<惟神の旅 出雲編>

 神々のふる里、神話の舞台として有名な出雲は、神代の神々を祀る古い神社が今日も至る所にあります。その出雲の中心的神社と言えるのが出雲大社です。毎年旧暦の10月に八百万の神様が集まり、約1ヵ月滞在。そのためふつうこの月は神無月と呼ばれるのですが、出雲地方では逆に神在月と呼ぶのは、よく知られているところでしょう。私達は’96年の11月(旧暦では10月)に、神在祭で賑わっている出雲の神社を探訪しました。各所に残る神跡は今なお神秘の息づかいを色濃く残し、私達を神代の昔へと誘わせてくれました。その神跡や点在する神社は、古事記の出雲神話に起源を持つものが多いため、まず始めに出雲神話を簡単にご紹介したいと思います。

出雲神話は、「スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治」・「オオクニヌシノミコトと因幡の白兎」・「国譲り」の大きく3つの場面で構成されています。

【オロチ退治】
 高天原で乱暴をはたらき追放されたスサノオノミコトは出雲に降り立ち、老夫婦が美しい娘を囲んで泣いているところを見つけた。老夫婦はオオヤマツミノカミの子、アシナヅチとテナヅチであると名乗り、「この地には8つの頭と尾を持つヤマタノオロチという巨大な蛇が棲んでいて、毎年やって来ては次々と娘を食っていく。今年もまたその時が来て、今度はこの娘クシナダヒメの番になったので泣いている」と語った。スサノオは、クシナダヒメの可憐な美しさにうたれ、妻にもらい受けることを条件にオロチ退治にのりだした。まともに戦っては勝ち目がないため、家のまわりに8つの門を設けた垣をめぐらしそこに8つの酒樽を置いて待ちかまえた。するとオロチは酒を飲みほし、ついに酔いしれて眠ってしまった。そこを十拳剣(トツカノツルギ)で切り散らし、その際尾の中から一振りの太刀(のちにいうクサナギノ剣)が現われた。見事オロチを退治したスサノオはクシナダヒメと結婚し、須賀の地に宮を建て国固めをした。

【因幡の白兎】
 オオクニヌシノミコトは、スサノオとクシナダヒメの血を引く6代目の孫で、大勢の兄弟神がいた。ある時、兄弟神たちは因幡の国にヤガミヒメという美女がいると聞いて、自分の妻にしようと思い揃って出かけた。オオクニヌシもこれに従ったが、まだ若かったので、皆の荷物を持たされ、1番後ろから遅れてついて行った。途中一行が気多の岬にさしかかると、一匹のウサギが皮をむかれ赤裸になって泣いていた。兄弟神たちはおもしろがり、「海の水を浴びて、風に当たっていれば治る」とからかって行ってしまった。

 ウサギがその通りにすると、治るどころか痛くてたまらない。そこへ遅れて来たオオクニヌシが通りかかり訳を尋ねた。ウサギの話によると、隠岐島に棲んでいたが一度本土に渡ってみたいと思い、海のワニ(鮫)をだまして一列に並ばせ、その背をとび気多の岬に渡った。あと一歩というところで悪だくみが露見し、1番後ろに並んでいたワニの怒りをかい、皮をむかれたのだと言う。オオクニヌシは哀れに思い「すぐに河口に行って真水で体を洗い、ガマの穂を敷いて寝ころがりなさい」と教えた。その通りにしたウサギは傷が回復し、オオクニヌシにあなたこそヤガミヒメを娶るにふさわしいと祝福の言葉を贈った。ヤガミヒメも兄弟神たちの求婚を断りオオクニヌシを選んだ。兄弟神はくやしがり襲って来たが、結局争いはオオクニヌシの勝利に終わり、ヤガミヒメを妻に迎えて国の王となった。その国を葦原中国(あしはらのなかつくに)または、豊葦原の水穂国(とよあしはらのみずほのくに)という。

