急坂に比べると直登ではなく尾根をまくように登るので、頂上付近の急登にしては、楽な方だと感じました。
弥山神社  登山口を出て2時間40分後の12時40分、弥山小屋へと到着しました。奥に小道があって登ると、天河弁財天社の奥宮である弥山神社が建っていました。この地に弁財天が祀られる事となった由来は、役行者が大峰山の修験道場を開山するに当り、山上ヶ岳において鎮護国家の神を勧請した時、弁財天が出現しましたが、山上ヶ岳は古来より女人禁制だったため弥山にお祀りしたとの事です。思いもよらず奥宮を参拝できた事に感謝を申し上げ、また、不思議な展開に感慨を深め、しばらく神前に佇んでいました。



【近鉄吉野線 下市口駅より行者還トンネル登山口 タクシー1時間30分−山頂まで徒歩2時間40分】


−天河神社−

天河神社 この旅で2度目となる天河神社探訪です。今回はまず、柿坂神酒之祐宮司が宮下富実夫氏に語った天河という地が持つ意味をご紹介したいと思います。

 「天河は、高野・吉野・熊野という大和三大霊場を結んだ三角形の中心部に位置しています。背後に控える大峰山系は、7世紀はじめに役小角という方によって開かれた修行の場で、熊野から吉野まで75の霊場が定められています。これを大峰七十五靡(なびき)と呼び、50音に25の濁音を加え75の音霊(おとだま)ができあがりました。そうしたなかで、玉置山から弥山までが胎蔵界、すなわち胎児の世界で、弥山から山上ヶ岳を金剛界として、人間世界に生まれ出てから死ぬまでを表わし、標高1895mの主峰、54番目の霊場弥山が人間のちょうど誕生の位置に当るわけです。その弥山山頂には天河神社の奥の院があり、そこで役小角が日輪弁財天の女神を感応し遭遇なされたのです。つまり、天河神社は人生の原点ともいうべき誕生の位置に納まって建立されているわけです。」(宮下富実夫著「癒しの音を求めて」より)

 大阪や奈良から天河へ向かうと、都会から郊外そして山間部へと入り山をいくつか越えて、その道のりはとても長く感じられ、まさに秘境という感は否めません。近代的な開発の手が加えられず、昔から変わらぬ風景が残るこの山奥の神社に、音楽・芸能関係の著名人を始め数多くの人が訪れています。今から約1400年前に生命の誕生の聖地と定められてから、ずっとその波動を発信し続ける事で、縁ある人が引き寄せられているのかも知れません。そして、天河の気を体感すると潜在意識の中で何かが呼び覚まされ、新しい自分の発見につながるのではないかと思います。私達は今まで4回天河を訪れていますが、それは天河に「行く」という感覚ではなく天河から「招待された」と言う感じがしています。その人にとって必要な時期に、必要な状況を用意してお招きする。天河とはそう言う地のような気がします。

次に、神社周辺のパワースポットをご紹介します。
[役行者堂] (神社裏手)天河神社には4つの神石があり、そのうちの1つがここにあります。行者堂の左側にある大きめの苔生した石で、周りの木がその石をやさしく守るかのように覆い隠しています。
[韋駄天さんが祀られている山] 温泉と禊殿行く道の分かれる少し手前に山へ向かう階段があり、上がると韋駄天が祀られています。
[禊殿] 古くは梅林だったそうで、この建物は解体された古い社殿(天河神社は’88年に新しく造営されています)の木材で建てられています。玉石は熊野から運ばれて来たそうです。
[来迎院の大イチョウ] 樹齢3000年とも言われる大木で、昔、寺守をされていた方がイチョウと話すには直接手で触れるのが1番だと言っておられました。世の中には植物と話ができる方もいます。その地に数百年、数千年と存在している大木などは、そこで人々の歴史を見守ってきたそうです。天河という聖地を静かに見つめてきた大イチョウの気を感じてみられてはいかがでしょう。

【近鉄吉野線 下市口駅より奈良交通バス洞川温泉行き 川合下車】


−龍泉寺−

龍泉寺洞川(どろかわ)は、修験道の根本道場である大峰山・山上ヶ岳への登山基地として古くから栄え、多数の修験者が通った地です。 登山口にある龍泉寺は、役行者が洞川で泉を発見し、八大竜王尊を祀ったのが始まりで、修験道中興の祖聖宝によって再興されたといわれています。修験者は境内にある湧泉の境内の龍王池で水行をし、山中修行の安全を祈るそうです。私達が訪れた時も、山伏姿の行者さんが参拝しておられました。



【近鉄 下市口駅よりバス洞川温泉行き終点下車 所要時間約1時間】


−終わりに−

私達は旅を計画する時、探険地が地理的に恵まれていない事もあってかなり綿密にスケジュールを組みます。この10年間の旅でほぼ計画通りに進んだ旅が多いのですが、中には天候不良やハプニングでどうしても探険できなかった地がいくつかあります。強引に計画を推し進める事もできたのですが、その状況に直面した時何故か残念がる事なく、すんなり変更を決断します。今回の大台ヶ原もその1つです。弥山登山口を見つけた時、1800m級の山を登るには万全の装備とは言えませんでしたが、不安や怖れと言ったマイナスなイメージは浮かんで来ませんでした。そして「弥山に呼ばれた!」と直感したのは、今までの登山と違い喉の乾きや空腹感を1度も感じる事なく、気が付けば山頂にいた事です。自分に起きる出来事を必然だと理解すると、計画が狂った事も必要だったと捉える事ができ、新たな価値観となりました。


∞ 海 夢 ∞

          
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