【国譲り】
 アマテラスオオミカミはスサノオノミコトを高天原から追放したものの、下界の様子が気になって仕方がなかった。そこで息子のアメノオシホミノミコトに統治を任せようと、地上に遣わすことにした。八百万の神を集めて協議の末、使者を送ってオオクニヌシをはじめとする国神(くにつかみ)を説得し、国を譲るよう迫った。しかし、1度目も2度目も失敗に終わったため、残る手段は強談判しかないと、武勇の誉れ高いタケミカズチノカミを遣わした。タケミカズチは出雲の稲佐の浜に降り立ち、剣を逆さまに突き立て、その切っ先の上にあぐらをかいて、オオクニヌシに国を譲るよう迫った。これに対しオオクニヌシは返事を渋ったが、その息子のコトシロヌシノカミは異存はないと国譲りを承知し、身を隠してしまった。もう1人の息子タケミナカタノカミは承服せず戦いを挑んだが、あえなく敗れて諏訪まで逃げ降参した。こうなるとオオクニヌシも否応もなく承知したが、代償としてこの出雲の地に天に届くばかりの立派な御殿を造り、自分の住みかすることを承諾させた。これが現在の出雲大社のもとであるという。

行           程
1日目 出雲大社〜須佐神社〜八重垣神社〜佐太神社〜須我神社
2日目 日御碕神社〜鰐淵寺〜神魂神社〜熊野神社〜美保神社


−出雲大社−

出雲大社 拝殿 出雲大社は縁結びの神・福の神として、全国の人々に親しまれています。オオクニヌシはアマテラスに国譲りをした際、代わりに幽界の支配権の保証を得ました。そのため、物質的な物事についてはアマテラスとその子孫である天皇家が管理しますが、精神的な物事についてはオオクニヌシとその子孫たちの管轄になっています。そこで神在月に神様が出雲に集合して全国の人間の運命について話し合い、中でも誰と誰を結婚させるか、などということをこの会議で打ち合わせすると言われており、縁結びの神となったそうです。

 正面の拝殿は昭和34年に再建され、桧造りの美しい色艶と、長さ8メートル、重さ1500キロの大しめなわには思わず目を見張るものがあります。拝殿の奥がオオクニヌシノミコトを祀る、国宝の本殿です。1744年造営の大社造りで、伊勢神宮の神明造りとともに代表的な神社建築です。本殿は、瑞垣・玉垣に囲まれていて、瑞垣の門を八足門といい普通一般にはここから拝します。正月5日間はこの門が開かれ、楼門前で参拝出来ます。瑞垣の外に沿って右に行くと長い摂社・末社があります。これを東の十九社、左にあるものを西の十九社といい、神在祭の時、全国から集まった神々の宿舎となる社殿です。

 社伝によれば、本殿はかつてはもっと巨大で、往古には32丈(約97m)、中古には16丈(約48.5m)もの高さがあったといわれています。それを裏付けるかのごとく、昨年4月に「出雲大社境内遺跡で古代本殿のものと思われる巨大柱の一部が出土」という発表があり、様々な反響を呼んでいます。

【一畑電鉄出雲大社前駅から徒歩10分】


−須佐神社−

須佐神社 オオクニヌシと並ぶ出雲神話の英雄・スサノオノミコトの終焉の地に建つ古社で、主祭神はもちろんスサノオノミコトです。本殿(県文化)は大社造で、1861年の造営。四方を山に囲まれ、境内は荘厳な雰囲気が漂っていて、次のような七不思議伝説も語り継がれているそうです。

【塩井】 境内に湧出し、日本海に続いていると言われています。
【神馬】 奉納する馬はどんな毛色の馬も白馬に変わると言われています。
【相生の松】 男松と女松が1本の大木となったもので、本殿裏にあったそうです。(現存はしていない)
【影無桜】 この桜が隠岐まで影をさし、隠岐国を不作にしたと言われています。
【落葉の槙】 境内に槙の木があり、その落ち葉には松葉を通したような小さい穴が開いているそうです。
【星滑】 須佐の中山の頂近くに白い斑点を浮き出させた岩石が露出していて、豊年の時には斑点が多くなるそうです。
【雨壷】 素我川の下流約1kの田の中にある巨岩に、直径約70cmの円形に芝が生えており、これを刈ったり引き抜いたりすると洪水になると言われています。

【JR出雲駅よりバス10分 神社前下車 徒歩2分】


−八重垣神社−
  

          八重垣神社          鏡の池

 八重垣神社はオロチ退治神話の舞台となった古社で、スサノオ・イナダヒメを祀っています。スサノオは本殿後方にある佐久佐女(さくさめ)の森に八重垣を築き、イナダヒメを避難させてオロチを退治。やがて2人は結婚し、佐久佐の地に宮造りをして新居としたそうです。「八雲立つ出雲八重垣妻込めに 八重垣造るその八重垣を」スサノオがこう詠んだ愛の巣が八重垣神社の起源といわれています。現在の社殿は何度かの改築を経ているそうで、そう古い建物ではないようです。ただ、境内左手の宝物収蔵庫に飾られている壁画は、日本最古の神社壁画として国の重文に指定されていて、約1100年前のものと言われており必見です。また、神社の由緒記に「縁結びの大親神」と記されている通り、今も良縁祈願の参拝者が多いそうで、佐久佐女の森奥にある鏡の池では縁結びの占いもできます。

【JR松江駅から一畑バス 八重垣下車 徒歩3分】


−佐太神社−

佐太神社 1万3000坪の広大な敷地に、北殿・正中殿・南殿の3本殿が並立するという珍しい建築様式の古社で、出雲大社に次ぐ出雲二の宮と言われています。陰暦の10月出雲大社で行なわれる神在祭で参集した八百万の神は、大社に1週間滞在した後、この佐太神社に移ってさらに1週間滞在すると言われています。主祭神はサダノオオカミで、島根半島にある加賀の潜戸(八束郡島根町)で生まれたと伝えられています。古代よりのこの地方の祖神で、佐太神社には年間75回の祭礼があったことから、サダノオオカミは広範囲な信仰を集めた神だったと思われます。

【JR松江駅から一畑バス 佐太神社前下車 徒歩3分】


−須我神社−

須賀神社 須賀神社のご紹介にあたって、まず最初に神社でいただいた由緒記を抜粋します。
和歌発祥之遺跡 日本初之宮・八雲立つ 須賀神社由緒 − ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトは、宮を造るべき所を求めてここ、須賀の地においでになり、「吾この地に来まして、我が心須賀須賀し」と仰せになって、この地に宮殿を御造りになりましたが、其地より美しい雲が立ちのぼるのをご覧になり、「八雲立つ……」の御歌をお詠みになりました。即ちこの宮が古事記・日本書紀に顕われる日本初之宮であります。後略]

 ご覧の通り、八重垣神社の由緒とほぼ同じで、真偽のほどは不明です。オロチ退治の舞台は八重垣であるのは間違いないようですが、須賀にも別宮を建てたか、あるいは遷宮があったのかも知れません。ただ、八重垣神社と違って人影もなく、それだけにかえって神気が身に染むような気がしました。 

【JR出雲大東駅から松江温泉行バス 25分 須賀下車】


−日御碕神社−

日御碕神社 朱い楼門が目にあざやかに飛び込んで来る日御碕神社は権現造りで、上の宮(神の宮:かむのみや)と下の宮(日沈宮:ひしずみのみや)とに分かれ、上の宮にはスサノオノミコト、下の宮にはアマテラスオオミカミが祀られています。徳川家光の命により、着工以来10年もの歳月をかけ完成したそうです。西本殿内部の天井の壁面には、当時の狩野派土佐派の絵師たちが腕を競いあった、極彩色の壮麗な密画がほどこされています。


【出雲大社駅から 日御碕行バス 30分 徒歩15分】


−鰐淵寺−

鰐淵寺 モミジの美しい寺として知られる鰐淵寺は、智春上人が修験の際に誤って仏器を滝壷に落とし、その時淵がにわかにもり上がり大きな鰐が浮かんできて仏器をエラにかけ、上人に捧げたところから浮浪山鰐淵寺と呼ばれているそうです。開創は推古2年(594年)で、重要文化財の銅像聖観世音菩薩立像をはじめ古仏像や書画、古文書など文化財の宝庫でもあるそうです。また、弁慶が大山寺から一夜にしてかつぎ帰ったという鐘があるなど数多くの伝説で知られるほか、寺から鰐淵川を500mさかのぼった所にある浮浪の滝は15mの滝水が水煙をあげ、驚くことに滝の後ろに祠があるという一種独特の神秘的な雰囲気をかもしだしています。(左の写真は水不足のため、岩場の中にある祠がちょうど見えているものです。)




【平田市駅前からバスで約25分】


−神魂神社−

神魂神社 祭神はイザナミ・イザナギノオオカミで、本殿は室町初期(1346年)建立の大社造で、現存する大社造りの社殿のうち最も古く、国宝に指定されています。神魂と書いてカモスと読むのは珍しいですが、説によると「神霊の鎮まり坐す所」つまり神坐所(かみますどころ)がカンマスになり、カモスとなったと言われています。


【JR松江駅から 大庭方面行バス 25分】


−熊野大社−

熊野大社 祭神は熊野大神クシミケヌノミコトで、神社の由緒記にはスサノオの別名とあります。記紀には、オロチを退治したスサノオは須賀の地に宮殿を営まれ、また「熊成峰」にも居したとも書いてあり、古くから広く信仰をあつめていた地で、出雲大社よりも神階が上位だったそうです。出雲国造を相続するときは、熊野大社で火継式が行われたと伝えられ、かつては出雲国一の宮として祭祀されていた神社です。戦国時代(1542年)大内氏と尼子氏の戦いのため、社殿及び貴重な宝物や古い記録も焼失し、その後江戸時代(1698年)には意宇川の大洪水のため、川の流れが変わり、大社の土地もなくなり、境内は狭くなってしまったそうです。 現在の本殿は昭和23年に再建されたものです。

【JR松江駅から熊野行きバスで30分】


−美保神社−

美保神社 2柱のご祭神を祀る美保神社の本殿は、大社造りを2棟並べて装束の間でつないだ特殊な形式で、「美保造り」又は「比翼大社造り」と呼ばれ、国の重文に指定されています。 神社の歴史は古く、奈良時代以前にすでにこの地にあったとされていますが、戦火によりすべてを焼失し、現在の本殿は1813年の造営で、向かって左がコトシロヌシノカミ、右にミホツヒメノミコトを祀っています。上代起源の神社として、中世以降は武家の信仰をあつめ、その後航海者たちに信仰され、また、祭神が美保関で釣りをしていたという故事に因んで、漁業の祖神として民間信仰の神となったそうです。さらに、釣竿を持った姿が恵比寿信仰に結びつき、西宮神社に次ぐ恵比寿信仰の本社として、全国の人々から親しまれるようになったとのことです。

【JR松江駅から 美保関までバス40分】

−終わりに−

 出雲を語る上で参考になる文献は「古事記」(712年編纂)の神話です。古事記をどう読むかの書物も多く出版されていますが、大方の意見は「歴史は為政者により書き換えられる」という見方です。古事記が編纂された時代は朝廷を中心とした畿内王朝が政権を掌握していて、天皇の祖である天津神(天孫族)の支配の正当性をアピールする内容が記されるというものです。出雲神話の国譲りはその典型的な話なのかもしれません。神社も歴史的背景を念頭において参拝するのも面白いものですが、そこに政治的意図があったとしても、太古より清浄な気が漂っている地は、それに左右されることなく神が鎮まる地であり、今も変わらず神聖な場所なのだと思います。

∞ 海夢 ∞

       
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